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Primula  作者: 澄葉 照安登
第二章 最初の一歩
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最初の一歩 4

 桐谷先生に職員室ではなく応接室まで連れてこられた俺たちは事の発端を聞かれた。

 俺が永沢さんたちの間に割って入ったこと、それを止めようとしてソウも入ってきたこと。俺とソウに頼まれた文芸部の一年生が桐谷先生を呼びに行ったこと。俺たちは自分たちの知っていた情報だけを口にした。

 桐谷先生は数度頷いて今度は上級生の一団に話しかける。

 上級生たちは永沢さんが急に部活に来なくなった理由を知りたくて問い詰めていたと説明したが、永沢さんはその話を聞いているとき声には出さなかったけど違うと口を動かしていた。

 桐谷先生は永沢さんに視線を向けて、どういうことかしっかりと説明するように言った。

 永沢さんはうつむいたまま、小さな声で説明していった。漫研をやめたことを、今は文芸部にいるということを。漫研の上級生たちはなぜかと理由を問いただそうとしていたが、永沢さんはそれを口にすることはなかった。ただ永沢さんはすみませんと謝っていた。

 桐谷先生はそれ以上深い話はできないだろうと判断したらしくそこで解散を命じられた。今後こう言ったことがないようにと小言を口にしてから。

 漫研の上級生たちが退出して俺とソウもそれに続いて退出したが、永沢さんはソファに座ったまま立ち上がろうとはしなかった。

「ハル、お前あれは無理だろ。さっさと先生呼びに行ったほうがよかったって」

「ご、ごめん。なんか体が勝手に」

 俺は応接室を出るなりハルに文句を言われていた。

 それもそうだ。あの場で俺が割って入って言って何かできるわけではなかった。実際何もできなかったし、ソウが入ってきてくれなければ先生が来る前にタコ殴りにされていた可能性だってある。ソウの文句はもっともだ。

「マジ怖かったんだからな。膝震えてるし」

「本当にごめん。いや、俺も震えそうだったんだけど」

「お前は自業自得だろ。まったく、なんで飛び込んじゃうかね」

「ほんとごめんっ。でも助かったよありがとう」

 俺は自分を助けてくれたソウに礼を言う。本当に今回は助かった。ソウがそばにいてくれて本当によかった。もしこれがあの雨の日の出来事だったとしたらと思うと震えがこみあげてきてしまう。

「ほんと感謝しろよなー。ふぅ……」

 そう言いながら廊下にしゃがみ込んでしまう。気が張っていたのがようやく解放されて楽になったのだろう。俺も体に絡まっていたものがほどけるように体が楽になる。

 俺もソウも喧嘩なんかしたことはない。あんな状況になれば当然怖い。もしかしたら真琴なら普段と変わらず淡々としていたかもしれないけれど、俺たちはそうもいかなかった。

「殴られなくてよかったわー」

「ほんと悪かったよ」

 わざとらしく言うソウにもう一度平謝りする俺。

「今度なんか奢ってくれよな」

「わかったよ」

 迷惑をかけてしまった手前断ることもできずに二つ返事で頷いてしまう。

 まぁ、助けてくれたんだ。なにかしら奢るだけでいいのなら安いものだろう。

俺だってもちろん怖かったんだ。つかみかかられたソウはもっと怖かったに違いない。申し訳なく思いながらも、しかし俺の意識はそのことには向いていなかった。

 俺はいまだ応接室の中で座ったまま俯いている永沢さんのほうを見つめる。その近くには桐谷先生を呼んできてくれた一年生の姿もある。

 何かを話しているようだ。どんな話をしているのかはわからないが永沢さんの表情はうつむいたままで覗うことができない。でもきっと、まだあの暗い表情のままだ。あんなに恐ろしいことがあったのだからすぐに切り替えることなんてできるはずもない。

「気になんのか?」

「あ、うん、ちょっとね」

 俺の視線に気付いたソウが応接室の中をのぞく。

 なぜ気になっているのかはわからない。そう言ってごまかしたいけれど本当はわかっている。きっと今話しているのは漫研に戻るかどうかという話だろう。それがわかってしまっているから永沢さんがどうするのかが気になってしまう。

 別に、永沢さんに漫研に戻ってほしいとは思っていない。けどだからこそ永沢さんがどうするのか気になってしまう。

 正直今の状況で漫研に戻るという選択をすることはないと思っている。けれどあの一年生が真剣なまなざしで環境を変えると、変えてみせると誓ってくれたのならばどうだろうか。真剣に真っすぐにそう言われてしまえば、戻ってきてほしいと伝えられてしまえばもしかしたら永沢さんは漫研に戻るという選択肢を取ってしまうんじゃないかと不安を感じてしまう。

 応援したいなどと思ったはずなのに、その実応援なんてこれっぽっちもしていない自信の身勝手さに苦笑いがこみあげてくる。まったく自分は何がしたいのかと。

「とりあえず待ってるか?」

「あー、ソウ先帰っててもいいけど」

「んー、じゃあそうするわ。奢ること覚えとけよ」

 そう言いながら手を挙げてスタスタと去っていくソウ。その背中に心の中でもう一回感謝の言葉をつぶやく。

「あっ」

 ソウを視線だけで見送っていると話が終わったのか漫研の一年生が部屋から出てくる。

「さっきはありがとうね。おかげで助かったよ」

「……いえ……」

 桐谷先生を呼んできてもらったことに対して礼を言ったのだが、目の前の彼は生返事だ。

 その暗い表情を見るに、永沢さんの説得は失敗に終わったのだろうか、そう思っていると目の前の一年生が下駄箱の時と同じようにガバッと頭を下げてきた。

「すみませんでした!! 僕の先輩たちが、あんなことをしてしまって」

「え、君が謝ることじゃないよ。俺も無理に割って入ったのがいけなかったんだし」

 どうやら説得に失敗して落ち込んでいたわけではなくただ自分の部の先輩たちのしでかしたことに負い目を感じているだけのようだった。

 気にしないでと言うが顔を上げた少年はなおも申し訳なさそうだ。

 するとおずおずと申し訳なさそうなままその一年生は俺に訊いてきた。

「……先輩は、永沢の彼氏なんですか?」

「え、違うよ?」

「へ?」

 俺が即答すると目の前の少年が変な声を出す。

「え、でも、さっき、あんなに、え?」

 わけがわからないといった様子で言葉も意味をなしていないがなんとなく言いたいことはわかった。なんであんなに必死だったのかと聞きたいのだろう。別に何ら不思議なことはない。それを説明しようと口を開く。

「だって、後輩があんな声出したら走って行くのが普通だよ」

 言うと一年生があんな声? とクエスチョンマークを浮かべている。どうやら永沢さんのあの悲鳴は俺にしか聞こえていなかったようだ。

 文芸部の彼は一度顔を俯かせて、暗い表情を無理やりに明るくして俺に言った。

「僕のところも、そんな先輩だったらよかったのに」

 その笑顔はこの上ないほど虚しさにあふれていた。俺はそんな彼にかける言葉が見つけられずに黙ってしまう。すると彼はそれではと言って一礼してから去って行っしまう。

 俺はその彼を追うでもなく応接室の中をのぞき込む。永沢さんはいまだにソファに座ったまま俯いていた。

 入口のところで待っていてもすぐには出てきてはくれないと思ってもう一度応接室の中に入る。扉は開けっ放しになっているので扉を開く音はならない。応接室内はさっきまでと違って静かで、その影響で俺の歩調も足音を立てないようにと慎重になって遅くなる。

「あ、先輩」

 それでも消しきれなかった足音のせいで永沢さんと少し距離を開けて気付かれてしまう。

 俺は近づこうかそのまま話しかけるべきか悩んでしまってわずかな沈黙が生まれてしまう。

「……すみません、もう少ししたら帰りますから。先に帰ってください」

「あ、催促に来たわけじゃないよ」

「……そう、ですか」

 それでほっとしたのか息を吐く永沢さん。あまり近づかないほうがいいと思って突っ立ったまま永沢さんに話しかける。

「大丈夫?」

「はい、大丈夫です。すみません」

 よく見ると、永沢さんの手にはこぶしが握られていて、力を入れ過ぎているのかかすかに震えていた。

 その様子を見るだけで大丈夫だという言葉が嘘だとわかって支えてあげなければいけないという気持ちがより一層強くなる。しかし近づいていいのかどうかはやはりわからない。

 気付けば、さっきまで明るかったはずの空は夕闇色に染まっていて、太陽はもう隠れてしまっていた。空の端が青から紫色、そして夜の闇へと姿を変えていく。夕日が差し込んでいたこの応接室もどんどん暗くなって、部屋が暗くなったせいも相まって余計に不安感をあおられてしまう。

 なぜこんなにも永沢さんを気にしているのか。それは兄が妹に抱くような庇護欲に近いものなのだろう。

 さっきも口にした言葉だが目の前で後輩が苦しんでいたらやはり助けたくなってしまうもののはずだ。もしかしたらそれは余計なお世話かもしれない、空気の読めていない行動かもしれない。それでもやっぱり俺は助けようと動いてしまう。

「一緒に帰ろうか?」

 だから自然と、怯えたように顔を伏せる彼女にそう提案していた。

 さっきあんなことがあったばかりだ。男が近くにいても意味がない、むしろ逆効果かもしれない。永沢さんが漫研をやめたきっかけである男性という人種がそんなこと提案すべきではない。そう思ったころには俺の口からその言葉はで終わってしまっていた。

「……大丈夫です。本当に……」

 なおもソファに座ったままの彼女の体は、やはり震えていた。

 彼女の言う通り、先に帰ったほうがいいのかもしれない。そう思う。

 けれどやはり目の前で震える女の子を一人置いて帰るなんてできない。

 俺はどうすればいいか少し考えてから、応接室を出て下駄箱横にある自動販売機で飲み物を買うことにした。もちろん自分の分ではなく、永沢さんの分を。

 この学校の応接室は職員室の真横に位置している。応接室から職員室を超えればすぐそこは下駄箱、応接室から下駄箱までも大した距離ではない。

 俺は自動販売機で買った缶のミルクティーと百二十ミリリットルのお茶を買って応接室に戻る。応接室にはようやく顔を上げて窓から暗くなった空を見つめている永沢さんの姿があった。

「永沢さん、どっちがいい?」

 右手にお茶を、左手にミルクティーをもって永沢さんに尋ねる。先ほどまでの距離を縮めることはなく、微妙な距離を保ったままで。

「え、い、いいんですか?」

「一人で二本は飲まないよ」

 わざとらしく笑って見せてどっちがいいともう一度訪ねる。

「あ、えっと……」

「好きなほうでいいよ?」

「あ、はい……。ミルクティーを」

 俺はうなずいてから少し永沢さんに近づいて、手渡しではなく永沢さんの前にある背の低いローテーブルの上にミルクティーの缶を置いた。

 永沢さんはぺこりと頭を下げてその缶を両手でつかむ。しかし開けて飲もうとはせずに両手で持ったまま自分の膝に乗せた。

 無理やり買ってきて押し付けたのだ、ここで飲むように催促してしまってはいけないと思って俺は自分の手に残ったお茶を開ける。カチッという音の後に空気の抜ける音が響く。耳を澄ませるとどこからかかすかにヒグラシのなく声が聞こえてきた。

 小さな吞み口から一口お茶をあおると自分ののどが思った以上に渇いていたことに気が付く。それもそのはずだ。放課後の部活が始まってから何も口にしていなかったし、上級生と対峙するという慣れないことまでしでかしたのだ。喉の奥に何かが張り付いたような違和感を消すためにもう一口お茶を口に含んでのどを潤す。そうこうしているうちに街灯がともったのか校門の向こうがぱっと明るくなった。

「永沢さん、そろそろ出たほうがいいと思うんだけど……」

「あ、はい、すみません……」

 言うと永沢さんはソファの横に置いてあった俺と同じ学校指定の鞄に手を伸ばそうとする。すると膝の上に置いていた缶がバランスを崩して床に落ちてカシャンと大げさな金属質な音を立てる。永沢さんは慌ててそれを拾い上げると鞄をもって立ち上がる。応接氏をの出口に向かおうとしたのか、自然と俺のほうを向く形になる。目が合うとそらされてしまうが、とりあえず応接室を出るのが先だと思って俺は応接室を出た。

 少し離れたと後を永沢さんもついてきて応接室から出てくる。

「……暗いし、駅まで一緒に行こうよ」

 永沢さんのほうを見ながら、もう一度提案をする。これで断られたら諦めて素直に帰ろうと思いながら。

 そんな俺の様子を見て申し訳ないと思ったのか永沢さんは気まずそうな表情を見せたかと思うと俯いてしまう。

 これは素直に永沢さんを一人にしたほうがよさそうだ。無理に永沢さんのそばにいようとしても彼女はそれを求めてはいないし逆効果だ。俺は自分をあきらめさせるために小さく深呼吸をしてまた明日と口にしようとする。

しかしその瞬間、彼女は控えめにこくりと頷いてくれた。


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