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晩ご飯の時間になって母が部屋に呼びに来た。
「夏帆子、調子はどう? ご飯は食べれそう?」
「うん、休んだら大分マシになった」
母に返事を返しながら部屋を出る。調子は良くなったが今後が凄く不安だ。今、私の右手には『メメ』は居ない。左手には絆創膏が貼ってあるので左手に現れることはないと思うけど…。
――今、何処に居んの。あの目。
母の後ろを歩きながら腕を擦る。何処か違和感のある場所が無いかと肩や腰辺りも擦ってみるが特に反応は無い。おでこに居ないよな、と額に手を当ててみるがどうやら居ない。
「どうしたの? 熱でもあるの?」
「ううん、ちょっと痒かっただけ」
誤魔化す様に笑ってから右手の甲を擦った。本当に何処に居んの。
うちの家は三人家族。父と母と私。
すでに父が料理の並んだテーブルの前に座っていて、母が父の向かいに座った。私も母の横に座る。美味しそうなご飯、慌ただしい一日だったのでお昼を食べていなかった私のお腹が鳴った。
父と母が手を合わせて「いただきます」と言葉を発する。私も箸を持ちながらだが簡単に手を合わせて小さく頭を下げた。いただきます、は心の中で呟く。
父と母が会話をする横で私は黙々とご飯を口に運ぶ。ふと気付いたサラダに入っていたピーマン。その存在に眉を寄せてから別のお皿の上に移動させる。これは食べ物では無い、独特の苦みを発する固形の何かだ。
《好き嫌いは良くない》
「!?」
突然聞こえたメメの声。慌てて父と母に視線をやれば二人は特に気にした様子も無く会話をしながらご飯を食べていた。聞こえてない、のだろうか……。でも、考えてみれば私の体にある目が喋っているんだから口が無いメメの声が他者に伝わるわけがない。
メメの声は私にしか聞こえてないんだ。
《緑の野菜は体に良い》
「……」
――うるさい、私の勝手でしょ!
心の中でメメにそう言ってみるがメメからの反応は無い。メメは私の体の中に居るけど私の心の声を聞く事が出来るわけじゃないらしい。まあ、心の声を聞かれるのも嫌だけど。他の人が周りに居る時はメメとの会話は不可能だ。メメと会話してるつもりでも独り言をぶつぶつ言ってる痛い女になってしまう。こうなっては無視。シカトだ。
黙ったまま私は食事を進める。勿論、ピーマンは食べない。お茶碗に入ったご飯を食べてお茶碗をテーブルに置くとまたメメが喋る。
《茶碗に米粒が残ってる》
「……」
当然、無視。早く食べてしまおうとおかずを口に放り込む。
《よく噛んで食べる方が良い》
「……」
《箸の持ち方が……》
「うっさい!」
ベシン、とテーブルに箸を置けばメメの声が止む。大きく溜息を吐いたところで周りが静かになってる事に気付く。視線をやれば父と母が困った様な表情で私を見ていた。
――しまった……。メメに話しかけたつもりでも二人には私が急に怒鳴った様に聞こえたんだ。しかも「うっさい!」って言っちゃったよ私……。
「夏帆子……」
「ごめん! なんか凄い耳鳴りしてて、つい!」
私が慌ててそう言えば二人の顔に安心したような笑みが浮かぶ。良かった、納得してくれたみたいだ。
ご飯を食べ終わり両手を合わせて「ごちそうさま!」と声を発してから自分の部屋に急いで戻る。メメの奴! 絶対に許さん!
「メメ!」
《ちゃんと『ごちそうさま』は言えて偉かったな》
「……え?」
《今度は『いただきます』も言うともっと良い》
メメの言葉に顔から火が出るかと思った。なんで私こんな子供扱いされないといけないんだ! 右手の甲を見ればメメが居た。怒りをぶつけてやろうと口を開いたが緑色の目が私を見つめていて怒鳴ろうと思っていた言葉が喉のところで止まる。
宝石みたいな綺麗な目が優しげに笑ってる気がした。
なんか一気に調子を狂わされた。だってこんな優しい目で見られるなんて……。さっきとは別の意味で顔が熱くなる。
《でも、好き嫌いは良くない》
「うっさい! ピーマン嫌いなの!」
《体に良い》
「体が無い奴に言われたくないし!」
《目に……良いだろうか?》
「知らねぇよ!」
なんか会話してると疲れる! そう思ったところで、そういえばメメは何処から私を見ていたのかと疑問に思った。手の甲には居なかったし。
「……私がご飯食べてる時、何処に居たの」
《喉辺りだな。夏帆子の父と母がこちらを向いた時は鎖骨辺りに避難した》
そんなところだったのか、どうりでよく観察されてると思った!
「キモイ! 観察すんな!」
《見て観察する以外に出来ることが無くて退屈だ》
「ぬぬぬぬぬ!」
――確かにそうかもしれないけど……。
《でも、夏帆子が嫌なら》
「メメ……」
《今度から見ていても言わないことにする》
「結局、観察はすんのかよ!」
なんかもう全部台無しだった! もうコイツ嫌い!
でもこれ以上言っても無駄なんだろうな。目だし、見ること以外出来ないのは確かだもん。私が我慢すれば良いんだよね……。
大きく溜息を吐いてからリビングに戻る。ソファには父が座っていた。
「お風呂、入った?」
「いや、まだだが。先に入っても構わないよ」
「じゃあ、先入るね」
父が頷いたのを確認してから部屋に戻って着替えを手に取る。着替えを持って洗面所に入れば浴室から入浴剤の匂いがした。薔薇の香りだ。良いね、薔薇の香り。思わず鼻歌を歌ってしまうくらい上機嫌になった。
服を脱いだ時に気付いた左手に絆創膏。そんなに傷も深くないし絆創膏は取っておいた、左手にはすでにかさぶたが出来ている。早めに治りそうだと思いながら鏡に視線をやれば丁度、胸の間に『目』があった。
鏡越しにメメと視線が合う。のんびりと瞬きをするメメ、そして鏡に映る私は素っ裸。
「ぎゃあああああっ!!」
私の悲鳴に父と母が走って来る。洗面所の扉を隔てて二人が声を掛けて来た。
「夏帆子! どうした!」
「何かあったの!?」
「なんでもない! 足の小指強打して思わず声出ただけ!」
「大丈夫なの?」
「大丈夫!」
ぜぇぜぇと息を切らせながら返事を返せば二人はリビングへと戻って行く。私はバスタオルで体を隠しながら小さめの声でメメに話しかけた。
「なに考えてんの!?」
《今? 今は特に何も考えてなかった》
「信じらんない! お風呂入るって分かったら気を利かせるもんでしょ!? なにガン見してんだよマジで!」
《なにがだ?》
「私の裸を見るなって言ってんの!」
《夏帆子が鏡に映らなければ見えなかったがな》
「……ああ、そうか」
私が鏡に映っちゃったから。そうか、私が悪いのか……。
――って、なるかァ!
「目、瞑っとけば良いでしょ!?」
《ああ、なるほど》
私の言葉にメメが大人しく目を瞑った。ホント、コイツ嫌い!
っていうか、ちょっと待て……。うら若い女子高生の裸を見て最初の反応が『特に何も考えてなかった』だったのってどうなの。
「メメ……、一応聞かせて、私の裸……どう思った?」
《女の体だと思った》
「興奮するとか、照れたとかは!?」
《いや、別に?》
「シネ!」
《嫌だ》
その後、薔薇の香りだとかどうでも良くなって不機嫌のままお風呂に入った。なにこの悔しさハンパない。そりゃ興奮するとか言われたらドン引きだったけど、乙女の気持ち的には許せなかった!
しかもメメは入浴中に一度も目を開けなかった。それで良いんだけど……、なんか悔しい。ホント、女として悔しい。
自分の部屋に戻ってベッドに横になる。なんか疲れて眠い。
《そのまま寝ると風邪を引く》
「分かってるよ……」
実の母よりうるさい母なんだけど、コイツ。
溜息を吐いてから髪の毛をドライヤーで乾かす。こんないちいちうるさい男と生活していくなんて私耐えられるかな……。まあ、目だけなんだけど。
「てか、メメは寝るの?」
《寝てみないと分からない》
「眠い?」
《眠くない》
本当に何者なんだろう。どういう状況で目だけになったのか、しかもなんで私の体に居るのか……。メメの左目以外は何処にあるんだ……。
会話してるところから考えると意識は完全に左目にあるってことなんだろう……。
いっそ誰かに相談した方が良いのかもしれない、でも誰に相談したら良いんだろ。親……は微妙だな。友達なんてこっちには居ないし、病院に行ってなんか解剖とかされたら嫌だ。
「メメはさ、他の体の感覚とか無いわけ? 手を動かしてる感覚はあるとか」
《全く無い》
まあ、そんな返事が返って来るような気はしてましたよ。してましたとも。
「目だけになった気分はどうですかー」
《さあ、目以外を持った記憶が無いからなんとも言えない》
「ああ……」
《でも、こうして夏帆子と話をするのは楽しい》
「……あ、そう」
《うん》
そんな風に言われると悪い気しないよね。
仕方がない……暫くは様子を見て、メメと二人でやって行くか……。