暗いところにいる少女
一
佐伯詩歌は最近同じ夢を見続けている。
『…ス……』
暗く、カビの匂いが立ち込める場所に、誰かの声が響く。
『テ………』
辺りを見渡すが、声の主を見つけることは出来ない。
『…タ………ェ………』
「誰、なの?」
恐る恐る声を出す。
『………』
途端に、相手は黙った。
「誰かいるんだよね?私に何か言いたいんだよね?」
『………』
返事はない。
「………」
詩歌はしばらくそのまま待ったが、相手が何の反応も示さないことに、小さなため息を零した。
その時だった。背後に突然、の気配を感じた。
「ッ……!」
思わず体を強張らせる。ソレは耳元まで近づいてきた。詩歌は振り返りその姿を確認しようとするが、体が金縛りにあったように硬直して動かない。
耳にねっとりとしたぬるい呼吸がかかった。その瞬間。
『タスケテェ………』
「きゃあぁぁぁぁっ!」
詩歌は悲鳴を上げながら飛び起きた。
「って、あれ?朝?」
キョロキョロ辺りを見渡すと、うーん、と唸って腕を組む。
「何だか今、変な夢を見ていたような…。どんな夢だったか、な…ってもうこんな時間~~~!目覚ましセットしたはずなのに」
目覚まし時計を両手で持って睨み付ける。
「あ、一時間、間違えてる…」
そこから詩歌は猛ダッシュで身支度を整えた。ブラウスに赤いリボン、ブルーチェックのスカートの制服に着替え、ロールパンを頬張る。そして最後に洗面台の前で髪の毛にヘアピンを付けて完了だ。
(あれ、なんだか髪の毛伸びたかな?おかしいな、この間切ったばっかなのに)
詩歌は肩まで伸びた髪の毛先をつついて、そう思った。
「はぁ~、間に合ったぁ」
自分の席に着き、安堵の息を吐く。そんな詩歌に二人の女生徒が近づいてきた。
「おっはよ!詩歌ってば、まーた遅刻ギリギリじゃん」
背の高いショートカットの方の女生徒がからかうように言った。
「雅ちゃん、おはよ。今日は朝からちょっと色々あったんだよー」
「詩歌の色々あった、は高確率でただの寝坊」
もう一人の背の小さい女生徒は呟くように言う。
「佐羽ちゃんは今日も厳しいなぁ」
詩歌が頬を膨らませて言うと、雅は笑い、佐羽は呆れたようにため息をついた。
三人は今年入学した峰神高校で出会った。入学式の日、高校の広い敷地で教室までたどり着けず、道に迷っていたところを助けてくれたのが雅だった。高い身長にすらりとしたスタイル、そしてキリリとした目鼻立ち。この時、詩歌が雅を先輩だと勘違いしてしまったのは、入学から二か月以上経つ今でも雅から笑いのタネにされている。
そして教室へ向かう二人の後を付いてくる人影があった。二人が歩けば人影も歩き、二人が止まれば人影も止まる。不気味に思った二人は顔を見合わせてから、せーので後ろを振り返った。
そこにいたのは、背の小さい女の子だった。彼女が佐羽だ。少し長めの髪を二つに分けて結んでいる。制服を着ていなければ、小学生と見間違えそうな外見だ。それに加えて無表情で二人をじっと見つめているため、妙な雰囲気を醸し出している。
「あー、なんか用?」
少し戸惑いながら雅は聞いた。
「………」
女の子はじっと二人を見つめたまま答えない。
「えっと、私達一年生なんだけど、あなたも?」
今度は詩歌が問いかける。そうするとようやくその子は口を開いた。
「わたしも一年生」
「そっか!それでどうしたの?」
「わたしは今、高確率で迷子になっている…」
「………」
「………」
「………」
それが三人の出会いだった。
「最近寝坊ばっかだね。夜更かしでもしてんの?」
「むー、違うよ。パパとママが海外行っちゃったから、起こしてくれる人がいないんだもん」
「もう高校生なんだから、親の助けをなしにキチンと起きるべき」
「そ、そ。全くもってそのとーり!」
「妹に起こして貰ってる雅も大きい顔しない」
佐羽にずばり言われた二人はシュンと落ち込む。三人はそんな他愛無い会話をしながら朝の時間を過ごすのが日課だった。
………キィィン………
(……あれ?)
詩歌はふと、鋭い視線を感じて辺りを見渡す。
………キィィン………キィィン………
確かに誰かが見ているとはっきり感じるのに、その視線の主の姿はどこにも見当たらない。
「詩歌、どした?」
突然きょろきょろしだした詩歌に雅は不思議そうに尋ねる。
「…ううん、なんでもないよ」
「そう?」
(気のせいだよね)
詩歌はそう思うことにした。が、授業中になっても時折視線を感じる。それもあまり良い感情を感じない視線だ。
そんな視線を感じ続け、昼休みを迎える頃には詩歌はぐったりしていた。
「う~~~疲れた~~」
屋上で背伸びをする。隣には雅と佐羽がお弁当を広げながら座っている。
「うんうん、わかるよ。数学と古典のコンボはキツいよね」
何か勘違いしたらしい雅はサンドイッチを手に取りながら言った。
「あはは…」
「疲れた時は食べるのが一番」
佐羽は五段重のお弁当を幸せそうに頬張っている。
「相変わらず凄い量だね…」
「わたしにはこれが適量」
(あ、また…)
楽しいランチタイムにも詩歌は視線を感じた。でも、この視線は今までのような悪い感じはしない。
ちらりと視線を感じる先を見てみる。
(あれ、あの娘って…)
屋上の隅から色白の少女がこちらを見ている。腰までの長い髪の毛が印象的に風になびいている。そして何よりその目力。遠くから見られているにも関わらず、貫くような力強さを感じる。
(確か、同じクラスの…)
「霧咲カゲノ」
「えっ」
「詩歌、さっきからずっと見てる」
詩歌の視線に気づいた佐羽が言う。
「ん?霧咲さん?…っていないじゃん」
雅の言葉に詩歌は屋上の隅を見ると、彼女はもういなくなっていた。
「きりさき、カゲノちゃん…」
「詩歌、知ってるの?いつの間にかお友達になったとか?」
「ううん、違うんだけど。なんとなく気になっちゃって」
「あー!わかるわかる!彼女ってなぁんか独特だよね。綺麗だけど影があるっていうか、近寄りがたい雰囲気!」
「綺麗さで言えば雅も美人。胸も大きい。羨ましい」
佐羽が言うと雅は顔を真っ赤にした。
「ちょ、ちょっとやめてよ~。そういうのホント照れちゃうんだから。も~恥ずかしい」
「でも喋れば高確率で台無し」
「うわ、ひどっ!」
「だって、本当のこと」
「佐羽もその毒々しいとこがなかったら、もーっと可愛いのにね!」
「むぅ」
そんな二人の仲睦まじいやり取りを、詩歌はどこか気持ち半分で眺めていた。
(霧咲カゲノちゃん、か。どうしてだろ、彼女のことが凄く気になる)
放課後。
詩歌は一人、街中をぶらついていた。雅は妹と約束があり、佐羽は家の手伝いがあるのだ。
「はぁ、やっぱ一人はさみしいな」
家に帰っても退屈なのでショッピングでもしようかと、寄り道をしてみたもののやはり一人では味気ない。
(誰か誘えば良かった)
誰か、と考えたとき彼女の、霧咲カゲノの姿が頭に浮かんだ。クラスメイトなのに一度も会話どころか挨拶さえもした記憶がない。今日、たまたま屋上で見かけただけの相手。それなののどうしてこんなに気になるのだろうか。
それに、あの視線も気になる。彼女の視線と授業中に感じた視線は別のものだった。彼女の視線は何かを試すような、探るようなそんな視線だった。あの強い目に見つめられると、例えば犯罪者なんかはすぐに罪を自白してしまいそうだ。
授業中に感じた視線、あれは嫌な視線だった。禍々しく痛みさえ感じてしまうほどの視線。思い出して詩歌はぶるっと身を震わせた。
「あ、あれ、ここ、どこ…?」
色々考えている内に詩歌は知らない道に出ていた。さっきまでいた賑やかな街並みではない。どこかさびれていて、人気が感じられない。
「どうしよ、誰かいないかな」
日は暮れ始め、空は濃い橙色、むしろ赤に近い色に染まっている。カラスが円を描いて詩歌の頭上を飛び回る。
「カァーカァー」
カラスの声が自分を笑っている気がする。
後ろから誰かがついてきている気がする。
民家の窓、カーテンの隙間から誰かが見ている気がする。
自分の影が不気味に踊りだしている気がする。
街路樹に誰かが隠れている気がする。
屋根の上から、電柱の隅から、塀の上の猫が、風の音が。
(怖い…!)
詩歌は生まれて初めて“得体のしれない恐怖”を感じた。
(どうして、道に迷っただけなのに)
あてもなく走り出す。どこかに人がいないかと探す。大人でも、子どもでも、男でも、女でも、誰でもいい。とにかく、誰か………!
(でも、それがヒトじゃなかったら………?)
「おい」
絶望しかかった詩歌の耳に声が届いた。
「…っ!」
突然のことに思わず身体をビクつかせる。そのまま振り返ると意外な人物の姿がそこにあった。霧咲カゲノだ。夕暮れの中佇む彼女の姿は凛々しく幻想的で、詩歌の心をすぐに落ち着かせた。
「あ」
詩歌はホッと胸を撫で下ろす。
「お前、ここで何をしている」
「あ、あのあの、あの、私、道に迷っちゃって」
詩歌がそう言うと、カゲノは蔑むように一瞥した。それに詩歌は思わず萎縮する。
(…間抜けな奴だと思われちゃったよね。我ながら情けないな)
「…。佐伯詩歌」
「えっ?」
「お前の名は佐伯詩歌ではないのか」
カゲノは不審そうな顔をした。
「そ、そうです!はい!佐伯詩歌です!」
「来い」
「は、はい!」
言われるまま、歩き出したカゲノの後をついていこうと詩歌は身をひるがえした。その時、初めて自分がどこにいたのかを知った。
(ここって…)
詩歌のすぐ横には長い石畳の階段があり、その頂上に朱色の鳥居が見えた。鳥居を見たその瞬間、胸がざわついた。
『………ェ』
(………?)
「佐伯詩歌」
ぼんやり鳥居を眺めていた詩歌のそばに、いつの間にかカゲノが立っていた。
「お前は帰りたいんじゃないのか?」
冷めた口調でカゲノは言う。
「帰りたい!帰りたいです!ごめんね、カゲノちゃん」
「カゲノちゃん………」
名前をそう呼ばれたことにカゲノは表情こそは変わらないが、多少驚いたようだった。
「えーっと、馴れ馴れしかったよね。…ごめんなさい」
(私ってば最悪だよ~)
あからさまに落ち込んだ詩歌の様子を見てカゲノは口を開く。
「…名前の呼び方などどうでもいい。行くぞ」
「う、うん」
(カゲノちゃんって呼んでいいのかな)
カゲノの後ろをついて歩き、どれくらい経っただろうか。詩歌はようやく見覚えのある場所についた。辺りはもう、少し暗くなっている。
「カゲノちゃん、ここまで来たらもう大丈夫。本当にありがとう!」
詩歌は明るい笑顔で言った。
「そうか」
「よかったら今度、お礼させて欲しいな。美味しいケーキ屋さんを知ってるの。そこね、紅茶も種類がたくさんあるの。そこで今度一緒に…」
「いい」
「えっ?」
「必要ない」
「でも、お礼…」
「必要ないと言っている。私はお前を助けたわけではない。あの辺りをお前のような者にうろつかれたら迷惑だっただけだ」
鋭い口調で言われて、詩歌は肩を落とす。
「そ、そっか…私、浮かれちゃって。送ってもらったうえ、こんなこと言い出しちゃうし…」
「佐伯詩歌」
「は、はい」
カゲノは屋上で見た時と同じ、強い視線で詩歌を見た。
「お前は今日、私が声を掛けたときすぐに振り返ったな」
「…うん」
「お前のような者はすぐに振り返るべきではない。逢魔が時は、呼ばれやすい」
それだけ言うと、カゲノは詩歌に背を向けた。
「そして、夜は最も危険だ」
詩歌が何かを言い出す前にカゲノはその場を後にした。遠くなっていくカゲノの背中を詩歌は戸惑いながら見つめた。




