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Primula  作者: 澄葉 照安登
第五章 台風一過
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台風一過 1

 九月最後の金曜日。修学旅行終わりの翌日、久しぶりだったからか目の前にある天井が自分の部屋のものだと気付くのに数瞬掛かってしまった。

 ホテルのベッドに比べるとやや見劣りする弱いスプリングを感じながら、量販店で買った薄いベッドをぎしぎしと鳴らしながら上体を起こした。

 枕元にあるデジタルの目覚まし時計を見れば時刻はもう九時半を回っていた。

 今頃一時限目の授業の真っ最中だろう。今日はなんの授業があるのだろうと自分には関係のないことを考えてみる。

 俺はもう一度目覚まし時計に視線を向けて、アラームのセットされていなかったそれの頭をポンと叩いて、スマホを握って布団から這い出た。

 クローゼットに掛けてあるワイシャツと学校指定のズボンをちらりと見ながら、電気もつけづに部屋の外に出る。

ドアを開けた瞬間光量の差のせいで一瞬視界が白くなるが、直射日光が当たっているわけでもないので眉をしかめる代わりにした数回の瞬きで視界が晴れる。動作確認のように右左上下と順に視線を巡らせて階段のほうを見た。

俺はスリッパも履かずに裸足のまま一階へと続く階段を下りた。金属製の手すりも足元も冷たく感じるのは、季節の移り変わりのせいか、それとも沖縄との気温差のせいか。

「……おはよー」

 一階のリビングに行くなり誰に言うでもなく口にする。

 いつもなら、母さんが返事をしてくれるのだが今日はそれがない。自分が遅く起きてきたのにもかかわらずどうしてだろうと思いながらキッチンへと目を向ける。

 途中、キッチンとの間にある四人掛けのテーブルの上に、ラップで蓋のされた何かがあるのが見えた。寄って見てみると、おそらくは今日の朝ご飯用に用意してくれたのであろうお茶碗とオムレツの盛り付けられた長方形のお皿おいてあった。そしてオムレツの乗った横長のお皿の下にはカレンダーの裏紙で『買い物に行ってきます。ご飯は炊飯器の中ね』と書かれていた。

 俺はなるほどと思って改めて時間を見ようとリビングにある壁掛け時計を見た。

 時刻は九時半過ぎ。朝食にしてはやや遅い時間だがそれは自分が起きてくるのが遅れたのがいけない。誰に文句を言うこともできないし、そもそも今家には俺しかいない。俺は手に持っていたスマホをテーブルに置いて、代わりに空っぽのお茶碗を手に取ってキッチンまで行って水で濡らしたしゃもじで適当にご飯をよそった。

 リビングに戻るなり三人家族の我が家では一席余ってしまう四人掛けのテーブルについていただきますとうわ言のように呟いて箸を手にした。

 おかずは冷めてしまってはいるものの、いつもよりも空腹で口にしたからか食べなれた質素な味付けのオムレツがいやにおいしく感じるのは、数日ぶりに自宅の味を下に感じたからだろうか。

「……おいしい」

 誰に言うでもなく呟いて、久しぶりの我が家の朝食を口にしてようやく修学旅行から帰ってきたことを実感する。

 昨日は帰宅するなり夕食も取らずに自室にこもってしまったので家に着いたという実感がいまいちわかなかった。

 それもそのはずだ。見慣れた町に帰ってきたはずなのに、心は沖縄に置き忘れてきたかのような気分でいるのだから。

「…………」

 昨日の飛行機の中で自問自答した。自身の気持ちを。

 恋なのか、そうでないのか。間違っているのか正しいのか。それは昨日一晩中考えても答えは出なかった。出せずにいた。

 早く答えを出したいと思えば思うほど、出そうとした結論が間違っている気がしてならない。焦れば焦るほど、見なければいけないものを見逃してしまいそうで。

 そうして悩み続けたせいもあって、六時過ぎには帰宅していたのに気付けば深夜零時を回っていた。

「……恋って、どういうのを言うんだろう」

 口にした言葉は、甘々しくも虚しさであふれていた。

 俺はそれを吹き飛ばすように一つ息を吐いて、まだ全然手をつけていなかった朝食を掻き込むように平らげた。

 一人で考えても仕方ない。いくら考えても答えが出ないならいったん考えるのはやめよう。別に期限があるわけでもない。どうせわからないなら、彼女に会ってその時にどう思うかで判断すればいい。

 結局答えは出せずにそう結論付けた。

 そしてふと、思い出した。自問するそれに期限はなくとも、期限の課せられた課題があったということを。

「小説、書かないとな……」

 夏休みにプリムラとタイトルだけ書き加えた原稿用紙の存在を思い浮かべながら、俺は真琴よろしくため息を吐いた。

 結局夏以来一行どころか一文字も進んでいない。夏休みが開けてまだ一か月もたっていないけれど、締め切りが見えるところにあるので今更ながらにそれが重々しくのしかかる。

 なんとなく付けたタイトルも。ソウの助言で付け足した鍵カッコも。ふわふわと恋愛ものかななんて考えていた構想も。何も成果にむつびついていない現状を改めて理解して嫌になる。

 もともと小説を書く気なんてなかった。ソウのように小説が特別好きというわけではないし、真琴のようにゲームに熱中するタイプでもない。消費側としても大して意欲的ではないのに、創作者側に立つなんて思いもしなかった。

 それでもやはり頷いてしまった以上今更言い逃れはできないし、おそらくだが後輩二人も何かしら書き上げてくるのだろう。間城はどうかわからないが、もし間城も何かを書いてきたのなら、俺だけ何もしなかったことになってしまう。そんなことになってしまっては情けないのもほどがある。だからとりあえず書かないとなと思って俺はテーブルに手をついて立ち上がった。

「物語、か……」

 ふと、永沢さんは前に話してくれた物語を書いたのだろうか、と思ったが頭を振ってそれを消し飛ばした。今、彼女のことに意識を取られてしまうと、また自問自答の渦に飲み込まれてしまうから。

 俺は空になった茶碗と長皿を重ねて流しの中に入れる。特別汚れがひどくなるような料理ではなかったが習慣として水をためておく。

 よし、それじゃあ小説を書き進めようかな、と思って両手を上げて体をほぐすと、タイミングがいいのか悪いのかヴーと小さなバイブレーションが聞こえた。

 迷惑メールの類だろうかと思ってテーブルの上に置き去りにされていた自分のスマホを見るが、バイブレーションの長さを見るにどうやら電話らしい。こんな時間に誰からだろうと思いながらテーブルの上で震え続けるスマホを手に取って、画面に表示されているはずの名前も目にせずに電話を取った。

「おっハル、今から遊びにいこーぜ」

 開口一番、修学旅行翌日だというのに俺の幼馴染は元気に提案してきた。


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