台風一過 4
ファミレスで夕飯を済ませた俺たちは、駅から学校へと向かう道を歩いていた。
もう時刻は七時を回っている、今から学校へ何かをしに行こうということではない。ただ単純に帰り道が駅から学校に続く道そっくりそのままだからというだけのこと。
毎日通っているというわけではないものの、休日遠出をしようと思えば必ず通る道なので物珍しいものなど何もない。ただ闇夜に紛れておぼろげになっているだけで、劣化した電柱も、古ぼけたアパートも、白線が消えかかっている道路も何も変わっていない。
けれど、七時を回って町が闇色に染まっているだけの、そんなありふれたものに新鮮さすら感じてしまう。地元の風景を見るのは久しぶりと言えば久しぶりだったから。
だからだろうか、俺たちの会話もいつにもまして弾んでいた。
「で、お前ら付き合うの?」
リスみたいに頬を膨らませて噴き出すのをこらえながらソウがからかう。俺はそれにいやいやと手を振って苦笑い。真琴はいつにもまして重々しいため息を吐いていた。
よほど気に入ったのか、俺の幼馴染はファミレスを出てから、というかファミレスにいるときからずっとそんなことばかり言っている。
俺たちは三人ともあまりバカ騒ぎするタイプの人間ではないのだが、今日だけは、それこそアルコールの入ったサラリーマンの様にたどたどしい足取りで街灯の光をくぐり続けている。
「いやほんとマジでおめでた、ぷっふはっ!」
「おめでたじゃないし、それじゃあ子供ができたみたいだよ」
「男同士のデキ婚」
噴き出したソウに俺が突っ込みを入れると真琴がものすごいことを呟いていた。はたから聞いたらどんな会話そしているんだと二度見三度見されること請け合い。俺はいつもながら苦笑いを浮かべて力なくはははと声を漏らした。
けれどソウは真琴の呟いた言葉が気に入ったらしく再びぶはふっと噴き出すと笑いながら早口にしゃべりだす。
「いいじゃんそれ面白いっ。それで一本小説書けるわいやマジ今日最高だわ」
「いったいどんなの書く気だよ」
真琴がしらっとした目で睨むがソウは腹を抱えて笑っている。俺は俺でソウが変な道に迷い込んでしまわないか不安になってしまったが、年中小説のことばかり考えているソウの心配をしたところで今更だと思い至る。もしかしたらソウの今までの作品をあさればそういった類のものがでてこないでもないかもしれない。
ソウの今までの作品を読み返す機会があたら警戒しておこうと自分を戒めているとソウがはたと笑い声を止めて思い出したように呟いた。
「そういやハル。小説書けたのか?」
「うっ……」
ソウからその言葉が出た瞬間、喉の奥の方からくぐもった唸り声が漏れてきた。
俺のその反応を見たソウは「あっはは」とからかうように笑った。
「マジで文化祭までには頼むぞー。文化祭まであと一か月だからな」
「もうそんなに経ってたんだ……」
小説を書くように言われたのは夏休み前だったか。そのころはまだ三か月以上あるから何とかなるだろうなんて思って書き始めたわけだけど、夏休み以来一文字たりとも進んでいない現状を見るに不安だけが膨れ上がる。このままだと間違いなく書きあがらない。
「完成しなかったら、俺抜きで部誌作って」
「いや、完成しなかったら俺の家でカンヅメだから」
「なにとぞお慈悲を」
恐ろしいことを言われてしまったので両手を合わせて頭を下げる。カンヅメって一歩も外に出られなくなるんでしょ? 絶対耐えられない。数時間で頭がおかしくなる自信がある。そうなったらもう頼み込むしかない。逃げようにも絶対ソウは見つけてくるだろうし、そういうところが幼馴染は不便だ。
素直に頑張って期日までに完成させればいいだけなのに、間に合わないことを前提に逃げ出すことを考えている。自分の中で何かが邪魔をしているんじゃないかとすら思えてくるくらいだ。
そんな俺を見た真琴がため息交じりに「普通に完成させればいいだけだろ」とか言っていた。ごもっとも。
心の中でそう思うと真琴がタッと音を立てて足を止めた。なんだろうと思って俺とソウもつられて足を止める。
真琴はその場で九十度方向転換すると、首だけで俺たちのほうを振り返り呟くように言った。
「じゃ、俺こっちだから」
「え……あっ」
気付けば、俺たちは見慣れた十字路に立っていた。普段は学校からこの十字路に差し掛かるためまっすぐ行けば俺とソウの自宅へ、右に曲がれば駅へと続く道だ。
しかし今日は駅の方から歩いてきたので左に曲がれば学校、右に曲がれば俺たちの自宅へと続いている。
その十字路で、真琴は学校側へと続いた横断歩道の前で立ち止まっている。
真琴の家は学校のちょうど奥あたり。徒歩五分~十分のところにある。
この三人の中で唯一帰り道が違う真琴は両手をポケットに入れながらやっと解放された安堵からか、ほうと息を吐いている。
「おっ、なんか急に呼んで悪かったな」
「そう思うなら呼ぶな」
悪びれもせずに明るい調子で言ったソウに真琴が呆れたように呟く。その呟きはソウの耳にも聞こえているだろうにソウはニシシと笑って見せた。
いつもと変わらず気楽な軽々しくも見えるソウの様子を見て呆れ切ってしまったのか真琴はぷいっとそっぽを向いた。
別れの挨拶はわざわざ言わない。ついさっきの言葉がその代わり。真琴はぶつ切りの会話で通じなければもういいと、諦めたようにため息を吐く不愛想な友人だから。
不愛想な真琴と、呆れくなソウのテンション差に苦笑いを浮かべて真琴を見送る。信号が青に変わればすぐにでも真琴は去っていくだろう。だから俺はその時が来るまで真琴の横顔を見ていた。
するとそれに気付いたのだろうか、ぱっと振り返った真琴が俺のほうを見てきた。
急に視線を向けられたので内心ドキッとしながらも目を逸らさずに見つめ返す。
なんだろう。何か言いたいことがあるのか。気になることでもあったのか、真琴は俺のことを見つめたままその場から動かない。ソウに無理やり呼び出された手前、さっさと帰宅したいだろうにただ俺のことを見つめている。
視界の端で、信号が変わった。それでも真琴は動かない。
真琴のことだ、いつもならここでそっぽを向いて帰っているというのに。
本当にどうしたんだろう、そう思って首を傾げようとしたときだった。
真琴は俺に視線を向けたまま、少し恥ずかしそうに呟いた。
「じゃあまた」
うめき声のように低く小さな声だった。来るまでも走っていればかき消されてしまうほどの、小さな声。
一瞬何だったんだろうと思ったせいで、真琴に言葉を返すのが遅れてしまう。気付けば真琴は横断歩道の向こう側にいた。
「真琴、また来週っ」
俺は慌ててそう言った。珍しく別れの挨拶を口にした悪友に向けて。
真琴に聞こえるように少し張り上げた声で言ったのだが、真琴は振り返ることなく歩いていく。俺に続いてソウも「またなー」と手を振ったが、それでも真琴は振り返らない。
もう別れの挨拶を済ませたからだろう。別に珍しいことじゃない。ぶっきらぼうな真琴の、真琴らしい、いつも通りの行動だった。
いつも通りじゃないのは、その前のところ。
俺は示し合わせたわけでもないのにソウと同じタイミングで家のほうを向って歩きだした。二人分強しかない歩道を俺たち二人が占領して並んで歩く。
大通りから外れれば必然的に車の通りも少なくなる。そのせいか、呟き程度の声がよく聞こえてくる。
「マコ、なんか今日テンション高かったか?」
俺に尋ねたのか、それとも自分に尋ねたのか。視線を足元に落としたままだったのでわからなかったが、聞こえてしまった以上無視するわけにもいかず俺は真琴が消えていった十字路の先を振り返りながらソウと同じく呟くように言った。
「高かった、かもね」
本当は気付いている。いつもの真琴からは考えられないほどに今日はハイテンションだったということに。
その理由はきっと……………。
「ゲームでいいキャラが当たったんじゃない?」
「あー、そうかもな」
俺が茶化して言うとソウは妙に納得して腕を組んで頷いた。
夏休みの時も、限定キャラがどうとか言って一喜一憂していたしその姿は想像に難くない。というか真琴が楽しそうにしているところなんてゲームの話か花の話、ひいては趣味の話をしているときくらいだ。
だから、俺の適当な憶測でも何でもない言葉はうのみにできてしまうほど自然だったのだろう。ソウにとっては。
きっと本当のところは、俺にしかわからない。だってあの時あそこには俺と真琴しかいなかったし、誰かにそれをしゃべったりしていない。だから知りうるはずもないのだ。
確証は何一つない。さっき真琴が俺のほうを見たのだって、ほんの気まぐれだったのかもしれない。理由なんてなかったのかもしれない。
それでも、俺はそのことを鮮明に覚えていたから。
真琴なりに気を遣ってくれたのだろうと思って、俺は心の中で頭を下げた。
決して本人には伝わりはしないけど、気を遣わせてしまったことを俺自身に自覚させるためにも、心の中でもう一度首を垂れた。
「そういやハル、天気予報見たか?」
「え? 天気予報?」
突然、ソウがそんなことを言うものだから反射的に聞き返してしまった。別に話題に詰まっていたわけでもないのにいきなり天気の話を振られてわけがわからずソウのことをまじまじと見ると俺が理解していないことに気付いたのか、ソウが人差し指をぴんと立てた。
「ほら、昨日皆言ってたろ、台風が発生したって」
「あー、そう言えば……」
昨日の帰り道、誰かがそんなことを言っていて、それが波紋の様に電車内に広がっていった覚えがある。みな口々に本当、とかマジ、とか言いながらスマホを取り出してニュースやら天気予報のアプリやらを開いていた。
俺はそれを聞き流しただけだったからスマホでニュースも見ていないし、今日も朝は起きてすぐにソウに呼び出されたし、それから今までずっと外にいたため天気予報も見ていない。
俺は視線だけでソウに「それで?」と促すと、ソウは得意げにふっと息を吐いた。
「来週、もしかしたらこっちに直撃するかもだってよ」
「えっ、そうなの?」
前情報が何もなかったため、驚いて声を上げてしまった。台風が発生したと聞いても気に留めていなかったというのもあるし、どうせ何も起きないだろうとたかをくくっていたのもある。
なんせ来週からはもう十月だ。台風の発生は数個確認されようが、こっちにまで迫ってくるというのはなかなかない。そもそも台風が関東にまでやってくるのは年数回あるかどうか程度だ。たいていは温帯低気圧に変わって大荒れの天気になんてならない。だから台風が発生したからと言ってそんなに危機感を持っているわもなかった。
けれど、直撃という言葉を聞いて一気に危機感がこみあげてくる。まどろみから覚めたかのように意識が鮮明になって話に集中してしまう。
「なんか大型の一歩手前って感じだとよ。まぁ、直撃したら学校は休校だろうな」
ソウが最後にボソッと「やったぜ」とか呟いていた。
確かに、学生からすれば台風なんて言うのは嬉しいことかもしれない。大歓迎とまではいかなくても学校が合法的に休みになることに胸を躍らせる生徒も決して少なくはないだろう。事実台風が発生したと騒いでいた電車内でもウキウキしながらスマホを見ている生徒が大半だった。それとは対照的にスーツ姿のサラリーマンはやつれた顔をしていたのだが。
ともあれ、ソウの気持ちはわからないでもなかった。俺だって声には出さずとも期待くらいはしている。だから、俺は少し早口にソウに尋ねていた。
「いつ来る予報なの?」
「五日後」
ソウに言われて頭の中で日数を計算する。今日は金曜日だから台風がやってくるのは……。
「水曜日、か」
「ああ」
俺が呟くとソウが正解とばかりに頷いた。
もちろん予報通りになるわけではないのでもしかしたら早まることもあるかもしれないし、遅くなることもあるかもしれない。けれど、現金な学生である俺は来週の水曜日は休みかもな、なんて頭でシミュレートしてしまっている。
しかし、週初めでなくてよかった。学生側としては休校になるならいつでも構わないのだが、今回に限ってはそうではなかったから。というのも、
「なら、とりあえずお土産は渡せそうだね」
修学旅行のお土産は予定通り月曜日に渡せそうだからだ。
買ったのはオーソドックスな食べ物系。タルトや沖縄ドーナツなんやらと甘いものだ。生ものではないのでそれなりに賞味期限もあるが、早く渡せてしまうに越したことはない。そう思ったのはソウも同じなのか「そうだな」と言うと安心したように息を吐いた。
俺はそんな幼馴染を横目にふと見慣れた一室が浮かんでぽつりと呟いた。
「……一週間ぶりだね」
「何がだ?」
俺のつぶやきは、ソウに向けた言葉ではなかったのだが聞き返されてしまったので付け足して言う。
「学校に行って部活するの」
俺が言うとソウはああ、と声を上げると赤べこよろしくこくこくと数回頷いた。
「なんか、すごい久しぶりな気がするよ」
「まぁなんだかんだ夏休みも週に二回は部活あったからな」
言われて確かに、と思う。今年に入ってから一週間以上部室に顔を出さなかったのは初めてのことだ。だから、たった一週間なのに不思議と久しく感じる。まだあと数日後の話だというのに明日にでも部活をする気分になってしまっていた。文芸部らしい活動をしているわけでもないというのに。
あと一か月。そのうちに書き上げなくてはいけない。完成させなくてはいけない。そのことをもう一度強く意識して一つ深呼吸をした。
「これから文化祭までは、ちゃんと書いてもらわなきゃいけねぇから忙しいぞ」
「お手柔らかにお願いします」
挑発的に言ったソウに苦笑いで答えながら俺は星空を見上げた。
まだ、雲一つかかっていない星空を。




