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Primula  作者: 澄葉 照安登
第五章 台風一過
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台風一過 6

 久々の学校は、修学旅行明けだからかみんな騒がしかった。それはもちろん二年生に限った話ではなく、俺たちの帰りを待っていた後輩たちもまたそうだった。

「先輩! お土産買ってきてくれました!?」

 放課後、部室のドア乱暴に開け放つ音と同時に騒がしい後輩一号の声が聞こえた。

 叩きつけられた立て付けの悪いドアの音にびっくりして、いじっていたスマホを片手にそちらに目を見やれば、片口までの髪の毛を暴れさせながら子供の様に目を輝かせている立花さんの姿があった。

 乱暴に開け放たれたドアの音にびっくりしながらもソウと目を見合わせてぷッと噴き出す。ああ、なんだかようやく帰ってきたという実感がわいてきた。後輩のはしゃぎ声でそれを思わされる。

 たったひと声で部室の空気を明るくしてくれた後輩のためにも、欲しがっているものを与えてやるべきだろうと思ってソウの名を呼ぶと、「わかってるよ」と歯をむき出しにして笑いながら机のフックに掛けてあったビニール袋をガサゴソと鳴らし、いつも立花さんが座っている自身の正面の席へそれを置いた。

「はいよお土産。紅芋タルトとサーターアンダギー」

「ありがとうございますー!」

 言うが早いか、一緒にやってきたはずの永沢さんを入り口に置き去りにしたまま、小走りでやってきた立花さんがソウを一瞥して笑顔を浮かべた。

 ただのお菓子のお土産だというのにずいぶんとはしゃいでいるな、と親せきのおじさん臭いことを想いながらふっと笑うと、お土産の袋に釘付けになっているはずの後輩と目があった。

 その後輩は俺と視線が通ったのを確認するとより一層目を輝かせて俺のほうに乗り出してきた。

「で! 先輩、お土産買ってきてくらましたか?」

「え、お土産ならそこにあるけど」

 そう言ってソウが置いた沖縄土産とでかでかと印刷されている紙袋を指さす。すると立花さんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「違いますよー」

「……どういうこと?」

 俺は彼女の意図するところがわからず首を傾げた。俺に何か言いたいことがあるらしいということまではわかるのだが、それ以上のことは何もわからない。とりあえず俺は手にしていたスマホを机の引き出しに隠すように入れて彼女の言葉を待った。

 すると立花さんはピンと人差し指を立てて天井を指した。

「欲しいもの、お願いしたじゃないですか」

「え? だからお土産ならそこに……サーターアンダギーも買ってきたし」

 俺はもう一度お土産袋を指さして言う。確か立花さんのリクエストはサーターアンダギーだったはず。だからそこにあるもので問題ないはずだ。

 そう思いながら立花さんの瞳を見つめ返すと、キラキラと輝く瞳を数度まばたきで隠すと満面の笑みのまま天井を指していた指で自分の左手の薬指を指さした。

「指輪、ですよっ。欲しいって言ったじゃないですか」

「え!? それって本気で言ってたの!?」

 というかそれ俺に言ってたのか。遠回しにソウに言っているんだと思っていたのだが。

 そう言いたくなってしまったが、永沢さんの瞳に映っているのはこの俺だった。そしてダメ押しとばかりに立花さんが大きくうなずく。

「先輩と話してたんですから、先輩に言ってるに決まってますっ」

「いや、だって……。というかそういうのは彼氏に買ってもらいなって」

 というかその先輩というのたぶん俺じゃないから、俺を通して後ろでニヤニヤしてる俺の幼馴染に言ってるようなものだから。

 そう思いながらソウに視線を向けてみるがソウはまるで演劇でも見ているかのように俺たちのほうを静かに見つめていた。

「いいじゃないですか。指輪だけとは言ってないですよ? ネックレスとかアクセサリー系ならなんでもオッケーです!」

「だからそういうのはっ」

 どういうわけか俺ににじり寄ってそんなことを言ってのける立花さん。あまりにじりじりと近づけれるものだから息苦しくなって背もたれにもたれかかる。

 するとそれを見ていたソウがふははと笑いながら俺をからかうように言った。

「おいハル~。彼女にお土産忘れるとかそれはダメだろ~」

「…………」

「え? 何その目……。怖いんだけど」

 俺がキッとにらみつけるとソウは珍しく怯えたように後退った。そんなソウの姿を見たのは初めてだったので面白いと思えなくはなかった。けれど、今はそれよりも呆れのほうがはるかに勝っていた。

 いや、わかっている。ソウは立花さんのことを半ば振ったようなものだと言っていたし、ソウの見解で立花さんに新しい思い人ができている可能性すら示唆された。ソウからすれば立花さんの恋心はもう終わったことになっているのだろうということはその話を聞いてなんとなく理解はしている。……しかし。それはソウから見たというだけの話で、俺から見れば立花さんはいまだにソウのことをそういうふうに思っていると思わざる負えない。だってたかがお土産でこんなにもテンション上がってるんだよ? 小学生じゃないんだしそこまではしゃいだりはしないでしょ。なら理由は何か。そんなのソウが帰ってきたからに決まってるでしょ! まったく俺の幼馴染はいったい何をやっとるんかいのぉ!

 まったく空気を読まないソウの発言に呆れを通り越し、すら怒りを超越して大変遺憾だった。

 しかしそう思ったのは俺だけなのか、珍しく教卓に張り付かずに俺の隣で中空の机の前に椅子を持ってきて座っていた真琴がぽつりと言った。

「修羅場か」

「いや絶対違うって」

 いや別の意味で修羅場かもしれないけどね。立花さん、明るくふるまってはいるけど実はソウの言葉で心に傷を負っているかもしれない。誰も見ていないところで泣いてたらどうするんだ! 責任取れ!

 と、いつものように妄想を展開し、ありもしない出来事に勝手に興奮して心の中で暴言を吐いているというなんとも気持ち悪い状況になっているわけだが、それを知らないソウはなおも「ははっ、修羅場だっ」とか言って笑っていた。

 すると立花さんも笑って両手を俺とソウの前に突き出して言う。

「先輩方、私のために争わないでください!」

 するとソウはまたも大爆笑。つられて立花さんも爆笑。俺は失笑、真琴はほくそ笑んだ。痛ましい、明るくふるまい続ける姿が痛ましすぎる。

 いつまで経っても妄想の中から抜け出せない俺が失笑を浮かべていると、部室に入口の方で静かに微笑んでいる人を見つけた。

 もう一人の後輩は、背の中ほどまである黒髪をピンやゴムなどでまとめることはせず、慣性に任せてゆらゆらと毛先を揺らしている。長い髪の毛は手入れが大変だろうに、揺れている黒髪は絹のように滑らかで手入れが行き届いているのがうかがえる。

 見慣れた姿なのに時間が止まったように見つめてしまい、その視線を感じたのか永沢さんがふと俺のほうを見た。

 バチッと視線が合うと永沢さんがぺこりと頭を下げる。つられて俺も頭を下げてしまった。ただ反射で頭を下げただけなのに、それが妙に恥ずかしいことのように思えて瞬間頬が熱くなった。

 ふいっと視線だけそらして恥ずかしさをそ知らぬふりで受け流そうとしていると、すたすたと教室の床をする上履きの音が聞こえた。

不思議なことなど何もない。彼女はこの部のメンバーでここにやってくるのは自然なこと。だから彼女がいつまでも扉のところで突っ立ている理由なんてないし入室の許可を取る必要もない。俺の目の前の席にやってくるのだって普通なことだ。

おかしいのは、足音だけでその主が彼女だとわかってしまう自分自身。その足音に耳をすましてしまう自分自身のほうだ。

回りはいつものようにくだらない言い合いをして笑いあっているのに、時間が止まったように彼女の足音に耳を澄ませて固まっている。

いや、そうするしかできないのだ。彼女のほうを見ることが出来ない。そうしてしまったら、何か答えが出てしまいそうな気がしたから。

そう思って視線を下ろし続けているうちに椅子の惹かれる音が聞こえた。

反射的に正面に視線を向けて見れば、その椅子に彼女が腰を掛けようとしているところだった。

「楓ちゃんも一週間ぶり」

「あっ、お久しぶりです」

 それに気付いたのはソウも同じだったらしく、椅子を引きずる音が止むと同時にソウの声が聞こえた。俺も顔を上げて挨拶をしなければと思って息を吸ったのだが、それと同じタイミングでソウの吹き出し笑いが聞こえた。

「楓ちゃん。ハルが彼女のお土産忘れたんだってさ。くははっ」

「いや彼女じゃないって!」

 俺は慌てて否定する。するとソウはにやにやと笑いながら俺のほうを見た。

「ほんとか~?」

「ほんとだって」

 俺は呆れながらはぁとため息を吐く。そして永沢さんのほうへ苦笑いで変なこと言ってごめんねと口を開こうとしたのだが、思わぬところから邪魔が入った。

「先輩、ひどいです! 私とは遊びだったんですか!?」

「何が!? 今この状況がそういう遊びだよね!?」

 慌ててソウの前方にいる不純な後輩一号に叫ぶように言う。いやその冗談は笑えないというか本当に焦るし何ならあらぬ誤解を受けてしまうからぜひともやめていただきたい。

 まさかの二連続攻撃に慌てふためきながらもう一度永沢さんのほうを向こうとすると、今度は左隣で椅子に腰かけて俺たちのやり取りを見ていた真琴がふと呟いた。

「そういや俺も陽人に振られたな」

「まことぉぅ!?」

 あまりに驚きすぎて声が裏返ってしまった。普段はこんな冗談言わないどころか会話にすら満足に入ってこない真琴がそんなことを言うものだから衝撃に三割増し。いや五割くらい増している。気を遣っているのかどうか知らないけど真琴はいつも通りでい欲しかった。

 焦って手をわちゃわちゃと動かしながら何を言おうかとうめき声のようなものが漏れる。

 そして数秒錯乱したのち、最終的には真っ先に正面に座っている彼女に言い訳をするという結論に至った。

「永沢さんちがうよ!? みんなふざけてるだけだからね!?」

「……わかってますっ」

 俺が焦って言うと永沢さんは微笑み程度の笑みを浮かべた。

「あ、そっか……。よかったぁ……」

 それを見て変な誤解はされていないんだと安堵して思い切り息が漏れた。

 しかしその安心もつかの間、俺の右方にいる幼馴染はまだ騒ぎ足りないのかニヤニヤと笑みを浮かべるとまたしてもあらぬことを言い出した。

「おっ、今度は他の女の子に助けを求めるのか。ひどい男だなー」

「いや、もうほんとに止めよ……」

 まさかの三連攻撃を食らったせいで俺の体力がものすごい速度でけずりとられてしまって、もはや慌てる体力すら残っていない。俺は疲労困憊といった感じでソウに言うと、俺の幼馴染はいつものようにケラケラと笑った。

 あまり男性にいい記憶のない永沢さんにそんな風に言うのはやめていただきたいのだが、テンション高まった俺の幼馴染は愉快愉快と言いたげに豪快に笑っている。けれどそれはソウに限った話ではなく、立花さんや真琴だってそうだ。

 本当に、今日は皆テンションが高い。俺は呆れながらも目の前の女の子に視線を向けた。すると、彼女もそんな空気につられてしまったのか、いつも戸惑ったり焦ったりしている顔ばかり見せてきた彼女が、ただのからかい文句なのであろう言葉を口にした。

「先輩、そういうのは不誠実ですよ」

 そう言って彼女はもう一度、微笑み程度の穏やかな――穏やか過ぎる笑みを浮かべた。

「…………え?」

 俺はそれを見て反射で声を上げてしまった。そしてその微笑みを携えている彼女へと視線を向ける。

驚くようなことは、無いかもしれない。皆テンションが上がっていたし、それにつられて普段言わないようなこともぽろっとこぼしてしまうことだってあるだろう。今まで見てきたものが彼女のすべてというわけではないのだから。たった一つの年の差でも、気遣って言えないことも、何か思って押し込めてしまう言葉もあるだろう。だからむしろ、そういう隙ができるのは喜ばしいことだ。

 だから、おかしいのは俺の方。違和感を感じた俺の方だった。

 だというのに、今まであまり見ることの叶わなかった彼女の笑顔に、違和感を覚えたのは紛れもない事実だった。


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