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Primula  作者: 澄葉 照安登
第四章 溢れた思いが言葉に変わる
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溢れた思いが言葉に変わる 6

 翌週の月曜日。修学旅行を翌日に控えた今日この日は、みな口々に自由時間にどこを回るか、どれくらいお金を持っていくか、食べたいものはあるかなどを話し合っている。

 それは放課後もまだ遠い朝の教室であっても変わらない。いや、むしろ週明けでみんな修学旅行準備の買い物に行ったからこそこうして言葉を交わしているのかもしれない。そしてそれが話題に上がるのは俺たちの中でも当然のことで、珍しく真琴が口火を切っていた。

「お前ら間城の買い物行ったの?」

「まぁな。俺らは特にやることなかったけど」

 普段と変わらず、不愛想に、興味なさげに、呟くように言った真琴に対してソウがあくびを噛み殺しながら言う。また執筆で寝不足なのだろうか。

「よくそんなめんどくさいことしたな」

 話を続けようと質問とも取れる言葉を口にするがやはり興味があるように見えない真琴は頬杖をついて窓越しにグラウンドのほうを見つめる。

 こうして三人で他愛もない会話を繰り広げるのはいつものことだが、今日は少し状況が違っていて俺とソウの席がある教室の中ほどではなく、真琴の席のある窓際に三人が集まっていた。

「まぁ、気分転換にはよかったよ。新しいアイデアも浮かんだしな」

「そうか」

 ソウが満足げに笑顔を作ると真琴はやはり興味ないと言いたげに低いトーンで相槌を打つ。俺はと言えばソウの言葉を聞いて苦笑いを浮かべている。ああ、やっぱり昨日も執筆で夜更かししていたんだな、と思いながら。

 そんな俺と真琴を置いてソウは満足げな笑みを浮かべたまましゃべり続ける。

「案外面白かったぞ。マコも来ればよかったのに」

「遠慮する」

「マコも小説のネタにすればいいじゃんか」

「現実はネタにできない。理想だけ書く」

「真琴、何かうらみでもあるの……?」

 俺は苦笑いしながらそんな突っ込みをしていた。

「三次元より二次元のほうがいいのは常識だ」

「いや、真琴三次元でも好きなものあるでしょ」

「……………………?」

 俺が尋ねると真琴はしばし考えたのち何のこと、と言いたげに首を傾げた。

「花、好きでしょ?」

「…………それは確かにネタにしやすい」

 俺が訊くと合点がいったと言わんばかりに大きくうなずく真琴。俺とソウは二人そろってなんとも言えない笑いをこぼす。

「ってかそういうハルは小説は進んでるのかよ?」

 すると突然、ソウが思い出したかのように俺に言葉を投げつけてきた。

「え……あー、それは……」

 不意にそうに言われて反射的に何か口にしようと思ったもののはっきりとした言葉が出て行為ママにうめき声にも似た相槌を返す。

「進んでないってことか」

「…………はい」

 ソウに言い当てられて俺は悪戯が見つかった子供のように首を垂れる。

「まぁ、文化祭までに一本書いてくれりゃいいんだけど、書きあがりそうか?」

「…………タイトルしか書けてないです」

「…………」

「…………」

 俺が進捗を口にしたとたん、ソウが黙りこくってしまう。それにつられて俺も口を閉ざしてしまい、普段から言葉数の少ない真琴も口を開かないせいで俺たちの周り一帯から一切の音が消えてしまう。

 いきなりの静寂に目の前にいる目を丸くした友人二人を見つめる。

「そんな顔しなくても……」

 決して攻め立てられているわけではないのに俺はいたたまれなくなってそんなことを口にしてしまう。

「いや、まぁいいんだけどよ……。文化祭までに書きあがるか、それ」

「…………」

 ソウに言われて黙るしかできない。

 文化祭までに書きあがるか、その答えは言わずもがなNOだった。それもそうだろう。夏休み前から原稿用紙を手に取っていたというのに、休みが明けてだんだんと秋に移り変わり始めた九月終盤になっても未だタイトルだけ。ほぼ何も書いていないのに等しい。いつ完成するのかと問われてもいつか、としか言いようがなかった。

「まぁ、あんま長くする必要はないし、その気になれば数日で書けるだろうけどよ」

「それは書きなれてる人だからだよ」

 ソウの言葉に愚痴にも似た何かを返しながら苦笑いを浮かべる。

 書きなれてないという自覚があるならば少しづつでも書いていればいいものを、と自分のことながらに呆れてしまう。

「はぁ、なるべく書こうとはしてるんだけど、どうにも書けなくてさ。こんな展開がいいとか、こういう文章を書きたいとかそういうの以前に、書き出し方がよくわからないんだよ」

『あー』

 俺の泣き言にソウと真琴が揃ってしみじみとした同意の声を上げる。

「確かに出だしはどう書いていいわかかんねぇよな。ここまでどうやってつなげるかー、とか。ここでこの描写入れるにはどう始めるべきか、とか。どのシーンから書けば無駄がないか、とか。そんなこと考えてると書き始めわかんなくなって、俺も書くときはそこで躓くからな……」

「え、そうなんだ」

 ソウからそんな言葉が出てくるとは思わなかったため驚いて聞き返してしまっていた。ソウくらいまで小説を書くことに慣れているとシナリオが浮かんだらすぐに書き始められるものだと思っていたから意外だ。

 俺が不思議そうにソウのことを見つめていると俺の幼馴染は「そうそう」と言いながらニカッと笑顔を浮かべた。

「まっ、とはいっても書き始めちまえばあとはすらすら行くんだけどな。ハルもそのタイプなんじゃねぇの?」

「……書いたことがないから何とも言えない」

 俺は言いながら、たぶんそうとは違うタイプだろうなと直感的に思う。

 おそらくソウは書きたいシナリオがしっかり頭の中で完成するまで書けないというだけなのだろう。しかし俺は違う。話の流れをどうするかなんて決まっていないし、決まっていることと言えば何となく恋愛にしてみようかな、くらいのものである。

 しかし、いつも何か俺を置いて会話を繰り広げていた二人に耳を傾けてみれば、

「伏線とか張るのむずいしな。マコはそのへんどうよ」

「俺は特に何も考えないで書く。好きなシーン書いてれば満足だし」

「あー、それもありかもな。部活とか趣味とかで書いてるだけだし、無理に完ぺきにすることはねえもんな」

 などと伏線の張り方だか何だかの話をしていた。

 俺自身小説を全く読まないわけではないし、むしろ文芸部でソウの作品をいくつも読んでいるので読破した物語の数はそれなりだろう。けれどやっぱりそれはそれ。読むだけならば文字を追っていればできる。物語の流れを見て伏線の張り方がうまいなとか感じないわけではないが、それを自分で書くなんて考えながら読んでいるわけではない。

 伏線の張り方なんてわからないし、うまいシナリオの作り方も、どういう文章が読みやすいのかもよくわかっていない。

 評論家というわけでもない俺はそんなことを考えながら小説に接したことがないのだ。

「……二人はすごいよね」

 不意に、自分の口から妬みとも取れそうな言葉が出てしまっていた。しみじみと、小さくつぶやくような声音だったせいも相まってより一層憧れや嫉妬の入り混じった言葉に聞こえてしまっただろう。

 そんな風に少し不安に思いながら俺の言葉を聞いた二人のほうを見ると、二人は俺を見つめて首をかしげている。

 いったい何のことだと問い返してくるような幼げな視線に苦笑を浮かべて言う。

「二人は小説よく書いてるし、ソウは徹夜してまで書いてるし、真琴も部活中は毎日何時間もパソコンに向かってるし、すごいなって思ったんだよ」

 俺は二人を交互に見ながらそう口にした。

 二人はすごい。それは俺の中の基準で感じたことだけれど素直にそう思った。

 毎日執筆することも、寝る間も惜しんで執筆することも俺にはできないことだと思うから。

 それを実感しながら二人を見つめていると、俺の幼馴染たちは先ほどまでと変わらないきょとんとした顔のままに声をそろえて口にした。

『それ、お前が言う?』

「…………え?」

 二人の言葉に、俺は意味が分からず数瞬の間を開けて聞き返していた。

 三人そろってきょとんとしているとソウが手刀を左右に振りながら付け足すように言った。

「いやいや、俺からしたらお前のほうがすげぇよ」

「…………へ?」

 またも数瞬遅れて疑問符を返す。ソウを見て、その隣にいる真琴にも視線を向けてみると、真琴はソウの言葉にうなずいてため息を漏らしていた。なんで?

 二人の態度と言葉を一向に理解できない俺を見かねてか、真琴がもう一度ため息をついてから俺に言った。

「陽人の妄想のほうがすごいってこと」

「え、妄想?」

 俺が三度疑問符を浮かべると真琴は大きくうなずきを返す。そしてそれに続いて今度はソウが俺に言った。

「ハルの妄想のほうがすげぇって思うぞ。正直羨ましいくらいだ」

「え、妄想が羨ましい?」

 重ねて疑問符を浮かべる。俺の頭の中は疑問符でいっぱいだった。

 妄想がすごい? それは自覚がないわけではない。道端でカップルを見かければその二人のそれまでの関係性、今の関係性、これからの関係性を事細かに妄想してしまうくらいだ。はたから見たら不審者にも等しいだろう。

 けれど妄想が羨ましいというのがわからない。妄想の何が羨ましいのだろう。何も物を使わなくても楽しくなれることだろうか。周囲を見回すだけで幸せになれることがだろうか。というかそもそもこの二人の前でそんなにも妄想を繰り広げていただろうか。そんな表に出るようなことはそうそうなかった気がするのだが……。

 そんな風に思いながら頭を捻っているとソウはいつものように笑顔を浮かべて言った。

「ハルの想像力は、小説書いてる側からしたら羨ましいんだよ」

 ソウは誰も座っていなかった真琴の隣の席に腰を下ろしながら続ける。

「いくら書き慣れててもネタはいくらでも出てくるわけじゃねぇんだよ。なん策も書いてれば同じようなのもそのうち出てくるし、ネタも尽きる。だからハルの妄想力はそういう小説のネタを考えるって意味ではすげぇ羨ましいんだぜ?」

「……想像力じゃなくて、妄想力が?」

 俺が聞き返すとソウがうんうんと頷く。隣の真琴を見てみればいつもと変わらずため息をついていた。なぜそんなこともわからないんだと言いたげだ。

 妄想力が羨ましい。そんなことを考えたこともなかったけれどソウや真琴のように物語を作ったりするいわゆるクリエイター気質な人からすればそういうのもなのかもしれない。妄想が尽きなければネタが尽きることはないだろうし、些細なことで妄想が繰り広げられるのであれば作品は無限に生まれるかもしれない。

 けれど、それだって無限じゃないし、そもそも俺の妄想は何もないところから生み出されるわけではない。

「……俺の妄想って、その辺にいる人を題材にしてるんだけど……」

 それはどうなんだろうと思いながら呟いてみる。

 周りにいるカップル。カップルに限らず仲睦まじそうな男女。そんな人たちを見て俺の妄想は繰り広げられている。本人たちは気付いていないだろうが、目についた赤の他人をそう言ったことの題材にするのは褒められてことではないはずだ。ましてやそれを小説にしたりなんてするのはデリカシーがなさすぎるのではないだろうか。

 そう思って小説を書きなれた二人に視線を向ける。するとソウはやはりいつものように笑いながら口を開いた。

「俺らの小説もそういうもんだよ。真琴の小説の作り方だって現実になりえないことを書いてるってんだから、周りをよく見てないとアイデアも浮かばねぇだろ」

 ソウに言われて真琴のほうを見ると真琴は控えめにうなずいていた。

「それに俺だって既存の物語をモチーフにしたりだとか現実にあるものを題材にしてるんだし、小説書いてる奴なんてみんな自分の経験とかを全部ネタにしてるもんだと思うぞ?」

 ソウがさも当然のように豪語する。そこに誰かの反論はなく、おそらくそれは間違ってなどいないのだろうと直感的に理解する。

 確かにソウの言う通り、何かを題材にするなんて当たり前なのかもしれない。童話や神話を基にするのだってよくあるし、超能力や魔法だってもともと誰かの空想上のものだったはずだ。恋愛だって、現実に起こったこと、起きたかもしれなかったこと、起きてほしかったこと。そういうものをもとにしているのだろう。

だから漫画やアニメ、映画やドラマなんかは人の心を引き寄せるのだろう。

夢や理想、どうにもならない現実をもとにしているから魅力的に映るのだろう。

それは、俺の妄想も根っこのところでは同じだ。

自身に未だ訪れてはくれない初恋への強い憧れ。それを他人の恋愛を見ることで一時的に満たしている。

確かに、そう考えると妄想力が豊かなのが羨ましいというのは、理解できないわけじゃない。

俺がそれをかみしめるようにうなずいているとソウが自嘲気味に付け足す。

「……まぁ、何でもかんでもネタにできるかって言われたらそうじゃねぇかもしんないけどな」

 視線をソウに向ければ、ソウはやはり自嘲気味に、困ったようにも見える笑顔を浮かべていた。

「……そういうもの、なのかな?」

 あまりクリエイター気質と呼べない俺はいまいち理解できないままに曖昧に頷く。

 そんな俺に、ソウがいつものように笑顔を浮かべる。

「そういうもんだよ。だからハルも妄想そのままに書いてみりゃいいんだよ。まぁ、それでなくても書きたいもんがあるならそれでいいけどな。……とにかく文化祭までに一本完成させてくれよ?」

「ははは…………。善処します」

 任せとけと胸を張って言うことはできないが、とりあえずは頑張ってみるということだけ伝える。

 すると、キンコンカンコンと耳慣れたチャイムの音が響く。時計を見やれば時刻は八時二十五分。朝のホームルームまであと五分を知らせる予鈴のチャイムだった。

「まぁ、がんばってくれよー。……そういやマコ、俺の新作読んだか?」

「読んだ」

「おっ、感想聞かせてくれよ」

「ん」

 予鈴のチャイムが鳴ったというのにソウはおろか、教室にいる誰しもが自分の席に戻ろうとはしない。まだ予鈴だから、あと五分あるからとみんな惜しむように会話を続ける。その大半はやはり修学旅行のことで、まったく関係ない小説の話をしているのなんかソウと真琴くらいのものだ。

 そんなちょっと異質にも見える二人に苦笑いを浮かべながら、窓際の席ではない俺は珍しく窓から真下の下駄箱のほうへと視線を向ける。予鈴が鳴ったためまだ校舎内に入っていない生徒は速足に校内へと駆けこんでくる。とはいってもほんの数人程度のものだが。

 坊主頭の男子生徒に茶髪の男子生徒。そこから少し離れたところにこげ茶色の髪の毛を揺らしながらかけてくる女生徒が見える。別に知り合いというわけではないがなんとなくその人を目で追って、ほかにも生徒の姿がないかと視線を動かす。

ふと、彼女の姿を探してしまった。

おとなしい、黒髪の背中まで伸ばした彼女のことを。

 彼女に似た姿を見たわけではない。けれど探してしまった。

もう予鈴もなっている。彼女がまだ学校内にいないほうが可能性が低いことだとわかっている。けれど探してしまった。

 もしかしたら遅れてぎりぎりに来るかもしれない、そんな風に思ったわけではないのに、探してしまっていた。

「ハル、そろそろ戻るか」

「え、あ、うん」

 そうこうしているうちにホームルームのチャイムまで一分ほどになっていたらしくソウに声を掛けられてようやく視線を教室へと戻す。

 そうしてソウに言われるままにいつもの教室の中ほどの自分の席へと戻っていく。

ギギギと余暇を擦りながら椅子を引いて席に着く。すると見計らったかのようにチャイムが鳴って担任の先生が顔を出してホームルームが始まった。

ホームルームの話も修学旅行で羽目を外しすぎないようにとかそんなことを口うるさく言われた。けれど、 誰もそれを重々しくは受け取っていないようで軽々しい返事が教室にこだました。

俺はと言えば、口も開かずにぼーっと先生のほうを見ていた。

なんで、彼女の姿を探してしまったのだろう。

 不思議には思ったものの、同じ部活の仲間で見慣れた人だからと自分の中で勝手に結論付けた。同じ部の後輩だから、無意識に探してしまっていたのだと、決めつけた。

 ほかにも、女の子の部員はいるというのに。


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