溢れた思いが言葉に変わる 3
「私たちも沖縄行きたいですー」
放課後。部室に集まっていつものように談笑していると、俺たち二年生の修学旅行に参加することのできない立花さんが唇を尖らせながら不貞腐れたように呟いた。
「まぁ、二年生の行事だからね」
「それはそうですけど、やっぱり羨ましいものは羨ましいですよ」
わかってはいる、そう口にしながらもやはり立花さんは不満そうに肩にかかったの髪の毛をいじっている。
目の前に美味しいものがぶら下がっていたら食べたくなってしまうのと同じで、自分の目の届くところに魅力的な修学旅行というイベントが転がっていたらそれはそれで羨ましく思ってしまうものなのだろう。ましてやそれが透明なガラスに覆われ、自分には絶対に届かいものだと知ってしまったのらなおさら。
そんな彼女を見て気の毒に思ったわけではないが、幼子をあやすような感覚で口を開く。
「ちゃんとお土産買ってくるよ」
「いいものお願いします!」
俺が言い終わると同時、俺のことをじっと見つめて立花さんは期待に満ちた瞳で俺に言った。俺が言い出したことなのだから俺に言うのは自然なことだとは思うが、ほかにも修学旅行に行くメンバーはいっぱいいる。何なら話題づくりもかねてソウに話を振ればいいのではと思わないでもない。
「あ、うん」
しかし、真っすぐに見つめられてしまった以上彼女の期待を裏切ることはできずに俺はたじろぎながらも首を縦に動かした。
「でも、沖縄のお土産って何ですかね? 沖縄の名産品ってなんでしたっけ?」
「ゴーヤとか、パイナップルとかかな……。あとはサトウキビ?」
「先輩なんで食べ物ばっかりなんですか。せめて食べ物でもお菓子とかにしてくださいよー」
「あ、ごめん。今日調理実習したから」
そう言いながら俺は苦笑いを浮かべる。
本日行われた調理実習もまた修学旅行の前準備という奴だった。今日の調理実習のテーマは沖縄の食べ物、料理とのことで俺たちはゴーヤチャンプルなんかを作っていたわけだ。ちなみに時間に余裕は無かったもののしっかりと美味しいものが完成した。久々に学校で暖かいものを食べたから余計においしく感じたりもした。
「あー、調理実習な。みんな不器用で大変だったな」
「総だって特になんもやってないでしょ。殆どうちがやったようなもんだし」
ソウが思い出したように笑うとそれに対して間城が文句を口にした。
ソウの言っていることは否定のしようもないが、間城の不満ももっともだった。
結局あの後炒めたり盛り付けたりなんかの作業は全部間城にやってもらう形になった。俺と真琴は料理なんて素人以下の腕前だし、盛り付けセンスなんて皆無だ。手伝おうとはしたものの前衛的なデザインになってしまったため間城に下がっていろと言われる始末だ。
そしてソウはと言えば、真琴が米を砥石で研ごうとしたという話で笑い転げてしまっていて一歩も動けない状態だった。もうそれはひどい有様。何か病気なんじゃないかというほど肩を痙攣させながら荒い呼吸を繰り返して瞳には涙をためる。一番料理慣れしているであろうソウが一番使い物にならなかった。
「あれは悪かったよ。だから洗い物なんかは俺がやったろ」
「まぁ、それはそうだけどさ……」
ソウが昼間のことを思い出したように笑いながら言うと間城は少し不服そうに呟いた。
「総先輩って料理できたんですか?」
しかしその呟きをかき消してしまうほどに大きな驚き声をあげて立花さんが身を乗り出してソウに詰め寄る。あー、これはアピールなのかな。
「ん? できるよ? 普段から料理してるし」
「へー、そうなんですか? 先輩って実は家庭的なんですね」
「まぁなー」
そう言いながら得意げにニカッと笑うソウ。立花さんはそんなソウを見て感心したようにはーっと息を吐いている。これは恋のため息なんですかね?
そんなくだらないことを思っていると立花さんが思い出したように顔を上げて首を傾げた。
「あれ? でも、みんな不器用ってことはもしかして松島先輩料理できないんですか?」
「うーん、料理はあんまりしないし、とてもできると言える腕前じゃないかな」
立花さんに不思議そうに見つめられて、俺は苦笑いで返すしかない。
「へー! なんか意外です。どっちかっていうと総先輩が家事とかできなくて、彼女とかできたらそういうの彼女に全部やらせてふんぞり返ってる感じで、松嶋先輩がそういうのできる人だと思ってました」
「美香ちゃーん? さらっと俺のこと貶してるよね?」
立花さんが偏見に満ちた見解を口にするとソウが若干肩を落としながら突っ込んでいた。いや、ソウの出で立ちからは料理が得意という家庭的な面は想像しにくいのは確かではある。
俺は日に当たって金色にも近い光を放っているソウの茶色い髪の毛を見ながら苦笑いを浮かべる。
「冗談ですよー。……でも、松嶋先輩ができないのは本当に意外です。なんか松嶋先輩は女の子っぽいというか、しれっと家事とかできる感じだと思ってたんで」
「いや、本当に料理とか苦手なんだよねー……。ていうか立花さんそれ俺のこと女々しいって言ってない?」
「あ、いや、その、乙メンだなって思ってただけですよ! 本当です!」
ソウの時と違って本気のフォローをされてしまう。そのせいで本心から出た言葉で俺が感じたことも間違いではないんだなと確信できてしまって隣で肩を落としていたソウに倣って俺も同じように肩を落とす。
なんだかわからないけれど立花さんはたまに毒を吐く。最近になってそれがわかってきたような気がする。そのほとんどはからかいだったりネタであったりするのだが。もしかして聞き間違いやら気のせいの類かな、などと現実逃避をしてみるが俺自身が言われたことはなかったことになりはしない。女々しいか……。まぁ、男らしくはないかもしれないけれど……。
「あ、じゃあ原先輩はどうなんですか? 料理とか得意なんですか?」
俺がため息をつきながら苦笑いを浮かべているとそんな俺のことを気遣ったのか立花さんが話の矛先を変えてくれた。しかしその変えた先が少々よろしくない。
「あー、真琴は……」
「ふふっ……」
俺はうかがうように真琴のほうを見つめ、ソウはその言葉だけで昼のことを思い出したのか笑いを必死にこらえている。
「……………」
教卓の所にいる真琴は俺たちのほうに視線を向けるが、それも一瞬のこと。すぐに手元のノートパソコンへと視線を落としてしまう。
「……原先輩って、いつも熱心に書いてますよね。あんまり邪魔しないほうがいいんですかね?」
「あー、そうだね。あんまり邪魔すると真琴怒るかもしれないし」
とりあえずこの話を終わらせてしまおうと適当に口にする。
昼に続いてここでもネタにされまくったら真琴も不機嫌になること間違いなしだろう。というかソウはその話をおんぽい出しただけでもう呼吸困難になっているし。
「とりあえず、お土産のはなしだよね。何か欲しいものあるの?」
とにかく話を変えて立花さんの興味を逸らそうと修学旅行らしい質問をしてみる。すると彼女はぱっと顔を輝かせて俺のほうに身を乗り出した。
「え、ほしいものですか? もしかして買ってきてくれるんですか!?」
「お土産の範囲内ならね」
キラキラと目を輝かせる立花さんに若干圧倒されながらもうなずく。そして立花さんの隣、俺の正面に向き合うように座っていた黒髪の彼女のほうにも視線を移して同じように言う。
「永沢さんも、何かこれがいいっていうのあったら言っていいよ?」
「え、私は何でも……」
俺が視線を向けると永沢さんは手を小さく振って遠慮する。
「あ、私サーターアンダギーがいいです!」
たいして立花さんは遠慮のえの字も知らないと言った様子で自分がほしいものを溌溂と頼んでいた。
「サーターアンダギーね。わかったよ。永沢さんはどうする?」
「えっと、私は……」
「高いものじゃなければ何でもいいよ?」
「紅芋タルト、を食べてみたいです」
「タルトね。買ってくるよ」
俺が言うと永沢さんはありがとうございますと言ってぺこりと頭を下げた。
「…………」
とりあえず買ってきてほしいものは聞いた。ほかに何か話したいことがあるわけではない。話さなきゃいけないこともない。
けれど、なぜかこのまま彼女との会話を終わらせてしまうのが嫌だと感じて妙な間が空いてしまう。
「……じゃあ、お土産らしいものを買ってくるよ」
結局何も言葉が出てくることはなく、そうやってお土産の話題を打ち切った。別におかしいことなどないのに、少し寂しいと感じてしまう。それはきっと、これから数日間彼女と…………彼女たちと声を交わすことができないと知っているから。ただそれだけの理由だ。
そう思って一つ息を吐いて二人を見ると、二人は示し合わせたように同じタイミングで頷いてくれた。
「松嶋は律義だね。何がほしいか聞くなんて」
俺が二人から視線を戻していつも通り机に出した原稿用紙に視線を向けようとしたら間城がそんな風に言ってきた。
「え? そう? お土産ってそういうものじゃないの?」
「いや、それお土産っていうかプレゼントじゃん」
「あ、確かに言われてみれば……」
相手に何がほしいか尋ねてそのリクエストに応じたものを買って与える。プレゼントと何も変わらない。けどお土産というのもプレゼントと大差ないものだと思うってしまう。というかお土産だって頼まれるから買ってくるようなもののような気がする。俺だって中学の修学旅行で親に頼まれたりしなければお土産を買ったりしなかっただろうし。部活に入ってもいなかったのでお土産を買うような相手もいなかったわけだし。
「あっ、私プレゼントなら欲しいものあります!」
「え? お土産じゃなくて?」
俺がお見上げの定義を考えていると立花さんが思い出したように声を上げた。というかお土産の話していたのにプレゼントの話にすり替わってる。しかしそんな突っ込みを入れたところで楽しそうに声を上げた立花さんを止めることはできないだろうし、もとより止める気もない。だから俺は彼女に言葉の先を促した。
「ネックレスとか、ピアスとかほしいです!」
「あー、アクセサリーか」
それを聞いて立花さんらしいな、などと思ってしまう。
「あとは指輪とか!」
「それは彼氏に買ってもらってね」
俺は反射でそう答えていた。いや、指輪に限らずアクセサリーなんかは恋人に買ってもらったほうがいい。何ならお揃いにして二人で身に着けたほうがいいだろう。そう思いながら俺は隣でようやく呼吸を落ち着け始めた幼馴染のことを見た。どれだけ笑っていたんだ。
たぶんこれは遠回しにソウに買ってほしいという願望が現れているんだろう。むしろ遠回しにそう言っているととってもいいのではなかろうか。ソウ、思い出し笑いしている場合じゃない、早く買ってあげなさい。
「彼氏ですかー。……そういえば修学旅行って告白する人急増しますよねー」
そう立花さんが口にした瞬間、俺の視界の端にいた間城がピクリと肩を震わせた。しかしわずかな動きだったためそれは誰にも気づかれなかったらしい。
「先輩たちもそういうの無いんですか? 誰かに告白するとか」
「どうだろう。とりあえず文芸部の三人はしないんじゃないかな?」
そう言いながら俺は隣のソウと教卓のところにいる真琴を交互に見比べた。
ソウに関してはクラス内の女子とどうとか、学年の中の誰かと仲がいいとかそういうこと以前に立花さんに気があるんじゃなかろうか。立花さんが入部してからずっと疑わしい行動ばかりしてきたし、少なくとも邪険にしているところは見たことがない。だからソウが誰かに告白するというのは考えにくい。真琴は毎度ながら女子どころかクラスメイトにすら興味を示さないので疑う要素すらかけらもない。
「えー、先輩そういうの無いんですか?」
「え、俺? ……告白、か……」
俺は立花さんに問われて考えてみる。
俺自身が誰かに告白する。そんな場面がいつか来るのだろうか。ずっと恋に憧れ続けている俺が、誰かを好きになって、恋人になりたいと思う日がいつか来るのだろうか。
そしてその相手はどう答えるのだろうか。恋人になってくれるのか、それともなってくれないのか。そんな風に考えた俺の頭には、なぜか揺れる黒髪が浮かんでいた。
俺は彼女のほうを向きそうになるが、意識して立花さんのほうへと視線を合わせる。
「俺はそういうのはないかなー。今気になる人もいないしね」
「へーっ、そうなんですかー」
俺の答えを聞いて、何故か立花さんは少し嬉しそうだった。
「じゃあ、先輩たちは修学旅行が終わっても独り身ってことですね」
「まぁ、そうなるかな」
俺はもう一度これから一緒に修学旅行に行く二人を見ながら苦笑気味に答えた。
修学旅行。それは二年生の俺たちにとっては一大イベントだ。それを期に思い人に思いを伝える人も決して少なくはない。大きなイベントごとは、自身の決意を後押ししてくれ力強いものになるのだろう。
けれど、男の俺たち三人はそんなこと考えもせずに修学旅行先である沖縄でどんな観光をするかばかりを考えていた。
ある女の子の、ひそかな決意など知りもしないまま。




