最初の一歩 11
夏休みも中盤に入れば、普段学校に通うために早起きを覚えていた体もだんだんと鈍り、過度な睡眠を求めるようになってきてしまう。
「ねっむい!」
職員室に寄って部室のカギを借りてきたソウが眠気を吹き飛ばすためか、はたまた睡眠不足のイラつきからか大きな声を出す。
俺は隣でその言葉につられたようにあくびをこぼす。俺に関しては寝不足というわけではないのだが、夏休みの怠惰な生活サイクルになれてしまっているため眠気が湧き上がってくる。週に二回だけの部活動以外は家で怠けているせいだ。
「ハルー、俺今日寝てていいかー?」
瞼の重みに負けそうになっている瞳でふらふらと歩きながらソウが脱力して言う。
ソウの様子を見るに俺と同じように生活サイクルがくるってしまっただけという風には見えなくて、何かしていたのかと気になって尋ねてみる。
「別に俺は構わないけど。何でそんなに眠そうなの?」
「実は昨日あんま寝てなくてさー……」
「何かやってたの?」
「執筆ー」
今にも倒れてしまうんじゃないかと思うほどに体を揺さぶりながら階段を上るソウ。あーなるほどと思いながらもその様子を見て苦笑気味に言葉が出てきてしまう。
「部活でやるんだから寝ればいいのに」
「その時にしか書けないもんがあるんだよー」
そう言いながらもう一度大きなあくびをする俺の幼馴染。そういえば去年の夏休み明けもこんな感じだったなと思いながら小さく笑う。
「先輩方、おはよーごさざいます!」
ゆっくりと階段を上っていた俺たちの後ろから明るく元気な声が聞こえてくる。振り返ってみればそこにいたのは俺たちの後輩――立花さんだった。
「総先輩、なんか今日グロッキーですねー」
「んー、ごめんよぉ……」
「うわ、なんか新鮮ですけど別の意味で新鮮じゃないですね」
辛辣なことを口にする立花さんだが、あいにくと今日のソウは腐る寸前の生魚のようになっているので気の利いた返しどころかまともな会話すらできるか怪しい。
「今日はそっとしておいてあげてね」
「体調悪いんですか?」
「いや、なんか頑張って小説書いてたみたい」
俺が説明をすると立花さんはなるほどですと呟くように言って頷いた。
千鳥足のソウが階段を踏み外さないように見守りながら階段を上っていく。まだ部活が始まる前のため吹奏楽部や軽音部の楽器の音色は聞こえてこないし、グラウンドから掛け声やホイッスルの音が聞こえてくることもない。今耳に入ってくるのは上履きが廊下を踏むパタパタといった小さな音だけ。
四階まで上がっていき俺たちの部室のほうへ目を向けると黒髪の男子生徒の姿がある。
その男子生成とはこちらに気付くと俺と立花さんの間で夢を見ているソウを見るなりげんなりした表情になった。
「おはよ、真琴」
「……総はどうした」
ソウよりも背の低いはずの真琴が目線の高さまでうなだれこんでいる親友を見つめて言う。
「なんか、夜通し小説書いてたみたい」
「なるほど」
真琴はそんなことかと言いたげに呟くとソウの手に引っ掛けていた部室のカギをふんだくってササっと部室のカギを開ける。
ガラガラという滑車の滑る音を立てながらまだ暗い部室が顔をのぞかせる。
「とりあえず座らせとけ」
そう言いながら真琴は部室の電気をつけるといつもの自分の指定席へ向かっていく。
俺は言われたとおりにソウをいつもの席へと誘導して座らせる。なんだか介護をしている気分だ。
ソウは普段から極端に朝が弱いというわけではないが、たまに執筆にのめりこみすぎると翌日こうなることがある。去年の夏や文化祭の前、あとは長期休みでは必ずと言っていいほどこんな姿を見せるので一応こういう時の対処も慣れている。
俺はソウの隣に腰かけて自分の鞄を床に置く。そしてその中からまだ白紙と言っていいほどの原稿用紙と真琴に借りた花言葉の図鑑を取り出し、六つの机がくっついた俺たちの団欒スペースに置く。見ると、すぐ隣のソウが早くも腕を枕にしながら机にうつぶせていた。
「総先輩、よっぽど遅くまで起きてたんですね」
「うん、この様子だと朝方まで書いてたんじゃないかな」
俺は相槌を打ちながら鞄から筆箱を取り出して原稿用紙の横に置く。
原稿用紙を取り出しはしたが何を書こうと決めているわけでも、書く意欲があふれているわけでもない。ここ最近、特に夏休みに入ってからソウに小説を書くように勧められ、部活の際は毎日原稿用紙に向かっているためちょっとした癖になっているのだ。まあ、はかどっているとはとても言えないが。
俺の原稿用紙には一行開けて俺自身の名前、そしてその後に鍵カッコが一つ書かれているだけで後は何も書かれていない。殆ど白紙に近い状態だ。いつも原稿用紙を出すだけでソウや立花さんとしゃべって一日が終わってしまう。毎日パソコンに向かっている真琴とは大違いだ。
「先輩は何書くか決めたんですか?」
「いや、まだ何も決めてないよ。立花さんは何か書かないの?」
俺がそう聞くと立花さんは頭の後ろに手をやりながら言う。
「いや、私小説書いたことないですし、書きたい物語とかもないので」
「俺もそうだよ。ただ隣で寝てる人が書いてみろっていうからやってみようと思っただけ」
そう言いながら俺は筆箱から取り出したシャーペンの頭で隣にいるソウのことを指し示す。
ソウは肩を大きく上下させながら規則正しいと息を吐いている。こんな短時間で眠りについてしまうとはよほど眠かったのだろう。俺はソウから視線を逸らして立花さんへと戻す。
「立花さんも適当に何か書いてみたら?」
「適当にって言われてもですねー」
不服そうに眉を寄せながら「んー」と唸る立花さん。すると突然思い出したように目を見開き俺に訊いてくる。
「先輩はどんなの書こうと思ってるんですか?」
「……とりあえずは恋愛、かな?」
立花さんの質問にそんな曖昧な答えを口にする。
さっき立花さんが言ったように俺も書きたい物語があるわけではない。なので大雑把なふわったしたジャンルを口にすることしかできないのだ。
そのためとりあえずはソウのアドバイスの通り俺の普段の妄想癖を生かして簡単に書けそうなもの、恋愛を主体とした物語を書いてみようと思ったわけだ。
「そういえばその本……花言葉でしたっけ? それも使うんですか?」
立花さんが俺の前のほうに置かれた資料用として真琴に貸してもらっている花言葉の図鑑を見つめながら尋ねる。
「使おうとは思ってるよ。でも、どんな風に使えばいいのかはいまいちわからないんだけどね」
花言葉で何か物語を作れといきなり言われてもどういう風にしたらいいかわからない。そもそも俺が今まで物語を書けなかった理由は自身の文章力と構成力の無さからなのだから、これくらいではすらすらと書けるようになるわけもない。
俺はその本を手に取ってパラパラとページをめくってみる。
「そういえば立花さんの誕生日の花言葉って『あなたは完全です』とかだったよね?」
「それは思い出したくないです。もっとかわいいのにしてください」
「あはは。まぁ、これをもとに書くのはちょっと難しいよね」
そんな上から目線な言葉を口にするが俺自身も今書きだそうとしている物語が初めての作品なのだが。そもそも花言葉を元に物語を書くのが難しいというか、小説を書くこと自体が難しいと思う。
「でも、立花さんも文化祭の部誌の時は何か書くようだと思うよ?」
「そうですよねー。んー、私も花言葉で書いてみようかなー」
そう言いながら俺の隣で眠る幼馴染と同じように机に体を預ける立花さん。そんな彼女の前にどうぞというように自分の持っていたその図鑑を置く。
「ハルはまだ何もかけてないのか」
「うわっ、真琴か。いきなり出てこないでよ」
背後から現れた親友の声にびっくりして振り返る。
真琴はソウを挟んで向かい側の椅子をもって俺の隣に座る。
「あれ? 今日は執筆しないの?」
無人になった教卓を見ながら俺は真琴に尋ねる。
「今日は気分が乗らないからやめとく」
そう言いながら真琴はポケットからスマホを取り出してゲームを起動させた。
何かアドバイスをしに来たわけじゃないのかと思いながら苦笑するが、何か言われても結局書ける気が全くしないのでこうやってほっといてもらえたほうがかえって楽だ。
今日はよくしゃべるソウは寝てしまっているし、真琴もパソコンをいじらないとなると聞きなれたキーボードをたたく音も今日は聞けないということになる。普段から決して騒がしい部室ではないがそれだけのことで妙に静かに感じてしまう。
たった四人しかいない部室内が少し寂しそうだ。
「そういえば立花さん、永沢さんとは話せたの?」
「え? 何のことですか?」
俺が訊くと立花さんはきょとんとして聞き返してくる。
「いや、前に直接聞くって言ってたから、どうなったのかなって思って」
「…………あー、その話ですか」
しばらく思案したのち思い出したように手のひらを叩いて合点がいったという顔をする。
「多分その話」
立花さんの考えていることと俺の考えていることが一致している確証もないのであいまいに返事をする。
俺が立花さんの顔を見ながら答えを待っていると、立花さんはニッと口角を上げ、まだまだ発展途上の胸を少し逸らしながら誇らしげに答えた。
「何も聞いてません!」
「…………え? そうなの?」
立花さんの行動と言葉がかみ合っていなくて素っ頓狂な声を上げる。あまりのギャップに俺の脳みそも理解するのに時間がかかってしまう。
そんな俺の反応を気にした様子も見せずになおも胸を張りながら永沢さんは続ける。
「はい! ただ私は楓の味方だから、何かあったら相談してねって言っただけです!」
「……そっか」
その言葉を聞いて、俺は自然と笑顔を浮かべた。
俺は彼女のした自分の気持ちを伝えるということを何度もし損ねてしまった。何日もどうすればいいか悩んでようやく気付くことができたのに、彼女はたった一度の機会できっちりとそれを伝えることができたのだ。それがとてもすごいことに思えて俺は微笑んだ。
「でも、今日来てくれますかね、楓」
しかしそう思ったのもつかの間、さっきまで胸を張っていた彼女が泥に沈むように姿勢を崩して自信なさげに訊いてくる。
今日は花火大会の後初めての部活動だ。なので今日のみんなの意識は永沢さんが部室に顔を出してくれるかどうかということに向いている。真琴がこちらに来たのもそういうことなのだろう。
みんな、永沢さんが来てくれることを願ってはいる。けれど来てくれる確証はないのだ。だから少し不安そうに、自信なさげに肩を落としてしまうのだろう。
けれど、俺は不安げな彼女とは裏腹に笑顔を浮かべたまま口にする。
「多分来てくれると思うよ。ソウに欠席の連絡はなかったし、立花さんにも来てないでしょ?」
隣にいるソウがこんなにも眠りこけているのは執筆に熱中していてということだけでなく、たぶん安心したからと言うのもあるのだろう。
真琴がいつもと違って俺の隣に座っているのは彼女の帰りを待っているからだろう。
俺たち三人は、今日彼女はこの部室に顔を出してくれると信じているから各々が今こうしているのだ。
「……そう、ですよね!」
俺の答えが自信を得るきっかけとなったのか彼女は顔を上げて溌溂とした笑顔を浮かべる。俺もそれにつられるようにしてほんの少し口角を上げた。
きっと来てくれるはずだ。そんな確信めいたものが俺の中に確かにある。
欠席の連絡がなかったからと言って必ずしも出席するとも限らない。もしかしたら体調不良で起き上がることもできない可能性だってゼロではないし、今日いきなり顧問の桐谷先生から退部したと言われるかもしれない。
けれど、俺の頭にそんな沈んだ未来は浮かんでこなかった。
それは先日の花火大会のことがあったから。
彼女が文芸部に来れなくなったのはこれ以上迷惑を掛けたくなかったから。自分のことにまきこんでしまいたくなかったから。だから俺はそんな心配はいらないと。ここにいていいと彼女に伝えた。
立花さんも永沢さんの味方だと伝えることができたし、何よりみんなで花火を見上げたあの瞬間、文芸部はあの六人全員の居場所だと俺は思った。たぶん、同じように空を見上げた全員が思ったはずだ。
あの時確かに俺たち六人は同じものを見て、同じことを感じていた。確証はなくとも信じることができる。ここに、この部室にちゃんと六人が揃うと。
今日は間城もバイトが休みだそうで部室に顔を出すという連絡がソウに来ている。だから今日は全員がそろうはずだ。
久しぶりに、この部室に六人が。
時刻は九時二分。部活は一応九時からということになってはいるが、規則の厳しい部活動というわけでもないので遅れてきても誰も咎めたりはしない。けれど俺たちの視線は部室の扉のほうへと向けられている。
俺と立花さんはもちろん、真琴もチラチラと扉のほうを気にしているし、ソウも机に突っ伏したまま顔をそちらに向けている。
四人全員が彼女が現れるのを今か今かと待ち望んでいる。
部室内にいる俺たちの呼吸の音がどこか遠くに聞こえ、代わりに廊下から聞こえるかすかな足音が大きく聞こえてくる。その足音はスキップをしているかのように軽やかだ。
なんとなくその足音を間城のものだろうと思いながら俺は視線を一度原稿用紙へと落とす。気付けば立花さんに手渡した図鑑が俺の手元に戻されていた。望んだからと言ってすぐにそれが現れてくれることなどない。せかさずに待っていよう。
タタッという上機嫌な足音が扉の前で止まる。すぐに勢いよく扉が開かれ聞きなれた同級生の声が聞こえてくるのだろう。そう思ったのだが、扉の開く音を待つがガラガラという聞きなれた音は聞こえてこない。しかしその代わりに、間城の声が扉の向こうから聞こえてきた。
「なーにしてるの? 入ればいいじゃん」
疑問符を含んだその声で誰かにしゃべりかけていることがすぐに理解できた。誰に? そんな風に自身に問いかけても浮かんだ顔は一つだけだった。
「俯いてないで、さっさと行くよー」
「え、ちょっとま――」
不安げな少女の小さな声が聞こえた。けれどその声をかき消すように普段よりもいくらか大きな音を立てて扉が開く。勢いの付いた扉が壁にぶつかって小さく跳ね返る。
「おはよー、みんな早いねー」
そう言いながら部室に入ってきたのは間城だ。しかしいつもより機嫌がよさそうな気がするのは、きっと気のせいではないのだろう。
俺と立花さんがおはようと返すが、その声にも嬉しさが含まれていることを自覚できた。
間城はスタスタと自分のよく座る席――ソウの隣へ腰かけようと歩いてくる。
「あれ? 椅子は?」
と、そこでいつもそこに置いてあるはずの椅子がないことに気付く。間城の求めているものは俺の隣にいる真琴が使ってしまっているからだ。
間城は仕方ないと言いたげにその向かい側の椅子に座り鞄を下ろした。
そして座るなり自分が今さっき入ってきた扉のほうへと視線を向けて彼女を呼ぶ。戸惑うように固まっていた、後輩を。
「ほら、早く入ってきなよ」
「え、あ、はい……」
視線の先の少女は言われたとおりに部室に足を踏み入れる。しかし俺たち全員から視線を向けられていることに気付いた彼女はその場でまた足を止めてしまう。そして視線を下げてしまった。
「あの…………ぁ……」
何かを口にしようとしているのだろうけれど、彼女の口から言葉は続かない。全員の視線がこそばゆいのか学生かばんを両手で持ちながら体を強張らせる。
いつもならば、こういったときはソウが助け船を真っ先に出してくれるのだが、あいにく顔だけそちらに向けているソウの肩は規則正しく上下している。
「永沢さん」
だから、今日は俺が口を開いた。
なにか特別な意味があったわけではない。けれどなぜかそうするのが自然なことのように思えて、俺は何かを思うより先に彼女の名前を呼んでいた。
名前を呼ばれた彼女が恐る恐る視線をこちらに向けてくる。その瞳は不安げに揺れている。
頼りなさげな瞳を見て、とりあえず彼女をこうしてみんなに注目されていることから解放してあげたいと思う気持ちが強くなる。こうも注目されたままでは何かを口にするのだって相当の勇気が必要になってしまうだろう。
だから俺は小さく息を吸ってから、たった一言だけ、口にした。
「おかえり」
俺がそう口にすると、彼女の瞳が大きく揺れる。
それを皮切り立花さんと間城がおなじようにおかえりと口にする。真琴も俺の横で呟くようにおかえりといった。ソウも寝ぼけ眼のまま寝言のようにそれを口にする。
「お久しぶり、です……っ……」
決して久しぶりではないのに、そのやり取りが当然のことのように思える。
つっかえながら口にした永沢さんは立ち尽くしたまま俯いてしまった。見るとその肩はかすかに震えている。
それを見た立花さんが席を立ちあがり彼女のもとへと寄っていく。そしてそのまま幼子をあやすようにそっと抱きしめた。抱きしめられた少女からは小さな嗚咽が聞こえてくる。
つい先ほど部室にやってきた間城は少し満足そうな微笑みを浮かべながら頬杖をついて二人の後輩を見守る。
俺の隣に座っている真琴は自分には関係ないと言いたげにスマホの画面に視線を落としているが、その瞳がいつもよりも優しそうだ。
俺は彼女の涙を見ないようにと手元にあった図鑑を開いて視線を落とす。パラパラとページをめくると見覚えのあるページで手が止まる。
俺はなんとなくそれに運命のようなものを感じて、筆箱からシャーペンを取り出して原稿用紙の上を走らせた。
後輩たちに目を向ければだんだんと落ち着いてきたらしく、永沢さんの嗚咽も収まり始めていた。少し落ち着いた永沢さんは腕で目元をぬぐうと立花さんに介抱されながら俺の正面の、いつも彼女が座っている席に腰かける。
普通の教室一つ分の広い部室の中、六つの机をくっつけ部屋の真ん中で六人が固まる。
人口密度が上がったせいかわずかながらに温度が上がったように感じる。けれど決して暑苦しいとは思わず、むしろ暖かく心地がいいと感じた。
正面に座る立花さんが一度深呼吸をしてから顔を上げる。俺は彼女の正面に座っているので自然と視線がぶつかる。
少し目が赤くなってしまっているが、その表情は決して暗くはない。
俺は視線を交わらせた彼女に笑いかける。すると彼女も小さく笑顔を返してくれた。
夏休み中盤に差し掛かった今日、文芸部が六人になった。
あまり言葉数が多くなく、明るいという印象は受けない。けれど物静かというわけではなくしっかりと視線を向けて会話をしてくれるそんな少女が、やってきた。
校庭では運動部が準備体操をしている掛け声が聞こえてくる。ようやく部活が始まったのだろう。俺はそう思いながら窓越しに空を見上げる。今日は夏らしい真っ青な空が広がっていてで気温は三十度を超えるだろう。
俺は負けず劣らず暖かな熱を含んだこの部室を見回す。
俺の右隣りを見ればソウが突っ伏したまま俺たちの前方に座る彼女らを見ている。左隣にはいつもと違い輪の中に入っていながらも、はやりどこか距離を置きたがる真琴がゲームをしている。
俺の右前方には立花さんが溌溂と会話をしている。その奥にいる間城は頬杖を突きながらも笑顔で会話に参加している。
そして俺の正面には、さっきまで涙をこぼしていたはずの彼女が、笑顔で談笑している姿があった。
胸に、何か温かいものが広がっていく。胸の鼓動は落ち着き、息苦しくなるような思いはしない。
やはり、この気持ちは恋ではない、そう感じる。けれど、俺の恋焦がれているその感情に負けず劣らす素敵なものだと断言できる。文芸部のみんなを見回しながら俺はそう思った。
決して普通の文芸部らしい一幕とは言えないけれど、忘れがたい時間であることは疑いようもない。だって今こんなにも、心地よいのだから。
俺は右手に握っていたシャーペンを机の上に転がしながら満足げにため息を吐く。
ほぼ白紙に等しかった原稿用紙には、プリムラというタイトルが書き加えられていた。