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Primula  作者: 澄葉 照安登
第九章 冬に咲いたサクラソウ
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うかべた理想のプロローグ

「先輩なんかあたり強くないですか!!」

「はぁ……」

 最近なんだか苛立っている後輩と、人当たりの悪い友人が口論どころか言い合いともいえないやり取りを交わす。

「珍しく二人仲いいな」

「これ仲いいって言う?」

 幼馴染が笑いを殺しながら呟き、その前に座る唯一女子の同級生がどう思うと言いたげな声を俺たちに投げつけてくる。

「まあ、真琴だし仕方ないんじゃないかな……」

 俺はそれに呆れ笑いを浮かべ、

「美香、最近人が変わったみたいですよね」

 彼女もまた困ったように笑っていた。

 六つくっ付けた机を六人で囲み、文芸部らしからぬ雑談ばかりの時間で夕刻を迎える。そんな不真面目な部活動に用意された空き教室は廊下と違って暖房が行き届いていて、眠気すら誘う心地よさが漂っている。

 いかに部活動が義務化されているとはいえ、この実態を知られてしまえばほかの部活や教師一同から何かしらのお小言を言われかねない。しかしながら、顧問の先生ですらめったに来ない場所なので誰もそんな心配はしていないのだろう。

 だから、外も暗くなった時間に誰一人として本も原稿用紙もパソコンすら広げないまま中身のないことを言い合っている。

 とても見慣れた、けれど今までとは少し違う、それでいてとても懐かしい光景。

 それを見ながら、俺は部屋の入り口近くにある壁掛け時計を確認する。

 日が伸び始めたことを自覚することが出来るようになってきたが、それでも五時を超えれば闇色が濃くなる。そこからはすぐに街の色が変わっていく。

 だから俺はいつかのように規則を破ってしまわないようにとソウに言う。

「ソウ、もうそろそろ六時になるよ」

「んお、マジか」

 ソウが寝起きみたいな声で「帰る準備しろー」と言う。

 それにみんな夢うつつみたいな声で返事をしてから帰り支度を始める。のそのそとした動きでコートを羽織ったり鞄を担ぎ始めたみんなに倣って俺もマフラーを巻く。

 そんな中、俺のすぐ隣にいたソウがさっきまでの間の抜けるような雰囲気ではなく夏休みの目前の小学生のような大きな声で言った。

「ユサ、たまには一緒に帰ろうぜ」

「はいはい、二人とも早く自転車取ってきてね。寒い中待ちたくないし」

 そう言って間城が俺とソウに目を向ける。ソウはそれににやつきながら答えた。

「んや、ハルは置いてくわ。…………ハル任せた」

 言うとソウは俺のほうへとそれを投げる。山なりな軌道を描きながら俺の手元までやってきたそれを見ると、見なければわからないのかと言いたげにそれがチャラりと言った。

「んじゃ、俺先帰るわー、頼んだー」

 白々しい笑顔を浮かべながらソウが手を振る。俺は苦笑いを浮かべながらも小さく手を振り返した。

 するとクスリと、馬鹿にしたような息遣いが聞こえた。

「先輩、喧嘩でもしたんですか?」

「いや、そうじゃないんだけどね…………」

 言いながら俺はついさっきまで向かい合って座っていた彼女に目を向ける。すると立花さんがぽかんと口を開けながら交互に俺たちを見た。

「え? ……えっ…………えっ!?」

 段々と声の大きさが増していき、最後にはそれが下卑た笑顔に変わった。

「ちょ、原先輩! 邪魔じゃなかったじゃないですか私いい仕事したじゃないで――あれ?」

 そうまくし立てるように言った立花さんは、ついさっきまで俺の隣にいた真琴の姿がないことに気付いて目を丸くする。

 俺が苦笑いを浮かべながらそこにいるよと廊下を指し示せば、彼女が振り返ると同時真琴は廊下の闇へと消えていった。

「あ、ちょっと先輩! あの、とりあえず間に合ってよかったですね!! 先輩私邪魔してないですよ私キューピッドじゃないですか!」

 自分の言い分を聞いてもらえなかったのが不服だったのか、立花さんは言いながら鞄を乱暴に背負い、コートのボタンも留めずに真琴の後を追った。

 今日一日どこか険悪だった二人がけたたましく去っていき、その後ろ姿を四人で見送る。

 俺は立花さんの言わんとしていることがなんとなく理解できたものの、それはまだ来週の話だろうと思いながら巻きかけだったマフラーを巻き終える。苦笑いを浮かべ、鞄を背負いながら手の中のカギを確認するとソウがぽやっとした声で言った。

「んじゃ、戸締り頼んだわー」

「うん、わかったよ」

 今日の帰りにどうするかという旨を前もって伝えていたソウは再度いやらしい笑みを浮かべて廊下へと向かう。そしてそのことを今知ったであろう間城もまた「ふーん?」と鼻を鳴らしながらいやらしい笑みを浮かべてソウより一足早く廊下へと消えていく。

「運命、開いてよかったなー」

 最後にソウがそんなことを嫌味ったらしく言いながら廊下へと消える。俺はそれにため息をこぼしながら向かいの席の彼女を見た。

 帰り支度をしていた彼女は、顔を紅くして硬直している。それに小さく噴き出せば彼女は「すみませんッ」と言って慌てて準備を再開した。

 別に鍵は俺が持っているから慌てる必要はないのだが、それを言っても彼女をかえって焦らせてしまう気がして俺はマフラーを巻きなおすふりをした。

 部活がここまで明るい雰囲気で終わるのは、三か月ぶりだ。それを思うと全員が全員嫌味だの小言じみた笑顔だのを浮かべていたことにも文句は言えない。むしろその程度で笑って許してくれるのならこちらが感謝しなくてはいけないくらいだ。

「なんか、変にからかわれちゃったね」

「そう、ですね」

 俺が言うと彼女は恥ずかしそうに笑う。ちゃんと公表したというわけではないけれどこんな状況を見るに無言で去って言った真琴ですら事の顛末は理解しているだろう。

 俺の望み、そして彼女の望みが叶ったことは、もう周知の事実と言っていい。だから俺はまた、気恥ずかしさも相まってマフラーを少し高い位置に持ってくる。

 この数か月ずっと心の中にいた彼女に、自分の気持ち悪い笑みがばれないようにと。

 ずっと求めていた彼女にもからかわれてしまわないようにと。

「…………」

 そんな風に思ったから、俺は自分の昔からの望みを思い出した。ずっとずっと昔から求めていたものを。

 それを知ったときからずっと憧れていた、あの言葉を。

 ――運命の相手。約束された相手。そんなものに俺は憧れていた。

 昔の望みと今叶ったこの望みは、イコールで結びつくものだろうか。自分の理想としていたものそのままの形をしているだろうか。

「…………ふッ」

 そう思ったら自然と噴き出してしまって、俺はマフラーの上から手で口を覆った。マフラーと手に阻まれたおかげで彼女には気付かれずにすむ。

 理想なんて、突き詰めたらきりがない。そもそも俺の理想とした恋は、運命の恋愛は根本から凝り固まって決定していたのだから。

 ――ロマンチックな出会いをして、お互いのことを見つめ合って、何も考えなくともその人のことを想い、求めてしまいうような、そんな胸躍る運命の赤い糸。

 ロマンチックな出会い。ベタだけど曲がり角でぶつかったりとか、古くからの幼馴染を突然意識したりだとか。そういう、いわゆる王道な展開の、運命の赤い糸。俺はそんなものを夢想していた。

 けれど、彼女との出会いは俺の理想とした形のどれとも当てはまらなかった。季節外れの新入部員。どちらかと言えば敵対意識を持った彼女の姿に、俺はときめきも何もなくただ困惑した。こんな時期に新入部員が来るはずがないと俺だけではなく誰もが思っただろう。

 ――きっとどこかにいるはずだ。出会った瞬間に目が離せなくなってしまう相手が。胸の奥で何かがあふれ出してくるような気持にしてくれる人が。

 なんて夢物語だろう。もしこの胸中を赤裸々に語ってしまえば真琴を筆頭に馬鹿にされてしまうだろう。けれどそんなことを思っていた。恥ずかしげもなく運命の相手はいるのだろうと、いるはずだとずっと思い続けていた。

 結局思うようなものなんてどこにもなくて、俺は彼女を意識し始めた瞬間すら明確にここだと言い切れない。だんだんと、というのも何か違ってどこかにウィークポイントがあるはずなのだけれどそれをうまく口にできない。だから、やっぱり理想とは違っている

 それに理想を引き合いに出してしまうなら、俺は一目惚れなんてしなかった。

 ――運命の相手が現れればきっと、一目惚れして、相手も自分のことを好きになってくれて、きっと永遠を信じることが出来るような恋愛ができる。本気で相手を好きになることが出来る。

 一目惚れなんかではなかったけれど、俺も彼女も、お互いのことを本気で想っている。お互いの想いが通じあった直後だから自意識過剰にもなっているけれど、それはきっと真実で、永遠すら今は信じられるだろう。

 つい数日前まではすれ違いばかりで周りに迷惑をかけ続けていたけれど、今はそう思っている。未来はわからないのに、過去をもとにした予測など建てられないのに、思っている。

 ――恋をした事もないのに、誰かを好きになったこともないくせに、ただ真っすぐに、きっとそんなものが存在するはずだと信じていた。

 昔と変わっていない。根拠のない自信で、誰かが見れば愚かしいなんて吐き捨ててしまう様なそんな気持ちだ。それを俺は今なお妄信している。永遠を、信じたいと思っている。

 けれど、それはやっぱり理想ではなくて。理想を追求すれば一度振られてしまうあの出来事を俺は望まないし、自分の気持ちを決めかね疑っていたことも、無理だと諦めようとして、他の誰かを巻き込もうとしたいこともあってはならない。そんなもの俺の夢想した純愛ではない。

 だからきっと俺は『理想の恋愛は?』と尋ねられてしまえば一目惚れだと答えるだろう。

 きっと、それは俺だけじゃなくて、理想というものを夢想したことがある人ならそうで。今幸せでももっと上があると、理想はもっと上にあると思ってしまうものだろう。

 ――けれど今の俺は、そんな相手なんて求めていなかった。

 彼女とのこの関係は、俺が望んで繋ぎ合ったものだ。これも一つの答えで、俺はこれを幸せだと思うし、もしこんな人もいるなんてほかの女性を紹介されても俺は隣にいる彼女を選ぶ。

 きっとほかにもいろいろな形があって、それぞれの望む理想と手に入れる現実と手放したくない今は必ずイコールじゃなくて、正解というものは無くて、それこそ十人十色なんだと思う。

 俺と永沢さんの関係も、誰かから見れば愚かしく見えたり、または甘々なおままごとのようにも映るだろう。逆にそれこそが理想だという人もまたいるかもしれない。

 きっとそれぞれの答えがあって、それに間違いはない。

 それこそ小説のように、いろいろな形があっていいんだと思う。進み方も、結論も、それぞれでいい。これが素敵だなんて万人受けするものはあっても、存在してはいけない物語などありはしないのだから。

 それぞれ、手を繋いでおきたいものがあるだけなのだから。

「……忘れ物、もうない?」

「はい」

 俺が尋ねると彼女は笑顔を浮かべる。俺は一応机の中を見てから彼女に行こうかと目で促す。

 明るい部室を出て、廊下の先は真っ暗で何も見えない。赤く光る消火栓の光と緑色の非常灯が真夜中の病院という雰囲気を醸し出していて寒気を感じる。

 俺は身じろぎしながら彼女が部室から出たのを確認して電気を消す。するとより一層闇の色は濃くなって、一瞬だけ視界が真っ黒になった。

 それをどうにかしようと数度まばたきをしてから鍵をかけようとするが、どうにもカギ穴が見えない。ライトを使おうかとスマホの入ったポケットに手をかけた。

 すると突然、俺の手元が照らされた。振り向けば彼女がスマホのライトで俺の手元を照らしてくれていた。

「ありがとう」

 俺は隣に彼女がいることを改めて実感して笑顔を浮かべた。

 手元を照らしてもらいながら鍵をかけ、振り返る。彼女は俯き加減に俺の隣に来てくれた。

 俺の視線が、鞄を握る彼女の手に向かう。もしかしたら彼女もそうだったのかもしれない。ほとんど同じタイミングで二人の手が動いた。

『あっ』

 二人で声を上げて、見つめ合う。それが少し恥ずかしくて目を逸らす。

「…………」

 目は逸らしたまま、お互いの指先が触れる。指先の細さを確かめるように指を絡めれば気付いた時には手の平がくっ付いていた。

 伝え合った体温が少し恥ずかしくて、誰かに見られればきっと二人して手を離してしまうだろう。学校を出て人目に付く場所を歩けばきっとこの手は離れてしまうだろう。

 恋人としての距離に慣れていない俺たちは、まだ手を繋ぐ以上のことはできそうにない。恋人らしいことをしないわけではないけれど、まだそこまでだ。

 恋人になったからいきなり何かできるようになるわけではない。劇的に何かが変わるわけでもなくて、変化はほんの少しだけだけれど、それでも俺は――。

「……行こうか」

「……はいっ」

 ――笑顔を浮かべた彼女と、ようやく同じ歩幅で歩きだした。


primula完結となります。

とても長いお話でしたが、最後まで付き合っていただきありがとうございました!


あ、感想を書きこんでいただけると幸いです!

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