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Primula  作者: 澄葉 照安登
第三章 淡くも確かなつながりを
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淡くも確かなつながりを 5

 人の話し声や雑踏を覆い隠すように、空ではトンビが声を上げていた。

 日差しもその強さを増した一時過ぎ、俺たちは六人そろって駅から江之島まで続く道を歩いていた。

「やっぱり、結構人多いね」

「まぁ、時間も時間だし、時期も時期だからな」

 俺は周りを行きかう人たちを見ながら間城と並んで前方を歩くソウに言う。

 花火大会の時のような大混雑、とまではいかないものの、さすがは観光スポットとしてそれなりに名が知れ渡っているだけあって人の数も多かった。

「まぁでも、五割以上はカップルだけどな、ははっ」

 俺の親友は満面の笑みで自虐気味なことを口にする。

 確かにソウの言う通りあたりを見回せば、やはりというべきか男女の二人組が目立つ。

 決して俺たちのような友達同士の一つの集団として来ている人たちがいないわけでもないし、家族連れだって、一人で観光に来ている人だってもちろんいる。

 それでもやはり男女二人のペアの数は、その中でも群を抜いていた。

「やっぱりデートスポットなんだね」

 カップルで来ると別れるいうジンクスを知っているから意外といえば意外。デートスポットとして名をはせているのを知っているので当然と言えば当然だと、矛盾した感想を抱く。

 だから、俺の顔はなんとも言えない表情を作っていたのであろう。そんな俺の顔を見た後輩が茶化すように言ってきた。

「失恋スポットじゃありませんからね~」

「言われなくてもわかってるよ」

 後を振り返れば、今日のイベントを楽しみにしていたのであろう立花さんが頭上の太陽に負けじとキラキラとした笑顔を携えていた。

 今日の彼女は首元が大きめに開いた半袖の白いシャツにショートパンツという、夏らしいと言えばらしいのであろうが若干露出が多い装いだった。海風が強く吹くと襟元の空いたシャツが揺れて鎖骨が見え隠れするのであまり視線を顔から下げてしまわないように意識して彼女の顔を見てしまう。

「カップルが大勢来るなら別れる奴らもいっぱい来るだろ」

 俺たちの集団の最後尾で全員の行動を見張るように歩いていた真琴が海風に紛れ込ませながらこんなことを呟く。

「原先輩そういうの言っちゃだめですよ。夢を持ちましょう!」

「……はぁ」

 立花さんの勢いに真琴はため息を吐く。

 夏休みが中ほどを過ぎてから、真琴も後輩としゃべることが増えてきたように思う。ただ単に立花さんが真琴に絡む回数が増えてきたというのもあるだろうが、真琴自身も自分から言葉を発している。ただ、永沢さんとは全然喋っていないが。

「ここに来たカップルは別れたりしません! みんな結婚までいってます!」

「…………はぁ」

 リピートアフタミーと言いたげに真琴の目の前に歩み寄る立花さん。しかし真琴は疲れたようにため息を繰り返すばかりだ。

 後輩と接することが増えてきたのはいいにしても、真琴のこの性格自体は治らなそうだな。などと思いながら苦笑いを浮かべる。

 しかし立花さんは気にした風もなく正面に向きなおった。彼女が前を向けば、自然と立花さんの前を歩いていた俺と目が合う。

「先輩も、そう思いますよね!」

「あー、そうかもね」

 立花さんの身長が俺よりもいくらか低いせいで、自然と上目遣いで迫られる。

 俺は彼女の目と首元の隙間に気を取られないように水平線のほうを見ながら適当に答える。

「ならもう失恋スポットなんて言わないでくださいね?」

「わかったよ」

 俺はハイテンションな後輩に苦笑いを浮かべながら答える。

 よっぽど楽しみだったんだろうな。まるで小学生のようなはしゃぎようだ。俺たちの先頭で何やらしゃべているソウと間城とは大違いだ。

 そんな風に思っている間にもボルテージの高い立花さんは無邪気に騒いでいる。

「楓もだよ?」

「え? あ、うん。わかってるよ。…………はぁ……」

 急に矛先を向けられた永沢さんが熱い息を吐きながら答える。

 まだ動き出して数分だというのに彼女の額には汗が浮かんでいる。チノパンに半袖のシャツという装いの彼女はこの中で特別厚着をしているわけでもないのに一人疲弊をあらわにしていた。

夏の暑さ感じる八月の午後一時。もちろん夏の日差しと気温のせいもあるだろうが、俺たちの中で唯一永沢さんが疲弊しているのには理由があった。

 俺はまだ呼吸の整いきっていない永沢さんを気にかけて口を開く。

「そんなに急いで来なくても大丈夫だったよ?」

「え、あ、お待たせしたら悪いなと、思いまして」

 不意を突いてしまったのか、永沢さんが焦りながら早口に言う。

「気にしなくてもいいのに。午前中の予定が長引いたっていうのは仕方ないことだと思うし」

「あ、間城先輩から聞いたんですか?」

「そうそう。だから気にしなくていいよ」

 そう口にして笑顔を浮かべる。

 何とか約束の時間に間に合った永沢さんだったが、よほど急いだのだろう。電車で集合場所まで来たはずなのに額には汗を浮かべて熱い吐息を吐き出しながら現れたのだ。そんなに必死にならなくても誰も永沢さんのことを置いていったりなどしないというのに。

 そして永沢さんが到着するなり動き出してしまったため、永沢さんは息を整える暇すらなかったのだ。

「それに、もうちょっと休んでから出発でもよかったんだよ?」

「いえ、本当に大丈夫ですから。……ふぅ」

 永沢さんが自分のせいで待たせてしまうのは申し訳ないというので動き出したのだが、やはり少し休んでからのほうがよかったのではないかと思う。

 しかし彼女は迷惑をかけてしまうことが嫌なのか頑なにそれを聞き入れようとはしなかった。

 そのまま言い合っていても仕方ないと判断したソウが号令をかけて今に至るというわけだ。

「ふぅ……」

 何度目かの吐息を吐き出して、ようやく彼女の顔に落ち着きが戻る。さっきまで上下を繰り返していた肩も今は穏やかになっていた。

「陽人。前」

「え? 何真琴?」

 真琴が後ばかり見ていた俺に向かってぶつ切りの言葉を投げてきたので、言われたとおりに視線を正面へ戻す。

「っと、すみません」

 瞬間、俺はすぐ目の前にいた子供連れのおじさんにぶつかりそうになってしまった。真琴に言われていなければぶつかっていたかもしれない。

 しかし、俺の前にはソウと間城がいたはずなのだが、気付かないうちにはぐれてしまったらしい。後ろを見ながら歩いていれば当然と言えば当然だが。

「おーいハルー」

 不意にソウの声が響く。声のほうを見ると、さっきまですぐ目の前にいたはずのソウが数メートル先に見えていた。人の流れを乱してしまわないように道の端をゆっくり歩きながら俺たちに向かって手を振っている。

「ごめん、ちょっと急ごうか」

 俺は後ろにいる後輩二人にそう言ってさっきよりも少し歩くペースを上げる。

 人垣があったものの、大して離れていたわけではなかったので十数秒もすればソウたちのもとへとたどり着くことができた。

 ソウたちのもとへとたどり着くと歩調を落としてその後ろにぴったりと付いた。

「はぐれんなよハルー」

「ごめんごめん」

 俺が後ろを気にし過ぎていたせいではぐれてしまい申し訳なく思う。永沢さんのことを気にするあまり歩調も落ちてしまっていたらしい。

「総。先行くな」

 しかし俺たちの最後尾にいた真琴は俺ではなくソウに文句を言った。

「お前、後ろ見てなかっただろ」

「あっはは、悪い悪い」

 真琴が全くもう、とため息を吐くとソウはカラカラと笑い飛ばす。

 間城との会話に夢中になってしまっていたのだろうか、ソウは真琴の指摘に反発することなく謝った。不愛想で口数も少ない真琴だが、なんだかんだ周りを一番見ていたのは真琴なんだなと思わされてしまう。

「ごめんね永沢さん。大丈夫?」

 そんな真琴を見習って、ついさっきまで疲弊していた後輩に向かって言う。

「は、はい平気です。ありがとうございます」

 そうは言ったものの若干息が上がってしまっている。永沢さんおとななしいな性格を知っているせいでどうにも心配になってしまう。

「きついならそう言っていいからね?」

「はい、ありがとうございます」

 歩きながらも軽く会釈してくれる永沢さん。かえって気にさせてしまったかもしれないな。

 親切はするに越したことはないが、やりすぎてしまえば逆効果だ。かえって相手側に気を遣わせてしまうことだってある。有難迷惑という奴だ。気を付けなくてはいけない。

 自身の気の利かなさを反省しながら視線を正面に戻して誰かに衝突してしまわないようにと周りを気にしながら歩くことにする。

 江之島まで続く橋は、最初のほうこそ砂浜の上だが、橋があるということは当然越えなくてはいけない川なりなんなりがあるはずで、ここも当然歩こうが車に乗ろうが越えることのできない海を越えるための手段として作られた場所だ。しばらく進めば砂浜ではなく海の上を歩くことになる。

 海の真上を歩いていると、さっきまで少し遠くに聞こえていた浪の音がすぐ間近で聞こえてきて少し怖さすら感じるほどになってくる。見れば高波などが来た跡なのだろう。橋に小さな水たまりができている。

 みんながその水たまりをよけるように歩くので、そこのところは幅員が減少した道のように人口密度が少し上がってしまう。

もちろん、それだけのせいでなく行きかう人の数も増えている。海の上を少し歩けばもう江之島はすぐそこだ。今俺たちのいる位置からでも江之島の神社へと続く道の人の波が見えている。

「あ、あの、先輩……」

「え? どうかしたの、永沢さん」

 突然、永沢さんが背後から声をかけてきた。もしかして歩くペースを落としてほしいのだろうかと思いながら彼女の顔を見る。

「あ、あの…………」

 永沢さんが、恥ずかしそうに、気まずそうに視線を下げる。そのしぐさが可愛らしく思えてしまって頬が少し熱くなる。まるで甘えられているような気分になってしまう。

 しかし、永沢さん本人にそんなつもりはないのだろう。そう思って煩悩を消し去る。そして代わりにどういうこと、と首をかしげて見せる。

 すると永沢さんは意を決したように口を開いた。

「あの、先輩っ――」

 ぐぅ~、と。そんな間の抜けた音が聞こえた。

 周りの人には雑踏や話し声で聞こえなかったであろうが、俺にはその音がよく聞こえてきていた。なぜならそれは、目の前の彼女から聞こえたから。

 その音を鳴らした本人はというと、恥ずかしそうに顔を真っ赤にしていた。

 ああ、そういえば、永沢さんは今日の午前中は何か用事があったのだ。そしてそれが長引いてしまい遅れてしまうかもしれないという連絡をしてきた。そして急いで何とか間に合うことができたのだ。電車でやってきたにもかかわらず、息を切らすほどに。

 それほどまでに急いでやってきたのであれば、彼女は昼食をとっていないのであることは想像に難くない。そんなことに今更気付いたのだ。

「ついたら、何か食べようか」

 そんな自分に呆れながら笑顔を浮かべて言った。

「え、あの……」

「……? どうかしたの?」

 けれど、彼女はまだ何か俺に伝えたいことがあるらしく言葉を続けようとしている。

「あの……、すみません」

「いやいや、謝らなくていいよ。むしろ気付かなくてごめんね」

 どうやら自分のことに時間を割いてしまうのが申し訳なかっただけのようだ。そう思いながら笑顔を返して、俺の前を歩くソウに声をかけた。

「ソウ。永沢さんお昼食べてないらしいんだけど、何か買って食べるでもいいから付いたら何か食べる時間くれない?」

「ん、ああ、そっか。あんだけ急いでくりゃな。おっけー」

 俺が言うとすぐに了承してくれるソウ。まぁ、誰もここでダメなんて言う人はいないだろう。俺たちに気を遣わせてしまったせいでこうなっているわけだし、そもそも食べ歩きも立派な観光だ。全然悪いことではないだろう。

「永沢さん、それで大丈夫?」

「はい……ありがとうございます」

 そう言った彼女は安堵したような、それでいてなぜか少し呆れたようにはぁとため息を吐いた。

 よほど迷惑をかけてしまうのが嫌なのだなと思いながら俺は苦笑いを浮かべた。

 そしてそんな俺たちを一番後ろで見つめていた真琴もなぜかため息を吐いていた。


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