溢れた思いが言葉に変わる 5
『……はぁ』
俺たちは安堵とも疲労ともとれるため息を吐いて出口のほうへとつま先を合わせる。
「なんか、疲れんなこういうの」
「そうだね」
言いながら俺たちは早足に店の外へと向かう。あのまま待っていてもいいのかもしれないが、間城がレジへ向かってしまった今女性用水着のコーナーに男二人で突っ立っているのは大変よろしくないので一刻も早く離脱したかった。
俺たちは早足に店を出ると、ちょうど出たところにある吹き抜けの手すりにもたれかかる。
「でも、意外だったよ」
「は? なにがよ?」
ソウが俺の問いに対して怪訝そうな声を返してくる。俺は苦笑いしながら変な意味じゃないよと手を振りながら説明する。
「ソウって、こういうの気にしないタイプかと思ってたから」
ソウの見た目は、どちらかと言えばやんちゃそうな、悪く言うなら不良とも取れる容姿をしている。明るい髪の毛にカジュアルな服装。学校ではシャツを遊ばせているししゃべり方もどこか軽々しい。
そんな印象を受けるソウだからこそこういった、水着を見たりするのに何か感じるタイプではないと勝手なイメージを持っていた。
幼馴染とはいってもこれまでずっと一緒に居たと言えばそうではない。中学では学校が違ったため一緒に居る時間はかなり少なかった。だからこそ、知らない間にソウに何かがあっても俺に知るよしもないのだ。
「気にしないわけないだろ。俺彼女いたこともねぇんだし耐性ねぇよ」
「……そうなんだね」
そうは言われてもソウの女性関係がどうだったかなんて聞いたことはなかった。俺から尋ねることも、ソウから口にすることもなかった。だから知っているはずなんてない。知っているのは、一緒に居る時間が多かった小学校以前のこと。そして高校に入ってからのことだけだ。
「俺は小説が恋人だよ」
「………そっか」
俺はそう口にしながら頭の中で立花さんのことを思い浮かべた。そうか、立花さんとは付き合っているわけではないのか。なら、あれは本当にお互い気付いていないだけの両想いってことなのだろうか。
そう思ったが無駄なことを口に出さないようにと口を紡ぐ。するとソウが自虐するように空を仰ぎながら言った。
「ってか、こんな小説のことばっか考えてる彼氏なんて嫌だろ。一緒に居るだけでネタにされんぞ」
「いや、気にしなくていいんじゃないの、そういうのは」
人それぞれだし、女性の気持ちなんてわからないから断言はできなかったが、あまり気にすることでもないんじゃないかと思った。
けれどソウは「どうだかなー」と言いながらもう一度自虐的に笑った。
するとそんな俺を見てソウが何を思ったのか、わけのわからない質問をしてきた。
「……お前は、彼女とかいねぇの?」
「え? なんで彼女?」
聞かれて反射的に聞き返すしかできなかった。まさかそんな質問が来るとは思っていなかったから。
「そう。いねぇの?」
「いないよ。いたらソウには言ってるよ」
当たり前だろと視線で言ったソウにいつものように苦笑いを浮かべて言った。報告しなくてはいけない義務もないので実際ソウたちに言うかどうかはわからないが、隠すほどのことでもないだろうからそう答えた。
そもそも、俺に彼女ができるなんてことがあるのだろうか。初恋もままならない。恋愛のれの字も、恋のこの字も知りも見もしないこの俺に。そんな相手ができるのだろうか。
そう思いながら俺はふっと乾いた笑いをこぼした。
いつか、誰かを好きになる時が来るかもしれない。けれど今はまだそれを知らない。
遠い未来。もしかしたら今まで観察して妄想を繰り広げてきた名も知れない人たちのように。恋をして、誰かに告白して、付き合うことがあるかもしれない。けれど、やっぱりそれは、今の俺には幻に等しいものだった。
隣のソウを見れば、間城の帰りを待っているからか、先程までいた水着ショップのほうへと視線を向けていた。つられて俺もそちらのほうを見てしまうが、視界に入った下着のようなシルエットに思わず視線を逸らした。
ふうと一つ息履いて、何の気なしに水着ショップとは吹き抜けを挟んで向かい側の服屋へと視線を向けた。気恥ずかしさから逃げようとしたわけではない。本当に何の気なしに何も考えず、なんとなく視線を向けてみただけだった。
けれど、俺の瞳が、誰かの姿をとらえた。
「…………永沢さん?」
視線の先に思いがけない人影を見つけてしまい、気付いた時には口に出してしまっていた。
見間違いかもしれない。そう思いながらじっとのそ人影を見てみる。けれど瞬きを繰り返しても、目を擦ってみても彼女の姿に違いなかった。
「は? 楓ちゃん?」
俺の声につられたのか、さっきまで間城の姿を待っているだけだったソウが俺と同じように向かいにあるアパレルショップへと視線を向ける。そして睨むように目を細めて後輩の姿をとらえようとしている。
「…………どこ?」
しかしそれでも見つけられなかったのか目を細めながら俺に訊いてきた。
「いやどこって、あそこだよ」
「あそこってどこだよ」
「そこだって」
そう言いながらぶしつけに俺の視界に留まっている永沢さんを指さす。
俺の指先は衣装ラックの間、人が行きかう狭い通路のところを指している。人の影になっていて見つけにくいのだろうか、ソウはいまだに体をよじりながら永沢さんを探している。
するとその時、俺の視線に気付いたのか、それともソウの妙な動きが視界に入ったのか永沢さんがチラリとこちらを向いた。
目が合ったかと思った次の瞬間には永沢さんも俺たちのことに気付いたらしく目を見開いて小さく会釈してくれた。俺はそれに手を振るでもなく軽く微笑んで返す。見かけた当初こそ驚きはしたが、別に何駅も離れているわけでもないということを思い出してこんな偶然もあるのかなと勝手に結論付ける。
「あ、いた」
そこでようやく永沢さんを探して視線を彷徨わせていたソウが永沢さんの姿をとらえる。ようやく永沢さんに気付いたソウは俺に遅れて手を振って挨拶していた。
それを確認したらしい永沢さんはもう一度会釈して衣装ラックの間に消えていった。
永沢さんの姿が見えなくなったのを確認すると手を振るのをやめたソウが「はぁ」と一つため息をついて俺のほうを向いてきた。
「…………お前、よく見つけたな」
「ソウは執筆のし過ぎで目が悪くなってるんだよ」
呆れたような、感心したような声色で聞いてきたソウに俺は茶化し気味に答える。人の影になっていて見つけにくかったのかもしれないが見知った顔だ。見つけるのに時間がかかるようなことはないだろう。むしろなぜそんなにも時間がかかったのかと問いたくなるほどだ。
「いや、それぜってー関係ねぇから……」
「いや、関係あるでしょ」
俺は苦笑いでソウに突っ込みを入れると、ポケットに入れたスマホが俺を呼んだ。その呼びかけに答えて画面を見てみれば、夏休み最後に交換した永沢さんの名前が表示されていた。
なんだろうと思いながらメッセージを開いてみる。
『こんにちは、直接あいさつに行けなくてすみません。先輩たちもお買い物ですか?』
SNSを開いてみれば、そんな当たり障りのないメッセージが届いていた。けれど、そんな当たり障りのない、どこか社交辞令にもとれるメッセージでも、俺の頬はわずかにほころんだ。
『そうだよー。修学旅行の買い物に来てるんだ』
俺は若干紅潮した気持ちをそのままにメッセージを送り返した。声は聞こえない、文字も手で書いたものではない。けれどすぐ目の前で会話しているかのような気分になってしまって俺は余計に顔をほころばせる。
「なぁハル……」
そんな俺を見て何かを思ったらしいソウが手すりに肘をついて突っ伏すような姿勢になる。なんだろうと思いながらスマホをしまってソウのほうに視線を向ける。
首をかしげながらもソウのほうを向いたものの、ソウはいまだに向かいにあるアパレルショップへ視線を向けていて言葉の続きを口にしない。
いつもと少し違う空気感に若干の疑問を抱くがそれをソウの言葉の続きに対するものに上書きしてソウの言葉を待つ。
けれど、ソウの口から出たのは、ついさっきまで口にしていたからかい文句だった。
「お前、好きな奴いねぇの?」
「いや、いないって」
改まった雰囲気に少し身構えていたせいか体の力が一気に抜けていくのを感じた。何か重要な話でもするのかと思えばまたさっきの続きなのかと若干期待外れでもある。もしかしたらソウのコイバナが訊けるのではと思っていたから。
「ふーん」
ソウは適当な相槌を打ちながら俺のほうを訝しげな瞳で見つめてくる。けれどそれは、いつものからかっているときのような愉快な感じではなく、直前に俺が思ったように期待外れ、とでも言いたげな視線だった。
「…………なに?」
そんな何か言いたそうな視線に耐えられなくて俺はついつい聞き返してしまった。するとソウは、もはや最近聞きなれてしまったからかい文句を再度口にした。
「楓ちゃん、好きなんじゃねぇの?」
「違うよ。そんなことないって」
俺は即答して苦笑いを浮かべる。
間城にも最近よく言われるせいか大して驚かなくなってしまっている。そんなによく言われているんだと実感して余計に苦笑いが濃くなってしまう。
「違うのか」
「違う違う」
俺は言いがら手刀を左右に振ってこたえる。
何度もそんなことを言われて聞き飽きてしまったが、だからと言って俺の答えは変わったりしない。
俺は永沢さんのことを好きではない。
そう言ってしまうとかなり語弊があるが、ソウの言う好きという言葉に対してはそう答えるのが正しいのだろう。ただ、正確に言うのであれば。俺は永沢さんのことを異性として見ていない、というところだろう。それも失礼極まりないが。
いつか永沢さん自身にも聞かれた。下心がないのかと。
あの時答えた通り、俺の心にやましいことは何一つとしてない。
失礼ではあるが、俺は永沢さんを異性として意識してはいない。
それは、彼女と初めて会った時から少しも変わっていない。
周りから意識させるような、けしかけるようなことを言われても変わらない。
「……いまだに恋に恋してますからね」
だから俺は冗談めかしてそんな風に口にする。
自分がずっと前から憧れている恋は、いまだ見つからない。いつか見つけられる時が来るのだろうと未来に期待しているだけだ。一目惚れも、両思いも。
そんな俺に呆れているかと思いながらソウを見たが、ソウは俺を見定めるような視線を見回した後、いつものようにニカッと笑った。
「……まっ、それならそれでいいけどなっ。いつかできるといいな、そんな恋が」
「そうだね」
ソウに言われて微笑みながら吹き抜け越しにショッピングモールのガラス張りの天井を見上げる。
俺はまだ、恋に憧れているだけ。自分の目の前にそれは現れていない。
一目惚れがしてみたい、そんな風に今でも思っている。
あふれるような強い思いを抱いてみたい、ずっと前から思っている。
一日中、その人のことを考えてしまってほかのことが手に付かなくなってしまうような、ずっと一緒に居たいと思ってしまうような、そんな恋がしたい。それがずっと昔からの俺の願望だった。
けれど、俺はいまだに恋に恋するだけの、女々しい男子高校生なのだ。
初恋すらままならない。空想や創作の中、はたまた全く面識のない他人の恋愛模様を観察することでしか恋を見たことがない、そんな人間なのだ。
まだ、妄想の延長線上。小説として文字を起こすこともままならないほどの曖昧で不安定な空想の中の存在。いまだにそれが目の前に現れたりはしないのだ。
だから――。
俺はまだ、恋を知らなかった。




