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Primula  作者: 澄葉 照安登
第四章 溢れた思いが言葉に変わる
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溢れた思いが言葉に変わる 18

「…………え?」

 白く泡立った波の音が俺の声にノイズをかぶせる。真琴の断定的な言葉に頭がついていかず、たっぷりと間を開けてもなお疑問符を返すことしかできない。

 俺の声が届いていないわけではないだろうが、真琴は俺のほうをじっと見つめたまま口を噤んでしまっている。

「どういう、こと……?」

 けれどいつまでもそうされていては納得がいかない。真琴の口にした言葉の意味を、しっかりと説明してもらわなくては終わらせられない。

 そう思いながら真琴に問うと真琴は普段同様、多くは語らず一言で返してきた。

「そのままの意味」

「……どういうこと?」

 ぽつりと呟くように言った真琴にもう一度問う。いつも通りの、ぶつ切りのぶっきらぼうな言葉。普段なら、それとなく真琴の言いたいことが理解できるからしつこく聞き返したりすることなんてない。けれど、今は真琴の言葉の意味が微塵も理解できない。理解したくない。それを口に出してしまえばそれが実像に変わってしまうような気がして、ひどく恐ろしい。

 けれど、真琴は俺を見据えたまま黙りこくってしまう。だから、俺が口にするしかない。

「俺が、永沢さんのことを好きだって思ったのは、間違いってこと……?」

 喉に詰まった言葉を無理に吐き出せば、その声は不安げに揺れてしまっていた。

「そういうこと」

 そんな俺の様子を見ても、真琴はためらい一つなく断言して見せる。真正面から、お前のそれは望んでいたような、欲していたようなものではないと言ってくる。

 けれど俺は、その言葉を信じたくない。飲み込んでしまいたくはない。だってようやく見つけたんだ。それなのにそれは違うものだなんて、受け入れなくはなかった。

「そんなこと、ないよ」

 けれど、俺の口から出た声は波の音にもかき消されてしまうほど小さかった。それでも、真琴の見解は間違いだと口にする。

 真琴は確かに人のことをよく見てはいる。けれど、それは人の心の内まですべて手に取るようにわかっているわけではない。ほんの小さな欠片ほどの手がかりをもとに考えて理解しようとしているだけに過ぎない。だから。

「真琴にはそう見えるのかもしれないけど、これは――」

「違うだろ」

 けれど、真琴は断言し続けた。俺が言葉を終えるよりも早く威圧的にも感じる鋭い声で俺の気持ちを否定する。人の心のうちまで分かるはずなどないのに、まるで自分のことのように言いきってみせる。

 俺は、真琴の強い言葉に気圧されて黙り込んでしまう。いくら気心知れた友と言えども何もかも心のうちまで理解できるはずないと、頭ではわかっている。けれど、何のためらいもなく言う真琴を見ていると、そんなことはないはずなのに俺が間違っているような気がしてきてしまう。

 口ごもり視線を逸らすと、真琴がひどく残念そうに視線を逸らした。

「陽人、お前のそれは、好意じゃない」

 やけに攻撃的に、それこそ気に入らない相手を糾弾するときのように吐き捨てるように口にする。ちらりと確認するように向けられた視線は、やはり鋭いものだ。

 見慣れていないわけではないが、それを向けられるのは出会って間もないころ以来のことで、久しぶりの貫くような視線に背筋が凍る。

 なおも何も言えず、無意識的に体が真琴と距離を取ろうと後ずさる。けれど、真琴はそれを逃がすまいと俺を睨んで言う。

「それっぽいことがあったから、勘違いしてるだけだ」

「かん、ちがい……」

 まるで何もかも見てきたと言わんばかりに真琴が断言する。冷ややかな眼差しに自分の胸の内に感じていた熱が急速に冷やされていく。

 明るくなる空とは対照的に、俺たちの間にはどす黒い影のようなものができ始めていた。

「そんなことは、ない、よ」

 それでも、やっと見つけたはずのものを手放したくなくて、往生際悪くそう口にした。

 真琴はそんな俺のことを見つめる。いつものようにため息が聞こえると思ったがそれは聞こえない。代わりに真琴が小さく息を吸う音が聞こえた。

「永沢が入部したとき、普段とは違うことがあったからそう思うきっかけができただけだ」

「違うこと……」

 うわごとのように呟きながら、真琴のほうへと視線を向ける。わずかに顔を出した太陽のせいか、真琴の姿がおぼろげに映る。

 うわごとのように呟いた俺に対して、真琴は俺の心に踏み入るかのようにその場で砂浜を踏み荒らす。

「漫研の奴らといろいろあったんだろ」

 真琴に言われて七月のことを思い出す。まだ彼女とちゃんとした会話もしていなかった頃、前の部活の上級生に捕まって怯えていた彼女のもとに走ったことを。無意識に、はた目から見れば思い人を守る主人公のようにも言えていた自分のことを。

「……でもそれは。その時はまだそういう気持ちはなかったし、最初はそういうことがあったってだけで、きっかけにはなってもそれだけで……」

 言い訳がましく自分に言い聞かせるように口にする。真琴の空気に飲まれて、自分の気持ちを見失ってしまわないように。

 それでも、真琴は追い打ちをかけるように言い放つ。

「夏休みも、花火の時も江ノ島の時もそれらしいことがあったってだけだ」

「あの時は結局全然話せなかったし、それに永沢さんに嫌な思いをさせたし……」

 あの日を振り返っていいことはほとんどなかったと口にする。唯一いいと思えた展望台での出来事を隠しながら。

 けれど真琴はそんなことは関係ないとばかりに言い放つ。

「花火の時、ずっと部活に顔を出さなかったあいつが顔を出すようになった。江の島の時は手を握って怯えられた。その後は連絡先交換した。…………それは『違うこと』だろ」

「っ……」

 言われて、息をのんでしまった。

 今までだって、ごく一般的な学生生活を送っては来た。けれど、部活も習い事も何もやっていなかった俺は誰かのことを必要以上に気にかけるようなことはなかったし、ソウや真琴といった特定の仲の良い人物としか触れ合ってこなかったように思う。

 ましてや女の子との会話なんて間城とくらいしかしていない。それもあたりさわりのないただの雑談。感情の起伏はプラスへとばかり向かう。仲のいい友人との他愛のない会話だった。

 それが、この二か月少しづつではあるが変わっていった。楽しいだけではない、苦しい時もつらい日々。そしてだからこそ大きな喜びのある日々へと。

 真琴は、普段と違う、今までと違うことを的確に指摘してくる。

 上級生に囲まれて怯えていた彼女を助けたいと思ったことも。

 不可抗力で握った彼女の手が震えていたことに驚き焦ったことも。

 一つの傘を分け合いながら連絡先を交換したときに嬉しいと感じたことも。

 それはきっと俺が今まで憧れ妄想してきたような、誰かとの仲を育む出来事に他ならない。俺が頭の中で夢想してきた、変化のある日常に他ならない。

 けれど、だからこそ――。

「なら、好きになったりするのも変なことじゃないでしょ……?」

 だからこそ、彼女の惹かれるのは必然なのだ。それは間違いでも勘違いでもないはずだ。それを後押しする出来事があったとしても、いや、だからこそそれは自然なことだ。

 けれど真琴は不安げに尋ねた俺を押しつぶすかのように言う。

「なら、なんでこのタイミングで自覚した」

「……それは」

 それは、間城の一件があったからだ。間城に問われたからだ。指摘されたからだ。だから自分の気持ちを考えて、ちゃんと見つめて見つけたはずだ。

 けれど、それを答えるよりも早く、真琴が言う。

「間城に何か拭きこまれたからだろ」

「っ」

 俺の反応を見て真琴は小さく「やっぱりか」と呟いた。いつもならため息に隠してしまいそうなその言葉を口にした。ため息を吐かずに、けれどやっぱりとても残念そうな声音で。

「陽人。間城は間城だ。お前じゃない。間城とお前は、同じじゃない」

「それはわかってるよ……」

 いじけたように言った声は、消えてしまいそうなほどに弱弱しかった。

「間城の言う通りのことがあってもお前には関係ないことだ。流されるな」

「流されてるわけじゃない……」

 はずだ、と続けそうになる。もうその時点で真琴の言葉に流されてしまっていることに気付いていない。

「理想通りの出来事があっても、現実の気持ちは違う。お前はそういう出来事があったから好きなはずだと思い込んでるだけだ。好きになるのが当然だと思ってるだけだ」

 真琴の言っていることは間違っている、と思いたかった。けれど、否定するにはあまりにも俺の心が動揺してしまっていたから、何も言えずに奥歯をかみしめるしかできない。

 何も言えない俺の代わりに、真琴がその先を語る。真琴がする由もないはずの俺の心の内を。さも目に見えていると言わんばかりに、手に取るようにわかると残念そうに。

「だからそれは勘違いだ。もしそのまま付き合うことになったらうまくいかない」

 どうして付き合った後のことを真琴が語っているのだろう。そんなことが頭に片隅に浮かぶが、やはり俺は何も言えずに真琴の言葉に耳を傾ける。

 そうやって関係のないことが頭に浮かびそうになるのはきっと現実逃避で、この先の言葉がどうなるかを理解していて、それが何を意味するのかも理解しているから逃げ出したくなるんだろう。

 気付けば、日の出は過ぎ去り世界は太陽に照らされていた。特別明るいわけでもない、かといって雲に隠れているわけでもない。海だから、沖縄だから、違う場所だから。そんな言葉で覆い隠せないただの朝日。それを見上げれば太陽がある、いつもの見慣れた世界。

 もう数時間と経たずに修学旅行最後のスケジュールが開始される。いつもとは違う場所での、最後の一日。昨日までは、つい十時間前までは楽しみにしていたそれは、もう色あせて見えるようになってしまった。

 それもそのはずだ。修学旅行といえどももう高校生。小学校中学校と経験してきているのだ。場所は違えど同じような形になるのは当然のことで、それも最終日ともなれば頭にあるのは飛行機で見慣れた土地へと帰っていくことばかり。場所も環境も時間も変われど、変わらないものはやっぱりあるものなのだ。

 そう、ふたを開けてみれば何のこともない。見る場所を変えたから新しく見えていただけで、その実中身は何も変わっていないんだ。そのことに、今更ながらに気付いてしまった。

「だから陽人……」

 そんな普遍的ないつもの景色の中で、真琴は想いを言葉にした彼女とは全く違うことを、断定的に口にした。


――それは恋じゃない。



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