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Primula  作者: 澄葉 照安登
第四章 溢れた思いが言葉に変わる
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溢れた思いが言葉に変わる 2

 耳慣れた一日の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。それを合図に黒板に板書していた先生がその手を止め俺たち生徒のほうへと向き直る。

「よし、じゃあここまでだな。号令」

 背の高いガタイのいい男の先生が言うと日直がクラス全員を立たせ一礼させる。

 号礼が終わるなり皆自分の机に広げていた教科書やノートをしまって帰り支度をすませる。これから部活にいそしむ者たちは我先にと教室を飛び出していく。そんな活発な生徒たちを見送りながら、そんな彼らと同じように俺たち三人も殺風景なあの部室へと向かおうと席を立つ。

「んじゃ、さっさと行くか」

 ソウが言うが早いか立ち上がり、学校指定の学生かばんを肩に担ぐ。唯一窓際の離れた席にいる真琴も早々と支度を済ませて俺の机の横までやってきていた。

 二人を待たせまいと俺も少し急ぎ目に鞄に荷物を放り込んで席を立ちあがる。

「あ、ちょっと待って三人とも、うちも行くから」

 と、用意ができて立ち上がるといつもはさっさとバイトへ向かってしまう間城が珍しく声をかけてきた。

「ユサ今日はバイト休みか?」

「そういうことー」

 タッタと小走りで俺たちのもとまでやってきた間城がソウの真横を陣取る。

 ソウが自身のもとまでやってきた間城の姿を確認すると「行くか」と言って先陣を切って教室を出る。

 ソウと真琴と三人で部室に向かうことはよくあることだが、そこに間城が加わるのはとても珍しいことだ。夏休みの期間中は間城もよく部室に顔を出していたのだが、休みが明けてからは数えるほどしか部室に足を運んでいなかった。なのでこうして部室に一緒に向かうのはとても久々で珍しいことのように思えてしまう。そして同時に、普段からバイト三昧の間城から何か誘いが来ることも珍しいことだった。

「あ、そうそう。三人とも今週の土曜日暇?」

 教室を出てすぐ、間城がそんな風に切り出した。俺とソウは間城のほうを振り返って首をかしげる。

「土曜? なんかあんのか?」

 ソウが疑問を口に出すが、間城は手を前に出していやいやと振っている。

「何かあるってわけじゃないんだけど、買い物に付き合ってもらえないかなってさ」

「買い物?」

 突然の誘いにソウだけでなく俺も素っ頓狂な声を上げる。

 普段から出かけの誘いを口にしない間城が、買い物をしようと持ち掛けてきたのだからそんな声も出てしまうだろう。

 しかし間城はそんな俺たちの反応にもお構いなしで言葉を続ける。

「そうそう。三人も買い物とか行くんじゃないの?」

「買い物って……あー、そういうことか」

 ソウが呟くように言ってようやく合点がいったという顔をする。俺もそれに続いてようやくなぜそんなことを言い出したのかと理解する。だが、

「ほかの女子と行けばいいんじゃね? なんで俺らなんだよ」

 ソウがわけがわからないといった様子で間城に尋ねると間城はきょとんとして返してきた。

「え? 別によくない? 三人ともそういうの気にするタイプじゃないでしょ?」

 さも当たり前のように言う間城だが、俺たちは困って微妙な表情を浮かべた。

「ユサ、お前何を買いに行くんだ?」

 おそらく俺と同じように懸念を抱いたのであろうソウが確認を取るように尋ねる。

「んーと、とりあえず水着かな」

「いや、それなら女子と行けよ。男子に囲まれて水着買いに行くとかかなり頭おかしいぞ」

 ソウが言いながら呆れた様子でため息を吐く。

 そんなソウの様子を見て間城がまたもきょとんとしていたが。何かを思いついたのかはっとしたと思うと次の瞬間にはニヤニヤと顔をゆがめ始めた。

「もしかして、そういうの意識しちゃうわけ~?」

 からかうようにソウの顔をのぞき込む間城。ソウはのけぞるように距離を取りながら顔を逸らしている。

「別にそういうわけじゃねぇけど。周りから見て変な光景なことは間違いないだろ」

 ソウが顔を逸らしながらそう言っているが、心なしかその頬が赤くなっている気がしないでもない。なんだか新鮮だ。そう思いながら傍観していると、俺の少し後ろを歩いていた真琴が急に歩調を上げて俺たちの先頭へと躍り出た。

「鍵持ってくる。先行ってろ」

 真琴は肩越しに振り返って呟くように言うとさっさと廊下を歩いていって階段の向こうに姿を消してしまった。

「原君どうしたの?」

 間城が真琴の様子を見て不思議そうに聞いてくる。もしかしたら真琴が不機嫌になってしまったようにでも見えたのかもしれない。一応一年以上同じ部活にいるとはいえ真琴と間城はほとんど喋ったりはしないし、顔を合わせる機会自体が少ない。はた目から見たら真琴は常時不機嫌そうに見えるだろうし、あんなぶっきらぼうな言い方をされてしまえばなおさらだ。

 間城の様子を見る限り悪印象というよりは疑問を抱いているだけのように思えるが、一応俺の見解で説明しておこうと口を開く。

「あー、たぶん興味ないだけだと思うよ」

「なるほど」

 間城が言うと不思議そうな表情をしまってまたニヤニヤと笑顔を作る。

「別にうちは気にしないからさ、一緒に行こうよ。どっちにしろ総だって買い物に行ったりはするでしょ?」

「いや、べつに家にあるもんでもいいんだけどな」

「えー」

 間城はソウの答えが気に入らなかったのか頬を膨らませて不貞腐れてしまう。

「松嶋は? 買い物行ったりしないの?」

「んー、俺も別に買うものはないかな……」

 俺もソウと同じような返答をすると間城がより一層残念そうな顔をする。

「せっかくなんだし新しいもの買ったりしない? そのほうが絶対楽しいってー」

 間城が強請るようにソウに言う。すると仕方ないと言いたげに一つ息を吐いた。

「………まっ、いいか。別に予定入ってねぇしな」

「さっすが総、わかってる!」

 間城が言いながらニカッと明るい笑顔をはじけさせる。なんだかやりとりの強引さが少し立花さんに似ているななどと思いながら苦笑いを浮かべる。

「ハルも別にいいだろ?」

「特に予定もないし構わないよ」

 ソウが振り向きながら俺に訊いてくるので了承の意を示す。それを見た間城がさらに笑顔を輝かせる。

「じゃあ、土曜の一時に駅に集合ね~」

 言いながら間城はソウに向けていた視線をこれから上らなくてはいけない階段のほうへと向けてスキップするように歩いていく。

「ずいぶんと楽しみなんだな」

「んまぁね~。というか二人は楽しみじゃないの?」

 ソウが口にすると間城が心底不思議そうに聞き返してくる。

「楽しみにはしてるけど、ユサほどじゃねぇなー」

 言いながら少し先をはねるように歩いている間城に追いつこうとソウが歩調を上げる。俺も置いていかれないようにとその後を追う。

「松嶋は……あ、彼女と離れ離れになるから楽しみでもないか」

「彼女って誰のことを言ってるの……」

 肩越しに振り返りながら思い出したように口にした間城に呆れながら返す。

「んー、美香ちゃん?」

「付き合ってないから」

「なるほど、キープってことか」

「間城、俺の印象悪すぎるよね」

 俺はため息をつきながら悪態をつく。

 夏休み以来、間城にはこんな風にからわかれてばかりいる。何が面白いのかはわからないが後輩二人と俺をどうにかそういう感じにしたいらしい。悪趣味な。

「でも松嶋さ。好きな人いないの?」

「……いないよ。いまだに恋に恋する男子学生です」

 自虐しながら返すと間城はほーんと大して聞いてもいないと言いたげに相槌を打つ。なんとなく見下された気がしないでもないが気にはならない。そう言った反応は普段から真琴にされているので慣れている。

「本当に違うの? 美香ちゃんと仲いいじゃん」

「別にそんなことないと思うけど。あれはただ単にからかわれてるだけだし」

「えー、いい雰囲気だと思うけどな」

間城が納得いかないなーと言いたげに早足に階段を上り始める。

「本当にそんなことないよ。それにいい雰囲気なら……」

 それは言いながら間城の横を歩いているソウに視線を向けた。

 立花さんと仲がいいというのであれば、俺よりもソウのほうだろう。普段から部室でもよくしゃべっているし、二人の間にはなんとも言えない雰囲気がある。

 俺の視線に釣られて間城もソウのほうを見るが、当の本人は背中越しに向けられた視線に気付いていないらしく歩調を崩さずに階段を上る。

「美香ちゃんのこと好きじゃないわけ?」

「んー、人としては好きかな」

「うわ、めんどくさい返答」

「間城実は俺のこと嫌いなんじゃない?」

 俺が言うと間城ははははと適当に笑い飛ばす。その様子が冗談めいていて少し安心するが、ここ最近このやり取りに疲労を感じることがままあった。

 夏休み明けてから、間城とよく話すようにはなった。今まで全く喋らなかったというわけではないが、ほかの部員に比べれば断然少なかったように思う。言葉数の少ない真琴との会話のほうが多いと思えるほどだ。

 だからというわけではないが、慣れない会話に多少なりとも疲れに似たものを感じている。

 ただ、間城と会話するのが嫌なわけでも、迷惑に感じているわけでもない。間城自身のことを嫌っているわけでももちろんない。

 けれど、疲労を感じずにはいられない瞬間があった。

「じゃ、美香ちゃんじゃないなら楓ちゃんのことが好きなの?」

 間城が口にしたと同時、俺の心臓がピクリと反応する。突然の体内の動作不良に肺のあたりが苦しくなり、呼吸が一瞬止まってしまう。

「そういうわけじゃないよ」

 俺はそれをごまかすようにいつも通りに苦笑気味に返す。すると間城はわざとらしく不服そうな声を上げると満足したのか俺から離れるようにソウの隣に行って何やら話を始めた。その様子を見てほっと胸をなでおろしていつの間にか早くなった鼓動を落ち着ける。

 ここ最近、何故だかこういった話をしていると心臓が跳ねる瞬間がある。別に体に異常があるわけでも、やましいことがあるわけでもないのに鼓動がうるさい。妙に頭が熱くなって息苦しく感じる。

 疲れるという表現は妥当ではないが、自問自答を繰り返してしまって心が休まらない。

 ただのからかいあっているだけ、それはわかっている。だからこそ、自分の体の反応に違和感を感じてならない。

 上履きが階段をさすりながら一段一段と昇っていく。ほんのりとホコリの溜まった階段の表面がさらさらしていて上履きの裏のゴムも滑らされてしまう。

 目の前にいるソウたちはそれなりに来週に控えたイベントを楽しみにしているのであろう。笑顔を浮かべて楽しそうに言葉を交わしている。俺自身、このイベントを楽しみにしていないわけではない。高校二年生で最も大きなイベントと言ってもイベントなのだから楽しみに思わないほうが珍しいだろう。

 けれど、心の底から楽しみにしているかどうかと言われれば自分自身の気持ちに疑問が生まれる。

 楽しみにしているのは紛れもない事実ではあるものの、それでも少し後ろ向きな気持ちがないわけではない。それを自覚しないようにはしているが、ふとした瞬間に思ってしまう。

 来週は数日間、部室で顔を合わせることはできないのだと。

 たった数日間、それも部活は放課後に時間程度。そんな和すかな時間を惜しんでいる自分がいる。

 誰と顔を合わせたいのかすらよくわかっていないのに、そう思ってしまう。この学校に残る部員はたったの二人しかいないというのに。

 九月の最終週――来週には修学旅行が控えていた。


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