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Primula  作者: 澄葉 照安登
第四章 溢れた思いが言葉に変わる
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溢れた思いが言葉に変わる 16

 修学旅行も今晩を過ぎればあとはもう帰るだけだった。

 ホテルでの豪華な食事を終え、大浴場でクラスメイトと共に湯を浴びて、部屋に帰ってくればいよいよ一日も終わり、長く感じた修学旅行もとうとう終わる。つかの間の非日常を楽しんでいた生徒たちは荷物の整理を始めるよう言われていた。

しかし、遊びたい盛りの十代の男子たちがその言いつけを守ることなどもちろんなく、翌日を楽しみにする声が聞こえない代わりに、廊下からは修学旅行の終わりを惜しむかのように男子たちの騒ぎ越えが聞こえてきた。

 そんな中でもなお、俺の部屋はとても静かだった。

 前日と同じように和室の隅にどかされたちゃぶ台に小さなノートを広げた幼馴染は、ジャージ姿でペンを滑らせる音を奏で続けていた。

「本当に、ソウは小説書くの好きだね」

「まーな」

 俺が言うとソウはシャーペンの先でコツコツとノートを叩きながら答えた。

 さっきまですらすらと動いていたペン先が止まってちゃぶ台で一定のリズムを刻み続ける。ソウのそのしぐさを見てアイデアが詰まってしまったのかななんて思っていると、ソウは大きくため息の様に息を吐き出すと手に持っていたシャーペンをちゃぶ台の上に放り投げ、後ろに倒れるようにのけぞった。

「今日はもう無理だ、やめやめ」

 言うとソウは体をくるりと半回転させて昨日と同じようにちゃぶ台を背に胡坐をかいた。

 そんな友人にねぎらいとばかりにちゃぶ台の足元に転がっていたペットボトルを差し出す。

「はいこれ」

「おう、サンキュ」

 俺からペットボトルを受け取ったソウは中身を確かめるようにふたの部分を持ってくるくると回すとふたを開け、その中身を一気に飲み干した。

「……ッはぁ。マコはもう寝たのか?」

「どうだろう。もしかしたら寝てるかも」

 ソウに聞かれて、仕切りの向こうの真琴へと視線を向けた。

 今日も今日とて、真琴は部屋に戻るなりさっさと寝室にこもってしまった。昼間も前日同様暑さにだいぶやられていたのでもしかしたらもう眠っているかもしれない。せっかくの修学旅行だというのに、いい思い出を作るどころか嫌な記憶ばかりが上書きされていく真琴が少し不憫に思えたが、それも真琴自身の自業自得だと思い至って苦笑いを浮かべた。

 隣を見ると、俺と同じように仕切りの向こうを見つめたソウが何を考えているのかわからない表情で空になったペットボトルをくるくると回し続けていた。そのソウの真後ろには、開きっぱなしのノートがある。

「今度はどんなの書いてるの?」

 なんとなく、興味本位で聞いてみた。完成すればまた文芸部の部室なりなんなりで読むことにはなるだろうけれど、のぞき見してしまいそうになった体を動かす代わりにそう問いかけた。

 するとソウはちらりと自分の背後を確認するとニッと笑って得意げに言った。

「赤ずきんのおおかみ退治」

「今回は童話系なんだね」

 俺が言うとソウは得意げに「おう」と頷いた。

 今回は、なんて言ったけれど元々ソウは童話や児童文学を元にした物語を書くことが多かった。シンデレラや白雪姫、人魚姫にヘンゼルとグレーデル。どれもこれももともとの物語とは話の雰囲気から何まで違うけれど、ソウはそういう作品を好んで書いていた。

 確か、中学のころソウが書いていたのもそう言った類のものだった気がする。

 数年前の出来事に思いを馳せているとふと、ヴーヴーという振動音が聞こえた。妙に聞きなじみのあるその音がソウのポケットから聞こえたので反射的にソウの太ももを見つめる。

 すると、俺が見るが早いかソウはさっとスマホを取り出して届いたメッセージを開いた。

 誰から? そう聞いてしまいそうになった。

 目の前であからさまに誰かからメッセージが届いたのだ。誰から来たのか、どんなメッセージなのか気にならないわけではない。むしろ気にしてしまうのは自然なことだった。

 けれど、今日は。色々な事を見聞きして知ってしまった今はそうやすやすと興味本位で問いを投げかけることが出来なかった。

 すると、そんな俺を見たソウが噴き出すように笑った。

「ユサじゃねぇよ。親父から」

「あ、いやうん。…………なんかごめん」

「何で謝んだよ」

 つい反射で謝ってしまうとソウが気にするなとばかりに笑い飛ばした。そして何食わぬ顔でメッセージの内容を口にする。

「明日晩飯いらねぇってよ。仕事で遅くなるみたいだ」

「そうなんだ。…………そういえば修学旅行中はお父さんのご飯どうしてたの?」

「カレー作っといた。昼とかは外で食うだろうし大丈夫だろ」

 ソウの家のご飯事情が話題に上がったので聞いてみるとソウはさも当然と言いたげに答えた。「ちゃんと作ってきたんだね」

 抜かりの無いソウに感心しながら言うと、ソウは抜けた声で「まーな」というと後ろ手に開きっぱなしにしていたノートとシャーペンを回収してパタンと閉じた。そしてその閉じたノートを見つめながら、呟くように言う。

「もう、四年になるんだな」

 しみじみと、ソウが呟くから俺は何も口にすることが出来なくなってしまった。

 中学一年生の時、ソウの母親は病気で亡くなった。

 決して体が弱いわけではなかった、むしろ元気すぎるくらいの人だったけれど、ソウが中学生の時に入院したきりそのままこの世を去った。

 ソウは、根っからのお母さん子だったから毎日のようにお見舞いに行っていた。俺も何度か一緒にお見舞いに行ったけれど、それでも本当に病気なのかと思うくらい元気で、ソウと同じような明るい笑顔を浮かべていた。そんな、明るい、それこそ太陽のような人だった。

 ソウのお母さんは、俺やソウの話を聞くのが大好きだったらしい。いつも得意げにソウが学校で何があったと、こんな面白いことがあったと話していた。冗談からめて、時には誇張して、母の笑顔が見たいがために、ソウは毎日病院に通い詰めた。

 思えば、そのころからだった気がする。ソウが小説を書いたり、物語を作ったりし始めたのは。

 たとえ家族でも、親しい人間でも。身近にいる人間だからこそ、毎日話をしていれば話題というものは尽きてしまう。だから、ソウは作った。話すための物語を。楽しいと思える時間を。

 ソウにとって小説は、そういうものだった。

 物語とは、そういうものだった。

 だからソウは、今も書き続けている。それが、周りの人を笑顔にできることを知っているから、楽しませることが出来ると知っているから。そして何より、それがソウと母親との、手放しがたいつながりだから。

「懐かしいな。まだ、あの頃は下手くそだった」

 そう呟いたソウの視線は、手元のスマホとノートを交互に見比べていた。

「ま、今でも下手くそだけどな」

「十分うまいと思うよ?」

 それは料理のことか、小説のことか。どちらのことを言っているのかわからなかったけれど、どちらにせよソウの腕前は決して下手といわれるようなものではないと思った。

 けれどソウはふはっ、と笑う。

「んなことねーよ。何度も落ちてるからな」

「落ちてる?」

 不意に出た言葉を理解できなくて、俺は首を傾げた。するとソウは一瞬歯をのぞかせて俺に笑いかけると何やらスマホを操作してその画面を俺に差し出した。

 なんだろうと思ってそれを見ると、画面には文芸賞の文字が躍っていた。

「え? 賞に出したの?」

「ああ、去年からな」

 突然のカミングアウトに驚きを隠せなかったけれど、驚きよりも感心のほうが勝っていたから慌てふためくような無様な姿をさらすことはなかった。

「すごいね」

「いや凄かねーよ。二次選考で落ちたし」

「えっ、すご」

「いや凄くねーって」

 俺が言うと、ソウは恥ずかしそうに笑った。

 すごくないと、ソウは本当に思っているのだろうけれど。俺からしたら十分すごいことだった。賞に出そうと思えること自体でもすごいのに、二次選考まで行った、一次選考を突破したということがすごいと思った。

 けれど当の本人は納得がいかないのかふうと息を吐くと付け足すように言った。

「どこまでの残ろうが、結局賞は取れてねえんだからな」

 ソウのストイックな発言に、感心するしかなかった。

 上を目指す人からすれば、そう思えてしまうことなのかもしれない。成果が出たわけじゃないからと思うのかもしれない。

 けれど、同じラインに立つこともできない人からすればすごいと思わざる負えないのだから。

 ソウが応募したのは小学生中学生の作文コンクールなんかではない。プロになるための登竜門としてある文芸の賞だ。そんな場で、一番でも、上位ですらなくても一部の人には評価された。その事実が俺を感心させた。

 だから、不用意に聞くことが出来ないことは数あれど、これは聞いても問題ないと思った。ずっと、気になっていたて聞けなかったから。今なら聞けると思ったから。俺はソウに尋ねた。

「ソウは、小説家になりたいの?」

「ああ」

 一瞬の間もなく返事が返ってきて、思わず固唾をのんだ。一部の隙も与えない返答が、重々しい声が、その覚悟のほどを伝えてきたから。

 何も言えないでいるとソウがいつものように歯をのぞかせた。そしてからかうように一言付け足す。

「まあだから、今は小説が恋人なんだよ。超愛してるからな」

「あ、そうなんだ……」

 いきなりの空気の代わり様にたははと苦笑いを浮かべると、ソウは対照的にニシシと笑った。

 見ればわかった。小説が恋人だということくらい。修学旅行でも考えるのは小説のことばかり、地元に戻ろうとも小説のことばかり。そんな態度を見せられれば嫌がおうにも思ってしまう。小説のことで頭がいっぱいなんだと。

 けれど、今それを言われたことが少し不自然に思えてしまった。

 今は、小説のことしか頭にない。今は小説のことしか考えられない。そんな言葉だったら気にならなかったのかもしれない。

 けれど、恋人と表現した。表現の問題なのかもしれない。けれど思った。

 恋人がいれば、誰かからの告白もことわざる負えない。断るしかない。

 そういうふうに、言っているように聞こえてしまった。だから、思った。今このタイミングでソウがそれを口にしたのは、自分に言い訳をしているから。間城と付き合えない言い訳を作りたかったから。

 本当は、そう言いたかったわけじゃないと言い訳しているように聞こえてしまったから。俺は確かめるようにソウに問いかけた。

「ソウ、もしかして間城の……」

 瞬間。スーッという音が聞こえて言葉が止まる。怯えるように肩を跳ねさせながら音のした方を向くと、真琴が目を擦りながら仕切りを開け放っていた。

 嫌なものを見たと言いたげに不機嫌な顔をする真琴がぼそりと呟く。

「……お前ら、まだ起きてんのか」

「あ、ごめん起こしちゃった? …………あれ? まだ九時になったばっかり」

 真琴に不機嫌な様子に謝りながらスマホで時間を確認すると消灯時間まではまだ一時間ほど猶予があった。その証拠に電気もまだついている。

 首を傾げていると真琴がぶっきらぼうに口を開く。

「別に、うるさかったわけじゃない。ただトイレ行こうとしただけ」

 言うと真琴は俺たちの前を通ってトイレへ向かう。わざわざこちら側を通らなくてもトイレまでは行けるはずなのに、わざわざこっちを通るのはどういうことだろうと思って笑えてしまったが手で口元を隠した。

 代わりにソウがふっと噴き出してわざとらしく言う。

「なんだよ、寂しかったのか?」

「うるさい」

 ソウが言うと真琴は不機嫌気味に答えた。ソウはそれを見てジェスチャーで謝ると俺へと視線を向け同じくからかうように言った。

「まあハルも、恋人とまではいかなくてもちゃんと書けよ?」

 ソウがからかうように、嫌味の様に言うから俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。

「二次元嫁の話か」

「違うから」

 もしかして寝起きなのだろうか、真琴が見当違いなことを呟いたから真顔で否定。すると真琴は興味ないと言いたげに顔を逸らした。

 そんな真琴に苦笑いを浮かべると俺のことをニヤニヤと見ていたソウと目が合った。

 さっき言いかけた言葉をもう一度口にしてもよかったのだけれど、真琴もいる手前それができずに、ソウの嫌味じみた言葉を無視するわけにもいかないので一つ息を吐いてから言う。

「まあ、がんばるよ」

 俺が言うと、ソウは意外そうに眼を見開いた。

「ハルにしては前向きじゃん。なんかあったのか?」

「いや、別にそうじゃないけど」

 決していつも後ろ向きなわけではないだろうが、事小説を書くという話になるとやはりうまくできる気がしないからあまりいい返事はしなかったと思う。

 それが、今は多少いつもと違った。自分自身自覚はあった。なぜだろう。なんとも言えない自信のようなものがあった。

 きっとそれは、気付いたからだと思う。自分のことに。

 だから俺はもう一度、苦笑いを浮かべながらもソウに向けて言った。

「文化祭には、何とか完成させるよ」

 いつもよりいくらか前向きな答えに、ソウは満足そうに笑った。

 ふと、真琴は何を思うのだろうと視線を向けてみると、話の流れを理解していないからなのか、それとも純粋に興味がないからなのかどうでもいいと言いたげに息を一つ吐くと、トイレのほうへと向かって歩いて行ってしまう。

 不愛想な悪友の態度に苦笑いを浮かべながらその背中を見送る。

 修学旅行ももう終わり。帰ったら次は文化祭が待っている。一か月ほどの猶予があるけれど余裕ぶってはいられない。俺もソウや真琴の様に執筆にいそしまなければならないのだろうなと少し後ろ向きな気持ちになりながらも息を吐いた。

 すると今まさに和室から出て行こうとしきりに手をかけた真琴が俺のほうを振り返って足を止めた。

 どうしたんだろうと何気なく真琴の顔を見た。

 瞬間、思わず息をのんだ。そんな顔を久しぶりに見たから。

 中学生のころ、出会ったばかりのころの真琴は、いつもそんな顔をしていたように思う。けれど、最近は、よく一緒に居るようになってからはなかなかそんな顔を見ることはなかった。だから、息が止まる思いだった。

 不愛想な悪友は、出会った当初のころの様に、俺のことを見ていたのだ。

 睨むような、眼差しで。


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