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ジュースとお菓子を買ったコンビニに戻って来た。一時間前くらいに買い物に来た女子高生が万引きをしに再び戻って来るとは店員も思うまい。あの子はさっきちゃんと買ってた、だから次もちゃんとお金を払う。
そう考えていなくてもなんとなく無意識にそう思ってるに違いない。
だって明らかに見た目で真面目そうでもなんでもない私が、授業中の時間帯にジュースとお菓子を買いに来たんだ。一度目の来店時にすでに怪しまれて観察されていたかもしれない。万引きしそうな女子高生だもんね、世の派手めの女子高生がみんな万引きするわけじゃないけどさ。
いらっしゃいませ~と、けだるい声で迎えられた。そのままお菓子の並ぶ棚の前に立ってお菓子を選ぶフリをする。レジに中年のおじさんがカゴを置いた。店員がおじさんに軽く頭を下げるのを見ながら私は棚からガムを二本掴んだ。
ぎゅ、とガムを右手で握った時に右手の甲に違和感。視線をやれば手の甲に毛が生えていた。色素の薄い金色の毛、毛虫かとも思ったがそれは『まつ毛』だ……。金色のつけまつ毛が私の手の甲に付いている。
――誰かの落としたつけまつ毛が私の右手に付いたんだ。そう起こる状況でも無いがそう思わないと手の甲にまつ毛が付いてる理由が他に無い。
そのまつ毛を取ろうと左手を動かした。
ぎょろりんっ
取ろうとしたつけまつ毛がパッチリと開いた。上まつ毛と下まつ毛に分かれて、その中央には宝石みたいな緑色の目がある。人形の目玉みたい、と思ったところでその緑色の目が私を見た。
目と目が合った。
「……ッ」
目が瞬きをすると手の甲に振動が伝わって来る。――これは何なんだろう。
ごくり、と唾を飲み込んだ。右手にはガムを握ったままだが汗ばんでじっとりしている。目と目が合ったまま私は身動きが取れなかった。どくんどくん、と心臓の音が聞こえる。
――これは何なんだ。
どうして私の右手の甲に目があるんだ、それもまつ毛は金で目玉は緑。外人の目だ。それも私から見て右だけど、その目の持ち主から見て目は左目。そうこれは誰かの左目。誰かの左目が私の右手の甲にある。その誰かの目が私を見てる……。ゆっくりと瞬きをするその目が辺りを見渡す様に急にぎょろぎょろと視線を動かした。
「ぃやああああああっ!」
咄嗟に左手で右手の甲を叩いた。今、私の左手は右手の甲を覆った状態だ。この左手の下には誰かの目がある!
耐えきれなかった! 目玉が動いた瞬間、私の手の甲の『中』で確かに目玉が動く感触があった!
「どうしました!? 大丈夫ですか!?」
店員が駆け寄って来てくれて私は首を横に振る。
「手に! 目が!」
「てに、めが?」
店員が首を傾げた。
「手に!」
「もしかして虫が手に付いたとか?」
私が手の甲を押さえてるのを見てから店員が眉を寄せる。そんなことで……、なんて言いたげな顔だったので物凄く腹が立った。
「違う! 緑色の」
「カナブン?」
違うって言ってんでしょうが!
首を傾げる店員にまず見せるしかないと思って右手の甲を押さえる左手を退けて店員に右手の甲を見せた。
「これ!」
「……赤くなってますねぇ」
――なんでぇぇええ!?
手の甲に目が無くなってる。さっきまで確かにあったのに、感触まであったのに無くなってる!
思いっきり叩いたせいで赤くなってる右手の甲があった。まつ毛も付いて無い。呆然とする私を見てから店員が溜息を吐いた。人騒がせな客だなぁとか思ってるんだろうけど、私はそれどころじゃない。さっきまで確かにあったのに。
――何かの見間違いだった? そう、かもしれない……。だって手の甲に目があるなんて普通に考えてありえないし。
「お客さん、大丈夫ですか」
「大丈夫、です……。すみませんでした……」
私が頭を下げれば店員は特にそれ以上は何も言ってこず、そのままレジに戻って行く。私は少しふらつきながらもコンビニを出て家へと向かった。疲れてるのかもしれない、疲れるようなことはしてないけど疲れてるから変な幻覚を見たんだ……。
ゆっくりと歩きながら家へと帰った。途中で何度も右手の甲を見て触って確認した。でもやっぱり目は無い。
家に着いて玄関の扉を開けると母がスーパーの袋を持って玄関に居た。丁度買い物から帰って来たところだったらしい。私を見た母は眉を寄せた。
「またアンタは! 学校サボってなにやってんの!」
「…うん」
母の言葉に頷き返す。いや、ホントに私ってばなにやってんだろう……。
「夏帆子?」
「なんか気分悪くて……」
「やだ! 顔、真っ蒼よ? 大丈夫なの?」
「寝たら治るから」
「何か欲しい物あったら言いなさいね」
いつも怒鳴る母が珍しく優しかった。私はそんなに顔色が悪いのだろうか。
母の言葉に頷いて自分の部屋へと行く。部屋に入ってベッドに横になれば少しだけ落ち着いた。
――なんだったんだろう。あの目……。
はあ、と息を吐いてから自分の掌を見る。ガム、パクり損ねたし……。
くるりと手を返して手の甲を見る。右手の甲に色素の薄い金色のまつ毛が、あった。
「!?」
やっぱりある! さっきまでは無かったのに!
目がゆっくりと開いた。また緑色の目が私を見る。目が瞬きをしても少し視線を動かしても確かに私の手に感触がある。
「なんなの!」
《……なんだろう》
目が返事をした。男の声で、外人の目なのに流暢な日本語。しかも声が私の頭の中で聞こえた気がした……。
「あ、あなた……、誰?」
《誰だろう?》
「分からないの?」
《分からない》
「あなた、目だけしか無いけど…」
《そのようだ……》
通じてるには通じてるし、返事も返って来てるけど、答えになってない!
でも、返事が返って来るから恐ろしかった気持ちは大分和らいだ。言葉が通じるって安心する、この状況で聞いたことのない言語を喋られたら私は本当に発狂してた。
「私、吉田夏帆子っていうんだけど……。あなたの名前は?」
《分からない》
目はゆっくり瞬きをしながらそう言った。自分の名前も分からないらしい。
「何か、覚えてることってないの?」
《…叩かれそうになった》
ああ、それさっきのだよね。それはごめん。でも私は悪くない。
「他には? もっと前。目だけになる前」
《分からない》
「じゃあ、なんで私の手に居るの」
《分からない》
こいつ、こればっかりだな……。
いや、でもこの状況に困惑してるのはこの目の人も同じだろうし……。
「私の右手から居なくなるって出来ないの?」
《出来る》
おお、出来るなら是非やって頂きたい。いつまでも私の右手に居られると困るんだもん。そりゃ目だけの状態になっちゃって可哀想だとは思うけど……。
《右手に居られると困るのか》
「ええ、まあ……。出来れば居なくなって欲しいなぁなんて……」
《分かった》
目がゆっくりと瞼を閉じる。居なくなってくれると思うとゆっくり観察も出来るよ、いやはや長いまつ毛ですねぇー。
右手の甲にあった目がすぅっと消えた。
思わず顔に笑みが浮かぶ。良かった、と思いながら左手で右手の甲を触ろうとした……。
「え、ちょ、……」
《……》
「左手に居られるのも困るんだけど!?」
《では何処に居れば良い》
「どっか違うところ行ってよ! 私の体から出て行って欲しいんだって!」
右手から居なくなっても左手に居たら意味無いんだっつーの!
記憶も無くて、目だけの人に出て行けなんて言うのは可哀想だとは思うけどね。でも自分の体に誰かの左目があるって状況は耐えられないのよホント!
《夏帆子の体の中しか移動出来ないようだ》
「私の体の中移動してんの!?」
それはそれで凄く気持ち悪い! っていうか、私の体以外に行けないの? それってどういうこと? ずっとこの目、私の体の何処かしらに付いたまま?
え、体に誰かの左目が寄生した状態で私は生活しなきゃいけないの? どんな拷問それ?
「無理無理無理! マジ無理だって!」
《……》
「体とかどう洗えっての!?」
《私が右手に居る時に左手を洗って、私が左手に居る時に右手を洗えば良い》
「真面目に答えられても困る!」
《……》
ずっと誰かの視線を感じた状態で生活するとか絶対に嫌でしょ!
「本当になんで私の体に現れたわけ?」
《分からない》
「分からないばっかりじゃん! 私、名前も分からない見知らぬ人間の目と生活するとか嫌だよ!」
《私は、人間なのか?》
そこでそんな疑問!? っていうか、人間じゃなかったらなんなの!? 人間でも嫌なのに人間じゃなかったらもっと嫌なんだけど!
「なに、妖怪なの!?」
《人間の目が他の人間の体に現れるものだろうか……、常識的に考えて有り得ない……》
人間かも分からない左目に常識を語られた!
っていうか、その常識を覆してる張本人が一番冷静に分析してるってどうなのそれ!
「寄生されてる人間の私からすれば逆に人間であってくれないと怖いんだけど!」
《人間であっても怖い》
――その通りですけどもっ!
混乱して声を荒げる私に対して目は冷静だ。私が目の立場だったら今の私の比じゃないくらい慌てて叫んで混乱してることだろう。
「私、どうしたら良いの……」
《私は夏帆子の体で様子を見ようと思う》
「本人の許可取ってくんない?」
《暫く厄介になる》
「嫌だよ!」
《移動の手段が無い》
確かにそうかもしんないけど、見知らぬ左目(しかも男)と生活するなんて嫌だよ!
こうなったらいっそ潰してやろうか、この左目。
机の引き出しからハサミを取り出して目に見せる。目は緑色の目でハサミを見つめていた。
「潰したらどうなるのかなー…?」
《痛いだろうな》
「目だけのあなたには悪いけど私は見知らぬ左目と生活する気なんて無いから」
《……》
「潰れても右目だけで生きて下さーい!」
《……》
左手の甲にハサミを振りおろした。目はゆっくりと瞬きをしてからハサミを見つめる。
ハサミが刺さる。それと同時に私の左手に激痛も走った。あまりの痛さに声も出なくて血が流れる左手を右手で押さえると右手の甲に目が居た。
《無茶をする》
「移動すんなよ!」
《もし潰れたら痛い》
――潰そうとしたんだっての!
そんなに深く刺さったわけじゃないが痛いもんは痛い。絆創膏を貼ってから右手の甲に視線を落とすと目は部屋の様子を見る様に視線を動かしていた。目が視線を動かす度にぐりぐりと手の中に感触がある。
どうやら私はこの目と生活しないといけないらしい……。
悪夢だ、悪い夢なら早く覚めて欲しい。手に目が現れるなんてありえない。しかも目が言うには私の体なら何処でも移動出来るんでしょ? おでことかに移動されたら私は三つ目女じゃないか。
「仕方ないからあなたと生活する」
《そうか》
「でも、絶対に他の人に見られない様にしてよ!?」
《何を》
「お前の『目』だよ!」
《譲歩しよう》
今の私ほど『酷い目』にあってる人間は居ないだろうな。
大きく溜息を吐くと目がパチパチと瞬きをしていた、この目と生活するのに私はこの目をずっと『目』と呼び続けることになるのか……。紛らわしいな……。
「ねえ」
《…なんだ》
「名前付けて良い?」
《構わない》
目の返事を聞いて、よし、と腕を組む。
あれだよ、ペットみたいに思って生活すれば良いんだよ。それだったら大分マシになるよ、だってほら私のペットだし。
こうして見ると綺麗なまつ毛に綺麗な目、とっても可愛いような気が……。
――しない……。
うん、目は目だよね。目だけとか気持ち悪いわ。
《夏帆子?》
「あー……、うーん、そうだねー……」
《……》
「おめめの『メメ』ってどうよ」
《……》
「良いじゃん! メメちゃん良いじゃん! 可愛いじゃん!」
《何も言ってない》
「目が冷たい!」
《……》
「ほら! その目! その目が冷たい!」
《この目しか無い》