霧咲家
四
「霧咲って、カゲノちゃんの…?」
「そうだ。今ではこの神社の神主モドキに成り下がってはいるが、昔は全国にその名を轟かす程の名門だったようだな。まぁ、名前だけが先歩きしたのだろう。だから今はこの有様だ」
カゲノは自嘲気味に笑った。
「そ…」
そんなことないよ、と言いかけて詩歌は口を閉じた。
(私、カゲノちゃんのこと何も知らない…)
「どうした?」
そう聞くカゲノの顔にもう自嘲の色はなく、いつも通りの凛とした表情に戻っていた。
「あの、カゲノちゃんのこともっと知りたいなぁと思って」
詩歌が照れた風に言うと、カゲノは怪訝そうに答えた。
「何を言っている?」
「えっと、仲良くなりたいなって」
「なぜそうなる」
「え?え?私、変なこと言ってるかな?」
「わからない。私がおかしいのか?」
「カゲノちゃんはおかしくないよ!」
「ではお前がおかしいということになるぞ」
「わ、私?私もおかしくない!と、思う…。そんなに変かな、友達になりたい思うのって」
「友達…」
「そうそう!友達!」
「初めて聞く言葉だな」
「聞いたことはあるでしょ…」
詩歌はガクッと肩を落とす。
「私には縁のない言葉だな。そろそろ話は終わる。読むぞ」
今までの和やかな空気をばっさり切ってカゲノは言った。
(残念…)
「霧咲家は末端の者を十名程使いに出したがあっさり敗北。この時点で隣村の者たちはちらほらと村を出始めた。全員敗北の連絡を受けた霧咲家は次に各地に散らばる分家の者を使わす。彼らは名こそ霧咲ではないが、力があることは確か。人数は三名。しかし倭文子も多くの人間を殺め、元々の力の大きさに加えて負の力までも体に蓄積させ、その力は膨大なものへとなっていた。三日三晩、戦いは続いたが、その力の差は圧倒だった。分家の者たちは山をただ逃げ惑うだけ。倭文子は猫が鼠をいたぶるように執拗に彼らを追いつめたり逃がしたりを繰り返した。もうヒトではないのだ。あれ程に憎んだ自らに向けられる恐怖と憎悪の目でさえ、愉快に感じていた。人間が怯えれば怯えるほどそれが倭文子の新たなる力になっていく。三人の内二人は四肢を一本ずつ千切られ死亡。両腕を失ったもう一人はどうにか霧咲の本家へ逃げ延びたが、一言“恐ろしきキ厄在り”と言い残して息を引き取った」
「きやく?」
「ヒトならざるモノをそう呼んだようだな。カタカナのキ、に災厄の厄。キも元は鬼…奇怪の奇、、忌まわしいの忌…等、諸説あるようだが霧咲の家でもわかっていない。言葉は変化するものだからな」
「ふぅん。なんだかカゲノちゃん先生みたい」
「それは私が堅苦しいと言いたいのか?」
「違うよぉ~」
「まあ、いい」
カゲノはコホンと咳払いした。
「そこでようやく霧咲家の当主が動いた。名は霧咲アンキ。霧咲家の当主は代々女だ。周りはわざわざ当主が出るまでもないと止めたようだがな。ぬるいことだ。しかし当主は手練れの部下を十五名連れて出立。隣村につくと部下たちに倭文子の潜む山へと呪術をかけさせた。倭文子が山から出られぬようにするための結界だ。しかしそれさえ倭文子の力に阻まれ一筋縄ではいかなかった。たかだか結界を張るにも苦労を強いられた部下たちはようやく危機感を持ち始める。山への結界をどうにか張り終えると、今度は力を高めるための祈祷を開始、山へ入ったのは到着から十日も過ぎてからになった。部下たちは山へ一歩踏み入るとその異様な空気に圧倒されるが、当主だけは落ち着いていた。人の手の入っていない山を分け入り倭文子の元へ向かう。倭文子はその強大な力を隠そうともしていなかったため、居場所はすぐに判明した。山の頂上付近、真っ直ぐに伸びた木の、太い枝の上に倭文子はいた。長く伸びた髪をたなびかせ、首をゆらゆらと揺らしながら笑っていた」
そこでカゲノは本を閉じた。
「え?おしまい?」
その問いに答えずに、カゲノは詩歌の手を取る。
「へ?」
詩歌は素っ頓狂な声を出した。カゲノは構わずそのまま指を絡める。
「ぁ…ぅ…あ」
詩歌は顔を真っ赤に染める。蝋燭の火が照らす二人の影が近づく。
「佐伯詩歌…」
「カゲノちゃん…」
「お前はきっと、だから」
カゲノは絡めた指先に力を入れる。
「お前に起きた事象、そして何より私に流れる霧咲の血がそう言っているから」
「カゲノちゃん?」
「きっとこれでお前に視えるだろう」
カゲノの指に一段の力が入り、ほんの一瞬繋がれた指先が光った。
「なにこ……れ」
言い終わるより早く詩歌の視界が真っ暗になった。
「醜いキ厄じゃ」
美しく気高さを感じる女が呟く。年の程は二十くらいだろうか。巫女服に似た黒い服を着ている。
「当主様、おさがりください」
後ろに控えていた男たちが前に出た。横には若い女が、当主と呼ばれた女、霧咲アンキを守るように立つ。
「我らが隙を作ります故、当主様はそこで奴を消滅させる為の術を」
「ああ、いけ」
アンキは黒い札を指に挟み、倭文子を指した。
「はい」
男女は静かに返事をして、倭文子のいる木を囲んだ。倭文子は相変わらず笑っている。
「何という禍々しさだ。どれだけの人間を殺めた」
男は忌々しげに言うと人型に切られた紙を倭文子に向かって投げつける。紙は空中で黒い鳥に変じて物凄い速さで倭文子に迫った。
ガシッ。倭文子はゆるりとした動きで鳥を掴み口の中へ放り込む。それはしばらく鳥の姿のまま苦しんでいたが、やがてただの紙切れへと戻る。倭文子はそれを何度かくちゃくちゃと噛んでから飲み込んだ。そして木の下の者たちをカメレオンのような目で見渡すと、立っていた枝を両足で蹴り上げた。
「来るぞ!」
誰かが叫ぶのと同時に倭文子は地上に飛び降りた。
「当主様には近づかせるな!」
女が声を上げる。
「タノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシ」
倭文子は同じ言葉を繰り返す。
「気を抜くなよ!全員構えろ!」
男の怒号が飛び、他の者は倭文子を真ん中に置いて円を描くように取り囲んだ。
「キ厄を抹消する!」
取り囲んだ者たちは印を結び、口々に呪文のような言葉を唱える。すると印を結んだ指先から黒い蛇のようなものが何匹も生まれ、宙を泳ぎながら倭文子に迫った。
「タノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシタノシ…………イ?」
黒蛇に気が付いた倭文子は困惑したように首を傾げる。
「このまま追いつめましょう」
女が落ち着いた声で言うと他の者たちは頷いて答えた。呪文を唱える声に力がこもり、黒蛇たちは倭文子に飛び掛かる。
「ぎゃぅああああああああああああああ!」
黒蛇たちが倭文子に噛みついたり、手足に絡みついて締め上げたりする度に倭文子は悲鳴を上げる。
「この分だと当主様の力を使うまでもなさそうですね」
「ああ。だが油断はするな」
「ィタイイイイィイイイイイイイィイイイイイィイイタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテェェェああああぁぁぁぁああああああああああああ・あ…アッアッ………ふ」
痛みに苦しむ声を出しながらわずかに倭文子の口の端が上がった。
「!」
それに遠くから見ていた当主だけが気付く。
「お前たち離れるのじゃ!」
「当主様、どう……」
したのですか、と言い終える前に女は言葉を失った。いつの間にか倭文子が女の隣に来ていた。
「くっ!」
女は咄嗟に倭文子の方へ体制を整える。しかし遅い。遅すぎるくらいだった。気が付いたときには女の口から上が無くなっていた。悲鳴を上げる暇もなかった。倭文子の左手が赤く染まっている。恐らく頭を握りつぶしたのだろう。顔に唯一残った下唇がぴくぴくと動いている。
「なんだコイツの動きは!」
「怯むな!」
「はい!」
「一人やられたくらいでは引きませぬ!」
「次の手!」
「連携は捨てる!各自最大の力で向かえ!」
一人殺されたことにより、彼らの表情はより険しいものに変わる。構える彼らを倭文子は全く気に留めていない。アンキは眉間に皺を寄せたるだけで彼らの戦いに加わろうとはしなかった。倭文子は可笑しそうに両手を腹に当ててぎゃぎゃぎゃと笑っている。
後ろ手に印を結んでいた男の影がゆっくり倭文子に伸びていく。笑っていた倭文子は影に気付き笑うのをやめた。
「やはり気付いたか!」
男は手を前にして印を結びなおすと、影から人の大きさの黒い大蛇が飛び出し倭文子を飲み込もうと大きな口を開けた。張り裂けんばかりに開いた口が倭文子の頭に被さる。だがその瞬間大蛇は煤になって散った。
「あ……あ…」
大蛇を出した男は信じられないといった表情で傍らを見る。そこには仲間であるはずの女が
彼の片腕を手に立っていた。ねじ切られた片腕の切断面から血しぶきが飛ぶ。
「五ツ宮!?何をしている!」
五ツ宮と呼ばれた女はねじ切った腕をぺろりと舐め、他の仲間の方へ放り投げる。そしてそのままおもむろに自らの乳房を掴み、千切る。
「五ツ宮、五ツ宮…何をしているのです」
別の女の悲鳴のような声が響く。しかし五ツ宮は自らの耳を千切り、鼻をえぐり、腕をへし折り、人間のものとは思えない絶叫を上げてその場に倒れた。
「五ツ宮、五ツ宮…」
女の声に涙が混じる。
「刺々(ささ)」
荘厳な男が泣いている女の肩に手を置いた。
「霧咲の家の者が涙を見せるな」
「しかし大山様、五ツ宮は私の義妹で…」
「お前のような弱き者は霧咲に不要だ」
言われた刺々はハッとして唇を噛んだ。
「申し訳ございませぬ」
「それで良い。全てはあのキ厄の力によるものだ。人を惑わす力を持っているか。付け入る隙を絶対に見せるな」
倭文子を見ると、首をかくかくと左右に動かしながら痙攣する五ツ宮の体を見つめていた。
「大山様、亀沙殿は」
涙を堪えて刺々は言う。亀沙は五ツ宮に腕を取られた男だ。
「亀沙は己が使命を全うするだろう」
亀沙は無くなった腕の肩あたりを抑えながら、倭文子を睨み付けた。恐ろしいほどの気迫が伝ってくる。
「霧咲家の者としての最期を見せる」
亀沙はそう言うと倭文子に向かって走った。走りながら何かの術を唱える。すると亀沙の体中に紋章のように黒蛇が浮かび、生きているかのように動き出した。
「いくぞ!」
叫び声と同時に亀沙は倭文子に飛びついた。
「ぁあ?」
抱き付いてきた亀沙を不思議そうに倭文子は見る。
一拍の静寂の後に亀沙の体を食い破るように黒蛇が飛び出し、倭文子の体を貫き、体内へと進む。亀沙の体に浮かび上がっていた黒蛇が全て倭文子の内へと移動すると、亀沙の体は真っ黒に染まってはじけ飛んだ。
「あああああああああああぎゃっあああああああぎゃっあああああ」
倭文子は体中を掻き毟り、今度こそ本当の悲鳴を上げた。
「今を逃せば好機はもう来ないかもしれぬ」
大山は印を結び、また黒蛇を倭文子に向かわせる。仲間もそれに倣うとおびただしい数の黒蛇が生まれ、倭文子の体に巻き付いた。数百の黒蛇が倭文子の体を包み込む。倭文子の体も声も全てが黒蛇に飲み込まれた。
「このまま押しましょう」
「いや、押さぬ。この状態のまま当主様の術が完成するのを待つ」
そのまま一時間以上が経過した。最大の力を出し続けている彼らの気力は限界に近づいていた。唯一の救いは倭文子が黒蛇に埋もれたまま、何の反撃もしてこないことだ。
「大山様」
刺々が苦しそうな声で大山を呼ぶ。
「刺々、集中しろ」
「しかし、もうすぐ日が暮れます。逢魔が時を迎えれば我らが不利」
「逢魔が時ごときは耐えられないこともあるまい」
「ですが、夜になってしまえば」
「…余計なことを考えるな」
大山は横目でアンキを見た。アンキはただ離れた所で立っているだけに見えるが大山は文句も言わずに倭文子へと目線を戻した。
辺りが橙色に変わり始める。誰しもが折れない心を持っていた。誰しもが強い精神を持っていた。はずだった。それは一人だったかもしれないし、複数だったかもしれない。ほんの一瞬、瞬きより短い時間、誰かが心を揺らつかせた。
それと同時だった。黒蛇の塊から一本の腕が伸びた。
「崩れた!」
誰かが声を上げる。
「立て直せ!」
誰かが叫ぶ。
各人、印を結びなおそうとするが、もう一本の腕が黒蛇の塊から出た。
「間に合わない!」
誰かが叫んだのと同時だった。黒蛇の塊は風にかき消された。そこに立つ倭文子の目は先程までの愉快そうな感じはなく、怒りと憎悪に満ちていた。目で見つめるだけで人を殺めることができそうなどこまでも黒い瞳。
「ああ、なんという…」
悲壮な声が最後に聞こえた。
彼らは仲間同士で殺し合い、笑いあった。今さっきまで協力しあっていた者に喰らいつき、肉を食う。自らの肉を千切り食う者もいる。さながら地獄のような光景の中、唯一自我を保った大山は迫りくる仲間たちを躊躇なく刀で斬る。仲間の命も、自分の命さえも捨てる覚悟でアンキに誰も近づかせない為に立ち続けた。
血の匂いが充満するその場所に立っているのはもはや、倭文子と大山だけになった。大山はもうとっくに死んでいてもおかしくないほどの重症だ。
倭文子は死体の山を踏み越えて大山に近づく。しかし残り数歩というところで歩みを止めた。
「大山、もうよい」
アンキだ。彼女が大山の背後に立っていた。
「当主さ…ま」
大山は心底安心した声を出すと、その場に崩れ落ちた。
「既に死んでおったか。ご苦労であった」
アンキは大山の死体を撫でると、倭文子に向かいあった。
「醜いキ厄じゃ」
アンキが言うと倭文子は左右に揺れて、アンキを指差した。
「キタナイ」
「わらわを汚いと言うか。ふん、その言葉…当たっておるぞ!」
アンキは倭文子に向かって手をかざした。指の間全てに黒い札が挟まれている。そのまま手を空に向かって上げると、周囲から、いや、山中から黒い札が飛び出した。山の緑は黒い札に覆われる。
倭文子は自分のそばに浮かびあがった黒い札を指先で触れた。黒い札から火が吹き出し倭文子の体を包む、ようなことはなく、電撃がでるわけでもない。それに気づいた倭文子は、近くの黒い札を一枚一枚千切りながら、アンキに近づく。
倭文子の手がアンキの首を捕らえようとした、その時。
カサカサカサカサカサカサ。
紙と紙が擦れ合う音。倭文子その音の方へと顔を向けた。それは上空でうねりながら形を作っていった。黒い札が集まっていき、それは今まで散々見てきた黒蛇の形になっていく。ただ大きさが今までのものの比ではなかった。一山を飲み込めそうなくらいの大きさ。アンキは指に挟んでいた札を空高く投げつける。蛇はその札を餌にするように大きく口を開き、空から落ちた。バリバリと木も、岩も、山にあるものは蛇の口の中に吸い込まれていく。
そして最後にアンキと倭文子は蛇の腹の中へと飲み込まれた。




