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Primula  作者: 澄葉 照安登
第五章 台風一過
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台風一過 7

 久しぶりの部活は、驚くほどにぎやかだった。いつも騒がしくする間城はバイトで欠席しているというのに、その穴を埋めてもまだ余るほど、それこそ修学旅行ではしゃいでいるかのように、ひたすらににぎやかだ。

「そう言えば松嶋先輩から写真送られてきたんですよっ。首里城の写真!」

「なんだよ、ハルそんなことしてたのかよ」

 いつも言葉数の多い立花さんとソウを中心にどうでもいい話が必要以上に膨らみ、俺はと言えば常時口角は上がりっぱなしで気持ち悪くにやけているような顔でその光景を見ては、たまに会話に混ざったりしている。

「いや、せっかくだから後輩にも写真送っておこうかなってさ」

「あざとい」

「変な意味はないよ!」

 笑顔で返せば真琴が呟くように突っ込みを入れる。それにまた俺が焦りながら否定を口にすればまた笑顔が膨らむ。いつもの落ち着いた楽しい空間ではなく、大学生がアルコールを過剰摂取して出来上がったバカ騒ぎの空間に近い気がする。当然高校生の見である以上そんな場に遭遇したことは一度もないのだが。

 ソウが歯をのぞかせ、立花さんが無邪気に笑い、真琴がほくそ笑むように嘲り、俺は苦笑い交じりに笑う。永沢さんを見れば、微笑みながら口元を隠していた。

 楽しいひと時のはず。ただひたすらに楽しく幸せで、何一つ陰鬱なことなどない空間。

 そのはずなのに、永沢さんの笑顔を見るたびに、その微笑みを見るたびに違和感を感じてならない。今日一日微笑むように笑いながら、楽しく談笑していただけなのに。

 俺は自身の的外れな違和感に苦笑いをこぼしながらワイワイと騒がしいみんなにもう一度笑顔を向けた。

 すると、俺の左隣に座っていた真琴が思い出したように言った。

「総、時間いいのか」

『え?』

 言われて、ソウだけでなく談笑していた四人全員が殺風景な部室の入り口近くにある壁掛け時計に視線を向けた。いったい今何時なのだろうと目を凝らせば、現在時刻は六時二十分を指し示していた。

「やばっ、もうこんな時間だったのか」

 部活終了時間、さらには最終下刻時間を大きく過ぎていたことに気付いたソウが焦ったように声を上げる。

 いつもは大してやることもないこの部活は最終下校時間までには鍵を返し終わってみんな帰路に付き始めているというのに、珍しく話が盛り上がり過ぎてしまったせいで誰も時間に気付かなかったらしい。

「みんな、帰る支度してくれっ」

 ソウが少し焦ったように言うと、時間に真っ先に気付いた真琴がガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。

 それに続いてソウも立ち上がって薄っぺらい学生かばんを担ぐように肩にかけた。

 二人が立ち上がった音を聞いて俺も慌てて足元に置いてあった鞄を掴んで立ち上がる。同じようなタイミングで後輩二人も椅子から立ち上がった。

 時間に追われて焦らされているため、ソウの掛け声よりも先に俺たちは部室を後にする。全員が出た後にソウが部室の電気を消して指にかけていたカギで部室の扉を施錠した。

「じゃあお疲れさまでしたっ」

「お疲れさまでした」

 施錠されたのを確認すると後輩二人が別れの挨拶を済ませて俺たちに背を向ける。お疲れーと気の抜けた声で二人を見送っていると真琴は何も言わずに階段のほうへと歩いて行った。

「じゃ、俺らも帰りますかね」

「そうだね」

 最後に、みんなの背中を追うように俺とソウも二人並んで階段を下りて行く。階段の踊り場の窓から外を見てみれば十月に入り日が短くなったからなのかもう外は真っ暗、空の端を見ようにも茜色の夕空も見えないほどに漆黒の夜空が広がっていた。

 しかし、外は真っ暗だというのに星どころか月すら見えない。どういうことだろうと目を凝らしてみると、漆黒だと思っていた空が汚れた灰色のような靄で隠れているのに気づいた。

 どうやら曇っているから暗くなるのが早く感じたらしい。ふと、そう言えば台風が近づいてきているというのを聞いたのを思い出す。確か今週の水曜日に、直撃かどうかは定かではないが関東のほうまでやってくるという話だった。

 その前兆か何かで雲がかかっているのかと一人で納得してはえーっと間抜けに口を開けていると、ソウが「そーいえばよ」と声を上げた。

 振り向くとソウは首を捻って顔だけで俺のほうを見るとニッと歯をのぞかせて笑った。

「お土産で思い出したんだけどよ。沖縄で買ったハンカチ、ちゃんと持ってきてるか?」

「え、あー。まだ袋に入ったままかも」

 言われてすっかり失念していたその存在を思い出して、脳内で宝探しの様にハンカチのありかを思い浮かべる。多分部屋の机の上とかにあるはず。なければまだスポーツバックの中。

 俺は頼りにならない自分の記憶を手繰り寄せながら頭上を見あげる。当然脳内が視覚化されるわけもなく、今さっき下った階段の裏側が見えただけだ。

「おいおい、ちゃんと買ったんだから持って来いよー。三人で買ったんだからよー」

 不服そうに声を上げたソウは鞄の外ポケットを開けると、中から俺たち三人でそろって買ったデイゴの刺繍の入ったハンカチを取り出してひらひらと見せつけてきた。

「女子力高いね」

 俺は笑いながら茶化すように言う。真琴だったら「女みたいなこと言うなよ」とため息交じりに悪態をついているところだろう。

 ソウは俺の茶化しに得意げに笑って返すと紅色のハンカチを大切そうにしまった。

「ちゃんと鞄か学ランに入れとけよ」

「わかったよ」

 本当に女の子みたいなことを言うな、なんて思いながら苦笑いを返す。

 入学してからもう何度も往復した階段を足を滑らすように下りて行くソウに続いてその二段ほど後をすり足の様に擦りながら下りて行く。

 つい数分前、数十秒前まで一緒に居た仲間の姿はもう見えない。ちょうど真下くらいにいるのだろうか、それとももう下駄箱に、もしかしたら外に出ているかもしれない。

 俺はその面影を追おうと視線を下ろしそうになって、自虐意味に息を吐くと再び踊り場から空を見上げた。階段を下ってさっきよりも空から遠くなったからか、灰色の雲に覆われた空に避けられてしまったように感じる。

 階段を下りながら、遠ざかっていく空を見上げ続ける。見ていても、手を伸ばしても、自分から歩み寄らない限りはその距離は近づきはしないのに。

 自分の足元すら見ずに、ただそれだけを見つめ続けた。

「じゃ、職員室行ってくるわ」

「え? あ、わかっ……っと!」

 不意にソウの声が聞こえて反射的に視線を前に戻すと、いつの間にか階段が終わっていたらしく、段差を下りようとした足が平面の廊下を小突いた。

 つまずきそうになりながらタップを踏むとソウが「何してんだよ」と小ばかにしたように笑った。俺もつられてたははと苦笑いを浮かべえると、ソウは何も言わずに職員室のほうへ向かって歩いて行った。

 六時を大きく回ったからか、ほかの生徒はほとんどいない。運動部ですら片付けを終えている。夏が終わって次の大会まで時間があるのだろうか。夏休み前はサービス残業さながらのオーバーワークを強いられていたというのに、今は手のひらを返したように早く帰れなんて声が毎日のように聞こえていた。

 自分とは無関係の運動部の顧問の声をリフレインさせながら自分のクラスの下駄箱まで行くと、ほとんど条件反射で下駄箱から靴を取り出した。

 トスンと音を立てて靴を置くと、上履きの踵を踏むようにしてそれを脱ぎ捨てる。繰り返しそうされているからか、下駄箱にしまうときに上履きの踵の部分がすれて削れているのが見えた。

 つっかけるようにして外履きに履き替えると、この一年半の毎日ソウの到着を待つために陣取っている昇降口の端の壁に背を持たれかけようとそこまで歩いていく。

 すると、外から風が吹き込んできた。妙に生暖かい、湿気を多分に含んだ風が。

 俺は嫌な予感がして昇降口から顔を出してのぞき込むように空を見上げた。

 見上げても星は見えず、漆黒のはずの空は灰色に濁っている。街灯がつくほど暗いせいで雲の暑さがどれほどかまではわからず、結局家に帰るまで雨が降らないことを祈ることしかできない。

「……あっ」

 そう思って、正門のほうに視線を向ければ、闇に紛れて消えてしまいそうな黒髪が見えた。ちょうど正門から出て曲がるところだったのでその姿はすぐに見えなくなってしまったが、隣には茶髪の女生徒がいたので多分あれは永沢さんと立花さんだったのだろう。

 彼女たちは俺たちが修学旅行でいない間、どんな風に過ごしていたのだろう。ついさっきまでは俺たちの修学旅行の話ばかりで、彼女たちの話をあまり聞けなかった。

 そう思うと同時、彼女たちとかおお合わせたいない時間が確かにあったのだと思う知る。

 彼女の――永沢さんの姿を見たのは、一週間ぶりだった。

 けれど、不思議と久しぶりだという気はしなかった。つい昨日も顔を合わせていたかのように感じがした。きっとそれは、ずっと考えていたから。

 間城に問われたあの瞬間から、今日を迎えるまでの数日間。ずっと彼女のことを考え、自分のことを考え、答えを探していたから。

 修学旅行が開けてからは、ソウや真琴と遊んだりと賑やかに過ごしてはいた。それでもやはり、家に帰って一人になれば考えてしまった。

 今までの自分の行動を、彼女との日々を俯瞰で眺めるように思い出した。

 河原でした花火のこと。上級生に絡まれた彼女の前に立ったこと。彼女が部室に来なくなった時のこと。花火大会明けの部室に彼女が現れたこと。今までの抑揚の無い俺の日常からは考えられない出来事の数々。それを思い返し続けて、そして一周すれば同じ様に思った。思い出せば思い出すほど感じた。

 これは俺が憧れた、恋愛と呼べそうなシナリオだと。

 恋をするのが自然だと思える。先輩後輩の仲でも、部活仲間でもない。それ以上の気持ちが芽生えても不思議ではないと言い訳できるような。そんな筋書きだと。

 いつだって、そんなものを見ていた。妄想してきた。それらしい物語を夢想してきた。

 その想像力を働かせる必要がないくらい、出来上がっていた。無粋な空想を混ぜる余地もないほど、彼女との仲を深める出来事が起きていた。

「真琴の……言う通りなのかな」

 考えるほど、それが的を射ているような気がしてきて体に力が入らなくなる。

 自分の不純さを、汚さを。見せつけられたような気がして。

 脱力し首を垂れると、下駄箱のほうからガチャンという音が聞こえてはっとする。ソウが来たのかと思い振り向こうとすると、それよりも早く声が聞こえた。

「おまたせ、行こうぜ」

「ぁ、うん」

 ひょい、と飛び出すようにソウが俺の背後から姿を現す。俺はそれに戸惑いながらもうめき声のような返事を返してた。

 ソウと肩を並べて駐輪場へ向かう。タイムリープができないといった幼馴染は今日一日の余韻に浸っているのかスキップするように足取りが軽やかだった。

 もしも、時間を戻してもう一度彼女との出会いからやり直せたら。体験しなおせたら。

 誰かの言葉に振り回されることなく、自分の気持ちだけを信じることができたのだろうか。誰かに影響されたりせずに、即物的な気持ちでそれを張り付けることなく、憧れたような気持ちを抱くことが出来たのだろうか。

 そんなことを思いながら見上げた空は、やはり灰色で何も見えはしなかった。


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