溢れた思いが言葉に変わる 17
目を開けると、真っ暗な部屋に暖かなオレンジ色の小さな光だけが灯っていた。
あたりが真っ暗なのは、カーテンが閉まっているからというわけではないのだろう。
いつもよりも早く眠ってしまったからだろうか、あたりが明るくなるよりも早く目を覚ましてしまったらしい。時間を確認しようとは思わないがカーテンからの覗く淡い光を見るにまだ日の出を迎えてすらないようだ。
生活習慣のせいか、早く眠ってしまえばその分早く起きてしまう。修学旅行最後の一日を特別楽しみにしていたわけではないのに。
俺は体をもぞもぞとゆすりながら寝返りを打って逆側を向いてから再び瞼を閉じた。
一度目を覚ましてしまったからと言ってそのまま起きようとは思わなかった。早く起きても何かやることがあるわけではない。それに目を開けたとはいえ寝ぼけ眼はまだ眠っていたいと瞼を重くしている。なので光を入れることを拒否する瞳に従ってもう一度目を閉じて意識を闇に落としていく。しっかりと目が覚めていないおかげですぅっと意識が離れていく。もう数瞬と経たずに闇の中へと潜り込む。
「…………ん?」
しかし、それは突然の物音で引き戻された。寝返りを打った時のような、衣擦れにも似た静かな音ではない。トストスと一定のリズムのその音は誰かの足音のように聞こえる。
目が覚めていたのであれば多少なりとも恐怖を感じて動揺していたかもしれない。草木もまだ寝静まっているであろう時間に足音が聞こえるはずもないのだから。
けれど、まどろみの中にあった脳がそんな考えに至れるわけもなく俺は物音のした方――自分の足元へと視線を向けた。
「…………真琴?」
寝ぼけ眼のまま、俺は視界に入ってきた悪友の名を呼んだ。
幽霊的なものではなかったが俺の頭にはクエスチョンマークが浮かんでいる。なぜなら隣を見ればひとり分の人影がベッドに横たわっているのだから。
どういうことかと思ってよく目を凝らしてみると、隣のベッドに横たわっているのが無造作に丸められた毛布であることに遅れて気が付いた。
なるほどと口内で呟いて足元のほうに視線を戻す。
「真琴どこか行くの?」
言いながら手で体を起こして固まってしまっている体をほぐしながら言う。眉間に力を入れたおかげか、眠気は薄れてきていた。
ストレッチをしながら俺の足の先で立ち尽くしている真琴を見やれば、寝る前は半袖だったはずの部屋着姿からパーカーへと服装が変わっていた。どうやらトイレに起きたというわけでもないらしい。
ベッドの上で腕を伸ばして首を回していると、寝起きであろう悪友はいつもと変わらない不愛想な声で呟くように言った。
「外行く」
「外?」
端的な返答にオウム返しをすると真琴は返事の代わりに視線をドアのほうへ向けた。
見ればわかるだろと言いたげな真琴の様子になおも疑問符を浮かべながら首を傾げる。
「真琴も早く寝たから早く起きちゃったってこと?」
今まさに歩き出そうとしていた友人を呼び止めるがごとくソウと異を投げかけると、真琴は心底面倒くさそうに俺のほうを振り返った。
「別にそうじゃない」
「あ、そうなの?」
目が覚めてしまったから暇つぶしに外に行こうしているのかと思ったのだが、どうやら違うらしい。俺は、ならどういうことだろうともう一度首を傾げて見せた。
「…………」
けれど真琴からの返答はない。代わりに耳慣れたため息が返ってきた。そして重々しい息を吐き切ると仕方ないと言いたげに俺のほうをちらりと見て言う。
「陽人も来るか?」
説明が面倒だったからか、いつまでも立ち往生しているのが嫌だったのか、真琴は心底面倒くさそうに俺に言った。
「あー、じゃあ行こうかな?」
そんな友人の足をこのまま止めておくのも悪い気がして、半ば流される形で7そう口にした。
このまま寝転がっていればそのうち眠ることができるかもしれないが、先ほどまでまどろんでいた体も頭も、今は冴えてしまっている。体を起こしてしまったせいで、もう一度寝るという気はなくなってしまった。
俺は体を手で支えてベッドから降りる。そして窓際に放り出された旅行鞄に視線を向ける。
遠くまで行くというわけではないだろうが、すぐに帰ってくるという保証もない。ジャージ姿のままでも構わないが、あいにくとサンダルなんて便利なものは持ってきていない。
せめて靴下くらいは履こうと思って寝起きで若干重く感じる体を立たせてバッグのほうへと向かう。
「……えっ、ちょっと真琴待ってよっ」
しかし、ベッドの先にいたはずの真琴はもうドアをくぐって寝室から出て行ってしまっていた。俺は置いていかれそうになって枕元で充電されていたスマホを掴んで慌てて真琴の後を追う。
慌ただしくも和室で眠っているであろうソウを起こしてしまわないように気を遣い、確認するように襖の向こうへと視線を向ける。
小走りに部屋の出口へ向かうと真琴がドアを開けて部屋から出ていくところだった。
「真琴待っててよ」
「待ってただろ」
慌ててやってきた俺を見ながら真琴はぶっきらぼうに言う。待っていたと言いながらも真琴は靴もしっかり履いてドアに手をかけている。待っていたというより、俺が何とか追いついたといった方が正しい気がする。
いつもながらに不愛想な真琴に苦笑いを向けながら裸足のまま靴をつっかけて真琴が開けてくれたドアを潜り抜ける。
俺の後に続いて出た真琴がガチャリとカギを閉めると、言葉もアイコンタクトもないままに真琴は俺の前を歩き始めた。
「真琴、どこ行くつもりなの?」
「外」
「いやそうじゃなくて……」
求めていた答えが返ってこなかったので俺は苦笑いを浮かべた。
真琴の足取りを見るに、エレベーターのほうに向かっていることはわかるのだがそれ以外のことは何もわからない。外に行くと真琴は言ったけれどホテルの周りには主要な施設はないし、コンビニだってなかったはずだ。
俺は真琴が何を考えているのかわからずに首を傾げていると、肩越しに俺のほうをちらりと見た真琴がぼそりと呟くように言った。
「浜辺」
「あうん、そういうこと」
淡々と単語だけで会話する真琴の横に並んで歩きながら力なく笑う。もしも脳が冴えていたのならばそれなりに察することはできたかもしれないけれど今は寝起きだ。あいにくと真琴の断片的な情報ではその胸中を察しきることが出来ない。
いつもこんな友人と一緒に居るんだなと昼間の自分に少し感心しつつも真琴の向かう廊下の先に視線を向けた。
俺たち二人の足音以外なんの物音もしない。きっとみんな寝ているのだろう。修学旅行だから今日は朝まで起きている、なんて言いあっていた生徒もその実朝方になるとぐっすり寝てしまっているものだ。というかそう言った友人が一番最初に寝るケースが多い。以下に修学旅行といえども生活習慣と眠気には逆らうことはできずに結局朝まで起きている生徒などほとんどいないものだ。
テンションそのままに長々と起きている生徒もいるかもしれないが、それでも朝まで起きている生徒はやはりいないだろう。それも修学旅行初日ならいざ知らず、最終日の朝方日が顔を出す前ともなれば目を開けている生徒はほぼ皆無だ。
俺はそういえば今何時なのだろうと握りしめたままのスマホを開いて時刻を確認する。液晶の光を少しまぶしく感じながらも目を凝らして画面を見つめてみれば時刻は午前五時過ぎだった。
教師ならばもう起きて何かしら動き始めているかもしれないな、と思いながらスマホをポケットに突っ込んで真琴に言う。
「外出れるの? 見張りの先生とかいるんじゃない?」
ふと、夜にはエレベーターの前に見張りの先生がいたことを思い出して急に不安になる。別に悪いことをしているという気はしないのだが、先生に見つかってしまったらと思うとなぜか後ろめたいと思ってしまう。
感じなくてもいい不安と罪悪感を感じながら真琴に言うと、真琴は振り返りもせずにぼそりという。
「多分いない」
「え、そうなの? 時間で見張りとかしてるんじゃないの?」
そこまで行ってしまったらさすがに刑務所か何かだろうと思ってしまったが、修学旅行だって監視しなくてはいけないという点では大差ない。生徒たちが夜中に抜け出して問題でも起こしたらそれは引率の先生の責任、引いては学校側の責任になってしまうのだから。
だから先生方は神経質になって当然なのだが、真琴には確信があるのか淡々という。
その自信はどこから来るのだろうかと思っていると真琴はやはり振り返りもせずにぼそりと言う。
「昨日はいなかった」
「あ、そういう。……え、昨日もやってたの?」
意外な回答に目を丸くしたが、真琴はうんともすんとも言わずに廊下の先のほうに視線を向けて歩いている。
返事が返ってこないので前日のこと、引いてはそのさらに前日のことを思い出しながらどういうことだろうと考える。
「そう言えば一日目も早く寝てたもんね」
確かあの日、真琴はホテルに来るなりほとんど死んだようにベッドに横たわっていた。
初日は暑さにやられてだいぶ弱っていただけなので、十中八九早起きするために早寝をしたわけではあるまいが、初日の真琴もかなり早く寝ていたことを思い出す。
「もしかして昨日見て綺麗だったからまた早寝したの?」
適当に予想しながら問うがはやり答えはない、けれどちらりと一瞬視線が向けられたのでおそらくはそういうことなのだろう。俺は無口な友人の素直じゃない態度に苦笑ではない笑みをこぼす。
ぶっきらぼうで不愛想ではあるが、こういったところは少し幼く見えて可愛らしく感じてしまうから不思議だ。これがギャップ萌えとかいう奴なのだろうか。いや真琴は男だからそういう発言は誤解されかねないけれど。
そんなどうでもいいことを考えながらエレベーターの前まで行くと、真琴の言っていた通り監視の先生はいなかった。さすがに朝早く脱走する生徒は前例がないのか、はたまた単純に先生の体力的な問題なのか、どちらにせよ俺たちは何の障害もなくエレベーターに乗り込んで一階のロビーへと向かう。
人気のないホテルでエレベーターの稼働音に耳を澄ませながら一階に降りるとやっぱり人影はなかった。受付には誰かいるのかもしれないがエレベーターのところからは見えないので確認できない。売店も明かりが落とされ、まるで妙な世界に迷い込んでしまったのではないかと思うほど昼間の姿とは異なっていて、夜の様子から考えても異質だった。
そんな非現実で編みこまれたロビーを通り過ぎて出口のほうへと向かう。一瞬自動ドアが作動しないのではないかと思ったがそんなことはなく俺たちの外出を手伝ってくれた。
ホテルを出て、初日にバーベキューをしたウッドデッキを超える。白いはずの浜辺がうっすらとさす明かりのせいで鈍色に見えた。
「日の出を見るの?」
「そう」
気になって尋ねてみたが、またも一息の回答をする真琴は俺のほうを振り返りもせずに砂浜を踏みつける。俺もそれに続いて砂浜を踏みしめ、青白い水平線に視線を向けた。
「確かに、綺麗かもね」
きっと答えは返ってこないだろうなと思いながらそう言った。
砂浜は鈍色、海も不純物が混ざっていそうな黒色。振り返ればホテルの明かりがまだ町は夜闇の中だと訴えかけてくる。しかしそれでも水平線の空はだんだんとオレンジ色掛かってきていて、その先に大きな火の玉が隠れていることを示している。これからそのオレンジの玉が昇るであろう空を見ようと少し視線を上げてみれば、薄い水色の空が少しずつ色を変えて暗くなっていく様は、まるで空全体を虹が覆っているようにすら見える。
オレンジ掛かった空と薄暗い街が夕日が沈んだ後のようにも見えて時間の感覚がおかしくなる。けれどゆっくりとあたりは明るくなっていくから、それが今日の目覚めを示唆しているのだとわかる。
時間が過ぎれば、毎日見ている朝が来て、さらに時間が経てば見慣れた昼が来るだけ。だから特別なのは今だけだとはわかっている。
けれど、冷食と暖色が入り混じった幻想的ともいえるそれは、時が経てばより一層幻のように儚く輝くのだろうと思えた。
現実と非現実の境界線にいるような足元のおぼつかない、そんな感覚だった。
俺はただ水平線を見つめながらその狭間に沈み込んでいると、そんな特殊な雰囲気だからか、珍しく真琴がそんな話題を振った。
「一昨日、間城に告らせたな」
「……いや、告らせたっていうのは違うよ」
いきなり言われて、一瞬言葉を失った。真琴がそんな話題を振るのが珍しいというのももちろんあったけれど、なんだか悪いことをしてしまったのではないかと、叱られているのではないかと思えてしまったから。
もちろん、俺は間城に告白させたわけではない。告白は、間城が望んでしたことだ。
けれど逃げ道を無くした、という意味だったらその通りかもしれない。だから、俺はわずかに間を開けてから真琴に確認するように言った。
「……でも、無駄なことした……んだよね?」
俺は先日真琴の呟いた、真琴に言われた言葉を繰り返した。あの時、俺を睨むように見て言った言葉を。
「真琴は、間城が昔振られてるって知ってたの?」
確証はないけれど、そんな気がした。そうでなければあの時にそんな言葉が出てくることはないだろうと思えたから。
俺が問うと、真琴は肩越しに振り返って俺のことを見た。
「…………」
無言で首だけで振り返ったもことの真意は、わからない。けれど真琴の言いたいことは、なんとなくわかっていた。
「振られるってわかってて告白したのは、無駄……なのかもね」
もしも真琴が過去のことを知らなかったとしても、きっと同じように無駄だと口にした気がする。
真琴は前々から言っていた、ソウは誰とも付き合わない。小説だけが恋人だと。
付き合える可能性がみじんもないのに告白するのは。無駄なことと言われてしまうかもしれない。あの時までの俺はそんなこと知る由もなかったけれど、結果を見て、それまでの事実を聞いた今となっては、確かに真琴の言う通り何かもしれないと思ってしまう。
結果だけ見れば、今の関係にいらない違和感を与えてしまっただけなのだから。だから、無駄なことをしたと言われればその通りかもしれなかった。
……けど、それでも。
「でも、あの二人は大丈夫だって言ってたし、たぶん大丈夫」
関係が悪くなってしまうことを危惧しているなら、心配はいらないはずだ。
ソウは心配いらないと言った。間城も迷惑はかけないと言った。二人が互いに同じものを目指すならきっと大丈夫だ。元に戻らなくても、必死に直すのだろうから。
二人はそれを、昔もやったのだろうから。
「気持ちを伝えただけだから、たぶん大丈夫」
変わってしまうものはあるだろうけれど、何もかも壊れてしまうことはないだろうから。根拠はないけれど、俺はそう断言した。
そして、俺は一つ息を吸い込んでから、
「…………それに。無駄ではないよ」
言葉を矛盾させながらも、俺はもう一度断言した。彼女の、間城の行動を無駄だとは言いたくなかったから。
確かに、告白しても付き合えないとわかっているのなら、しないほうがいいのかもしれない。その後の関係性がぎこちなくなってしまうことを理解しながら告白するのは愚かなことかもしれない。
けれど、それは絶対無駄ではない。
きっと多くの人は、マイナスの変化を恐れてそれを口に出すことはできないだろう。関係がぎこちなくなってしまったら、嫌いだと言われてしまったら、もう話すことすらできなくなってしまったら。そう考えるとその一歩を踏み出す勇気はとてつもないものだ。だから、その行動を、その決意を、無駄だとは言いたくなかった。それに――。
告白は、相手に自分の気持ちを伝えるためのものだ。
告白したから答えを明確にしなきゃいけないなんてことはないと思った。事実、間城が答えを理解していながらも再び想いを伝えたのだから。
だから、結果がどうとか、その後がどうとか以前に重要なのは本人の気持ちだ。
目で追ってしまったり、探してしまったり、気にしてしまう。そんな抑えきれない大きな思いだ。
知らないころはわからなかった、気付けなかった。そんな気持ちがあることが。それだけ大きな気持ちがあることが、そんな気持ちを抱いていることが。けれど――。
「……今なら、それがわかるよ」
胸を握りしめ、瞳を閉じて彼女のことを思い出す。間城ほどの年季はないけれど、同じ気持ちを抱いているから、わかる。
俺がしみじみと、呟くように言うと真琴は肩越しに振り返って俺のことを見た。
「好きな奴でもできたか?」
「うん」
これを否定してしまうことなどできるはずもなく、俺は静かに頷いた。
「……永沢か」
「…………」
簡単に言い当てられてしまったけれど、大して驚きはしない。真琴なら、そういうこともあるだろう。
からわかれているときのように焦ることなく、俺はゆっくりと頷いて真琴とその先の海を見つめた。
よる色に染まっていた水面が波を泡立てながら光に照らされてだんだんとその透明度を取り戻している。砂浜も鈍色から肌色に暖かく変わっていた。水平線の境界も同じ青に染まり始め、見慣れない景色が少しずつ褪せていく。
だんだんと、幻から覚めていく。
「…………違うだろ」
そんなときに、真琴が吐き捨てるように呟いた。ぶっきらぼうに、一息に。けれど、いつもよりも何倍も攻撃的に。
「え?」
真琴のとげとげしい言葉に驚き、理解が及ばず聞き返す。けれど真琴はそんな俺に呆れたように目を逸らしてしまう。
言葉だけでなく態度も声も攻撃的な真琴に不安を感じてその背中を見つめる。けれど、すがるような俺の視線は、真琴には届かない。
もう日は上る寸前。冷色がだんだんと褪せて世界が温かく色付いている。幻想的な夜と朝の間から、普遍的ないつも朝へと変わっていく。
もう、あと数分と経たずに日の出を迎えるだろう。
けれど、真琴は俺のすがるような視線を無視したまま体ごと俺に向きなおり、吐き捨てるように言った。
「それは、恋じゃないだろ」
真琴の視線は、ただひたすらに鋭かった。




