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Primula  作者: 澄葉 照安登
第四章 溢れた思いが言葉に変わる
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溢れた思いが言葉に変わる 14

「おかえり」

「あ、ソウ。ただいま」

間城と別れて部屋に戻ると、部屋着なのであろうフード付きのスウェット姿のソウが、和室の端に避けられた漆塗りのちゃぶ台の前に胡坐をかいて座っていた。

 いったい何をしているのだろうとソウの手元をのぞき込むと、数時間前にちらりと見かけた小さなノートとソウの手に握られたシャーペンが目に入った。

「またプロット?」

「ああ、いろいろ書きたいことがあるからな」

 そう言うとソウは手に持っていたシャーペンをちゃぶ台の上に置くとノートを閉じた。ちゃぶ台にぶつかったシャーペンがカチッと言う音を立てる。

「そっちで書けばいいのに」

 俺は言いながら襖で仕切られた先にあるベットが二つ設けられた隣の部屋を指さす。ちらりと見た程度ではあるが、隣の部屋には壁に張り付くような形で机が置かれていたはずだ。わざわざクッションも何もない畳の上で胡坐をかいて書かなくてもいいだろうと思う。

 するとソウは珍しく苦笑いを浮かべた。

「真琴が寝てるからな、起こしたら悪いだろ?」

「……そう」

 文字を書くくらいならばそんなにうるさくはならないだろうに、妙に気を遣っているソウに違和感を感じながら畳張りの和室に裸足で登る。踏みしめた畳の感触が少しくすぐったい。普段はフローリングの床ばかり踏みしめているから足の裏に感じるざらざらとした感触がわずかながらの不快感を与えてくる。

「ソウはまだ寝ないの?」

「ああ、もう少し書いて整理するよ」

 そう言いながらもソウは閉じたノートに目もくれず俺のほうを見つめる。

 違和感を感じながらも俺は布団の敷かれたところまで歩いていこうと足を動かす。するとソウは頭を掻きながら唸り声をあげて俺に行った。

「あー……。空いてる方のベッド使っていいぞ」

「……わかった」

 なぜか歯切れの悪いソウに頷いて、襖の向こうにある部屋に向かおうとする。違和感は増すばかりだ。

「じゃあお休み、あんまり遅くならないようにね?」

 無視するには大きくわだかまっている違和感を胸の内に押しとどめながら、振り返って言う。そうは、俺を一瞥するとくるりと背を向けてちゃぶ台に向かい合ってしまった。

 別にこの違和感の正体に気付いていないわけじゃない。長い付き合いだ、幼馴染のらしくない姿を見れば気付いてしまう。理由はきっと、そのことだ。

 過程も見ていた、結果も聞いた。予想でしかないけれど、なんとなくわかってしまった。

 きっと、気にしないほうが難しいことだから。そこに、部外者がどうこう言うべきではないから。

 いつも獲物に群がるハイエナの様に色恋沙汰を観察しずかずかと好奇心で踏み入っていた俺だけど、今回はそっとしておくべきだ。そう思った。

だから俺は目の前を隔てている襖に手を掛けた。しかし、

「……さっきは、悪かったな」

 ぽつり、と呟くような声が俺を引き留める。襖にかけられた手は引かれることなくその場で硬直する。

 さび付いた機械のようにたどたどしく振り返ればソウが申し訳なさそうに肩をすぼめていた。

 いつもカラカラと笑っている、子供じみた悪戯っぽい笑顔を浮かべているソウをよく見ているから、謝ったことに対してももちろんそうだけれど、申し訳なさそうなその後ろ姿が珍しいと感じた。

「……別に、気にしなくてもいいよ」

 幼馴染の珍しい姿に、責めることも問い詰めることもできるはずもない。それにソウはきっと何も悪くはない。

 二人はただ自分の気持ちを伝えあっただけ。それは糾弾されるような行為じゃない。むしろ称賛されるべき行動のはずだ。だから、謝る必要だってない。そういう意味も込めてそう言った。

 あの場にいた俺と真琴に気を遣わせてしまったことを謝っているのだとしても、それはお門違いだ。真琴に謝るならまだわかる。けど、俺はそれを手伝った側なのだから。謝られるようなことは何もなかった。

 むしろ結果を見れば、糾弾されるべきは、そそのかすように後押しした俺だ。

「……そうか」

 ソウが自虐気味に微笑みながら言う。いつものように冗談めかして「いやいや、気使わせちまっただろ?」なんて言ってくれたなら苦笑いを浮かべながら隣の部屋へと姿を消すことができたかもしれない。

 けれど、そんな後悔の詰まった笑顔を向けられてしまっては背を向けることなんてできなかった。

 俺はふすまにかけていた手を下ろして体ごとソウのほうに振り返る。俺の視線の先には、いつもの様子からは考えられないほどに弱弱しいソウの姿がある。

 こうなってしまうものなのだろうか、失恋とは。

 告白した側もやりきれない思いを抱えて、された側も後悔を募らせる。これから先、今まで通りに接することができるのかどうかも怪しいくらいに、二人の姿はいつもからかけ離れていた。

 けれど、そんな様子でもいつもの癖なのか、それとも気を遣っているのか、先に口を開いたのはソウだった。

「さっき出て言ったのって、ユサに呼ばれたのか?」

「…………そんなところ、かな」

 俺は正直に言うかどうか一瞬迷って、言い訳するようなことでもないと思って素直に口にした。否定したところで、きっと気付かれているから。

「そうか。なんか、ハルにはだいぶ迷惑かけちまったな」

 そう言って笑った彼の姿は、やはり弱弱しく映る。

「別に、気にしなくていいんだって」

 そう言いながら俺はソウの隣まで寄って行く。ソウがくるりと体ごと振り返ったので俺はその隣に腰を下ろした。

 布団を敷くために避けられたちゃぶ台を背に二人で並んで座る。背中に当たるちゃぶ台が痛いくらいに背中を押してくる。

俺は言うかどうか数秒悩んで、懺悔のつもりで口にした。

「…………実は、間城に頼まれたんだ」

 俺がうわごとのように呟くと、ソウはなんのことだと疑問符を浮かべながら俺のほうを見た。俺はなんだか申し訳なくてソウのことをまっすぐに見れずにソウの足元を見て言う。

「ソウに告白するから、協力してほしいって」

「……そうだったのか。なるほどな」

 言うとソウは胡坐を片方の膝を立ててそこに肘をつく。納得した、と言いたげな口ぶりだったがどういうことだろう。そう思いながらも顔を上げられずにいるとソウが言った。

「首里城での奴は、その一環だったって感じか?」

「いや、あれは偶然というか。そういうのを意識したわけじゃないよ」

 言われて、少し焦ってしまった。結果的にはソウと間城を二人きりにすることが出来たけれど、あの時はそんなつもりはなかった。本当に、ただの偶然だった。

 それでも、意識してやったことでないにせよ間城だってありがとうと口にしていたし、そう疑念を抱いてしまうこともあるかもしれなかった。

だから、俺はばつが悪くなって今度は自分の足元へと視線を逃がした。

「でも……なんか、ごめん。余計なことしたよね……」

 無駄なことしたな。真琴が言ったその言葉を思い出しながら口にした。

 首里城での出来事が間城の後押しになったわけではないのかもしれない。けれど間城が告白するきっかけを作ったのは、間城が告白から逃げれないような環境を作ってしまったのは間違いなく俺だった。

 そして、今この状況を作ってしまったのもまた。

「ハルが謝ることねぇよ。悪いことはしてねぇ」

 そう言ったソウだけれど、見ればその視線は敷布団と畳を通り越してどこか深いところへそそがれているし、声には悲しい音が混ざっている。

 攻めているつもりはないのだろうけれど、それでもやはりばつが悪い。

 きっと誰も悪くはない。誰一人として悪い人なんていない。

 間城はもちろんソウだって。罪悪感を感じている俺だってきっと悪いことなど何もしていないのだ。

 誰も何も悪くない。わかっている。

 けれどだからこそ。やるせないのだろう。

 誰も責めることが出来ないから、自分を責めることしかできないから苦しいのだろう。

 だから俺同様、ソウも自分を責めてしまうのだ。

「……俺が、勝手に平気だと思ってたのがいけねぇんだからな」

 ソウは、自虐的に笑った。どうにもできない無力感を笑い飛ばそうとしたのかもしれない。けれど、ソウは困ったように眉尻を下げていた。

 何も言えなくなってしまう。きっとそういう反応になるのが普通なのだと思う。けれど、俺はやっぱり好奇心には勝てない人間で、ついこぼしてしまったのだ。

「……平気?」

 口をついて出たその言葉に後悔するが、もう取り消すことはできない。今から忘れてくれと言ってもきっと彼は同じ反応をしただろうから。

ソウは苦笑いを浮かべながら言った。

「もう、告白はされねぇと思ってたからな」

 ソウが天井を見つめる。その視線の先には、誰かの姿があるのだろう。

 見えもしない同級生の顔を思い浮かべながら、俺は呟くように言った。

「……二回目、なんだもんね」

「それも聞いたのか」

 俺が言うとソウは恥ずかしそうに、気まずそうに笑った。幼馴染の見慣れない姿に俺は顔を逸らしてしまう。

 考えればわかることだ。一度告白されて振ったのだから、二度も告白してくるはずがない。そう思って当然だ。いつも友達として仲良くしていた、そんなそぶりを見せられることだってなかったのならなおさら。

反射的にフォローしようと口を開く。

「けど、何年か前のことなんでしょ? それなら気付かなくても仕方ないんじゃない?」

 間城がソウに告白したのは中学の卒業式の時だ。今は高校二年の九月。夏と秋の境目。もう一年以上も前のことだ。そのころと変わらない気持ちを持っているなんて思いもしないだろう。

 そう思って口にしたのだが、ソウは苦笑いのままだ。

「そんなことねぇよ。……ずっと前から気付いてる」

 けれどソウは悲しそうに言った。

「好かれてるって、気付いてたの?」

「ああ」

「…………そっか」

 尋ねてみれば瞬きの間もなくソウがうなずく。俺は何て返したらいいかわからずにそんな相槌を打った。

「もしかして、俺のせい?」

 もしや首里城の一件のせいでソウに勘繰られてしまったのか、そう思って俺は尋ねた。

 しかしソウはからかうように「ちげぇよ」というとまた足を組みなおして、今度は逆側の膝を立てた。

「好き、なんて気持ちを向けられたら、嫌でもわかるもんなんだよ。……気付かないのは、気付いてないふりをしてるか、自分のことをちゃんと見れてないか、それか……。よっぽどの何かの理由があるかしかねぇよ」

「……そう、なんだ」

 ソウの言ったそれは、難しくてよくわからなかった。

 なんだかソウが書いた小説の地の文をそのまま聞かされたような、そんな気分だった。ソウは、今まで恋愛小説なんて一、二本しか書いたことがないのに。

 けれど、ソウの言いたいことはわかった。ソウは、向けられた好意にすぐに気付くことができる、そういうことなのだろう。

「…………でも……」

 そこでふと、後輩のことが頭に浮かんだ。ソウに好意を寄せている後輩のことを。

 もしもソウが向けられた好意に気付くことが出来るというのなら、立花さんの気持ちにも気付いているのではないか。

 そう考えている間にも、ソウは苦笑いで言った。

「美香のことか?」

「…………」

 ソウに言われて、固唾をのむことしかできなかった。まるで心の中をのぞき見されたような感じがして。

 固まった俺を見てソウはニカッと笑うと、また表情を暗いものに戻した。

「ハルは妄想とかなんかしまくってるから誤解してると思うけど、俺あの子と付き合ってねぇぞ?」

「いや、それは……」

 確かに妄想ばかりしていることは否めないし、ついこの間まで二人が本当に恋人なんじゃないかと思ったりもしていた。

 けれど、それは間城の買い物に付き合ったあの日に消え失せたし、そもそもそんな誤解をしたままならば間城に告白などさせようとは思わなかった。

 それを察しているのかいないのか、ソウは苦笑いのままだ。

 そしてそのまま、少し頬を染めて照れくささそうにソウは言った。

「そもそも俺、あの子のこと振ったんだぜ?」

「…………えぇ!?」

 予想外の言葉を言いて声を張り上げてしまった。あまりの衝撃に一瞬頭が理解を示してくれずに聞き逃してしまうところだった。

 ソウは笑いながら「落ち着けって」と俺をなだめる。ベッド寝ている真琴を起こしていないかと心配になって襖の向こうに視線を向けるが物音ひとつしない。大丈夫、そんなに叫んではいないはず、多分。

「ごめん、あんまりにも突然で」

「突然って、七月にはもう振ったんだぜ?」

「はぁぃ!?」

「ははっ、はい深呼吸な」

 またしても俺は声を張り上げてしまう。ソウが呆れ半分愉悦半分に俺のことをなだめようとする。ソウに促されるままに俺は深呼吸をする。

「ふぅ……。ど、どういうこと?」

「どういうことって言われてもな」

 うろたえながらソウに聞くとソウは「うーん」と唸って自分の頭の上を見上げる。

「みんなで神社に行っただろ。あの時、俺と美香が二人でどこか行ったの覚えてるか?」

 俺は思い出しながらうなずきを返す。

「あの時に言ったんだよ。今は誰とも付き合う気はないって」

「え、嘘」

「いやほんとに」

 俺がぽかんとしながらうわ言のように言うとソウが手刀を振って苦笑いをする。

「もともと告られそうだなっていうのはわかってたからな。だから、前もって言ったんだ。付き合えないって。せっかくの新入部員とドロドロの関係になりたくはなかったしな」

「そ、そうなんだ」

 俺は必死に頭を使って理解しようとする。けれど何度考えても出てくる答えは一緒。

 七月の時点で立花さんは降られていた? ということはつまり俺が立花さんの行動や言葉を深読みして察していたあれやこれはすべて、俺の勘違いだったということ? え、それかなり迷惑な奴じゃない? 何もしてないとかなんとか思ってたけどかなり迷惑な奴なんじゃない俺って。

「あ、で、でも、まだ立花さんも諦めてなかったり……」

「いや、それはねぇな。もうあの子ほかにいい相手見つけたみたいだし」

「えぇ……」

 好意を察することができると言うソウに言われてしまってはもう何も言えない。だって事実俺はそう言ったことに気付くことはできないから。見ることは今までたくさんしてきたけれど、それだって妄想の題材にしてきただけだ。今までの俺の想像が事実だったという確証なんてただの一度もない。

本当に今までのことは全部俺の勘違いだったのかもしれない。そう思って申し訳なさと恥ずかしさで肩を落とす。するとソウがふっと笑った。

「ハルの妄想癖も、変なところまで行ってたみたいだな」

 ソウはいつも学校で見せるような笑顔を浮かべていた。ニカッと、そこに光が差し込んだかのように錯覚させる笑顔を。

「いやまあそれはさておき、なんつーか、迷惑かけて悪かった。美香のことはともかくユサのこと。……たぶん、すぐに元通りになるからその辺は心配すんな」

 気付けば、ついさっきまでの暗かった表情などどこかに放り投げたかのように、ソウの表情は明るいものに変わっていた。

「修学旅行が終われば、またいつもみたいに部室でみんなで駄弁って小説書いて、文芸部らしく過ごそうぜ」

 そう言ってもう一度笑ったソウはちゃぶ台の影に置いてあったらしいペットボトルを取り出して一口煽ってわざとらしくぷはーと息を吐く。

「うん、わかったよ」

 俺はそんなふざけ半分の幼馴染に向けていつものように、少し呆れた体を装って笑顔を浮かべた。

 ソウはそれに答えるように三度笑うと、悪戯っぽく俺に言った。

「ハルはまず一作ちゃんと完成させてもらわねーとな」

「ははは、まぁ頑張るよ」

 俺は苦笑いを浮かべながら立ち上がる。

「もう寝るのか?」

「うん、明日は自由行動だしね」

 俺は座りっぱなしで固まっていた体をほぐすために肩を回す。せっかくの自由行動。どうせ回るメンバーはいつもの通り変わりはしないけれどせっかくだから楽しもうと思う。

「そっか、引き留めて悪かったな」

「いや、いいよ。…………ソウはまだ寝ないの?」

 俺が訊くとソウはちゃぶ台の上に転がしていたノートを手に取ってゆする。

「もうちょっと書いとくわ」

「そっか。あんまり遅くならないようにね?」

「おうよ」

 そう言うとソウは手に持っていた小さなノートを広げてシャーペンを掴む。そう言えばソウが書いた原稿は読んだことはあったけれどプロットは見せてもらったことがないな。今度参考として見せてもらおうかな、なんて思いながらもう一度ソウのほうを見る。

「……じゃあお休み」

「おう、寝坊すんなよ」

「それはソウでしょ」

 苦笑いで言いながら俺はソウに背を向けて隣の寝室へと向かう。もう、振り返って幼馴染の姿を確認する必要はなかった。

 ソウの言うように、すぐに元通りになるだろうか。きっと、普通に考えたらそれは不可能だ。変わってしまったものを元に戻すことはできないから。どれだけうまく補修しても、つくろったところだけわずかに色が変わって違和感を感じてしまうものだ。

 けれど、きっとソウの言う通り、数日たてば元通りになるだろう。二人の心に何かしらの変化はあるだろうが、それでも元通りを作って見せるだろう。

 戻すことはできなくとも、元通りに作り替えることはできるから。

 二人とも、そういうことはできるだろう。なんせ二回目なのだから。

 修学旅行一日目。思いを言葉にした彼女の恋は、成就しなかった。それでも、彼女に後悔はないと言っていた。それは強がりでも何でもなく、本当のことだ。

 だから、告白しなければよかったなんて後悔はしないだろう。時間を戻してほしいとも、思わないのだろう。

 だから、もう何も言うことはない。

これ以上誰も何も言わないまま、夜は更けていくのだ。


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