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Primula  作者: 澄葉 照安登
第四章 溢れた思いが言葉に変わる
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溢れた思いが言葉に変わる 1

「それじゃあ各班美味しいものが作れるように頑張ってくださいね」

 白衣を身にまとった女教師が班ごとの調理台に集まった生徒たちに向かって言うと、一クラス分の生徒のは~いというやる気なさげな声がこだまする。無論例に漏れず俺たちの班もやる気なく返事をしてから指定された作業に取り掛かる。

「んじゃあハルは材料切っといてくれ。マコは米研ぎやってくれ。ユサはフライパンとかの用意な」

「はいよ」

「ん」

「りょーかい」

 俺たちの班はてきぱきと作業を割り振るソウの指揮のもと作業を始める。真琴は調理台の上にあるボウルを手に取って米と共に調理台の端にあるシンクのところへと移動する。俺もそれに続いてソウに指定された通り材料の準備を始める。

 夏休みも明けてもう早くも十月が見えてきた。気付けば今週のはじめには敬老の日があったし、土曜日には秋分の日が控えている。だんだんと暑さもおさまってきて、天気の悪い日なんかには薄めの上着を着ている人もいるくらいだ。

 そんな週の終わりの見えた木曜日、俺たちは年に数回あるかどうかの調理実習を強要されていた。

 コン、コン、と包丁がぎこちなくまな板を叩く音が聞こえる。それは俺の手元から聞こえてきていて、見れば慣れていないせいか包丁を握る手に無駄な力が入っている。

「ハル料理下手だなー」

「普段やらないから仕方ないよ」

 そう言いながらも役割分担がなされているため与えられた仕事を放棄するわけにもいかない。俺は慣れない手つきでまな板に寝そべっているゴーヤを一口大に切っていく。

「米を洗剤で洗ったりしそう」

「そんなことしないよ。……水流してる時にぶちまけたりはするかもしれないけど……」

「不器用、ふはッ。…………ハル、ちょっと貸してみ」

「え、ああ、はいよ」

 目の前にいたソウが俺の包丁遣いに不安を覚えたのか俺の横までやってきて手を差し出してくる。俺は刃を向けないようにして包丁を手渡しながらまな板の前を空けた。

「あんま力入れずに、押しながら刃を入れんだよ。……ほらこんな感じ」

 そう言いながらソウが実践してくれる。見れば、何の抵抗も感じないかのように刃が入っていく。まな板が建てる音だけでもその差は歴然だ。ソウの操る包丁の立てる音がトントンだとするならば、俺が建てていた音はゴンッ、ゴンッという感じだ。包丁というよりもナタを振り下ろしているようなものに近い。

「ソウはうまいよね」

 俺はソウが手際よく切ってくれているその光景を眺めながら呟くように口にした。

「まぁ、慣れてるからな」

 ソウは誇るでも照れるでもなく当然のことだと言いたげに淡々と材料を切っていく。

「……んじゃ、あとはハル頼むわ」

「あ、わかった」

 まな板に寝転がっているゴーヤの四分の一ほど切ったところでソウが俺に包丁を返してくる。正直このままソウが一人でやったほうが早い気がしてならないのだが、そこは授業の一環としてソウに押し付けるわけにもいかないので素直にそれを受け取る。

 ソウは俺に包丁を渡すとケチャップだのと調味料を用意して何かしらのソースを作り始めた。

 本日の調理実習で作るように指定されたのはゴーヤチャンプルとタコライスだ。俺はゴーヤチャンプルの材料を切る係になっているので今包丁を握っているわけだし、真琴は米を炊く準備をしている。ソウが今作っているソースはおそらくだがタコライスとやらに使うのだろう。というかそもそもタコライスとは何なのだろうか。タコ飯みたいなものだろうかと勝手に想像してしまう。調理台の上にはタコなんて存在していないのに。

「ソウ、タコライスってどんな食べ物なの?」

 いったいどんな食べ物なのだろうと思いながらその姿を想像しては見るものの、一向にあやふやなイメージから変わりはしなかったので料理慣れしているソウに尋ねてみる。

 するとソウは調味料の分量を量りながら説明してくれた。

「タコライスっていうのは、ようはタコス味の混ぜご飯ってとこかな。タコスに使う材料を米に乗せてる食べ物だな」

 言われてなんとなく想像してみる。タコスってどこか外国の食べ物だったよな? 確かメキシコとかその辺の。タコスって確かナンみたいなものに包んで食べるようなものだった気がしないでもない。いや、食べたことは間違いなくないんだけど。

「タコス……ライス?」

「そういうこと」

 俺がうわごとのように言うとソウがうなずいてくれた。

 んー、タコスライスか。タコス自体食べたことがないから味の想像がつかない。ソウが今作ろうとしているソースはケチャップのせいかどうかはわからないが真っ赤だ。ケチャップライスのような味になるのだろうか。

 そう思いながら俺は再び自身のなさねばならない仕事に取り掛かるべくまな板と対面する。

「陽人、ちょっといい」

「へ? どうしたの真琴?」

 今まさに俺の手に握られている刃が苦々しい作物へと振り下ろされようとした瞬間、真琴が調理台に併設されている流しのところから声を投げかけてきた。

「米って、どうやって研ぐんだ」

「…………はい?」

 突然の問いに思わず固まってしまう。え、米の研ぎ方?

 俺は真琴の顔とその手元にある米と水の入った鍋を交互に見つめる。

 米の研ぎ方とは? いや、別に悩むようなことでもない。水を入れてガシャガシャかき混ぜればいいはずだ。けれど、真琴はそれを聞いてきた。

「……真琴、もしかして。料理したことない?」

「ない」

 即答だった。即時に答えると書いて即答。

 どうやら真琴は俺と同じで台所に立ったことのない人種らしい。いやそれでもさすがに米のとぎ方くらいは知ってるけどね。というか真琴もそれくらいは知ってないとおかしくない?

「真琴、小学校とかで調理実習とかやってないの?」

「洗い物担当」

 俺は疑問に思って尋ねてみるとまたしても即答だった。なるほど、確かに料理が苦手な人はそういう役割になったりすることが多いかもしれない。俺も基本的にはそういう役割だった記憶がある。それでもやり方すら知らないということはなかったが。

「……ちなみに真琴、どうやって研ごうとしてた?」

「砥石?」

「一粒一粒!?」

 あらぬ答えが返ってきて驚きに声を荒げてしまう。真琴はよくわからない表情で俺のことをじっと見つめていた。これはまずい。真琴に任せたらご飯がなくなる。団子になるならまだいいが、甘酒にすらならない可能性がある。

 かといって俺も任された仕事がある以上あまりほかのことに手出ししている余裕はない。俺自身料理が得意ではないのだから。

「えーと、研ぐじゃなくて、洗うって考えればいいんじゃないかな」

「洗う」

「あー、洗剤とか使わないでね」

「そんな馬鹿じゃない」

 俺が一応忠告すると真琴は少しすねるように言って流しに転がっているそれを手に取って俺に訊いてきた。

「スポンジとたわしどっち」

「どっちも置いといて。使わないから」

 まさかの事態に俺の脳はフル回転していた。まさか真琴がこんなのも料理できないなんて思わなかった。確かに今まで調理実習中に食材に触れるような分担になったことはなかったが、よもやここまでとは思わなんだ。

 俺と同レベル、いやそれ以上に料理のできない友人に苦笑いを浮かべる。助け船を出してやりたいにはやりたいのだが、俺にその余裕はない。ソウに頼みたいところだが、さっき調味料を図り終えたソウは先生の所へ行ってしまっている。間城に関しては他の班の奴らと談笑していた。仕事して。

 結果、残されたのは料理下手な男二人だけだった。

 まあしかしそれでも米のとぎ方くらいならばわからなくはない。やり方があっているかどうか自信はないが、形上は理解している。なので俺は自分の手を少しだけ止めて真琴にやり方を教えようと試みる。

「えーと、とりあえずそのいっぱいになってる水を捨てて……あっ、米まで捨てないでねっ?」

「そんなことしない」

 言いながら真琴は米を覆ってなお有り余るほど注がれていた水を流していく。真琴の宣言通り、米は流れては行かなくて少しホッとする。

「そしたら指を立てて突っ込んで、ガシャガシャ回せばいい、と思う」

「ん」

 いまいち自信が無かったので最後のほうにかけてフェードアウトしてしまったが、しっかりと聞こえていたらしい真琴は頷いて手を動かし始める。

「水が濁ったら捨てて、また研いでってやって何回かやったら水を既定の量入れて火にかければいいと思うよ」

「ん、わかった」

 言いながら真琴はシャカシャカと音を立てながら米を研いでいく。とりあえずは形上は間違っていなさそうなので俺は自分の仕事に戻ることにする。

「ハル全然進んでねぇじゃん」

「あ、おかえり」

 と、またしても自身の仕事に戻ろうとした瞬間、今度は先生のところから戻ってきたらしいソウに声を掛けられてしまった。

「あんまさぼんなよー」

「いやいや、ちゃんとやってるよ。危機を救ったところだし」

「危機? 何言ってんの?」

 軽口を叩きながらやってきたソウに同じように軽口で返す。俺はまな板の上で寝ているゴーヤを切りながらソウに説明することにする。

「真琴が砥石で米研ごうとした」

「マコ何してんのぷっ、ふはははははははははっ!」

 端的に説明したのだが、ソウは大爆笑だった。いや、たぶん俺も同じように説明されていたら大爆笑だった気がするが。

「実際やってないし」

 馬鹿にされた真琴は不服そうに唇を尖らせて米の入った鍋に水を注いでいる。

「そしたらスポンジとたわしどっち使えばいいとか言い出すし」

「ちょ、マコ最高っ。ふくッ。やばいっ」

 さらに畳みかけるとソウはお腹を掛けながら涙目になって笑っていた。

「あんたら何してんの?」

「あ、間城おかえり」

 ソウの笑い声が響いたからか、ほかの班に遠征に行っていた間城が帰還した。

「ユサ、マコ最高なんだけど。米と砥石で研ごうとしたっ」

「原君マジで?」

 ユサが真琴に訊くと真琴はすねたように顔を逸らした。

「ぷっ、原君面白いとこあるね」

「……総。水どれくらい入れればいい」

 間城が軽く噴き出すと真琴は不貞腐れたようにソウを呼んだ。

 ソウが真琴のほうへ寄って行き、笑いながら説明している。真琴はそれが気に食わなかったのかソウの腹を数発殴っていた。

「松嶋、それはやめに切っちゃってね。うちタコライスの引き肉炒めてるから」

「あ、ごめん、急ぐよ」

 間城に言われて俺はいまだにゴーヤすら切り終わっていないまな板の上を見つめた。

 気付けば周りの班は見なフライパンに火を入れているし、早いところはもう食器を用意し始めていた。

 俺は慌てて、しかし自身の指に包丁を突き立てることのないようにおっかなびっくりに作業を進めていく。

 間城が宣言通りフライパンに火を入れてひき肉を炒め始める。ソウがさっき用意していた調味料をひき肉と同じフライパンに入れてジュージューと過熱する。俺たちの班もようやくガスを使い始めて料理らしくなってきた。

 ソウは未だにケラケラと笑っているし真琴は与えられた仕事を終わらせてぼーっと俺たちの様子を眺めている。ソウだって料理が得意なはずなのにちゃんと料理しているのは間城だけだった。

 けれど誰もそれを咎めたりすることなく妙に明るい笑顔が俺たちの班を包み込んでいる。

 そんな賑やかな雰囲気は決して俺たちだけではなく、ほかの班も俺たちほどとは言わないまでも騒がしくしていた。

 それはきっと久々の調理実習だからではなく、これからあるイベントのことを思って皆胸を躍らせているのだろうと思った。

 そう、俺たちの班にいる唯一の女子生徒も、また。


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