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闇呼びの声  作者: 小路阿須
13/16

対峙、そしてカゲノの心

十三



 雅はカゲノを背負い、佐羽は怪我をしていて互いに走ることは困難だ。霧も相変わらずで前を歩く雅は正直なところ、山を下りているのか上っているのかもわからなかった。しかし立ち止まらずに歩く。詩歌の思いに報いるのはそうするしかなかった。

「…ん、ふぅ」

 佐羽は苦しそうに息を吐いた。

「佐羽?」

 雅は振り返り、佐羽の様子を見た。顔色が悪い。八咫にやられた傷は佐羽の体力を大きく削っていた。歩き始めて三十分は経っただろうか。このままでは佐羽は経っていられなくなるかもしれない。少しだけ休息を取ろう、雅はそう決めた。

「佐羽、あのさ私ちょっとHP限界ぽいんだ。少しだけ休みたいんだけどいい?」

「う、ん。わか…った」

 佐羽には珍しく素直に頷いた。

「ありがと」

 幸い近くの斜面に洞窟のように窪んだ場所があり、その中に入る。佐羽はすぐにその場に座り込み、目を瞑った。やはり限界が近かったようだ。雅はそっとカゲノをそっとおろすと、窪みの入口前に立った。

「…雅?休まないの?」

 うっすらと目を開けて佐羽は聞いた。

「もうすぐ詩歌が来るかもしれないからね。私はここで待っとくよ」

「うん…。ありがと、雅」

 佐羽の目から細く涙が流れた。

「いいんだよ、佐羽」

「…ひっく。でも、わたしのせい。わたしが霧咲さんを責めたから。何の事情も知らないのに責めたりしたから…」

「…佐羽、いいからもう休んで?ね?」

「でも…。わたし、わたし…」

「私がさ、“佐羽のせいじゃないよ”って言っても佐羽は納得できない子だってのはわかってるよ。だから言わない。佐羽が何か言いたい相手は私じゃない」

 雅は項垂れているカゲノを見る。

「続きは霧咲さんが気が付いてから言おうね」

「…うん」

「私が一緒に言ってあげてもいいし」

「…子ども扱いしないで」

 それを聞くと雅はふふっと笑った。

「はいはい、佐羽さん。ま、今はとにかく休みなさい」

「本当に、本当にありがとう…」

 佐羽はまた目を閉じた。しばらくすると規則正しい呼吸が聞こえてくる、どうやら眠ったようだ。

「おやすみ、佐羽」

 雅はそう言うと、外へと目を凝らした。濃い霧の中でも詩歌の姿を見逃したりしないように。



 どうしたことか、倭文子は呆けたように立ったまま何も仕掛けてこない。詩歌のことを見ているかどうかも定かではない。

 詩歌は倭文子と意思の疎通はできないものかと考えた。もし、言葉を交わすことができるのならば、大切な友人たちを、そして倭文子自身を救うことが出来るのではないかと思った。

「倭文子…」

 詩歌は出来るだけ恐怖を捨てた声色で話しかける。

「もう、こんなことはやめよう?あなたの人を恨む気持ちはわかる。私はあなたの辛い過去を知って、視てきたから…。だけど、だけど誰かを傷つけたってあなたの心は救われない。あなたは今、何を求めているの?私はあなたの力になりたい。白神ができなかったことを、私は…」

 その時、倭文子がゆらりと動いた。首を左右にゆっくりと振り、定まらない黒目で必死に詩歌を捉えようとしているようだった。

「…倭文子?」

 倭文子は再び詩歌の声を聞くと、ようやく首の動きを止めた。くるくる動いていた黒目も真っ直ぐ詩歌を捉えていた。

 がさり、と乾いた音とともに倭文子の口が大きく開かれる。

「……ァ…」

「…!」

 倭文子は口を大きく開いたり閉じたりをして繰り返す。

「……ァア…ア…」

「な、何か言いたいの?」

 詩歌が聞くと、倭文子はギロリと詩歌を見た。

「…っ!」

 その顔に思わずたじろぐ。

「…ス……くいハ…モハヤモモモモもとめヌヌヌ」

 倭文子は初めて意味のある言葉を発した。

「救いを…求めていない?」

「わガ…ウチニあるノハ………ただダダ…ト、コヤミ………ァ…」

 倭文子の体が小さく震えた。かと思うと、空を仰ぎ見た。

「アアアアアァァ嗚呼ァアアァァぁああああアアァぁああァァアア嗚呼ァ」

 倭文子は狂ったように吼えた。空気が震える。

「オマエガァ!…スクイをモトメテはいなか、ったのにノニ、オマエガァ!し、らかみガ…よけい、よけいなこと、を…」

 言い終えると、倭文子は口の端を上げて少し笑ったように見えた。

「倭文子、どうか落ち着いて!」

 しかし詩歌の声は倭文子には届かない。倭文子は四つん這いになり、詩歌に走り迫った。

「倭文子、お願い!あなたとちゃんと話をしたいの!」

 倭文子は止まらない。いよいよ詩歌の目前まで倭文子はやって来た。詩歌は腕を交差させて倭文子から身を守ろうと構えた。

「アアアアァぁアアああアアアア!」

(来る…!)

 ザッ!と地面を大きく蹴り上げる音がして詩歌は条件反射で目を瞑った。

「……………………え?」

 真横を駆け抜けた風に詩歌は目を開き、ハッと振り返る。倭文子は詩歌をすり抜けていった。

「え…どう、し……」

 その瞬間、詩歌は今までのことを思い出した。

 最初の日以来、自分に精神的な揺さぶりがなかったのは何故なのか。

 カゲノが既に死んでいる雛子を、生きていると錯覚したのは何故なのか。

 詩歌もカゲノも倭文子が何かをしてくるのならば、弱い詩歌の方だと思っていた。現に最初の夜に仕掛けられたのは詩歌だった。しかしそれをカゲノの札で追い払って以来、詩歌には何も大きな現象は起こらなかった。

 倭文子が力を蓄えるために何もしてこなかったわけではないとしたら。詩歌、に何も起きなかっただけだとしたら。

「カゲノ、ちゃん?」

 自分の口から自然に零れた言葉に詩歌は青ざめた。

「狙われていたのは私じゃない…!」

 カゲノには雛子の死という付け入る隙があったのだ。

「追わないと!」

 詩歌は震える体を引きずるように走り出す。ほんの少し出遅れただけなのに、倭文子の走る音も気配も感じられない。きっと倭文子にはカゲノたちの居場所はわかるのだろう。それなのに自分は闇雲に走っていいのだろうか。

「どうしよう、どうしよう…。私が倭文子を止めなきゃいけなかったのに!」

 焦る詩歌の頭に最悪の光景が浮かんだ。かつて倭文子に殺されていった人々のように倒れるカゲノの、雅の、佐羽の姿が。

(そんなの嫌!)

 その光景を払拭するように頭を振る。

「カゲノちゃんが言うように、私に特別な力があるというなら…。お願い、みんながどこにいるのかを教えて!」

 詩歌は強く祈った。

「………」

 しかし何も起こらない。突然体から力が溢れてくるわけでもなく、光の道しるべが行く先を示してくれるわけでもない。

「お願い、お願い…」

 幾ら懇願しても結果は変わらない。詩歌は自らの不甲斐なさと悔しさを噛みしめてまた走り出した。

 行き先もわからず、ただ当てずっぽうに道を進む。だが、足を進める内に詩歌は不思議な感覚を感じていた。当てずっぽうに選んでいる道なのに、この道で間違いないと強い確信が生まれていた。勘としかいいようがない。それなのに、絶対に正しいという思いがどんどん強くなっていく。

(大丈夫…!絶対に大丈夫!待っててね、みんな…!)


「今、何時くらいなんだろ…」

 空を見ても太陽は見えない。今が朝なのか昼なのか夕方なのかもわからない。辺りが闇に染まっていないことから、かろうじて夜になっていないことだけはわかる。

「時間の感覚が全然ない、な」

 雅は足元の小石をけ飛ばした。コツンと小さな音を立てて小石は転がった。

「…………し」

「……佐羽?起きたの?」

 後ろから声がし、雅は振り返った。しかし佐羽は静かな寝息を立てたままだ。不思議に思った雅は佐羽に近づき、顔を覗き見る。

「……。寝てるよね」

「……わ……」


「え…?」

 雅はカゲノの方を見た。よく見るとカゲノの口元が動いている。

「霧咲さん!?気が付いたの?」

「わ……た………」

「どうしたの?」

 カゲノの近くで様子を見るが、カゲノは虚ろな瞳のままで意識はどこか遠くにあるように見える。無意識下で口だけが動いている状態のようだ。

 雅はそっとカゲノの口元に耳を近付けた。

「わたしのせいでわたしのせいでわたしのせいでわたしのせいでわたしのせいで…」

 同じ言葉を延々と繰り返している。雅は驚いて体を離したが、すぐにカゲノに寄り添って優しく抱きしめた。

「ダメだよ、暗い気持ちになっちゃ」

 柔らかい手つきで頭を撫でる。

「きっとどうにかなるからね…」

 優しく諭すように声を掛ける。その時、ざり、と土を踏む音がして雅は入口の方を見た。霧の向こうにうっすらと人の影が見えた。

「詩歌!」

 雅は喜びの声と共に立ち上がった。

「………」

「詩、歌?」

 ああ、違う、と雅はそう思ったがもう逃げることなどできなかった。


「…はぁっ、もう、近いはずっ。この辺り…この辺りに…っ!」

 息を切らせて詩歌は走る。

「はぁ、はぁ…ここ…!」

 窪みに着いた詩歌は足を止めた。間違いなく、雅が逃げ込んだあの窪みだった。

「…………………倭文子」

 詩歌は倭文子の名前を呼んだ。だが当然の如く返事はない。ただ何かの蠢く音が僅かに聴こえている。

「………!」

 一歩、足を進めたところですぐに足を止める。

「なに、これ…」

 目の前に広がるのは信じられない光景だった。

 蛇だ。おびただしい数の蛇が周囲を埋め尽くしている。時折赤い舌を覗かせながら長い体を絡め合っている。

 蛇、蛇、蛇。いわばこれは蛇の絨毯だった。

「どうして蛇が…」

 蛇たちは詩歌に襲い掛かってはこないようだ。しかしこのままでは蛇を踏まなくては前に進むことはできない。だがそんな悠長なことは言っていられない。

 詩歌は蛇の群れの中に足を伸ばした。蛇たちはそれに気づいたように詩歌の足が下ろされる場所から、ザァっと逃げていなくなる。詩歌はホッとしたが、足首に触れる蛇の感触は気味の悪いものだった。

一歩、二歩、三歩…ある程度足を進めると、今まで平坦だった道に変化が見えた。蛇の絨毯が大きく盛り上がっている場所が三か所ある。そして最も目を引くのは、その三か所ではなく中心にある人の背の高さほどのものだ。小さな蛇の塔のように見える。いや、違う。これは蛇の塔などではなく人だ。人を大量の蛇が覆い尽くしているものだ。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 突如、地に轟く唸り声がした。小さな蛇の塔に見えたものから倭文子が恐ろしい形相で飛び出してきた。蛇は倭文子の体の至る所に咬みついている。

「倭文子っ!」

 詩歌は叫ぶ。しかし倭文子は詩歌には目も暮れずに再び詩歌の横をすり抜けて走り去っていった。大量にいた蛇はそれを追うように一緒になって外へと這っていった。

 残された詩歌は辺りを見渡し、息を飲んだ。

「………みんなっ!」

 蛇が大きく盛り上がっていた場所にはそれぞれ、カゲノ達が倒れていた。詩歌は急いで一番近くに倒れていた雅に駆け寄った。

「雅ちゃん、雅ちゃん、しっかりして!」

 声を掛けるが反応はない。詩歌は雅の胸元に耳をぴったりと付ける。

(良かった…。動いてる)

 心臓も無事動いているし、体を見た感じ大きな外傷はないようだ。あれだけいた蛇に咬まれた様子もない。

 詩歌は次に佐羽の様子を見る。腹部の傷口は痛々しいが、それ以外に怪我などはなく、雅と同じく気を失っているだけだった。

 最後にカゲノの元へ駆け寄る。カゲノの傍にはまだ数匹の蛇が寄り添うようにぴったりとくっついていた。詩歌がカゲノに触れようとすると、牙をむき出して威嚇をしてくる。

「カゲノちゃんを守っているの?」

 蛇の行動に詩歌はそう思った。ここにいた大量の蛇は彼女を守るために集まってきたのだろう。

「大丈夫。私はカゲノちゃんに危害を加えたりしないよ」

 詩歌が言うと、蛇はその言葉を理解したのかカゲノの傍を大人しく離れていった。

「カゲノちゃん…」

 カゲノの顔を覗き込む。目は開いている。呼吸もしている。生きている、そのことに詩歌は取りあえず安堵した。だが、呆然自失な状態なことは変わりない。唇を頻りに動かして消え入りそうな声で、私のせいで、と繰り返している。

 詩歌は悲しくて堪らなくなった。あんなに、あんなにも強くて凛々しかった彼女がこんなに弱弱しく項垂れてしまっている。もうずっとこのままなのだろうか。いや、そんなのは悲しすぎる。きっと何か出来るはずだ。カゲノ自身だってこのままでいたいなどと思っているわけがない。

 深く沈んだ彼女の心を救い上げる。きっと私にはできる。

「できるよね、カゲノちゃん」

 詩歌はカゲノの手を取った。力の入っていない人形のような手。その手を両手でしっかり包み込む。目を瞑り、心の中でカゲノのことを想う。体から自分が抜け出して、繋がった手からカゲノの中に入りこむ感覚がした。

 目を開くと辺りは真っ暗闇に包まれていた。自分の手さえも見えない暗闇の中に詩歌は立っていた。

(ここはカゲノちゃんの心の中…?)

 深い闇のそこら中からカゲノの気配を感じる。しかし肝心のカゲノの姿は見当たらない。

「どこにいるの?」

 詩歌は手探りで何もない闇の中を歩きながらカゲノを探す。

「私、ここまで来たよ。カゲノちゃんと話したいの」

 その声に答えるように前方に白い光が浮かんだ。その中にカゲノの姿が見える。

「カゲノちゃん!」

 詩歌はその方向に駆け出した。カゲノは遠くを見ながら口を開く。

「私はいつも一人だ」

「違うよ一人じゃない!」

 詩歌は走りながら答える。

「私のせいで雛子も死んでしまった」

「カゲノちゃんのせいじゃない!雛子さんは助けたかったんだよ!カゲノちゃんのことを、助けたかったんだよ!」

 カゲノの目の前まで来て、詩歌は手を伸ばしたが触れる寸前でカゲノの姿はスッと消えた。

「私はヒトの中では生きられないのだ」

 今度は後方にカゲノの姿が現れた。詩歌はまたそっちに向かって走った。

「この力は誰かを傷つけるだけのものだ」

「違う!」

「誰も救えない。誰にも必要とされない」

「違う!違う!違う!」

 詩歌は手を伸ばすがまたカゲノは消えてしまった。

「何のために私は戦っているのだ」

「一人で、ずっと一人でこれからも戦っていくのか」

「雛子はきっと私を恨んでいる」

「雛子の理解者が私であるように私の理解者も雛子であったのに」

「私は弱いのか。強くありたいと思う心が既に弱さだというのか」

 暗闇の至る所にカゲノが浮かんでは消える。

「カゲノちゃん…もうやめて…」

 詩歌は座り込んだ。

「私じゃカゲノちゃんの心に触れることさえ出来ないの?」

 床に手をつき、視線を床に落とす。手首から先が闇に飲まれているように見える。いや、実際にじわりと闇が詩歌の体を侵食していた。少しずつ腕や足が闇に飲み込まれていく。

「このまま、カゲノちゃんの心に取り込まれてしまうのかな。…それでもいいのかもしれない。カゲノちゃんをこんな所に一人にしたくないもの」

 詩歌はふふ、と自嘲的に笑った。

『本当にいいの?』

 諦めかかけた詩歌に不思議な声が届いた。詩歌は顔を下に向けたままそれに答える。

「だって、私の声はカゲノちゃんに届かないから…」

『本当の本当?』

「だって…。だって…!」

『私にはわかるよ。カゲノを助ける言葉が』

「私にはわからないよ…」

『わかるよ。あなたにだってわかる』

 詩歌の目の前に白く光る腕が現れた。思わず顔を上げると腕と同じように白く光る人の姿があった。かろうじて人の姿の光とわかるだけで、顔は見えない。

「…あなたは?」

 詩歌が聞くと、白い光の中から優しく微笑む空気が伝わった。

『私は雛子』

「雛子、さん?」

『って言っても、カゲノの中にある私の記憶。残像のようなものだよ』

「教えて、雛子さん。私、どうしたらいいの?」

『私はカゲノの中の私。だから答えを教えることは出来ないの。でも、あなたにならきっとわかるよ』

「私は、雛子さんと違ってカゲノちゃんと出会ったばかりだもん…。雛子さんにはわかっても、私には…」

『一緒にいた時間の長さは関係ない。あなたにはわかるよね?カゲノがどんな人間なのか』

「カゲノちゃんがどんな子か…?」

『そう。私の中のカゲノと、あなたの中のカゲノはきっと同じ。大好きで、大切な人なんだもん』

「大好きで、大切…」

 詩歌の胸がふわりと暖かくなった。

『もう大丈夫だよね。カゲノをよろしくね。私のせいで苦しめてしまったカゲノを助けてあげてね…』

 雛子はそう言い残すと煙のように掻き消えた。

「雛子さん、ありがとう」

 詩歌は呟いて立ち上がった。

「私の中のカゲノちゃんは、とっても強くて優しい人」

 そしてその強さはきっと自分のためには使わない人間なのだ。だからカゲノを助ける言葉は一つだ。詩歌は大きく息を吸った。

「カゲノちゃん!私を助けて!」

 もう一度息を吸う。

「私だけじゃ倭文子と戦えないの!お願い!力を貸して!私を助けて!」

 言い終えると辺りは静まり返った。反応はない。だが、詩歌は少しも焦ったりしなかった。きっと言葉はカゲノに届いたはずだ。

 詩歌の頭のずっと高い所からガラスが割れるように闇が崩れ、光が広がっていく。詩歌はその眩しい光に目を瞑りながらも微笑んだ。







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