解かれる封印
二
「ん。あれ?私、家に帰ったはずだったのに」
詩歌は気が付くと、外に立っていた。
「…いつの間にか暗くなってる。それにこの場所…」
左側を向くと、見覚えのある鳥居が見えた。
『タ…………ェ…』
「!」
鳥居のずっと奥から声が聞こえる。この声は、最近何度も聞いたことがある気がする。
「誰かいるの…?」
『ハ…ァク…』
「はやく?もしかして誰か、怪我をしているの?」
『…ァく………たス……ェ』
「待ってて!すぐ行く!」
詩歌は階段を駆け上り、鳥居をくぐった。
「はぁ、はぁ」
神社の敷地内に入り、息を整える。辺りは世界から隔離されたかのように、静まり返っており、その静けさが不気味だ。
目に入るのは脇にある、社務所と思われるあばら家と、正面にある朽ちた拝殿。後はたくさんの木々と笹藪だ。拝殿はとても小さく、とてもどこかに人がいるようには見えない。
「どこですかー!」
聞くが、声は聞こえなくなった。
「どうしよう、怪我がひどいのかも…あ!」
脇にあるあばら家を見る。
(人が住んでるようには見えないけど、もしかしたら)
そう思い、そこに足を向けた。
『……コッ………チ……』
「!」
背後から声がした。拝殿の方からだ。
「今行きます!」
声を張りながら、拝殿へ向かう。そしてその周りをぐるりと探し回ったが人の姿はない。
「おかしいな。絶対こっちから聞こえたのに」
そう呟いた瞬間、強い風が吹いた。
「わっ」
風が道を造るかのように、笹藪を割っていく。その先に一瞬建物が見え、風が収まった。場所は拝殿のずっと後方だ。
「もしかしてあそこ…?暗くて気付かなかったな。ちょっと、怖い、かも。ううん!…怪我人がいるかもしれないんだし!」
気合を入れて前へ進む。がさがさを音と立てて笹藪の中を進む。時折、笑い声が聞こえた気がして怯むが、詩歌は止まらなかった。
そうして、先程見えたあの建物の前まで来た。これもまた古い木造の小屋だ。崩れていないのが不思議なくらいだ。
「こ、ここ、かな」
怯えながらゆっくり小屋に近づく。木の腐ったような匂いがして思わず顔をしかめた。扉の目前まで来ると、詩歌はあることに気付いた。扉にたくさんの長方形の真っ黒い紙が貼ってある。扉だけだはない、よく見ると小屋のそこかしこにその紙は貼ってあった。
(お札…?でも、ただの真っ黒な紙に見えるなぁ。何も書いてないし…)
詩歌はその紙に手を伸ばした。そして指先が触れた。
ビリッ!
「きゃっ」
強い静電気のような衝撃を感じて思わず手を引っ込めた。
「いった~」
ふぅー、と指先に息を掛ける。痛みが引き、再度扉に目を向けると、不思議な光景が広がっていた。
ない。
どこにもないのだ。ついさっきまで小屋中に貼ってあった黒い紙が。詩歌は青ざめる。見間違いではない。確かに、紙は貼ってあった。
「どう、して?」
キィィィィ
答えるように扉がひとりでに開かれる。
『…ァク……キ……テ……』
「!」
間違いない。声は中から聞こえる。
「い、いま、今、行きます!」
怖かった。声が震えた。しかし詩歌は、中になんらかの事情で動けない人がいるのかと思うと、放ってはおけなかった。
小屋の中へ入る。暗くて中はよく見えない。月明かりだけが頼りだ。ゆっくり奥へ進む。
「どこですか…」
小屋の真ん中あたりまで来た頃だろうか。一番奥の壁の前にちょうど人がしゃがんでいるくらいの大きさの影が見えた。
(見つけた!)
詩歌はその影に駆け寄る。そして…。
「ひっ!」
ソレを見て思わず尻餅をついた。
「な、な…」
黒い塊だった。いや、正しくは真っ黒い長方形の紙で覆い尽くした、人の形をした“何か”の塊だ。
(これ、が、私を呼んでいたの?)
詩歌は恐怖しながらも、操られるようにソレに手を伸ばす。ゆっくり、ゆっくりと少しずつ距離を縮める。そして指先が触れようとした、その時。
“そして、夜は最も危険だ”
何故かカゲノのあの言葉が脳裏をよぎった。その言葉に引っ張られるように詩歌は手を引っ込めた。
(…帰ろう)
きっと、今までの声は風の音か何かを聞き間違えたのだろう。この目の前の塊は誰かがイタズラで作ったモノだろう。
詩歌は自分にそう思い込ませながら立ち上がろうとした時、また風が吹いた。今度の風はそよ風と呼んでいいくらいに弱い風だった。しかしその風は目の前の塊の紙を一枚、撫でるように吹き飛ばした。
詩歌は思わず見てしまった。飛ばされた紙を見た後、塊の、紙が剥がれたその部分を見てしまった。
「……………!」
声にならない叫び声をあげる。
眼球、だ。
そこにあったのは、人間の眼球だ。片目しか見えないが間違いなくそれはヒトのものであった。黒目はあさっての方を向き、濁った色をしている。
逃げよう、逃げなくては、そう思うのに足が震えてうまく立ち上がれない。
「……くっ」
恐怖で涙が流れる。それなのに目の前の塊から目が離せない。目を離すと、コレが襲ってくるのではないかという恐怖があった。
ずっとそうしてその眼球を見続けるしかなかったため、その変化に詩歌はすぐに気が付いた。
「き…」
黒目が動いたのだ。右に、左に、ゆっくり動いている。
「きゃああああああああああああああああああ!」
詩歌は叫ぶ。その叫び声に同調してか、眼球は円を描くように早くぐるぐると回り始めた。
「………ッ!………ッ!」
震えたままの足をむりやり立たせ、よろめきながら扉へ向かう。
(早く、早く外に!)
扉まで一メートル。
(あと少し、あと少し!)
しかしその瞬間目の前で扉はひとりでに閉まった。
「開けて!誰か!お願い!」
扉をドンドン叩くがビクともしない。
「誰かぁ…。誰でもいいから、お願い…来て………」
泣きながら叫ぶ詩歌の声に反応したかのように、人の気配がした。扉の向こうからではない。
詩歌の、背後、から。
「ち、がう。あなたを、呼んだわけじゃ、ない」
蚊の鳴くような声で詩歌は言う。しかし気配はずるずると音を立てながら詩歌のすぐ後ろまでやってきた。少しでも動けば身体が触れてしまいそうな距離にソレはいる。
耳にねっとりとしたぬるい呼吸がかかった。
『…ハ……ァ…く………タすケ……テェ…』
笑みを含んだような声で、ソレは言った。
プルルルル。プルルルルルル。
「ん…」
電話の音で詩歌は目を覚ました。
「いま、こわいゆめみてたきがすりゅ…とりいの、ゆ、め…」
プルルルル。プルルルルルル。
「でんわ…でんわの、ゆ、め………」
プルルルル。プルルルルルル。
「はっ!電話!」
詩歌は飛び起きて一階の電話機まで走った。
「はい、佐伯です!」
「もしもーし、詩歌ちゃん?」
電話口から気の抜ける声がする。
「ママ?どうしたの?」
電話の主は詩歌の母親だった。
「パパがね、お風呂で見れるDVDのやつ買ってね、すっかり長風呂になっちゃって、ママね、すっごく退屈なの~」
詩歌の両親はこの春から海外で仕事をしている。それも急に決まったので、高校に合格したばかりの詩歌は両親と相談したうえで、日本で一人暮らしをすることに決めたのだった。
「相変わらず仲良しで娘としては嬉しいよ」
「うふふ、仲良しよ~。そういえば、そっちは今何時~?」
「今?今はね」
リビングの時計を見て詩歌は目を丸くした。
「…朝の五時」
「あらぁ、詩歌ちゃん早起きね~。えらーい!」
「あ、あはは、偉いでしょ」
電話に起こされたとは言い出せず、詩歌は話を合わせて笑った。詩歌の母親は少々、抜けているところがある。
「あ!パパお風呂から上がったみたい!それじゃあまたお電話するわね。ちゃんとご飯たくさん食べてね。風邪引いちゃ嫌よ」
「うん、うん。大丈夫!また電話してね。待ってるから!」
電話を切ると、詩歌は大きな伸びをした。
「ん~~~。ママったら相変わらずだなぁ。なんだか、目冴えちゃった。よし!今日はお休みだし、徹底的にお掃除しちゃお!」
両手の拳をぎゅっと握りしめ、詩歌は気合を入れた。
お昼頃、詩歌はようやく掃除の手を止めた。
「気合入れ過ぎて、庭もお風呂場もぜーんぶピカピカにしちゃった」
やれやれと汗をぬぐう。
「でも家中綺麗!ぴかぴか~ぴかぴか~」
詩歌は両手を広げてくるくる回った。
「よし!ピカピカのリビングでお昼ご飯だ!」
上機嫌な詩歌はさっと昼食を作り、食べた。
(掃除してて思ったけど、結構足りなくなってきてる物があったな)
昼食を済ませた後は、買い物に出かけることにした。
簡単なメモを片手に家を出る。青空が広がり、初夏の爽やかな風が吹いている。詩歌のご機嫌な気分は更に盛り上がった。足は心なしかスキップを踏んでいる気がする。
(そーだ!美味しいドーナツ屋さんに寄っちゃおっと)
メモの買い物を後回しにして詩歌はドーナツ屋へと向かった。詩歌のお気に入りのドーナツ屋は若い女性客で賑わっており、甘い美味しそうな匂いが漂っている。店員の可愛らしい制服も詩歌のお気に入りだ。
「調子に乗って買いすぎちゃった」
詩歌の手には一人分とは思えない大きさのドーナツの箱があった。
「どうしよ~。誰かに分けようかな。雅ちゃん、佐羽ちゃん…」
(あ)
最後にカゲノの姿が頭に浮かぶ。
(昨日のお礼…。いらないって言ってたけど、でも…)
「悩んでても仕方ない!行こう!」
詩歌は一人頷いて歩き出した。
「って、私カゲノちゃんの家、知らない…」
困った挙句、詩歌は昨日カゲノに送ってもらった道をどうにか思い出しながら行ってみることにした。
「確か、こっちの方…あ!」
昨日見た景色が見えてきて詩歌は安心する。
「は~、良かったぁ」
少し歩いてみると、昨日あんなに不気味だった道は、人気はないがなんてことない普通の住宅地に感じられた。それに昼間の太陽の高い時間だ。天気もいいし不気味に思う要素はどこにもない。
「カゲノちゃん、この辺りに住んでるのかな」
偶然どこかで出会えないだろうか、詩歌がそう思いながら歩いていたときだった。
「あっ」
見つけたのはカゲノではなかった。昨日と、そして夢で見たあの鳥居だ。
「どうしてこの鳥居が夢に出てきたんだろう?鳥居が夢に出てきて…どうなったんだっけ?」
詩歌はしばらく階段の下から鳥居を眺めていたが、どうしてもその鳥居が気になってしまい階段を上がって行った。
境内についた詩歌は不思議に思う。あばら家のような社務所、朽ちた小さな拝殿、木、笹藪。初めて来た場所なのに、どの景色も見たことがある気がするのだ。
(子どもの頃は違うよね。昔はこの町に住んでいなかったし)
詩歌は首を傾げる。
「ま、いいや!折角だからお参りしてこよっと」
賽銭箱の前まで進み、小銭を取り出そうと財布を手に持った。
「ニャー」
そんな詩歌の様子を、いつの間に現れたのか横から猫がじっと見ていた。
「あ、ネコちゃん」
「ニャー」
「可愛い~。もふもふさせて~」
「ニャー」
「もふもふ~」
両手を伸ばして詩歌は猫に近づく。
「ニャッ」
あと少しで抱きしめられるという距離まできて猫は逃げてしまった。
「あっ、待って」
詩歌は猫を追い、拝殿の裏側まで来た。
「どこ行っちゃったのかな」
猫を探し辺りを見渡す。
「ニャー」
「そっちだな~。もふもふ~」
背後から猫の声がして、詩歌は振り返る。しかしそこに猫の姿はない。
「あれあれ?」
ガサガサッ。
「そこだな~!」
笹藪が大きく動き、詩歌は屈みながら笹藪の中を進んだ。
「ん~、またいない」
ふう、と息を吐き詩歌は腰を伸ばす。
「えっ」
起き上がると、すぐ目の前に古びた木造の小屋が見えた。薄汚れてはいるが、お堂のような外観で、扉には複雑な模様が彫られている。そして目を引くべきは小屋中に無作為に貼られている短冊のような黒い紙だ。
(ここ、は…)
小屋を見つめる詩歌の様子がおかしい。まるで夢を見ているかのような、ぼんやりとした瞳をしている。
(私はここを知っている…?)
導かれるように詩歌は小屋に近づく。
…オイデ。
風がそう囁いた気がする。呼ばれるままに詩歌は扉に手を掛けた。
ビリッ!
手に強い電流が流れたかのような痛みが走り、その瞬間小屋の周りに貼られていた黒い紙は一瞬にして消え去った。しかし詩歌は何事も起きなかったかのように、扉を開け、ぼんやりとした瞳のまま小屋の中へ進んだ。
小屋の中はひんやりとして薄暗く、カビのすえた匂いがする。一歩進むごとに床が軋み、キィキィと木が鳴くような嫌な音がした。
ただ真っ直ぐに進むと、正面に何か黒い塊がある。ヒト型の黒い塊。黒い紙が包むように貼られたヒト型の塊。その姿はまるで正座したまま壁に背もたれて座っているように見える。詩歌はようやくここで気付いた。
(私は夢で何度もこの光景を見た…)
『…ハァク……ハァク…』
夢でそんな声を聞いた気がする。いや、今現実に聞こえているのかもしれない。
『……タ…ス…ケテェ』
嬉しそうな声。
『ハ…ヤ…ク…』
詩歌は塊に手を伸ばす。
『ハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤク』
詩歌の指先が塊に触れた。黒い紙が、また、一瞬で消え去った。
…………。
詩歌はそこでハッと自我を取り戻す。しかし、もう遅かった。
詩歌の瞳は恐怖に染まった。
「きゃあああああああああああああああああああああああ!」
叫び声を上げ、ぺたんと床に座り込む。腰を抜かしたのだ、目の前の光景に。黒い塊の正体に。
ミイラだった。いや、完全なミイラではない。所々に生きた人間のような質感が残っている。それが最もわかりやすいのは眼球だ。見開かれた両の目の白目の部分が怪しく光っている。
(なんで、なんで、なんで)
現実的でない光景に詩歌の頭は恐怖で混乱する。
ギィ。
(う、そ……)
ありえない、その言葉しか浮かばなかった。
ギィ。
(夢、これは、きっと、夢、だよね…)
詩歌は奥歯をガチガチさせ、震えた。
ギィ。
ミイラが、動いているのだ。腕を伸ばし、足を伸ばし、首を左右に揺らしながら、ソレは立ち上がった。眼球は出鱈目な動きをしている。ぼさぼさの針金のような髪が歓喜を表すかのように震えた。
「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ」
鳴いた。いや、笑ったのか。首をぐるんぐるんと振り回し、ミイラは奇妙な声を出した。
「………ぅ」
呼吸が止まりそうになる。
「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ…ぎゃ」
ミイラは首の動きを止め、詩歌を見た。眼球はまだ出鱈目な動きをしたままで、首だけが詩歌の方を向いた。
「ひっ」
ミイラの干からびた指が詩歌の顔に向かって伸びた。
「ぃ…や……や、めて……」
至近距離でミイラの乾いた筋肉が軋む音がする。
「こ、ないで…」
涙を流す詩歌を見て、ミイラはにやりと笑った、気がする。詩歌はその瞬間、意識を手放した。
床に倒れこんだ詩歌をミイラは見下ろす。そして、また手を伸ばそうとしたが、急に動きを止め、扉の方へ首を向けた。
「やってくれたな」
静かな、しかし怒りを込めた声で彼女は言った。ミイラはゆっくり扉の方へ体を向き直す。そして、彼女へ向かって歩きだした。その様子を見て彼女は警戒の色を隠さず、ミイラを睨み付けた。そして人差し指と中指の間にあの黒い紙を挟んで構える。
来る…!そう思ったのと同時にミイラは四つん這いになり、猛スピードで彼女に迫る。
「来い…………倭文子」
動物のように倭文子と呼ばれたミイラは駆け上がり、彼女に襲い掛かった…かのように見えた。
「くっ」
倭文子は彼女の脇を抜け、扉の外へと飛び出していってしまった。
「ちっ…逃がすか」
彼女もすぐに後を追うが、倭文子の姿は既にどこにもなく笹の葉がカサカサと音を立てるだけだった。
「遅れたか」
彼女は悔しそうに呟くと、再び小屋の中へ入り、倒れている詩歌へ目をやった。
「お前の力がここまでだとはな。佐伯詩歌、お前の罪は大きいぞ」
彼女は、いや、霧咲カゲノは感情の見えない声色でそう言った。




