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Primula  作者: 澄葉 照安登
第三章 淡くも確かなつながりを
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淡くも確かなつながりを 10

 岩場でのやり取りをひとしきり終えると時刻は四時を回っていて、だんだんと観光客の数も減ってきていた。

 俺たちもいつまでも茶番劇を繰り広げているわけにもいかないので戻りながらいろいろと見て回ろうと言って動き出していた。

 そして岩屋から出て真っ先に現れる観光スポットはというと。

「恋人の鐘ですねッ!」

 そう、立花さんが前日からずっと楽しみにしていた南京錠を吊るして鐘を鳴らすあれだった。

 俺たちは恋人の鐘と書かれた看板の前に固まっていた。看板には矢印が書かれていて、矢印が指し示すほうはちょっとした丘になっていて少し歩かなくてはいけないようだった。

「立花さん、本当に楽しみにしてたんだね」

「はい!」

 俺が尋ねると満面の笑みを返してくれる立花さん。別に本物の恋人と来たわけでもないのに妙にテンションが上がっていた。……いや、立花さんからしたらソウと一緒に来られたこと自体が嬉しいことなのか。そうでもなければこんなにもテンションが高くなるわけもない。

「どうせなので、男女のペアで行きましょうよ!」

 なるほど合点がいったと思っていると案の定立花さんがそんな提案をする。

「おっ、それいいじゃん」

 ソウもその気になったのかノリノリでその提案に乗る。

「じゃあじゃんけんで分かれましょう! 同じのを出した人同士でペアということで!」

 ほかのメンバーの返事も聞かずに立花さんがこぶしを握る。

 俺たちは合計で六人、じゃんけんの手の数は三つ。うまくいけば一度で簡単にペアが決まるというわけだ。まぁ、そんな簡単に決まるとも思えないが。

 みなそれなりに一緒に行きたい相手というのがいるのだろうかと思いながら、自分はどうだろうと考える。

 二人きりになりたい相手。いないと言えばそれはもちろん嘘になる。

 どうせ二人きりになれるのであれば永沢さんがいい。好意を抱いているわけではないが、二人きりになれれば連絡先を訊くのもスムーズにいくだろう。俺自身の気にしすぎかもしれないが、みんなが揃っている場所で二人でしゃべるのは少し思うところがある。

 だからペアになる相手に永沢さんを望むのは自然なことだ。そのはずだった。

 しかし、つい先ほど俺は永沢さんを怖がらせてしまった。今この状態で二人きりになってまともに会話ができるかと言われれば、正直なところふたを開けてみなければわからない。お互いさっきのことを気にして気まずくなってしまうかもしれないし、もしかしたら猫の話をしていた時のように自然に会話ができるかもしれない。

 二人きりにはなりたい。けれどなりたくないとも思っている。

そんな矛盾した気持ちが自分の中にあることを自覚する。

 素直にペアになることを願うことができずに悩みながらみんなで円を作る。

 流されるままに円を作ってみんなして一度こぶしを差し出す。

「さーいしょはグー! じゃーんけーんぽんっ!」

 立花さんの溌溂とした声に合わせてみんなが一斉に手を出す。みんながみんな自分の出した手と周りの手を見比べる。そして目線を一周させて結果を理解する。

 グー。真琴と永沢さん。

 チョキ。俺と立花さん。

 パー。ソウと間城。

 ものの見事に一発で決まってしまった。

 俺はこの結果を残念にも思うし、同時に安心もしていた。矛盾している気持ちを抱いているとどうしよもない不快感を感じてしまう。

 そんな俺とは対照的に、ほかのみんなはどことなく楽しそうだった。

「俺はユサとか。なんか味気ないな」

「確かに捻りはないかもね」

 そう言いながらソウと間城は、はははと同じように笑顔を浮かべる。

「あ、よろしくお願いします」

「ん」

 片や真琴はいつもと変わらないぶっきらぼうな口調のまま、永沢さんはどこかぎこちなく戸惑たような表情を浮かべていた。

 そして俺たちのペアは、

「先輩とですね!」

「そう、みたいだね」

 ものすごい楽しそうな笑顔の立花さんと。心の中で力になれなくてごめんよと謝罪をする俺だった。

 俺の胸中を知らないソウはカラカラと笑っている。まったく、なんで立花さんが二人ペアで行こうと提案したのかも理解しないで。鈍感も度が過ぎると嫌がられるぞ。

「先輩? どうかしました?」

「え? ああ、何でもないよ」

 俺がソウのほうを呆れたような瞳で見つめているとそれを訝しく思ったのか立花さんが首をかしげて尋ねてくる。

 俺はごまかすように笑顔を浮かべると立花さんはそうですかと言って俺の手を取った。

「じゃあ、私たち最初に行きますね!」

「行ってらー」

 立花さんが言うとソウが笑顔でひらひらと手を振る。ソウよ、それでいいのか。自分といい雰囲気になっていた女の子がほかの男と手を繋いでいる姿を見て嫉妬とかしないのか。そう思うが、俺自身いまいち恋というものがわかっていないので実際どんな気持ちになるのかなどわかりもしない。というか俺も俺で流されるままに引かれている手を離せばいいのに、と遠ざかるソウたちを見ながら思う。

 恋人の鐘まで続く坂道は道としての機能しかなく、左右を見ても樹木が植わっているくらいで海沿いに面しているはずなのに水面はおろか海の音さえ聞こえてこなかった。

「先輩、もしかして楓とがよかったんですか?」

 丘に続く幅の広い階段をのぼりながら、立花さんが俺に尋ねる。

「どうして?」

 素直に疑問に思ったので問い返すと俺のすぐ横に付いた立花さんがニヤニヤと笑いながら口にする。

「先輩、さっきの見てないと思ってたんですかぁ?」

「さっきの?」

 そう言いながらいったい何のことだろうと首を捻る。すると立花さんはいやらしい笑みを浮かべながら俺の肩に手をのせながら耳元でからかうように言った。

「さっき抱き合ってたじゃないですか」

「えっ!?」

 耳元でささやかれた驚きと恥ずかしさに加えて、あらぬ誤解をされている驚きでつい声を上げてしまった。

「あっ、やっぱりそういうことだったんですね~。付き合ってるんですか?」

「いや、そうじゃないよ! というかさっきのも誤解だって」

「照れなくてもいいですよ、かわいいですね~」

「本当に違うんだよっ」

「あー、青春っていいですね~」

 からかうように少し前に出てスキップしながら俺のほうに振り返る。どうにも話を聞いてもらえそうな気がしない。しかし面白半分にあらぬ誤解をそのまま発信されてはたまらないので何とかわかってもらおうと駆け足に立花さんに追いついて弁解する。

「本当に違うんだよ。あの時は永沢さんが転びそうになったのを支えただけで、それ以外に意味はなかったんだよ」

「本当にそれだけですかぁ?」

「本当だよ」

「本当に付き合ったりしてないんですか?」

「本当に」

 未だにからかうように後ろ手に手を組みながら俺の顔をのぞき込んでくる立花さん。あまりに分かってもらえないとだんだんと疲れた表情になってきてしまう。

 しかしそれすらも立花さんのからかいの的になってしまうのか、立花さんはなおも満面の笑みで聞いてくる。

「じゃあ、先輩の一方的な片思いってことですか?」

「本当にそういう色恋みたいなのじゃないんだって。ただの事故だよ」

 こうもそっちに話を持っていこうとされると苦笑いが浮かんできてしまう。もしかしたら普段の俺の妄想癖もこんな風に思われているのかもしれないと思うと、自身の日頃の行動を少し反省してしまう。真琴、いつもこんなのに付き合わせてしまってごめんよ。

「そうなんですか?」

「うん。恋愛感情とかは全くないよ」

 俺は断言する。

 花火大会のあの日自身の心にそれを問い続けて答えはすでに出ていた。俺が永沢さんに抱く感情はただの信愛。友情に近しいものだったのだと、俺は答えを出していた。

「……本当ですね?」

「え、うん……」

 不意に、立花さんの顔から笑顔が消えて、真剣なまなざしを向けられる。突然のことに一瞬ひるんでしまったが、自身の口にした言葉は事実そのものなので頷いた。

 それを聞いた立花さんはじっと俺の瞳を見つめ、数瞬の間そうするとまた笑顔を浮かべた。

「じゃあ先輩、今好きな人とかいないんですか?」

「残念ながらいないよ。そういう人がいたら楽しいんだろうけどね」

 そう言いながら俺は自虐的な笑みを浮かべる。

 好きな人がいたら、きっと楽しいのだろうと思う。もちろん楽しいだけではないかもしれない。苦しかったり、辛かったり、切なかったりもするのだろう。けれどやっぱり恋は俺の憧れの対象だった。

 涙を流すような結果でも構わない、報われない恋でも構わない。誰かを好きになるということは、それだけで自分の人生を豊かなものにしてくれるはずだ。だから俺は、恋はとても楽しく、充実したものになると信じている。

 まぁけれど、そんな風に恋に恋しているせいでいまだに異性に恋することができていないのかもしれない。ないものねだりという奴なのだろう。……かといって同性に恋しているわけでもないが。

「じゃあ先輩、今誰かから告白されたらどうします?」

「えっ?」

 突然そんな問いを投げかけられて俺はフリーズしてしまう。

 そういえば、俺自身が誰かに恋したいとは思ってきたが、その逆は考えたことがなかった。

 もしも誰かから告白されたら、か。そんな現実にはなりえない問いかけのせいでそれを少なからず想像してしまう。

「んー、考えたこともないな」

 けれど俺はいまいちピンとこずにそう口にした。すると立花さんは重ねて問いかけた。

「もしも誰かから告白されたら、試しに付き合ってみるとかします?」

「え、それはしないよ」

 間を開けずに俺は即答した。

「しないんですか!?」

 立花さんは俺の答えが意外だったのか驚きに声を上げていた。

「え、うん。しないけど……」

 その立花さんの反応にこっちが驚いてしまって戸惑ってしまう。

「どうしてですか? 告白されたなら付き合うとかないんですか?」

「いや、それは失礼でしょ」

 俺は頭を掻きながらそれを想像して苦笑いを浮かべた。

「相手は本当に好きで告白したのに、自分のほうはそんな気持ちもないのに付き合うなんて、失礼でしょ?」

 俺が言うと、立花さんはポカーンと口を開けていた。あれ、俺変なこと言った?

 不安になりながら立花さんのほうを見ていると、彼女は呆気にとられた表情のまま呟くように言った。

「先輩、案外まともな人なんですね」

「結構ひどくないそれ?」

 俺は真顔で返しては見たが、内心傷ついていた。案外まともって、今までまともじゃない人だと思われていたということか。確かに妄想癖なんて普通の人は持っていないかもしれないけれど。

 そう思いながら力なくはははと笑顔を浮かべると立花さんは口元に人差し指を当てて言う。

「いや、先輩ってなんかつかみどころがないというか、周りに合わせようとしてるというかそんな感じがいつもしてたので、意外で」

 確かに俺は人前に立ってみんなを引っ張っていくようなタイプの人間ではないし、どちらかというと後ろからついていくタイプの人間だ。けれど、

「いやいや、告白なんて大事な時に流れで付き合いましょうなんて言えないよ」

 それだけは絶対に断言できる。俺自身が恋というものを体験してはいない、恋に恋しているだけ。だからかもしれないが、生半可な気持ちでの恋愛は不誠実だと思ってしまう。きっと恋とはそういうものではないんだと思っているから。そんな恋は、長くは続かないと思うから。

 俺がそう口にすると立花さんは感心したようにはーっと声を上げた。

「先輩、なんかイケメンっぽい発言ですね」

「イケメンって……」

 俺を形容するのに似つかわしくない表現を使われてたははと苦笑いを浮かべる。

 立花さんはそんな俺のことを見るでもなく後ろ手に手を組んで若干弾んだ足取りのまま緩やかな坂道を登っていく。

「…………じゃあ先輩に好きな人がいたら、どうしますか?」

 後ろ手に手を組みながら数十センチ前に出た立花さんが俺に背中を向けたまま訊ねる。

「いやいや、いないんだって」

「いたらの話ですよー」

「もしも好きな人がいたら?」

「はいっ」

 言われて、もしも自分に好きな人がいたのならどうするだろうと考えてみる。どんな人を好きになるかもわからないけれど考えてみる。

 例えばもし、クラスの女子の誰かを好きになったとしたら。たぶん俺は何もしない。できないと思う。親しい相手であれば少なからず会話をしようと近寄ることが増えるかもしれないが、話したこともない相手のことを好きになって積極的に話しかけるかと言われたら、それはないと思った。

 なら、もしも親しい相手。異性の幼馴染なんかを好きになったとしたらどうするか。自分にはそんな親しい異性などいはしないのに、自前の妄想力を糧に憧れ交じりの想像を繰り広げてみる。

 もしその相手に好きな人がいなかったら。

 もしその相手に恋人がいなかったら。

 そのとき俺は――。

「…………告白、したりするのかな……」

 なんとなく、そんな風に呟いた。それを聞いた立花さんが驚いたように目を見開く。

「先輩、意外と積極的ですね……」

「あ、いや告白するってわけじゃないけど。いつか好きな人ができたら告白したりするのかなって思っただけだよ」

 なんとなく口にしてみたものの、実際に告白するかどうかはわからない。なにせ恋をした経験すらないのだから過去をもとにした予測など立てられるはずもない。だから今口にしたのはもしかしたら、なんて言葉を使ってはいるが身勝手な俺の恋への憧れを形にした妄想だった。

 そんな俺の姿を見て、立花さんはじっと俺の顔をのぞき込むように見つめる。その瞳はまるで俺を品定めでもしているかのように思えて背筋に冷たいものを感じる。

 けれど立花さんはじっと俺を見つめたかと思うとニヤッと口元をゆがめてタタタと数歩俺から距離を取って言った。

「先輩、純粋な人ですね」

「え? 純粋?」

「はい、純粋な人です」

 純粋、と言われて首をかしげる。彼女の目に俺はそんな風に映ったのかと。というか純粋と言われても喜んでいいのか落ち込めばいいのかわからない。それは誉め言葉なのだろうか。もしかしたら遠回しに馬鹿にされているのだろうか。

 反応に困って頭を捻っていると、いつの間にか俺たちは恋人の鐘の目の前にたどり着いていたらしく、足の裏が掴む感触が柔らかい土から冷たいコンクリートへと変わる。目の前の数段の階段の上には例の鐘が鎮座している。

「先輩は純粋ですよ~。えいっ」

「うわッ」

 ドンッ、と立花さんが俺の背中を押した。階段をのぼる直前だったので俺はものの見事に体制を崩し、つんのめるようにして階段を駆け上がる。前に人がいなかったので巻き込み事故になることはなかったことだけは幸いだった。

「っと……立花さん……」

 俺が遅れて階段を上ってきた立花さんに恨めしく思いながら視線を送ると彼女はにへへと悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「さっきできなかった分ですっ」

「さっきって、岩場の時のこと?」

「そうですよ~」

 そう言いながら立花さんは俺の横を通って前に出る。

「私は、純粋じゃないので~」

 皮肉っぽく言うと立花さんはタッタッタとコンクリートでできた道を歩いて、小さな鐘が吊るされているところまで駆けて行ってしまう。

「先輩、早くやりましょうよ~」

 そう言って俺に手招きする立花さんに呼ばれるまま、俺は彼女とその鐘を鳴らす。

 なんだか立花さんには振り回されてばかりだな、と思った。


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