2
「お友達になれるかもよ」
そう言ったお姉さんの言葉が一日中、頭の中で渦を巻いていた。
もう一度ちゃんとお礼を言おうと決意はしたが吉田夏帆子は昼休み以降は姿を現さずに会えず仕舞い……。悩みの分だけ重く感じる足で家へと帰った。
「ただいま」
そう声を発して玄関を開けたが廊下は真っ暗で、リビングのテーブルには母からの置き手紙。今日も仕事で遅くなるらしい。結婚後も夫婦共々、仕事を辞める事なく働きに出る両親は凄いと思う。仕事をこなし周りからの人望もある。俺なんかと違って話も上手だし……。
そんな二人の子供なのに俺はなんでこんな話下手なんだろう。もっとハキハキ喋れても可笑しくないはずなのに……。本当に出来の悪い息子で申し訳ない。
服を着替えて冷蔵庫の中に入っていた夕食を電子レンジで温めた。席に座って両手を合わせ「いただきます」と言葉を発する。一人黙々と食事を取り終えて食器を洗い自分の部屋へと戻った。
今日、習った勉強の復習と明日の予習をするのだがどうにもはかどらない。
明日……、学校に行ったら吉田夏帆子にお礼を言う。お礼を言うのは良いが言ったところで「だから?」と返されればなんとも言えない。どうすれば良いだろう、何か言葉だけじゃなくて物で返すべき……?
先日のお礼です。って菓子折りでも渡せば良いのか? いや、それじゃ肩苦し過ぎるか……。
昨日のお礼がしたいので何か欲しいものはありませんか、とか……。でも、急に何か欲しいものはありませんか? とか聞かれたら困るよな……。
「……」
予習の為に開いていたノートを閉じて新品のノートを広げる。ボールペンを握ったもののなかなかペンは進まない。
「吉田さん……、こんにちは、」
とりあえず挨拶から入るべきだとは思う。
「急に声を掛けてしまってすみません……」
やっぱり怖いから謝っておくべきかもしれない……。
「……、昨日のお礼がしたくて声を掛けさせて頂きました、今お時間よろしいですか?」
と、一度相手側の都合も確認しておくべきだろう。うん、ここまでは良いかな。
それで吉田さんが「大丈夫」と言ってくれれば、「何かお礼にお返ししたいのですが、何か欲しいものは……」っていうのはやっぱり無理やり過ぎるかな……。
いやでも、吉田さんの場合は「大丈夫」なんて言ってくれるだろうか。「今、忙しいから無理。どっか行け」とか言われたらもう俺にはどうすることも出来なくなるし……。でもそこを考え出したら永遠にお礼なんて出来なくなるから。そこは話を聞いてもらえる前提で考えよう!
「昨日のお礼がしたいのですが、吉田さんの好きな物などありましたら教えて頂けないでしょうか……?」
っていうのは、なんか気持ち悪がられそうだよな……。
ここはやっぱり菓子折り的な、俺が貰って嬉しい物を渡すべき……? 相手側に欲しい物を聞くのって失礼かもしれないし……。いや、失礼ではないかもしれないけど、そこまで親しいわけじゃないもんな……。聞くのはちょっと気が引けるかも……。
俺が欲しい物……、なんだろ……。
物で欲しい物って無いかもしれない。あえて言うなら度胸とか……、情けないな……。
吉田さんくらい派手な高校生だと欲しい物ってなんだろ。ブランド物とか……? でも、さすがにそんな物を贈ったら逆に気持ち悪がられてお礼どころじゃないよな……。っていうか、お礼にブランド物を贈るってこと自体が常識的から外れてる気がする。
花束とかぬいぐるみとか贈っても気持ち悪いだろうし、むしろお礼なのにプレゼントっぽいのはマイナスイメージなんじゃ……。やっぱり、何か欲しい物……もしくは吉田さんが望むものでお礼をするべきかな……。
「……」
真っ白だった新品のノートは真っ黒になっていた。読み返してみれば訳の分からない単語まで書いてある。俺、頭悪いかもしれない……。
日付も変わった頃、帰宅した母が部屋へとやって来た。「まだ起きてたの? 早く寝なさい」と声を掛けられるまで俺は明日の対応について悩んでいた。
明日の朝、早めに起きてシャワーを浴びよう。そして明日の昼休みに吉田さんに声を掛けてお礼を言う…。
「吉田さん、こんにちは……急に声を掛けてすみません。昨日のお礼がしたくて声を掛けさせて頂きました…。今、お時間よろしいですか……」
当然、なかなか寝付けなかった。
次の日、早めに起床したのは良いが寝るのが遅かったせいで凄く眠たかった。シャワーを浴びてリビングに行けば母はもう仕事に行ったらしい。父は帰って来なかったのかな、と思いつつ用意されていた朝食を食べて学校へと向かう。
おはよう、と声を掛けてくれたクラスメイトにおはようと返事を返しながら教室へと向かった。昼休みまでの授業は聞いてるつもりでもあまり頭には入っていない。昼休みになったら吉田さんにお礼を言う。
頭の中では何度も何度も吉田さんに掛ける言葉の練習をした。
昼休みになって吉田さんの居る教室へと行ったが吉田さんの姿は無い。もう教室を出て何処かに行ってしまったらしい、食堂の方にも行ったが吉田さんは見つからない、でも購買で吉田さんは昼食のパンを買ったらしい。
早くしなければ昼休みが終わってしまう。吉田さんの都合が悪かったらお礼も言えなくなってしまう、早く吉田さんを見つけなければ!
お昼ご飯を食べる場所、と想定して色々探し回ったがなかなか見つからない。
もしかすると昨日の公園で……と思った俺は校門の方へと足を進める。その途中、グラウンドの傍にある階段に座る吉田さんの姿を見つけた。あんなところで食べてる……とは思ったが俺は思い切って吉田さんへと声を掛けた。
「吉田さん」
どんな反応をされるのかと思っていたが俺の予想を反して吉田さんは「あ、安藤くん」と少しキョトンとした様子で俺の名前を呼んだ。まさか名前を呼ばれるとは思ってなかった俺はその一瞬で動揺して慌てた。
「こ、こんにちは、すみません……あの」
違う! どもったし、こんにちはと挨拶した後は急に声を掛けてすみませんだったのに!
何度も練習した言葉を間違うなんて慌て過ぎた! 落ちついて、次の言葉を喋るんだと吉田さんへと視線をやれば吉田さんは訝しげな様子で俺を見ていた。
めちゃくちゃ迷惑そう!! 早く伝えないと!!
「昨日のお礼がしたくて…っ」
俺が喋ってる途中、昨日のお礼がしたくて声を掛けさせて頂きました、今お時間よろしいですか? とまで言う予定が途中で遮られてしまったのだ。
「いや、別に良いよ」
まさかの拒否! 最後まで言葉を伝えることも出来ずお礼まで拒否されてしまった!
「え!? でも、あの……」
「良いってホント、それより早くどっか行った方が良いよ。私と居るとこ見られるの嫌でしょ?」
それってどういう意味だろう。
吉田さん的に迷惑だからどっかに行けってことなのか、それとも悪い噂の多い自分と一緒に居るのは俺の都合が悪くなると思っているから言ってくれているのか……。
「そ、そんなこと……」
ないです。
と、否定しようとした俺の言葉を吉田さんはまた遮った。ハッキリと喋らない俺が悪いっていうのもあるけど最後まで伝えさせて欲しい。
「安藤くんもお昼ご飯食べるでしょ? 時間無くなるよ?」
吉田さんの言葉に今頃気付いた。吉田さんにお礼を言うことで頭がいっぱいで自分のことをすっかり忘れていたのだ。
「お昼……? あ、買うの忘れ……」
忘れてた。と言葉を発する前に吉田さんが深く溜息を吐く。その溜息に俺はビクリと肩を揺らした。
――情けない男だな、って確実に思われた!!
吉田さんは手に持っていたコロッケパンを袋に戻して紙パックのコーヒー牛乳を手に取り立ち上がった。俺が鬱陶しくなって何処か別の場所に移動するのかもしれない。
それは駄目だ、お礼もちゃんと言えてないのに!
吉田さんを呼び止めようとした時に吉田さんは俺の胸にパンを押し付けて来た。とっさのことに驚いて俺はそのパンが落ちない様に両手で受け止める。
「お昼ご飯にどうぞ」
「ぇ、あ……」
吉田さんの言葉に両手で受け止めたパンへと視線を向ける。
――クリームパン。
お昼を買い忘れてた俺にくれたらしい、そのクリームパンから吉田さんへと視線を戻せば吉田さんはすでに俺に背を向けて校門の方へと歩いて行ってしまっていた……。
お礼を言って、何かお礼を返すはずだったのに……。
俺が貰ってどうするんだ。しかも、パンを譲って貰って置いてお礼を言えてない!!
クリームパンを両手で持ちながら颯爽と去って行ってしまった吉田さんの背を見えなくなるまで見送った。俺はなんて情けない男なんだ、そして吉田さん……、カッコイイ……!!