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Primula  作者: 澄葉 照安登
第五章 台風一過
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台風一過 2

 今日は平日とはいえ金曜日、有給休暇を使ったりして連休にする人も多いのではないか。だから必然、駅前の大きく開けたところへ出ればそれなりに人も多いだろうと思っていたのだが、案外行きかう人の密度は低かった。

 映画が見たいといったソウのリクエストに応えるべく。俺たちは数十分電車に揺られて田んぼばかりの地元から県の中央ほどにある街へとやってきた。

 電車を降りれば乗り換え先が数か所用意され、改札を過ぎれば大きな歩道橋の下に十を優に超えるバス停のつらなるバスロータリーがひしめき合っている。右を見ればビル。左を見てもビル。正面を見れば区分的には公園とされてはいるものの姿は完全にショッピングモールとなっている公共施設の群れ。田んぼばかりの田舎町で暮らしているせいか、歩道橋の下に見える車の群れが吐き出す空気の匂いが少し気になってしまう。

 そんな開けた駅前の一角で、俺たちは公園とは名ばかりのショッピングモールの奥の階段を下りながら先ほど見た映画の感想を言い合っていた。

「なんか最近、あーゆーの増えたよな」

 妙に残念そうな声が隣にいる幼馴染から漏れる。

「タイムリープ物っつーか、過去に戻ってやり直すみたいなやつばっかりだ」

 うんざりしたように言うとはーっと息を吐いてひつじ雲の浮かぶ空を見上げた。

「確かに最近そういうの多いよね。ソウはあんまり好きじゃないの?」

「いや、別にそうじゃねぇんだけどさ。なんつーのかな。そういうのばっかりで飽きてきたっていうか。同じのばっかりであんまりおもしろくねぇなって」

「あーそういうこと」

 自分たちで選んでみておいてなんだが、ソウの言っていることはよくわかった。

一年前だったか、有名俳優女優を起用したタイムリープものの映画が一本公開された。監督もそれなりに有名な人だったようでそのこともあってか、政策の話が出てからというもの、その映画の話はいたるところで取り上げられていた。朝のニュースを見れば主演俳優のコメント。駅の広告板にはタイトルとキャッチコピーがでかでかと書かれたポスター。バライティ番組なんかでも宣伝されていたらしく、その宣伝のかいあってかその映画はかなりの大ヒットを記録した。

そしてその後、タイムリープ、タイムスリップがちょっとした流行になって似たような作品が数多く作られた。

そしてそれが今もなお続いているせいでドラマや映画、アニメなど、どの分野を見ても似たような作品が多いのだ。

 同じような設定で物語を作れば、必然的に展開も似通ってくる。映画に限らず、最近のドラマも同じような構図のものばかりだし、代り映えのしない作品ばかりであまりテレビも映画も見ない俺からしても飽きてしまうと言わざる負えないほどに同じような物語が量産されている。

 きっと俺たちが感じているものは、世間一般数多くの人が感じていることだと思う。

 だから俺も飽きてなんかないと否定することはできずにただ苦笑いを浮かべるしかない。

「まぁ、もしもやり直せたらって気持ちはわからなくもねぇんだけだどさ」

 ソウは言いながら退屈そうに伸びをした。

 もしもやり直すことができたなら。それはきっと誰しも一度は思ったことがある願望だろう。もしもあの時こうしていたら、もしもあの時こうならなければ。失敗、挫折、後悔。それらを経験したことがある人ならば思わずにはいられない。

 俺自身。探せばそう言った経験いくらでも出てくる。高校生といっても生きてきた年数は十年を優に超えている。ある人が見ればまだまだ短い人生と言われてしまうかもしれないけれど、そんな十数年の人生でも、そして大人になり切ることのできない子供だからこそ些細なことを苦しく思う経験だってある。

だからソウがそんな願望を口にしても何ら不思議はない。けれど、俺はなんとなくソウに尋ねてしまった。

「何かやり直したいことでもあるの?」

 聞くと、ソウは「んー」と少し悩むようなそぶりを見せる。

「やり直したいってか。こうだったらよかったなって思うことはないでもないかな」

 そしてその声の調子のまま、あくまで明るく自虐するように言った。

「母さんが今も生きてたらどうだったかなっていうのは、それなりに考えたりする」

「…………そっか」

 ソウの返答を聞いて、ようやく俺は馬鹿なことをしたと理解した。

 もしも時間が戻るなら、やり直せるなら、変えることができるなら。それは自分を幸せにしてくれる可能性を考えるものだ。だから、当然、自分に起きたい変えたいと思うほどの出来事をことを思い出させるきっかけになってしまう。

 ソウの場合は、それは母親のこと。中学に上がってすぐに病気で亡くなった母親のことだ。

 当たり前だ。世の中を探せば片親の子供はオクラでも見つかるだろう。けれど一般的かどうかと言われたらそうではない。やはり父親と母親、二人が揃っているほうが一般的なことなのだから。

 周りがそんな普通と呼べる環境で生きていて、自分は異なった環境で生きているなら、その普通はどんなものだったのかと気になるのは当たり前のことなのに、俺はそれに気付かなかった。タイムリープができない世界である以上、何も考えないで口にした言葉を、遅れて取り消すことはできはしないのに。

 俺はなんと言葉を続けていいのかわからず黙ってしまう。するとソウは「なんだよ」とからかう様に俺の肩を小突いた。

「気にすることでもねぇだろ。もうだいぶ昔のことだしな」

「いや、なんか悪かったかなって」

 いつもと変わらない様子で明るく笑うソウになるべくいつもを心がけて苦笑いで返す。

 けれど、長年一緒に居た幼馴染にそんな付け焼刃なものが通用するはずもなく、俺の幼馴染はふうと息を吐くと呆れたように言った。

「修学旅行の疲れでも残ってんのか? なんかテンション低いぞ」

「いや、そうじゃないよ。……少なからず気にするでしょ」

 無意識な言葉が誰かを傷つけたと気付いてしまったら罪悪感を感じずにはいられない。

 それが仲のいい相手ならなおさらで。相手の最も苦しかった時期を思い出させてしまったのなら、気にしないなんてことはできない。

 そう思いながら、俺は自虐的に苦い笑顔を浮かべるが、ソウはそうじゃないと言いたげに今一度息を吐いた。

「その前から、いつもよりテンション低かったろ」

「前?」

 その前はどんな話をしていただろうと思い返してみるが、映画の感想くらいしか話した記憶がない。いったい何のことを言っているのだろうと思ってソウのほうを見れば、真琴さながらのため息をついているソウの姿があった。

「映画観る前からだよ。……もっと言えば昨日の帰りからだな」

 呆れたように言ったソウだったが、最後のほうには何か真実でも見つけたかのように鋭い視線を向けてきた。

「それは……」

 決して俺のことを責めているわけではないのに、悪戯が見つかってしまった子供のように言い淀んでしまう。

 その理由は、軽々と口にできるものではなかった。

 俺自身、普段からテンションが高いというタイプの人間ではない。しかしそれでも、今日の俺は誰かから指摘されてしまうほどには沈んでいたんだと思う。事実、俺自身気分が重いことを自覚している。

 映画を見ている間も、ことあるごとに思い出した。例えばそれは雨が降っているシーンで。例えばそれはスマホをいじって連絡を取り合っているシーンで。彼女を連想させるシーンが流れるたびに、脳裏に彼女の長い黒髪がちらつくのだ。

 そして同時に、あの言葉も。

 恋しているのか、恋じゃないのか。二人に言われた言葉は、心の中で反響して俺に問いかけてくる。

 考えないようにしても頭から離れない。考えないようにしているから頭から離れない。

とても些細なことで、簡単に結論が出ていいはずの問題なのに。断定できるだけのものが見つからない。

 考えても意味がないからと頭の端に追いやったのに、気付けばそのことに意識がとられている。

 今も隣を見ればソウの姿があるというのに、脳裏に浮かぶのは一人の女の子と、俺の背後から問いを投げつけてくる悪友と同学年の女子の声だ。

 いつまでも黙ってはいられない。そして同時に、今から誤魔化しても意味がない。

そう思った俺はとりあえず言葉を紡ごうとして、一瞬迷ってからソウに尋ねてみた。

「ソウは……恋って、なんだと思う?」

「……はい?」

 俺が訊くと、ソウは虚を突かれたのか口を開けて何言ってんだこいつ、と言いたげな表情のまま固まった。俺は慌てて何かを付けたそうと手をわちゃわちゃと動かしながら思ったことも思ってもいないことも適当に口にする。

「いや、その小説のネタというか思い詰まってるというか、いろいろ悩むことがあったというか、自分のことがというか……」

 いつにもまして挙動不審な自分を恥ずかしく思いながらも必死でああだこうだ言う。するとソウは一瞬噴き出すように笑ったかと思ったら、何かに気付いたかのように真剣な顔つきに変わった。

「春が来たのか?」

 これまでに見たことないくらい真剣な表情でソウが俺のほうを見た。あまりの真剣さに逆に滑稽に思えてしまって俺が噴き出してしまいそうになるがぐっとこらえて考える。

 春が来たか、考えるまでもない。その答えは当然。

「……わからない」

 未だ自分の気持ちすら断言できず。曖昧に言った。

 けれどソウはそれを聞くとふっと安堵したように笑うと小さく呟くように「違う、とは言わなくなったな」と口にした。

 そう言えば、前にソウに似たような質問をされた時に手を振りながら違う違うといったことがあった。そのことを思い出してあっ、と小さく声が漏れた。

 その俺の反応をどうとったかはわからないが、ソウはもう一度満足そうに笑うといつものようにニカッと笑って見せた。

「で、なんだ。恋したことがあるかって?」

「あー、そうなんだけど……」

 明確には違ったが、訂正するのも気恥しくて頷いた。するとソウは何でもないことのように軽い調子で答えてくれた。

「あるぞ」

 今更ながらに馬鹿なことを聞いているんじゃないかと不安に思ってしまったが、そんな俺の疑念とは裏腹にソウは誇らしげに断言した。

 反射的に俺はソウのことを振り返ってしまい、また笑われてしまう。

 けれど、俺はそんなの気にも留めずにソウに尋ねた。

「恋って、どんな感じ?」

 知りたかった。どんなものが恋なのか。どの感情を恋と呼べばいいのか。

「んぁ? どうって。まぁその人見ていいなって思ったら好きってことだろ」

「…………一目惚れ?」

「いやそうじゃない」

「えぇー」

 期待のまなざしを送っていたのだが、あっけらかんと言う幼馴染に半眼で返す羽目になった。

 一目惚れじゃない、その人を見ていいなって思うったら恋というのはその……つまりは、

「見た目がよければいい、みたいなこと?」

「まぁ、見た目がよければドキッとはするな」

「えぇー」

 思いもしない答えが返ってきてドン引きだった。もっとこう、気持ち的な問題がどうこうというのを期待していたものだから拍子抜けというか、ちょっと見損なったというか。いや、ソウの風貌からしたらそれはそれでイメージ通りなんだけど。

 思っていた答えとはだいぶ的外れな返答が返ってきてがっくりと肩を落とす。

「まぁ、中身ちゃんと知ってないとうまくはいかねぇだろうけど、別に外見から好きになることだってあるだろ。一目惚れとか」

「えぇー」

 俺は三度ぼやき声をあげた。いやだって、俺一目惚れに憧れてたし。それをそんな風に言われてしまってはこんな反応にもなる。まるで『一目惚れは外見しか見えてない』とでも言われているような気分だ。……いや、まぁ一目見ただけだから外見しか見てないんだけど、もっとこう運命的なあれこれがあってもいいだろうと思ってしまう。

 もう夏も終わるというのに頭の中にはお花畑が広がっている自分を自覚できずにがっくりと肩を落としながらもう一度ため息を吐いた。

 するとソウはニヤニヤと愉快そうに笑いながら「ってかよ」と口にした。

「そんなん聞いてどうすんだよ。本当に小説のネタにでもすんのか?」

「いや、そうじゃなくてね。どういうのが間違ってないのかなって思って」

 落胆してしまった余韻そのままに肩を落としながら言うと、ソウは何言ってんだとでも言いたげなぼやき声を漏らしてから呆れたように言った。

「いや、間違いとか正解とかないだろ。そういうのは…………」

「……ソウ?」

 言葉が途中で途切れたので、どうしたのだろうと思ってソウのほうを見ると、俺の幼馴染はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。

「いんや、何でもねぇよ。そういうのは自分で見つけろって言いたいだけだ」

「何でもなくないじゃん」

 カラカラと笑いながら他人事な答えが返ってきてさらに落胆してしまう。

 何一つためにならない答えにため息をこぼしていると、道の一角にあるものを見かけた。

 俺は反射的に立ち止まってしまい、ソウも少し遅れて足を止めた。

「ハル、どうした?」

「あ、いやちょっとね」

 そう言ってソウのことをちらりと見てからもう一度、目に入ってきたそのお店のほうを見た。

それは、何の変哲もないペットショップだった。

 永沢さんを見つけたわけでも、それに似た人影を見たわけでもない。ましてやペットという言葉で猫を、ひいては彼女を連想したわけではない。

反射的に、いつもの癖で、探していたわけではないのに視線が向かってしまった。

「見てくか?」

「うん、ちょっといいかな?」

 首を傾げて訊ねたソウに言うと二つ返事で頷いてくれた。

 何か飼いたい動物がいるわけではない。飼う予定なんてなかったし買うつもりも毛頭ない。けれど俺は当たり前のように足を運んだ。

「ハル、タイムリープはできないからな」

「……へ? 何いきなり」

 向かう途中、ソウが変なことを口にしたので聞き返したが、何も返ってはこなかった。


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