淡くも確かなつながりを 9
みんなで江之島の最奥にある洞窟を見て回り、ここからは戻りながら有名な観光スポットを見て回ろうというところなのだが、江之島までやってきて海を見ないのはどうかということで俺たちは岩屋の近くの階段を下りて岩肌の地面を歩いていた。
「んー海ー!」
取材の話が出たときから海に行きたいと言い続けていた間城がようやく海らしい景色を見ることができて大きな声を上げている。
ほかのみんなも間城ほどではないが一様にテンションを上げている。ついさっき震えていた永沢さんですら楽しそうにしていた。
それを見て少し安心するものの、心の中に残った罪悪感は消えてはくれなかった。
砂浜ではなくとも岩場ということで海を感じることができているのか、間城が子供のように駆けずり回る。それに続いて立花さんも駆け出し、その立花さんに引きずられるようにして永沢さんも岩場を駆け足に歩く。
「よくあんな元気があるな」
俺に続いて岩場へ降り立った真琴が額に汗を浮かべながら信じられないと言いたげに口を開く。
「まぁ、真琴はあんまりそういうのしないもんね」
「違う、あいつらの体力がおかしいって話」
「あ、そう言うこと?」
てっきりテンションの上がり方の話かと思ったらどうやら駆けずり回る体力の話だったらしい。真琴は楽しそうにはしゃぐ間城たちを見ながら相変わらずため息を吐いている。
「あんまりため息つくと幸せが逃げるっていうよ」
「………間城と立花が言いそうだな」
「そうかもね。……でも真琴は体力無さすぎだよ」
俺自身疲れていないかと言えば嘘になるが、それでも真琴のように疲れ切っているという感じではない。
「お前らがおかしい」
それでも疲れ果てている真琴はおかしいのは周りだと言い張るので異論を口にする。
「いや、真琴はばてるの早すぎだよ」
「俺は階段上り切った段階で限界だ」
「それって一番最初じゃない?」
想像以上に体力が欠落していた悪友だった。それを基準にしていたら観光も何もあったものじゃない。インドアにもほどがあるだろ真琴、と思いはするが一番最初の階段というのはおそらく階段ダッシュのことだろうし、それならば仕方ないなと思わないでもない。何せ俺たちはみな文芸部。運動部ではないのだから。
真琴はみんなのようにはしゃぐつもりはないらしく、真っすぐに海のほうへと歩いていく。俺も周りのみんなと駆けずり回る気分でもないので真琴の後を追いかけていくことにする。
岩場は所々には亀裂が入り、そこから波が入り込んできて岩肌にかすかな水たまりを作り出していた。その水たまりでは小さなカニなんかが暮らしているが、真琴はそれらに目も向けずに真っすぐ岩場の先のほうへと歩いていく。
もうこれ以上進むことができない岩場と海の境界線、と言ったところまで来ると真琴がくるりと振り向いて俺に言う。
「陽人も行けば?」
「いや、俺もそんな体力残ってないよ」
苦笑いをしながら答えるが、本当はそんなことはない。間城のように元気があふれているわけではないにしろ、真琴ほどばててもいないので一緒に騒ぐことはできるだろう。けれど、問題はそこではなかった。
「……さっき、永沢と抱き合ってたな」
「ああ、いや、そういうのじゃないよ」
真琴が呟くように言った言葉に苦笑いで返す。そう、そんなものではない。
真琴は歩いている間常に最後尾をキープしていたので俺たちの様子は大体全部見ているのだろう。だから別に真琴がさっきの出来事を知っていることに疑問も抱かない。
「あっそ」
真琴は相も変わらず別にどうでもいいと言うようにそっけなく言う。いつも通り自分から尋ねてきたくせにそれ以上話題を広げるでもなく返事かどうかも危うい呟きを返す。いつもなら苦笑いを浮かべるところだが、今日はそれがありがたいとも思う。変に尋ねられてしまえば口ごもってしまうだろうから。
「……本当にいいならいいけど」
けれど、今日の真琴は口数が多かった。
「……そういえばさっきもそれ言ってたけど、どういうこと?」
俺はみんなでお参りをするために参拝堂に並んでいた時のことを思い出しながら真琴に尋ねる。あの時に真琴は言っていた、いいのかと。あの時は何のことかと尋ねても答えてくれなかったけれど今ならば教えてくれるだろうか。
俺は淡い期待を抱きながら真琴に訊くと、真琴は大きくため息を吐いて仕方ないと言いたげに頭を掻いて口を開いた。
「永沢と、話したいことあったんじゃないのか?」
「えっ、なんで……」
知っているの、と続けようとしたのにあまりの驚きに言葉がそこで途切れてしまった。
俺は真琴にそんなこと言った覚えはないし、それらしいことを話した記憶もない。そもそも俺が永沢さんと話したかった理由は連絡先を訊きたかったからであって、それをしっかりと決意したのは今日の昼だ。真琴にそれを話すタイミングなんてなかったのだから真琴はそれを知らなくて当然のはずだ。
けれど、真琴はお見通しだと言わんばかりにため息を吐いた。
「まぁ、お前がいいならいいけど」
「…………」
そう呟くように言った真琴はまた遠くではしゃいでいる女子たちを見つめる。俺もつられてそちらのほうへ視線を向けるが、俺の視界に入ってきたのは永沢さんの姿だった。
真琴は本当によく見ている。口数は少ないし不愛想でぶっきらぼう。だけどきっと誰よりも人をよく見ている。だから俺が口にしなくても真琴は気づくことができたのだ。
「……真琴、もしかして俺が話したい内容もわかってたりする?」
ふと、疑問に思って尋ねてみる。真琴は俺のほうをちらりと見てから、もう一度永沢さんたちのほうへ視線を向けて口にした。
「連絡先、知らないみたいだな」
「……真琴、すごいね」
驚きを通り越して感心してしまった。俺の今日の様子を見てそこまでわかってしまったのだろうか。それは果たして俺がわかりやすいのか、それとも真琴が鋭いのか。どちらの要因もあるかもしれないが、後者の力が強いというのは考えなくてもわかった。
「聞けばいいだろ」
真琴が簡単に口にするが、今それができるような状態ではなかった。
俺が永沢さんの傷口をえぐってしまう前ならば気にすることもなかったのかもしれないが、起きてしまったのだからどうしよもない。永沢さんにさっさと連絡先を訊いていればこんな状態にはならなかったのにと自身の行動力の無さに呆れてしまう。
今からでも遅くないと自分を奮い立たせようとしても、今聞きに行ったところでいい顔はされないだろう。お互い変に気を遣ってぎこちなくなってしまうだろうし、そんな状態で連絡先を交換できたところできっとメッセージを送りあったりするときもその時のことがよぎってしまってうまくやりとりを交わせなくなってしまうだろう。
永沢さんに向けていた視線を逃げるように海のほうへと向ける。岩肌を見ればフジツボが張り付いているのが見えて背筋がぞっとする。
「お前、何気にしてんの?」
真琴は俺が臆病になっている理由がわからないと言いたげに首をかしげて訊いてくる。
「…………」
俺は、話すかどうか少し悩んでから、別に隠すことでもないかと思って口を開く。
「さっき、永沢さんが転びそうになった時、思いっきり手首掴んじゃったんだよね」
「それで?」
真琴がさっさと要点を言えと言わんばかりに急かす。
「それで…………永沢さんが漫研と揉め事があったっていうのは知ってるよね? そのこと思い出させちゃったみたいで、怖がらせちゃってさ」
「で?」
「だから、トラウマみたいなのを刺激しちゃったせいでちょっと気まずいっていうかさ……」
そこからどうまとめていいかわからず、それ以上の言葉は出てこない。
「……………………そ」
それが俺の言葉の最後だと受け取った真琴は、やはり興味ないといった感じにぶっきらぼうに言った。
それっきり会話が途切れてしまう。聞こえてくるのはすぐ真下の岩肌を叩く波の音と、俺たちの後ろで何やら騒いでいる女の子たちの声だけだ。
「お前ら何話しとんのよ」
「うわっ、ソウか」
にゅっと突然俺の視界に割って入ってきた幼馴染にびっくりして声を上げてしまう。ソウは失礼なと言いながら俺から一歩離れる。
「てりゃ!」
「え!?」
しかし、一歩後ろに下がったはずのソウが何者かの手によって突き飛ばされ俺のほうへと吹き飛んでくる。突然のことに対処できずに俺とソウは額を打ち付けあう。
「いっ……!!?」
「いってぇ! ユサお前なぁ」
俺がのけぞりながら額を抑えていると、ソウも同じように額を抑えながら振り返りざまに犯人に向かって文句を垂れる。振り返らずとも犯人が分かったのは俺も一緒で、額を抑えながらソウの真後ろにいた間城を涙目に見つめる。
「あーっ、ちょっと遅かったか! うまくいけば接吻だったのに!」
「何考えてんだお前……」
「……………………」
額をこするソウが引き気味に言う。俺も多分ソウと同じでハイライトのかかっていない瞳をしているだろう。
「あっ、先輩面白そうなことしてますね!」
それを見ていた立花さんが俺たちのほうへ駆けてくる。
「おっ、美香ちゃんもやろう!」
「はい! 私は松島先輩を押します!」
やってくるなり不吉な会話を始める二人。なぜかものすごい楽しそうだ。その反面俺たち男子は危機感を感じていた。
「あっ、楓もやろうよ!」
「え、なに?」
遅れてやってきた立花さんに声をかけるが、状況を理解していないため首をかしげている。俺はそんな二人を見て苦笑いを浮かべる。なんだか無駄ににぎやかだなと思いながら。さっきまでの憂鬱な気持ちがみんなの楽しそうな声のおかげで少し明るくなったように感じる。
「……別に、気にしなくていいだろ」
後ろで真琴が何かをつぶやいた気がしたが、それは俺の耳に届くことはなく波の音にさらわれていった。




