~航太とラッキー~
「早く歩いてよ!」
夕暮れ時、そう言われた彼は、我関せずといった様子で、耳を立て、クンクンと鼻を鳴らしている。
彼は犬のラッキー、オスのシベリアンハスキーで、年齢は13歳、人間で言えば、かなり高齢だ。
そんな彼を怒鳴り飛ばした僕は、中神航太。どこにでもいる普通の小学校6年生。最近は、スマホゲームに夢中で、今夜も19時から、レアアイテムがもらえるイベントが控えている。
「ちょっと前までは、もっと早く歩いてくれたのに。。」
このままのペースだとイベント参加が間に合わない、そう考えた僕は、半ば無理矢理、力ずくでラッキーのリードを引っ張り家路を急いだ。
「はぁ。。。」
結局、ゲームのイベントには間に合わず、参加できなかった以上、レアアイテムの配付もなし。これでは、明日の友達との会話にもついていけない。
その原因となった彼はというと、散歩の後、ゆっくりと御飯を食べ(最近は少し残す)、犬小屋でスヤスヤ眠っている。
「犬はいいよな、気楽で。」
ついついそんなことをぼやいてしまう。でも、実際そうだ。人間である僕には、学校があり、授業があり、友達付き合いというものがある。小学生だって、いろいろ大変なのだ。
翌日、学校では予想通り、昨日のイベントやレアアイテムの話題で持ちきりだった。参加していない、というだけで仲間外れ、まったくもって、つまらない一日になってしまった。
下校時間になったので、そそくさと学校を後にし、家路を急ぐ。 今日も19時からイベント。今回は限定のレア武器が手に入るため、昨日のようなミスはできない。
ラッキーの散歩は、余程のことがない限り僕の担当なので、昨日の反省を生かして、少し早めに済ませることにしようと考えた。
家に到着し、犬小屋がある庭を覗き込む。
普段なら、僕の足音なのか匂いなのかに気付いたラッキーと目が合うのだが、何故だか今日はそれがない。
「ラッキー?」
呼び掛けてみたものの、反応もない。
「散歩かな?」
それならば、と家の中に入ろうと玄関に向かう途中で、背中がゾクッとした。今日は僕以外、皆帰りが遅かったはずだ。父さんは会議と飲み会、母さんは友達と劇を見に行く、姉さんは塾があると言っていた。まさか。
慌てて犬小屋へ駆け寄る。犬小屋の中は空っぽ、鎖に繋がれた首輪だけ、ポツリと落ちていた。
外れた様子はない。ではどうやって。分からない。
ポケットからスマホを取り出し、とりあえず母さんに電話を掛けてみる。
「お掛けの電話は、電源が入っていないか・・。」
繋がらない。次は父さんだ。
「お掛けの電話は、・・。」
何だよ。そしたらあとは、姉さんか。
「お掛けの・・。」
心臓の鼓動が早くなる。こんな時に、僕しかいないなんて。
急いで二階の部屋に駆け上がり、ランドセルを放って、自転車の鍵を手に取る。そのままの勢いで階段を駆け下り、玄関を出て、自転車に跨がり走り出す。
とにかく手当たり次第に自転車で走り回った。普段の散歩コースや、ちょっと離れた公園、河原。ラッキーが居そうな場所はとにかく回った。汗や鼻水で顔はベチャベチャ、しまいには涙まで垂れ流しだ。端から見たら、かなりびっくりされるんじゃないだろうか。
「どこ行ったんだよ、ラッキー。。」
ペダルを回し続けた足は、とっくに限界で、普通に歩くのも儘ならない。日も暮れてきたため、とにかく一旦家に帰ることにした。もしかしたら、ラッキーが戻って来ているかも知れないし。
家までの道を、たった一人、足の痛みに顔を顰めながら歩く。この道も、普段なら散歩コースで、いつもラッキーと一緒だった。 そんな事を考えていたら、ぽろぽろと、涙が溢れてきた。
「ラッキー。。」
日が暮れて真っ暗な道を、泣きじゃくりながら歩く。嗚咽、という難しい言葉があるけど、たぶん、こういうのを言うのだろう。 胸が苦しくて、涙が止まらなくて、声も出ない。呼吸もうまくできない。ラッキーがいなくなることが、そのたった一つの出来事が、こんなに苦しいなんて思わなかった。
もうすぐ家だというところで、目の前を何かが横切った。そしてそれは凄い速さで、近くの塀の上に登った。
「お困りのようね。」
辺りは真っ暗なはずなのに、やけにシルエットがはっきり見えた。そこには、見慣れた近所の野良猫、トラがいた。
「そんなに泣いて、何かあったの?」
「実はラッキーがいなくなってさ。。」
「そうなの。それは大変ね。」
そんなやり取りを数回繰り返して、あることに気付いた。
「・・・何で猫がしゃべってるの?」
猫が人語を喋る、その光景にあれだけ出てきた涙もすぐに止まった。トラの言い分によればこうだ。
「そりゃ、猫だって必要なら人語くらい喋るし。」
「I can speak Japanese.」
「英語も多少はイケるわよ。」
等々、およそ普通なら叫びたくなるようなことを、ユーモアを交えつつ説明された。
「まあ、正確に言うなら、あなたが必要とするから、私達の言葉を理解できてる、って感じかしらね。」
「僕が必要とする?」
「そうよ。あなたは今、ラッキーのことだけを考えているでしょ?」
「うん。。」
「そういう純粋な、一途な思いには、強い力があるのよ。」
たしかに、一つのことだけ考えるということは、すごい力を生み出すことがある。例えば、スポーツ選手とかが良い例ではないだろうか。他の事を考えず、ただひたすらにその競技に打ち込むからこそ、すごい記録が生まれるわけで。
「たしかに、こんなにもラッキーのことだけを考えたことなんてなかったかも。」
「人間なんて、皆そんなものよ。」
トラは、少し寂しそうな声で言った。
「ところで、ラッキーのことだけど。」
「どこにいるか知ってるの?」
「まあ、大体ね。」
「連れて行ってよ!」
「そうねぇ。まあ、今のあなたなら資格があるだろうし。」
「資格?」
「そう、資格よ。世界を渡るためのね。」
「世界を渡る?」
渡るも何も、僕にとっての世界といえば一つで、まあ、簡単に言ってしまえば、この宇宙というか。もっと小さな単位で言えば、この地球だろう。
「おそらくだけど、ラッキーはそっちに居るはずよ。」
「世界を渡れば、その、会えるの?」
「たぶんね。」
「・・・なら、連れて行ってよ。お願いします!」
僕は、トラに心からのお願いした。
「一つだけ確認するわ。いい?」
「何?」
「仮に、あっちの世界にラッキーが居たとして、確実に会えるどうかは分からないし、もしかしたら、辛い思いをするだけかも知れない。それでも良い?」
辛い思い、どういうことだろうと思うけど、どこに行ったかも分からない、他に手掛かりもないなら、僕にとっての答えは一つしかない。
「それでも、お願いします。」
「分かったわ。なら、ついて来なさい。」
「うん。ありがとう!」
トラは塀から飛ぶように走り出した。僕もそれに続く。足は痛いけど、心がそれを引っ張る。置いていかれないように、自転車のペダルは全力回しだ。
「はぁ。。はぁ。。」
トラの速さは尋常じゃなく、自転車でもギリギリ付いていけるくらいだった。全身から汗が噴き出すし、足なんて立っていられないくらい、ズキズキ痛む。
「着いたわよ。」
「ここは?」
そこは見たことない神社だった。古めかしい鳥居が暗闇に浮かんでいる。一人なら、間違いなく引き返す雰囲気だ。
「ほら、行くわよ。」
「ちょっと待ってよ!」
トラは、スタスタ境内を進んで行く。僕も自転車を降りて、端に寄せ、恐る恐る、でも小走り的な感じで、トラの後に続く。
「真っ暗だね。。」
「そうね。」
「ここは、何の神社?」
「ここはね、十二支神社よ。」
「聞いたことないや。」
「でしょうね。」
わりと近所のはずなのに、初めて聞いた神社だった。こんな肝試し的な場所なら、子供達の格好の遊び場になるはずだ。
「ここは特別な場所なの。普通の人間には、そもそも立ち入ろうという気持ちが起きない場所なのよ。」
「そういうものなんだね。」
何だか不思議な感じだ。存在するのに触れられない、みたいな。 そういうの、ゲームか何かであった気がする。
そうこうしているうちに、暗闇の中にぼんやりと、お社のようなものが見えてきた。
「もうすぐよ。」
「あのお社に何かあるの?」
「あのお社が、あっちの世界への入り口よ。」
思わず、生唾を飲み込んだ。この静かな場所では、そんな小さな音さえも、やけに大きく聞こえる。
「怖くなってきた?」
トラが皮肉っぽい口調で聞いてくる。
「怖いけど、怖くないよ。トラが居てくれるからね。」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。」
この暗闇の中で、例え小さな猫であっても、自分の見知った存在が隣に居てくれるということは、かなり大きい。もし僕一人でこの暗闇を前にしたら、たぶん一目散に逃げ出してしまうだろう。
「ありがとね。トラ。」
「どういたしまして。でも、お礼なら、無事にあっちへ渡れたらにしましょうか。」
「無事に?」
「そうよ。世界を渡る資格があることと、無事に渡れるかどうかは、別問題よ。」
「・・・えー。」
「例えばさ、無事に世界を渡れないと、どうなるの?」
「世界と世界の狭間に閉じ込められるわ。」
「戻って来られなくなるってこと?」
「まあ、簡単に言えばそうなるわね。」
「うわぁ・・・。」
今の僕は、間違いなく顔面蒼白状態だろう。自分でも分かる。
「どうする?まだ引き返せるけど。」
トラが真剣な声音で尋ねてくる。本気で心配してくれているのだろう。
「・・・渡るよ。会いたいからね。会えるか分からないけど。」
僕は答えた。もしかしたら、を考えたら、そりゃ行かない方が良いだろう。でも、ラッキーに会えるなら、その可能性があるのなら、僕はそれに賭けたいと思った。
「分かったわ、では行きましょう。」
「うん。」
「着いたね。これからどうするの?」
「ちょっと待ってて。」
トラは、何やら聞き慣れない言葉をゴニョゴニョと呟いた。
「うわっ!?」
トラの言葉に反応するかのように、急に目の前に青白い扉のようなものが現れた。
「これは何!?」
「見ての通り、あっちの世界へ渡るための入り口よ。」
「開けて入ればいいの?」
「開ければ良いってもんじゃないわ。よく聞いて。」
「うん。」
「さっき、純粋で一途な思いは強い力を持つ、って言ったわよね?」
「うん。それで?」
「とにかく願うの。あなたの一番の願いを。」
「分かったよ。それで扉を開ければ良いんだね?」
「そうよ。」
「トラも一緒に来てくれる?」
「もちろんよ。」
僕は扉の前に立った。そして静かに、今までで一番、真剣な気持ちで願った。願いながら、青白い扉を開けた。
「僕は、ラッキーに会いたい。その為に、世界を渡る!」
僕達は、青白い扉の中に吸い込まれていった。