新たに生まれた白神
六
しんとした部屋の中でカゲノは口を開く。
「視えただろう?」
「今のは…」
「過去に起きたこと、この本に書いてある実際に起きたことだ。単刀直入に言うぞ。佐伯詩歌、お前は白神の生まれ変わりだ」
「えっ…」
「私の霧咲の血がそう言っている」
「えっと、えっと、あの…私、混乱しちゃって…」
「まだ判断材料が足りないか?お前に霊能力が芽生えたこと、私が本を読んでいる時にその光景が目に浮かぶと言ったこと、この一連の突拍子のない話を疑いもせず信じたこと、倭文子の封印を解いたこと、そして、今私が見せた光景を視ることができたこと」
「はぁ…。そう、ですか…」
「実感がわかないのも無理はないが、理解して貰わないと困るぞ」
「う、うん」
実のところ、詩歌は実感はわかないが、白神の生まれ変わりと言われたことが妙にしっくり自分の心に落ち着いていた。
「まあ、いい。これから嫌というほど実感するだろう。倭文子はきっとお前と私を狙ってくる」
カゲノの目は鋭い。
「狙ってくるって…」
「倭文子の封印は解けたが、力は簡単には戻らない。どこかに身を潜め力を蓄えているだろう。しかしそれだけでは足りない。封印の元となった、私とお前を殺さねば完全に力は戻らないのだ。まだ力が完全ではないお前に封印を解かせ、その場で殺す算段だったのだろう。それに…視たのならばわかるだろうが、倭文子はアンキと白神を恨みながら封印されていった。キ厄の最大の原動力は“恨み”だ」
「だから白神の生まれ変わりの私が狙われる…」
「そうだ」
「ってことはカゲノちゃんはアンキさんの生まれ変わりなの?」
その詩歌の言葉にカゲノはぴくりと苛立つ素振りを見せた。
「アンキなどという霧咲家の恥と一緒にするな。私は霧咲の血を引いているから狙われるだけだ」
「恥?」
「恥と言わずして何と言う。敗北し、己の弱さを露呈させ、挙句霧咲の名を捨て逃亡した。これがどれほど霧咲の家の名を零落させたと思う」
「でも、でも、私はアンキさんは凄く優しい人だと思うの」
「それはお前の中の白神の記憶がそう思わせるのだ。白神は戦いの後に、再びキ厄を浄化しながら、倭文子を救う方法を探す旅に出た。アンキもその旅に同行している。二人は封印した倭文子の体と、白神が視た倭文子の人生を本にまとめたものを霧咲家に預け、二度と戻ることはなかった。長くアンキと共に過ごした白神の思いを知っているお前がアンキを良く思うのは当然のことなのだ。しかし霧咲家では白神は霧咲家の当主をたぶらかした憎むべき相手だ」
カゲノは冷たい目で詩歌を見る。その目に詩歌はすっかり萎縮してしまった。
「お前を責めても仕方のないことだな。今日はもう遅いから泊まっていけ。すべきことは明日説明する」
「あ、カゲノちゃん…」
カゲノはそれだけ言うと部屋を出ていった。
(私、どうしたらいいの…)
今日一日で色々なことが起きた。
(私が封印を解いてしまったからカゲノちゃんに迷惑が掛かっちゃったんだよね。明日、謝らなきゃ)
謝る言葉を考えたり、今日一日を振り返るうちに詩歌はうとうととし始める。眠かったわけではないのだが、過去を視るのに力を使ったことで気付かないうちに疲労していたのだ。
詩歌は重くなる目蓋に耐え切れず詩歌は眠りに就いた。
詩歌が眠ってしばらくしてから部屋に誰かが入ってきた。気配を消して、音を立てないように詩歌の傍に近寄った。
(ん………。私寝て……)
詩歌は薄目を開けた。近くに誰かが座っている。
(あ…)
カゲノだった。白い札を指に挟み、唇に近付ける。カゲノの唇が小さく動く。すると不思議なことが起きた。白い札の唇を近付けたところから、黒蛇のような文字が浮かび、札を這っていく。カゲノの口から幾つも幾つも黒蛇が生まれ、白い札を黒く染めていく。
それはちょっと不気味で、とても美しい光景だと、詩歌はそう思いながら再び眠りの中へ落ちていった。
「朝だ」
無機質なその声に詩歌は起こされた。
「んん~あと五分~~」
「わかった。五分だな」
五分後。
「五分経ったぞ。起きろ」
「あと五分~」
「わかった」
更に五分後。
「起きろ」
「ごふん~」
それを繰り返すこと数回…。
「…ん。あ!おはよう、カゲノちゃん!」
「ああ」
「なんだか、今日はすっきり目が覚めちゃった!いつもはね、あと五分~って中々起きれないんだ」
「…そうか」
「あ!そうだ!私カゲノちゃんに言わないといけないことがあったんだ!」
慌てて言うと、詩歌はカゲノにぺこりと頭を下げた。
「なんだ?」
「あの、ごめんなさい!」
詩歌が謝るとカゲノは目を丸くした。突然勢い良く謝られて面食らったようだ。
「なんの謝罪…ああ、何度も起こしたことに対してか?」
「え?なんの話?」
「………」
「私、封印を解いちゃって、カゲノちゃんに色々迷惑を掛ける形になってしまって……本当にごめんなさい!」
詩歌はぎゅっと目を瞑る。カゲノから叱責されても仕方がないと思った。
「ああ、そのことか。最初は腹が立ったが、冷静になってみればお前は倭文子に操られただけだ。お前の責任ではない」
「怒ってないの…?」
「お前に対してはな。倭文子に対しては怒りしかない」
あっさりとカゲノは言った。
「それよりもこれからのことを話すぞ」
詩歌は胸のつかえが取れ、ホッと息をついた。
「うん。お願いします」
「昨日の話より短く単純だ。倭文子を倒す」
「たお、す…」
「そうだ。本来ならばお前に完全に力を使いこなせるよう修行をして貰うところだが、そんな悠長なことはしていられない。時間が経てば経つほど倭文子に力が戻る。そうなる前に奴を仕留める」
「ちょ…ちょっと待って!仕留めるってどうするの?」
「消滅させるに決まっているだろう。お前には同行して貰うぞ。私の目の届かないところで殺されて、倭文子に力を戻させるようなことになってしまっては厄介だ」
「でも、、それじゃあ倭文子が…」
「…可哀想と言いたいのか?」
カゲノはため息交じりに呆れるように言った。
「う…」
「ではおとなしくやられるか?私たちが死んで、倭文子に多くの人間を殺めさせるか?」
「そういうことじゃ、ないの…」
詩歌は雨に濡れる子犬のようにしょんぼりとした。
「…言い方が悪かった。他に方法はないのだ」
「でも、白神がしようとしたように、浄化?をしてみればいいんじゃないかな」
「無理だ。霧咲の家に浄化の術もそれに向いた力もない。そしてお前も力が完全でない。力が完全に目覚めたとしても、倭文子のようにあそこまで闇に落ちたキ厄を浄化させるには、白神がしたように命の全てを使うしかないぞ」
それを聞いて詩歌はますます落ち込んだ。すると突然カゲノは立ち上がり窓を開けた。朝のほんの少し冷たい風が、部屋の中を満たしていく。暗く重くなっていた空気がどこかすっきりとしたものに変わった気がした。
「私は」
カゲノは窓の近くにもたれ掛かり外を見る。
「別にキ厄も人間も好きではない」
「!」
「だが、どちらかの命を選ばなければならないのなら、迷うことなく人間を守る。霧咲はいつだってそうしてきた」
横顔から見て取れるカゲノの決意は強く、詩歌は簡単に口を挟んではいけないのだとハッとした。
「…うん。ごめんね、私何も出来ないのに口挟んじゃって」
「お前は謝ってばかりだな」
「ご、ごめ……じゃなくて!カゲノちゃん!」
詩歌は、うん!と、大きく頷くとずんずんとカゲノに歩み寄る。
「な、なんだ」
詩歌は戸惑うカゲノの手をはしっと取る。
「私、役に立たないかもしれないけど、頑張るから!カゲノちゃんの力になれるように、きっと頑張るから!」
詩歌の勢いに押されカゲノは目をぱちくりとさせたが、すぐに目を逸らして手を離した。
「お前の意気込みはわかった。今日はもう帰っていいぞ」
「倭文子は探さないの?」
「うまく気配を消している。すぐに探すのは難しいな。数日くれ。見つかったら連絡しよう。それまではこれを」
そういってカゲノが取り出したのは黒い札の束だ。
「これって…」
受け取るとじんと温かい感じが手のひらに伝わった。
「倭文子がどんな揺さぶりをかけてくるかわからんからな。襲われたらこれを投げろ。無論、倭文子以外の悪霊にも効くぞ」
「霊………お化け!?」
「霊能力に目覚めたのだ、これからは見えるのが普通になるぞ」
「そんなぁ…」
詩歌の顔は真っ青だ。
「安心しろ。見えるだけで、大半の霊は何も出来ない。驚かすくらいが関の山だ。どんなに恨みが強かろうが、この世に未練があろうが力のない者は自然と天なり地なりへと消えていく。厄介なのは特別な力、私やお前、そして倭文子のように力のある者が死んだ後だ。力のある者が未練や、恨みなどの想いを強く残したまま死んでしまうとキ厄になる」
「私もカゲノちゃんもなってしまうの?」
「…それは、私にもわからんな。だが、可能性はゼロじゃないと思う」
カゲノは珍しく言い辛そうだった。
「そっか」
詩歌は困ったように笑った。自分たちは化け物になってしまうかもしれない、その事実は簡単に受け入れられることではなかった。
「こんなこと今話してもどうにもならない。お前は取り敢えず、今を生きることを考えろ。倭文子は精神を攻撃するのが好きらしい。精神的に参ればそれだけ隙を作ることになる。今日からは家中の扉や窓にその札を貼れ。何者の侵入も許すな。夜に気を付けろ。倭文子は私より弱いお前を狙ってくる可能性が高い。以上だ」
詩歌はカゲノからの言い付けを守り、帰宅してから家にある窓や扉に黒い札を貼って行った。不思議なことに、糊もテープもついていないのに札を窓に当てて撫でると簡単にそこに貼り付いた。
「これで全部かな」
貼り終えた詩歌はやれやれとソファーに腰掛けた。
「なんだか一日が十年分くらいに感じたなぁ」
まるで信じられない嘘のような出来事。笑い飛ばしても仕方ない物語のような話。しかし詩歌はそれらを全て受け入れた。自分でも不思議だと思った。以前の自分ではどう思ったのだろうかと、考える。動き出したミイラは夢で、カゲノの話はクラスメイトのジョークだと受け止めたのではないだろうか。
霊能力、能力、力…一つの言葉で表せないそれは、簡単に言えばヒトならざる力ということなのだろう。そして自らをも化け物にしてしまうかもしれない力。
一気に暗くなった気分を振り払うかのように詩歌はぶんぶんと首を振った。
「えーい!暗いことは考えない!カゲノちゃんの力になるって決めたんだから!えーい!えーい!」
詩歌は暗い気分をまとめて宙に投げる。
「さて、と今日はどうしよっかな。明日から学校だし、おとなしくしてようかな。カゲノちゃんも私が狙われるから危ないって言ってたし…」
と、言ったそばから携帯が鳴る。
「あ、メールだ。佐羽ちゃんだ」
『雅に会った。今からランチ。詩歌も来て。場所は猫のいる雑貨屋さんの隣の喫茶店』
「ランチか~。気晴らしに行っちゃおっと」
詩歌は佐羽に返事を返すと。待ち合わせの喫茶店へ向かった。
「あの、すみません」
向かう途中に詩歌は女の人に声を掛けられた。三十代くらいの地味な雰囲気の人だった。
「はい?なんですか?」
「息子とはぐれてしまって…。どこかで見ませんでしたか?五歳の半ズボンを穿いた子なんですけど…」
「ごめんなさい、見てないです」
詩歌がそう答えると、女は不安そうな表情を強めた。
「そうですか…。もう、結構時間経っちゃってて…どうしましょう」
女の様子に詩歌はいてもたってもいられなくなった。
「私、手伝います!」
「え?」
「探すの、手伝いますから!」
女の顔がパアっと明るくなった。
「本当ですか、助かります!ありがとうざいます!」
「いえいえ、いいんですよ~。どの辺ではぐれたんですか?」
「えっと、こっちです」
女の後に続いて歩く。しばらく歩くと、詩歌は公園にたどり着いた。
「ここの公園なんです」
「戻ってきているかもしれないから、もう一度ここを探してみましょう」
「はい」
詩歌は女と二手に分かれて公園を探す。結構な広さの公園だ。しかし中にいるのは数人で、混み合ってはいないので人探しはしやすい。
「半ズボンの子は、っと」
と、言ってから気付く。
(名前聞いておけば良かった)
仕方ない、と詩歌は子ども探しを再開した。遊具の影、トイレの中、目に付く所は探したが見つからない。
(ここじゃないのかな。お母さんと合流しよう)
振り返った詩歌の目に公園の隅にある茂みが目に入る。
(一応あそこも探そうかな)
詩歌は茂みを割って入った。思ったよりも広い。それに背の高い茂みで視界が悪い。
「おーい、誰かいないかな~」
声を掛けながら進む。
「いましたか?」
「ひゃっ」
突然声を掛けられて小さく飛び跳ねる。
「あ、お母さん」
「いましたか?」
「い、いえ、まだです」
「そうですか。もう少し奥を探しましょう」
(気のせいかな)
詩歌は女の様子が少し変わったように感じた。
「名前を呼んでみたらどうですか?」
「はい?」
「お子さんの名前を呼んでみたらどうかな~って」
「ナマエ?」
女はくすっと笑った。
「あの?」
「ナマエを呼んだらアノコ逃げちゃうじゃないの」
にたぁと裂けんばかりに口を広げて女は笑う。
「な、何を言ってるんですか。はは…」
女の異変に恐怖を堪えて詩歌は笑った。
「だってアノコ逃げちゃうのよ。逃げちゃうのよ。私が呼んだら逃げちゃうのよ。そんな悪い子にはお仕置きしなきゃいけないのに。逃げちゃうのよ。ね、見て、これぇ」
そう言った途端、女の喉が真一文字に切れ広がる。
「きゃあああああああああああああああああああ」
詩歌は悲鳴を上げて後ずさる。
「逃げちゃうのよ…がふっ…逃げられちゃって…ゴボッ…逃げちゃうのぉ…ガフッ」
口と喉から血しぶきをあげながら、なおも女は笑っている。
(逃げないと…!人間じゃない…!)
詩歌はその場から駆け出した。茂みを抜ける前に振り返ると、女は一歩も動いておらず詩歌の方を見てただ笑っているだけだった。
「はあ、はあ…」
がむしゃらに走っていた詩歌はようやく足を止めて呼吸を整えた。
(あれって幽霊?キ厄?どっちにしろ、追ってこなくて良かった。でも、本当に見えるようになったんだ)
詩歌は不安を感じながら、恐怖を紛らわそうと携帯を見た。
「わ~~~こんな時間~~!」
佐羽からのメールから一時間以上が経っている。
「急がなきゃ!」
待ち合わせ場所まで詩歌はまた走り出した。




