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闇呼びの声  作者: 小路阿須
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アンキ、白神、そして倭文子



 どうしてこなってしまったのか。アンキの頭にあるのはそれだけだ。周りはもう夜の闇に包まれている。体の至る所にできた傷に冷たい夜風がしみる。倭文子は自分を探しているだろう。アンキにはもう立ち向かう力はない。ただ気配を消して、少しでも倭文子に見つかる時間を遅らせることしかできない。

 蛇の腹の中で起きたことを振り返る。我ながら滑稽だったと自嘲の笑みがこぼれた。

 最初は圧倒的にアンキの優位だった。蛇の腹の中、それはアンキの領域だった。倭文子の力は制限され、代わりにアンキの力が大きくなる。懐から出した黒い札で倭文子に攻撃をする。刃物のように鋭く、札は倭文子の体を何度も貫いた。幾度となく繰り返される攻撃に倭文子はついに膝をつく。脱力した倭文子に向かいアンキは最後の術を唱える。それはキ厄をこの世からも、あの世からも完全に消し去る術。天にも地にも輪廻の輪にもその存在を許さない霧咲家だけに伝わる消滅の術。印を結び、術を唱える。あと少しで術が完成しかけた時だった。


(誰よりも強くあるはずじゃったのに)

 アンキの意識は蛇の腹の中から今へと戻った。

(霧咲の尊厳のために強くあったというのに)

 アンキは目を瞑る。

(わらわは先代たちのように心を捨てられぬのか)

 ガサガサと近くで茂みを掻き分ける音がする。倭文子だろうか。しかしアンキは逃げる素振りは見せない。体の怪我も大きいが、何よりそんな気力がわかなかった。

(霧咲に縛られ、たかだか一匹のキ厄に命を喰われて終わる。じゃが、それでいいのかもしれぬ)

 近づいてくる音を前にアンキは何故か穏やかだった。

「大丈夫ですか?」

 しかし茂みの中から聞こえてきたのは、倭文子の狂ったような声ではなく、穏やかで優しい人の声だった。

「動けますか?」

 アンキはその声を不思議に思い目を開ける。

「なんじゃ?お主は」

 目の前にいたのは、恐らく女だった。恐らく、というのもその人物の全身には包帯が巻かれているため、着ている女物の着物で判断するしかなかったからだ。

 唯一露出しているのは目と美しい絹のような髪だけだった。その目は澄んでいて息を飲んでしまうくらい清廉だ。

「またアレの見せる幻覚か?」

「アレとは倭文子のことですか?」

「倭文子?」

「話は、後でしましょう。今はどうか私を信じてください。私は白神(しらかみ)と言います」

 白神はアンキに肩を貸すと移動を始めた。

「ありがとうございます。私を信じてくれて」

「信じたわけじゃない。一度は命を捨てたのじゃ。今更どうなろうと構わぬだけじゃ」

 アンキが言うと、白神は悲しそうな顔をした。しばらく歩くと、洞窟が見えた。

「この中に」

 洞窟の奥にアンキを通すと、白神は入口に結界を張った。

「これで誰の目からもここに洞窟があるように見えないでしょう」

「初めて見る術の形じゃな。お主、どこの家の者じゃ?」

 アンキが聞くと白神は寂しそうに笑った。

「私に家はありません。それよりも、怪我を」

 白神がアンキの傷に触れると、暖かい光が手から生まれ傷を癒していく。傷を癒されながらアンキは口を開いた。

「お主は何者じゃ」

「私はただの旅人です。旅の途中であなた方を見つけたのです。私が見つけた時にはあなたの仲間はもう…」

「……あの者たちは霧咲の使命を全うしただけじゃ。それより倭文子とはなんじゃ。お主、あのキ厄を知っておるのか」

「私、は…」

 白神は言いよどむ。

「やはり仲間か」

「いいえ」

 白神は意を決したように強い目でアンキを見た。

「私にはそのものの過去と感情を視る力があります」

「心を読むのか?」

「いえ、完全に心が視えるわけではありません。悲しい、寂しい、嬉しい、楽しい…そういった心の思いを視る力なのです。この力で、あなた方がキ厄と呼ぶ者のことを視ました」

「それで名を知ったのか」

「疑いませんか?」

 そう言われて、アンキは考える。普段ならば突然、しかもこんな時に現れた人間の話なんて全く信用しないだろう。しかしこの白神という女の目を見ていると、何故だか全てを信用してしまいたくなるような気持ちになっていた。

「わらわがどう思おうが関係ないじゃろう。話を続けよ」

「…はい。この力で彼女を見ると、彼女の悲しい過去が視えました。名前は倭文子。ここの近隣の村で生まれたようです。彼女は、私やあなたのような不思議な力を持っていました。しかしその力が周囲に受け入れられることはなく、人から迫害を受け、短い人生を終えたようです。本当に、本当に辛く不憫な過去を持っているのです」

 白神の目は潤んでいた。それをアンキは睨み付ける。

「弱き者の末路じゃな。珍しいことではあるまい」

「そんな…」

「わらわの力をお主やその倭文子のものと同じとは思うな。我ら霧咲は強く猛き者の集まり。お主のように人から離れて旅に逃げるような力でも、人に迫害される哀れな女の力とも違う」

「本当にそうお思いですか?」

「当然じゃ」

「でも、あなたの過去は、あなたの心は…」

「くどい!」

 アンキは思わず治癒を続ける白神の手を払う。白神は目を伏せて、また傷に手を伸ばした。

「ごめんなさい。でもどうか、傷だけは治させてください」

 二人は黙りこんだまま口を利かなくなった。

「あなたの言う通りです」

 傷の治癒を終えた白神はおもむろに語り始めた。

「私は弱いのです。人から恐怖されることに怯え、ただ逃げるように各地を転々とするだけ。力を知られれば、人から恐れられ、蔑まれ…。だから倭文子の気持ちがわかるのです」

「キ厄の気持ちをわかるなどと言うものではない。お主も向こう側になりたいのか」

 白神はアンキを見てにっこり笑った。

「違います。私は人を憎んだりしていません。旅の途中、優しい人も親切な人もたくさんいました。だから私の心は穏やかでいられた。ずっと昔は闇に侵されそうな時もありましたが、温かい心を知ってしまえば、私は私でいられました。キ厄になってしまうのは、温かい心を持たぬから、知らぬからだと思うのです。だから、私はキ厄に温かい心を知って貰いたい。闇に落ちるしかなかったその心を慰めて浄化したいと思うのです」

「甘い考えじゃ」

「自分でもそう思います。それでも私はそうありたいのです。そう思う心で今までも何人ものキ厄を救い、浄化することができました。だから、きっとあの倭文子も救えるはずです」

「その包帯はキ厄につけられた傷か呪いか?」

「いえ、これはただの病気です」

「ならばよい。そこまでされてキ厄を救うなどとは正気の沙汰とは思えぬからな。…お主は本当に倭文子を救う気でおるのか?」

「はい」

「夢物語じゃ。アレの力はもはや浄化などというぬるい考えが通用するものではない」

「はい」

「わかっておるのになぜ諦めぬのじゃ」

「私が諦めれば倭文子は最後まで心を闇に染めるしかなくなってしまいます」

 どこまでも慈愛に満ちた白神の言葉と瞳にアンキは怒りをあらわにした。

「では倭文子に殺された者たちはどうなる。多くが死んだぞ。苦しみなが死んだぞ。倭文子を救うことは無残にも殺された者たちの命を、蔑ろにするも同じだ」

 白神はアンキの厳しい言葉に、「それでも私は救いたいのです」と呟くだけだった。


 アンキは気付くと眠っていたことに気付いた。眠るつもりはなかったのに、どうしてか白神の前だと張っていた気が緩んでしまうのだった。

 目を瞑ったまま辺りの空気を読む。外はまだ暗く、眠ってからあまり時間は経っていないようだった。白神は寄り添うように隣に腰かけている。

 不意に白神の動く気配がした。

「家の考えと自らの考えの中で葛藤するあなたの心が視えました。そしてあなたが本当は誰よりも優しい心を持っていることも…。だから、あなたの心を視た時、仲良くなりたいと思ったのですよ。そして力になりたいと」

 優しい子守唄のような声がアンキの耳にするすると届く。起きていようと思うのに、だんだんと意識がぼんやりしていくのを感じていた。

「今はゆっくりお休みください」

 白神の手が自分の頬に触れたのを感じながらアンキは再び眠りに落ちた。

 アンキは久しぶりに夢を見た。この戦いの戦いの中で死んでいった部下たちの夢を。蛇の腹の中で倭文子に見せられた幻と似た夢だった。アンキを責め立てる部下たちの夢。もっと生きたかったという声、どうして助けてくれなかったのかと泣き叫ぶ声、それにやがて過去の戦いや修行で命を落とした者たちが加わり、アンキを囲んだ。アンキは耳を塞ぎ蹲る。倭文子にはその隙を突かれたのだった。しかし夢と違うところがあった。

 亡者たちは何かに気付いたかのように天を仰ぎ見た。その途端に淡い光が天から降り注ぐ。亡者たちはその光を愛おしそうに眺めると、光が彼らを包み、溶けていった。残されたアンキが顔を上げると光の中から、手が伸びてくるのが見えた。その手は包帯に包まれた華奢な手だった。アンキはその手に触れようと、自らの手を伸ばした。


 目を覚ますと朝になっていた。

「朝か」

 辺りを見る。

「白神?」

 気配を探るが近くに白神の空気を感じない。

「あやつ…!」

 アンキは洞窟を飛び出した。白神は倭文子に会いに行ったのだと直感した。

「温かな心だけではどうにもならぬこともあるのじゃ!」

 足がもつれさせながらも山を走る。傷は癒えても昨日の戦いの疲労が完全に取れていなかった。息が切れるのが早い。小枝で手足が傷つくのも気に留めず、アンキはただ走った。

 幸い白神の気配は探しにくいが、倭文子の禍々しい気配が強いために居場所はすぐにわかった。川の近くだ。アンキがそこにつくと、白神と倭文子は既に対峙していた。

「白神!」

「アンキ…」

「離れよ!そやつに話は通じぬ!」

「心配をしてくださるのですね。やはりあなたはお優しい方。でも、心配しないでください」

 白神の体が光り、倭文子に近寄る。

「危険じゃ、行くな!……あっ」

 アンキは駆け寄るが、透明な壁に阻まれて二人に近づくことが出来ない。それは白神の張った結界だった。

「何故このようなものを…」

 結界を解こうと術を使うが、充分な力が戻っていないためにそれができない。気が付くと結界の向こうでは、白神の目が苦痛に歪んでいた。肉体的な攻撃は受けていない。恐らく精神的な揺さぶりを受けているのだろう。

「結界を解け!白神!」

 アンキは叫ぶが、白神は苦しそうに微笑むだけで歩みを止めない。次第に倭文子は数十個の石を浮かせて白神に向かわせる。弾丸のような速さで石は白神を目がけて飛んだ。

「…っぅ」

 石が皮膚を掠め、時に肉をえぐる。包帯や着物が赤く染まった。急所にだけは当たらないように白神は進み、倭文子の目の前に立った。倭文子はゆらゆら揺れながら血だらけの白神を見た。白神も清らかな目で倭文子を見つめ返す。倭文子は何故だか、追撃をしようとはしなかった。白神は微笑みを絶やさずに倭文子に語り掛ける。

「倭文子」

 久しぶりに呼ばれた名前に倭文子はぴくりと反応する。

「きっとあなたと私は凄く似ているのです」

 白神の体が一段と光る。倭文子は目を見開いた。

「あなたの心が視えました。孤独、絶望、憎悪…。底の見えない闇のような心。でも、気が付いてますか?あなたの心には泣いている小さな小さな子どものあなたがいるのです。人に愛されたいと思う気持ち、人を愛したいと願う気持ち」

 白神が一歩前に出ると、倭文子はたじろいだ。それは倭文子が初めて見せる人間らしい動きだった。

「本当に、凄く似ているから…」

 白神は腕を伸ばし、倭文子を抱き寄せた。倭文子は激しく抵抗するが、それは化け物のようなものではなく、一人のか弱い女のような力だった。

「一緒に行きましょう」

 どこまでも優しい光が倭文子をも包み込む。

「!白神、お主まさか…!」

 アンキは白神の意図に気付く。自らの命を削り、いや、命そのもの全てを犠牲にして倭文子を救おうとしているのだ。

「やめよ!お主が命を捨てる必要がどこにあるのじゃ!」

 アンキの声は光に遮られて届かない。白神はただ優しく倭文子を抱きしめる。

「皆、死にゆくというのか…。わらわの力は人を多く死なせることしかできぬのか…」

 倭文子の体から黒い煙のようなものが抜けていく。倭文子の悪しき力が浄化されていっているのだ。

「…違う。わらわの力は、そのようなものではない!あの…あの優しき光を守る力じゃ!」

 どこからか力が湧く。結界にヒビが入り、硝子のようにはじけて割れた。同時にアンキは黒い札の束を懐から取り出し、術を唱える。考えるより先に体が動いた。黒い札は目にも留まらぬ速さで倭文子の体を捉えた。

「アンキ!?何を…!」

 アンキは白神を突き飛ばす。白神により悪しき力を浄化された倭文子は、その場に膝をつくしかなかった。黒い札が自らに迫るのをその両の目に映すしかできなかった。黒い札は倭文子の体中に張り付く。体の全てを隠すようにして。

「ァ…ダマシ……ユルサ………ナ…」

 最後に倭文子の声が聞こえた。


「何故なのですか…っ」

 倒れたままの白神は泣きながらアンキに訴えかける。命を削るような力を使ったために動けないでいた。

「どうして彼女を封印したのですか。きっと救うことができたのに…!」

「わらわは間違ったことはしておらぬ」

「そんな…」

 アンキを見ると彼女も静かに涙を流していた。

「アンキ…」

「わらわは、強くないのじゃ。お主にはわかるのだろう、わらわの心が。本当はずっとそうじゃ。誰の命も失いたくないのじゃ。お主が救いたいと願ったから、倭文子を消滅させることもできなかった。しかし霧咲の家では違う。悪しき者を、キ厄を倒すためならば命を落とすことも恐れてはならぬのじゃ。そうまでして人を守らねば、この力を認めて貰えぬ。普通の人間たちの中で暮らすには心を捨てるよりなかったのじゃ。思えば霧咲の家も弱いのかもしれぬ。その中でわらわがもっとも弱い。多くの命が失われたこの戦いで、最後に残ったお主の命まで失いたくないと思ってしまったのじゃ」

 アンキは顔を手で覆い、大粒の涙を零す。

「あなたは弱くなどありません。私を助けてくださいました」

 白神も同様に涙を零す。

「しかしお主は倭文子を救いたかったのじゃろう?」

「あなたをこんなに泣かせてまで成し遂げるべきではなかったのでしょう。きっと方法はあります。あなたの命も私の命も失わずに済む方法が…」

 白神はアンキに手を伸ばし、アンキもそれに応えるようにその手を取った。

 空にはどこに隠れていたのか、鳶が飛んでいた。苦しい戦いの休息を知らせるようだった。


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