溢れた思いが言葉に変わる 8
普段はあまり使わない大きめのスポーツバックやキャリーバッグを引きずりながら空港に集まった生徒は、いつもより早起きであろうにいつにもまして元気のあり余った声音であいさつを交わしていた。
修学旅行ということでボルテージの上がった生徒たちは飛行機に乗り込んでからも、いや、乗り込んだからこそ旅行の実感がわいてきて声高々にはしゃいでいた。
「俺、実は飛行機初めてなんだよね。……真琴は?」
「俺も」
「そうなんだ。中学の時は新幹線だったしねー」
「ん」
それは俺も同じで、いつもよりも幾分か声のトーンを上げて早口になりながら隣に座る真琴と話をしていた。
しかしそんな俺とは対照的に、真琴はいつもと変わった様子はなく不愛想な合図地を打っているだけだ。
生まれて初めての飛行機。それだけでも気持ちを紅潮させるのには十分で、俺は見慣れない飛行機の中を見渡している。飛行機は真ん中に四席横並びになった席があり、左右の窓側には二つ連なった席があるという、おそらくはオーソドックスなのであろう座席ばかりの大して面白くもない空間を。
そんな空間の中、俺たちがいるのは二席が並んだ窓側の席だ。それもちょうど飛行機のど真ん中。窓側には真琴、内側には俺という並びで座っている。
テンションがかみ合わない俺たちを前の席の隙間から顔をのぞかせながらソウが話しかけてくる。
「まぁ、家族旅行とかだって飛行機乗ったりするほうが珍しいかもしれないしな」
「あー、そうかもね」
前の席に座っているソウが振り返りもせずに声を投げてくる。俺は合図地を打ちながらもまだ飛行機の中に意識を取られていた。
「うちも飛行機は初めてかも。旅行自体ほぼ行ったこともないしね」
ソウに続いてその隣に座っている間城も同じように俺たちのほうを見もしないで会話に加わる。
俺の前にはソウが、真琴の前には間城が座っているため直接顔を合わせはしなくともこうして会話をすることができる。修学旅行の移動の飛行機の中であってもいつもと変わらず俺たち四人は一か所に固まっていた。
二人が座席の背もたれから俺たちのほうをのぞき込んでこないのはいまだ離陸前でシートベルトの着用を促されているためだ。
「飛行機って、酔ったりとかするものなのかな?」
「知らん」
俺が真横にいる真琴に視線を向けながら問いかけてみるが冷たい声で一蹴されてしまう。もちろんそれだけならば話しかけてほしくないのだろうと勘違いしてしまいそうになるが、そのまま視線を向け続けていれば、ため息交じりに真琴が言葉をつけ足してくれる。
「俺も乗ったことないからな」
「あ、それもそうか」
先ほどの真琴との会話を思い出して愚問だったと思い至る。
飛行機に乗った経験のない人にそんなことを尋ねたところで分かるわけもないのだから冷たい声が帰ってくるのも当然だ。真琴は多少冷たさが上乗せされ過ぎている気もするが、それも長い付き合いだ。今更それをどうこう言おうとは思わない。
そんな風に他愛もない、中身のない会話をしているうちに乗員乗客が全員乗り込み細かな準備も終わったのだろう。当機は間もなく離陸しますとアナウンスが流れる。
そのアナウンスと同時に客席の中央前方にあった小さめのスクリーンに滑走路と思しきものの映像が映る。アナウンスに耳を傾けてみれば離陸の瞬間を見れるようにということらしい。なるほど、そんなことまでしてくれるのか。
初めて乗る飛行機ということもあってか些細なことにも妙に大きな関心を示してしまう。
アナウンスが終われば緩やかな慣性を感じさせながら俺たちを乗せた鉄の塊が動き始める。隣の真琴を見てみればそれなりに初めての飛行機を楽しんでいるのか、小さな窓から視線を外へ向けてだんだんと流れのはやくなっていく滑走路を見つめている。
俺も客室の中ほどに設置されているスクリーンではなく真琴が視線を向けている小さな窓のほうを見つめて離陸の瞬間を見送る。少しずつ地面が離れていき、ものの数秒で灰色の滑走路から景色が変わってしまう。遠くに住宅やビルを見つめながら俺たちを乗せた飛行機が飛び立つ。そんな光景は今まで見たことがないもので自然と窓の外に全神経が注がれる。
そうこうしているうちにシートベルトの着用を義務付けていたランプが消えて、また機内がガヤガヤと騒がしくなる。立ち上がる人こそいないものの、背もたれから顔を出して後ろの席の友達に声をかける生徒や隣にいる友人と談笑を始める生徒たちが機内を埋め尽くす。
「しばらくはお別れだね」
なんとなく、離れていく地面を見つめていたらそんな言葉が口をついて出ていた。その声は別れを惜しむような、どこか寂し気な響きを伴っていた。自分で口にしたはずなのに、それがどうして出た言葉なのかいまいち理解ができずに首をかしげてしまう。
「何が」
真琴も俺の言葉の意味が分からなかったのかぶっきらぼうに聞き返してくる。
「あ、いや、地元とのお別れを惜しんでる感じ、かな?」
俺はとっさにそんな風に口にしていた。別に地元に特別な思い入れもないというのに、どうしてそんな言葉を口にしたのだろうと余計に疑問が膨らむ。
「なにそれ」
俺のよくわからない言葉に真琴は理解を示せないと言いたげに視線を逸らしてまた窓の外を見つめてしまった。
そんな反応をされて若干の苦笑いを浮かべるが、俺自身自分が口にした言葉の意味するところをよく分かっていない。おそらくは意味などないのだろうがそれでも気になってしまう。少し寂し気な音を宿した自身の言葉を。
けれど、それも修学旅行の熱に当てられて大して気にならなくなってしまう。周りの騒ぎ声のせいだろうか。
だから俺はダメ押しというように少し冗談めかして、自分のその違和感を捨てるように口にする。
「どちらにしろ、しばらくは戻ってこれないからね」
「そうだな」
俺が口にした言葉に真琴が興味なさげに同意する。
しばらくはまだ見ぬ沖縄という土地で過ごすのだ。事前にパンフレットや修学旅行のしおりなんかで沖縄のことを多少は知識としては知っているものの、行ったことのない場所ということには変わりない。だからまだ見ぬ、未知の場所と称しても相違ないだろう。
「お客様、アイスはいかがなさいますか?」
「へ?」
そんなどうでもいいことを考えているとふいに真横から妙につやっぽい女性の声が聞こえてくる。反射的に振り返れば航空会社の制服に身を包んだきれいな女性が俺のほうへ笑顔を向けていた。
「え。ああ。えーと……」
慌てて何を言われたのか反芻して、焦ったように真琴のほうへと視線を向けた。
「真琴はどうする? アイスだって」
「…………何がありますか?」
真琴が俺を一瞥するとCAの女性にそんな風に尋ねる。
「バニラ、チョコレート、抹茶、キャラメルの四種類です」
「じゃあキャラメルで」
「はい、キャラメルですね」
真琴がぶっきらぼうに言うとCAの女性は笑顔でカップに入ったアイスクリームとプラスチックスプーンを差し出した。見ればそのアイスはスーパーやコンビニなのでも見かけるちょっとお高い名のあるアイスクリームだった。
CAさんは真琴にアイスを手渡して上が尾を浮かべると今度は俺のほうを見て同じように笑顔を浮かべた。
「お客様はどうされますか?」
「あ、じゃあチョコでお願いします」
流れで聞かれて反射的に答えてしまっていた。別にアイスを食べたかったわけではないのだが、いってしまった以上取り消すのもはばかられてしまう。俺は自分の様に苦笑いを浮かべながら、普段ならそうそう食べることのないお高いアイスクリームを受け取った。
「えっと、いくらですか?」
飛行機内ということもあってもともと高いアイスクリームにさらに値段が足されていると思って尋ねてみる。
すると笑顔を崩さない女性から予想外の言葉が帰ってきた。
「こちらはサービスとなっています」
「えっ、そうなんですか?」
「はい」
さも当然のように言われたものだから反射的に聞き返してしまった。不思議そうに目を丸くする俺にCAの女性は笑顔を向けてくる。
サービスと言われてしまえば受け取るだけ受け取ってしまうほかない。チップですなんてカッコよくお金を渡すことなんか学生の俺には似合わないし、そもそもそんな余裕はない。
俺は頭を垂れて軽く会釈を返すとその女性はそのまま俺たちの後ろへと進んでいった。もちろんその時も笑顔を崩すことはなくだ。
「…………飛行機、すごいね」
そんな頭の悪そうな感想を漏らしながら真琴に視線を向けると、スプーンを咥えながら俺のほうに振り向いた。
「何言ってんの」
わざわざ口にするまでもなく、言いたいことが顔に出ていた真琴だが、それでもしっかりと口にして伝えてくれる。正直、俺も自分に対して真琴と同じような感想を抱いている。何言ってるんだろう俺。
それでもすごいと思ってしまったのは本当のことだからそれを伝えるために言葉を紡ぐ。
「いや、なんかサービスって、そういうのあるんだなって」
サービスなんて言葉は普段は耳にしたりしない。よく耳にするのはセルフサービスくらいのものだ。まぁ最近はニュースでサービス残業なんて言葉を耳にしたりも知るがそれはそれだ。学生の俺たちはそう言った特別なサービスが当たり前のレストランなんかに入ったりしないし学生のほとんどはファミレスくらいのものだろう。だから、こんな風に当たり前にサービスを受けることが衝撃だった。
「陽人、珍しくテンション高いな」
そんな俺の言葉を聞いた真琴は、やはりどうでもよさそうに、けれど少し意外そうに言葉を濁しながら呟いた。
「修学旅行だし、多少はね」
そう、修学旅行だから多少テンションが上がってしまうのは仕方のないことだ。初めてのことがあふれているとなればさらに倍増する。我ながら子供じみているなと思いながらも俺と同じようにはしゃいでいる周りの生徒たちに視線を向ける。
みな口々に話しているのは二日目の自由行動の時間のことだ。二日目は丸々自由行動となっている。修学旅行で好きなことができるのは二日目とホテルにいる時間くらいのものだ。だから自然とそう言ったことが話題に上がる。
どこに行こうか、何がしたいか、どんなものが見たいか。そんなことを話しながらみな声のトーンを上げていく。主にうるさくしているのは女子に対して比較的精神が幼いとされる男子ばかりだ。
「みんなも同じだしね」
「そ」
俺が回りを見ながら言うと真琴は興味ないと言いたげにアイスクリームを口へ運んでいく。
俺も真琴に倣って自分の手の中で冷気を発していたそれのふたを開ける。
「陽人はチョコか」
「うんそう。……食べる?」
「もらう」
真琴のつぶやきに答えると物欲しそうな目で見られたので真琴にカップをを差し出す。
真琴は自分のスプーンで俺のアイスクリームを掬うとパクリと口に中に放り込んだ。
「おいしい?」
「ん」
「真琴は甘いものが好きだね。俺も嫌いじゃないけどさ」
言葉になりえないような頷きを返した真琴だが、珍しくうなずきの動作が大きい。さすが甘いもの好きの真琴だ。
「じゃあ、俺も食べよ」
そう言いながら俺はスプーンでアイスの表面を削る。高いだけあってスプーンが沈み込むように入っていく。その様に感心しながらアイスを一掬いしてそれを口へ運ぼうとする。
するとキャー! という小さな悲鳴が後ろの席から聞こえた。どうやら後ろに座っている女子が何やら盛り上がっているらしい。真琴はその黄色い悲鳴を聞いてうざったそうにため息を漏らしている。
いったい何の話をしているのだろうと不躾にも興味本位で意識がそちらに向かってしまう。俺はそれを無理やりアイスのほうへ戻しながら口を開けてアイスを放り込んだ。
『告白するなら最終日がいいよ!』
それでも意識を完全にそらすことはできなくて、ふいに聞こえてきた声に驚いて後部座席を振り返ろうとしてしまった。
後ろに座るのはまともに話したこともないクラスメイトだ。だから、いくらそう言った恋愛ごとの話が好きでもそれに参加しようとは思わないし、聞き耳を立ててしまうことはあってもこんな風に体が跳ねるような反応をしてしまうことは誰から見ても異常だったのだろう。事実真琴は俺のほうをいつ別すると、はぁとため息を吐いていた。
もしかしたらまたいつもの妄想癖が出たと思って呆れているのかもしれない。まぁ今までのことがある以上それを簡単には否定しきれない。けれど、今回に関してはそう言った意識はみじんもなかった。
私、告白しようと思ってる。だから協力して。
彼女たちの話を聞いて、そんなことを口にした女の子がいたことを思い出してしまう。
俺は自然と斜め前の席に座る間城のことを見つめていた。
間城は、ソウに告白したいから協力してくれと言ってきた。そう言われた時、俺は反射的に頷いてしまっていた。別に間近で人様の恋を見たいなんて気持ちがあったわけもない。いくら妄想癖を患って長い俺でもそこまで他人の事情に入り込もうとは思わない。そもそも妄想癖だ、実際にその中に入っていきたいわけではないのだから。
ともかく、気持ちはどうあれ協力することを承諾してしまったわけだが、いったい協力とは何をすればいいのだろう。
正直、告白するのに協力も何もないのではなかろうか思ってしまう。何か根回しをしてほしいということなのだろうか。でもそれなら俺よりも真琴のほうがうまくやれそうな気がする。真琴のほうが人の細かい部分を見るのは得意だと思うし俺よりも適任のはずだ。…………まぁ間違いなく真琴は断るだろうけど。
でも本当に協力とは何をすればいいのだろう。
仲良くなるために何かをするというのは違う気がするし、告白の舞台を用意するなんて器用なまねはできない。そもそも告白するにしたって間城自身が呼び出せばいいだけだ。もしかしたら緊張してしまってとか、恥ずかしくてとかそう言った感情があるのかもしれないがそれだっておかしな話だ。中学の時からずっと仲良くしてきた二人だ。今更二人きりになることに緊張する間柄でもないだろう。現に今二人は目の前の席で談笑しているし。
今まで他人の恋愛を見てはいたが、それに自分がかかわるということは考えたことがなかった。だから協力と言われてもいまいちピンとこない。
間城はいったい、俺に何をしてほしいのだろう。
そんな疑問を抱きながら俺は間城の座る座席に視線を向ける。
「……陽人アイス食わないのか?」
「あ、いや、食べるよ」
そんな俺の様子を見た真琴が不思議そうに俺の手元にあるアイスクリームを見ていた。もしかして欲しかったのだろうか。
しかしさっき真琴に一口分けてあげたわけだし、これ以上上げると真琴に全部取られかねない。俺は少し慌てるように溶け始めていたアイスクリームをスプーンですくう。
はた目から恋を見ることは多かったけど、間近で見るのはこれが初めてだ。だからだろうか、自分が告白するわけでもないのに妙にドキドキしている。
ソウは今誰かと付き合っているわけではない。それは先日買い物に行ったときに聞いていた。だから別に間城を止める理由はない。それが本当だという確証もないし、立花さんのことを応援するならば何か思うところがあってもいいのかもしれないが、それはそれだ。告白するしないは本人の自由だし、それを受け入れる受け入れないはされた人の選択だ。
だから、止めようとはしない。むしろそれを見たいと思ってしまう。
自分の悪いところだと自覚してはいる。けれど俺はやっぱり恋を見るのが好きなのだ。自分にはいまだ縁がないからこそ、見たくなってしまう。
間城の頼みに頷いたときはそんな気持ちはなかったのに、だんだんとそんな気持ちが表れてしまうのだ。
我ながら最低だな、と思いながら苦笑いを浮かべてアイスクリームを口へ運ぶ。
修学旅行中、何をどう協力すればいいかわからないけれど、せめて間城の邪魔はしないようにしようと思いながら咥えたスプーンを口から引き抜く。
「…………甘い」
自分の口に残ったチョコレートの味が脳に届いてそんなつぶやきをこぼす。俺は続けてもう一口アイスを口へ運ぶ。
熱を受けて解け始めたアイスは、より一層甘く感じた。




