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Primula  作者: 澄葉 照安登
第二章 最初の一歩
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最初の一歩 9

 蝉の声が響き、陽炎がアスファルトの上をゆらゆらと練り歩いている。空を見上げれば入道雲が鎮座し、その隙間から出た太陽の光が袖から出た腕や首をじりじりと焼き焦がす。

 夏の暑さ本番の八月。花火大会当日に俺とソウは真琴と待ち合わせて駅前に集合していた。

 俺たちよりも早く来ていた真琴を加えて三人で花火の場所取りをしに行く。

 時刻は午後二時といったところ。花火が始まるまでまだまだ時間はあるが、花火がちゃんと見えるところを陣取るために俺たちは早々に会場へと向かっていた。

 今回俺たちがやってきた花火大会は県内でもそれなりに大きなもので、毎年新聞なんかに名前が載ったりしている。会場は一級河川の河原沿い。川を挟んで西会場、東会場と別れている。

 俺たちが今回場所取りをするのは西会場の河原沿い。西側にはそれなりの量の屋台が並んでおり、花火を見ながら出店の食べ物を食べたりするならばこっちの会場だ。

 ちなみに東会場は花火を見るためだけに設けられていて、屋台などは連なっていない。しかしこちらは花火を見るために設けられて場所なので花火を見るだけならば東会場のほうがきれいに見えるらしい。有料の指定席もあるくらいだ。

「まださすがにそんなに人いないだろ」

「まだ昼だしね」

 適当な会話をしながら駅から川沿いへと向かって歩いていく。駅前から川沿いまでの道にもいくつもの屋台が軒を連ねているが、花火までまだまだ時間があるせいか人の入りは良さそうには見えない。

 それでも河原が見えてくると屋台のほかにビニールシートの引いてあるところがちらほらと見え始める。中年のおじさんが数人で缶ビールをあおっている姿も見て取れる。

「意外と人がいるもんだな」

 ソウが口にするが、別に場所取りが困難になるようなことはない。場所取りがされている証拠のビニールシートを敷いてあるところはまばらにしか見られず、まだまだこれからが本番といった感じだった。

「あの辺でいいだろ」

 早速目星をつけたらしいソウが先頭を切って進んで行く。

 ソウはさっさと持ってきたビニールシートを広げると自分たちの荷物を重しにする。

「とりあえず場所取りはこれで終わりだな。なんか買ってくるか?」

「俺わたあめ買ってくる。なんかほしいもんある?」

 ソウが訊くとすぐに真琴が立ち上がって買い出しに行こうとする。

「あ、なら俺焼きそば頼むわ」

「わかった。……陽人はどうする」

 真琴が俺に訊いてくるが、別にお腹がすいているということもない。

「俺はいいや」

 俺がそういうと、真琴はこくんと頷いてそそくさと買い出しに行ってしまう。というか、わたあめを買いに行くのか、子供っぽいというかなんというか。小学生くらいの頃は買ったりもしたけど、高校生にもなるとなかなかわたあめを食べようとは思わない。というか男子高校生がわたあめの棒もってかじりついてる絵があまり想像できない。女の子なら想像できるが。

 俺の頭の中には一人の女の子が浮かんでいた。つい先日神社のお祭りの時に、俺の横でわたあめを食べていた彼女のことが。

「ハル、俺そこで飲み物買ってくるから荷物番頼んでいいか?」

「いってらっしゃい」

 ソウはおー、と間の抜けた返事をしながらすぐ目の前の飲み物の屋台へと向かった。

 そういえばいちごあめの話をしたな。リンゴ飴のイチゴ版。小さくて食べやすいらしい。この会場のどこかに売っていたりするのだろうか。ここに来るまでの道でそれらしいものは見かけなかった。

 少し興味があったので探してみたいと思ったのだが、荷物番を任されてしまったのでソウが戻ってくるまでは動くことができない。

 目と鼻の先にいるソウを見るとラムネの瓶を二本受け取っている。それを片手で受け取りながら代金を支払って戻ってくる。

「ハルも飲むだろっ」

「あっぶな、投げんなよー」

戻ってくるなり今しがた購入した瓶の飲み物を俺に放り投げてくる。

ソウに投げ飛ばされたラムネの瓶をキャッチしながら文句を垂れる。別に落としても割れることはないようにそれなりに頑丈な素材であろうとは思うが、無造作に放られると焦ってしまう。しかし文句を口にしようと喉が渇いていた事実は覆りはしないのでありがたく受け取ると財布から硬貨を取り出して投げ返してやる。

 ソウがラムネの頭のところについているT字型のパーツを瓶の口元に当ててビー玉を外す。思いっきり押し込んでプラスチックが当たる音が炭酸の抜ける音よりも大きく聞こえる。俺もそれに続こうかと思ってラムネを開ける準備をするが、いちごあめの屋台があるのかどうか気になって俺はラムネをビニールシートの上に置いた。

「ちょっとそのへん見てきてもいい?」

「ん? んー」

 ラムネに口をつけながらうなずいてくれた。了解を得られたので俺は立ち上がって屋台の群れのほうへと歩いている。

 屋台の一角へと足を向けると、靴の裏から砂利がこすれる感触が伝わってくる。ビニールシートを敷いたところは下が土なので座っても痛くはないが、砂利の上に座るとなると痛いだろうなと思う。その辺の配慮をしているからなのか、花火の観覧スペースは地面が土で、屋台の一帯は砂利でおおわれていた。

 神社のお祭りの時も聞いた発電機の振動音があちらこちらから鳴り響いている。ガタイのいいおじちゃんが焼きそばやじゃがバターを作っている。

 そのほかにも焼き鳥、かき氷、チョコバナナとお祭りでの定番の屋台が軒を連ねている。そのなかでも焼き鳥の屋台の数が多いのは、さっき河原で見かけたビールを飲む中年方々の集まりのおつまみのためだろうか。

 屋台の鉄板や機械から発せられる熱と天空から照り付ける太陽の熱とで、さっきまでいたビニールシートの上よりも幾分か熱く感じる。すれ違う人も神社の時よりは多い。

 あたりをきょろきょろしながらいちごあめなるものの屋台を探すが一向に現れない。いちごあめどころかリンゴ飴も見つからない。唯一果物系で見つけたのは冷やしパイン。同じ系列でキュウリもあった。果物ではないが。

 しばらくまっすぐ進んで屋台の群れから顔を出す。とりあえず今来た道にはそれらしいものはなかったので次は隣の道に入ろう。

 数十メートル歩いただけの運動量なのに体が嫌に熱く感じて無意識に汗が浮かび始める。

 今更ながらに、何故いちごあめなるものの屋台を探しているのだろうかと思う。

 もちろんそれを見たことがなく興味があるから、それは間違いない。けれどそういうことではない、ただの世間話程度に話題に上がっただけのものなのに、なんでこんなにも記憶に残っているのだろうかということだ。

 同じ部の仲間とのことだからどんな些細なことでも忘れない? そんなことは決してない。最も関係の深いソウとのことでさえ、すべてを覚えてすべてを知っているとは言い難い。

 ならばなぜか。これがただの先輩後輩の関係だからという言い訳では逃げることができない。そんなことくらいもう自覚している。

 俺の行動は、考えは。もうそんな普遍的なものに見ることができないものになっているということを思い知らされている。

 ならば、これは恋なのだろうか。一人の女の子を過度に気にかけ、頭の片隅に追いやることもできない。これはそう言った感情、思いなのだろうか。

 俺は自分の胸に手を当てる。心臓の鼓動は大きくなったり早くなったりはしない。ただ一定のリズムを刻みながら体へ血液を送り続けている。

 自分のことをはた目から見れば、彼女に気があることは明白、そう思えてしまう。けれど、自身の中の感情と向き合っても恋だとは思えない。自分自身恋をしたことがないからかもしれないが、恋愛感情とはもっと熱く激しいものだと思っている。だから、これが恋だと言われても素直に納得することができない。

 自分の知りえる感情の中でもっとも今の気持ちに近いものを上げるとするなら、それは信愛ではないだろうか。

 やはり女性として好意があるかはわからない。けれど、同じ部の仲間として大切にしたいとは思える。だからこれは、ソウや真琴、立花さんや間城に対して抱く感情と相違ないものに感じられる。

 だからこれは恋ではない。自分の中でそう結論が出る。それを合図に今来た道の一つ隣の道へと入った。

 ふと、屋台見ながら歩いていると目の前から一組のカップルが歩いてくるのが見えた。まだ日も高く花火大会も前座の状態だからかすれ違う人は中年層ばかりで、若いカップルは少し目立つ。

 控えめに絡ませた指、気遣うようにお互いを見合わせ同じ歩調でそろって歩く。そして二人の顔にはわずかな照れと目いっぱいの幸せが見て取れる。

 蜜月期。付き合って数か月の間は相手のいいところしか見えないという。だからきっと目の前のカップルの様子を見て、そう言った幸せをつかんだばかりのカップルなのだと勝手に決めつけてしまう。真琴あたりならばそれを見てすぐに別れるとか、上っ面だとかいうかもしれない。けれどやっぱりカップルというのはそうやって二人で幸せそうにしているものだと思う。それが恋愛の正しい形だと思う。

 切ない恋ももちろん好きだが、それはあくまで甘い部分があってこそだ。

 甘い日常にほんの少しのスパイスが加わるから甘さがより際立つのだ。その幸せをより大きく感じるために。

 だからやはり俺のこの気持ちは恋ではないのだろう。沈んでしまうほどに相手を気にかけ、自分の行動を後悔して、何も動けなくなっている俺とは似ても似つかない。

 どうすれば、永沢さんは文芸部に戻ってきてくれる。

 別に退部したわけではないのにそんなことを思ってしまっている。夏休みに入ってから、毎日。

 今日は立花さんが永沢さんを連れてくると言っていた。ソウにもキャンセルの連絡は入っていないので今日久しぶりに会うことができるのだろう。けれど、会って何ができるのだろうか。

 彼女のことを知ろうとすればするほど彼女を傷つけることになってしまいそうで、何も行動を起こせる気がしない。

 興味本位で尋ねて泣かせてしまったから。もうあんなことは繰り返したくないから。

 だから、もう訊いてはいけない気がする。踏み込んではいけない気がする。

 気付けば俺の足は地面に縫い付けられたように止まってしまっていた。

 さんざん人の事情にずかずかと踏み込んでいて、今になって臆病風に吹かれて踵を返す。なんと自分勝手なことか。自分に呆れてため息が出る。

 もちろん、諦めているわけではない。けれど、どうしたらいいかわからないのだ。

 一歩も動けなくなってしまった自分はここからどうすればいいのだろうか。また踏み込んでしまっていいのか、それともこれ以上関わろうとせずに去っていくべきなのか。何が正しく、何が間違いなのか、誰も答えてなどくれはしないのに問い続けている。

 十数メートル先に見えていたカップルが近づいてくる。別に俺に近づいているわけではないだろうが、近づいてきていると錯覚してしまう。

 すぐ真横を彼らが通った。別に話し声が聞こえたわけではない。そもそも会話などしていなかったのかもしれない。俺が横目で見たのはお互い照れて頬を染めている姿だけだった。

 やはり付き合い立てのカップルなのだろうか。また俺の勝手な妄想が膨らんできてしまう。あの二人はどっちから告白したのか、そしてそれまでどういう関係だったのか、二人の出会いはどんなものだったのかと勝手な妄想が展開されていく。

 一人でにやけてしまわないように汗をぬぐうふりをして口元を隠す。

 ぶしつけに見ないように意識的に正面を見つめる。

「大丈夫?」

 そうした瞬間、すぐ真後ろからそんな声が聞こえた。反射的に振り返ると先ほどすれ違ったカップルが足を止めて抱き合うように向かい合っていた。

 大丈夫という言葉から想像するに、彼女のほうが転びそうにでもなったのだろう。砂利道だ、慣れていなければそうなることもあるだろう。そう思うのが普通なのに、やはり俺はその光景を見てぶしつけにも頬が緩んでしまった。

 あ、やばい、こういうのすごい好き。さっきまで少しぎこちなかったのに今はめっちゃ距離が近いし、この後お互いの距離を意識して顔を真っ赤にして離れたりしたら最高!

 転んだ彼女を彼氏が支えた、たったそれだけのことなのに過剰反応して妄想が膨らんでしまう。

 しかし俺の妄想のようにはならずに彼氏のほうは心配そうに彼女の手を握った。

「歩きにくかったら捕まってもいいからね?」

「大丈夫だよ、心配しすぎー」

 そんなやり取りを交わしてさっきまでと同じように歩きだしてしまう二人。自分がありもしない妄想を繰り広げていた恥ずかしさと、人様の人間関係をぶしつけに観察してしまった申し訳なさで視線を逸らして背を向ける。

 しかし意識はもうすっかりその二人へと向いているので後ろから聞こえる声がはっきりと聞こえてきてしまう。

「心配にもなるよ。本当に大丈夫?」

「平気だよ。ほら、いこっ」

 そんな声が聞こえると、真後ろから足音が遠ざかっていく。蜜月期と思われるカップルのやり取りを見て若干恥ずかしくなってしまって俺の顔が熱くなってそれを隠すようにため息を吐いた。今度からはあまりぶしつけに見たりするのはやめにしよう、あまりに趣味が悪すぎる。そう思ったが、過去にも何回か同じことを思っているのできっと治らない。治るとしたらそれは自分自身が恋をした時なのだろうなと思う。

 いつになったら俺に初恋は訪れるのだろう。俺の憧れた一目惚れや、両想いはいつ現実のものになってくれるのだろう。そんな風に思いながら先ほどすれ違ったカップルが気になって振り返ってしまう。しかしもうそこには彼らの姿はなく、雑踏の中へと消えてしまっていた。

 俺は自分にため息を吐く。こんな趣味の悪いことをしている場合ではない。自分のあこがれを再確認している場合ではない。今直面している問題は部活の後輩のことなのだから。

 俺は再確認するように三度息を吐き出した。もうすっかりいちごあめのことなど忘れてしまっていたが、俺の心はどこかすっきりとしていた。

 俺はビニールシートに座って帰りを待つ友達のもとへと戻ろうと一歩踏み出した。

 さっきまで縫い付けられたように動かなかった足は、思いのほか素直に動いてくれた。


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