77:壺の話
ただいまー。それから、メリークリスマス。今日はまだイブだけど。
これ、おみやげ。羽柴からもらった、ジンジャーマンクッキー。
今日は楽しかったよ。
羽柴の料理はめちゃくちゃ美味かったし、羽柴にクリスマスプレゼントをあげたら喜んでくれたし。
うん、いいクリスマスだった。好きな子とクリスマスを過ごせた俺は、リア充だ。
……例え、羽柴家というか羽柴の家の店のちょっと早めな大掃除に付き合わされただけでも、今日はクリスマスイブなんだから一緒に過ごしたことになるよな?
しきみさんも一緒だったけど。
あと、いつものごとくまた俺がトラブルに巻き込まれたけど。
羽柴の家の店はさ、普通の綺麗でお高い雑貨がメインだけどしきみさんの副業の関係か、それとも昔はこっちがメインだったのかは知らないけど、曰くつきだったり何か世にも奇妙な物語にでも出てきそうな不思議アイテムも普通に売ってあったりするんだよな。
まぁ、そういうのはあらかじめ羽柴やしきみさんから触るな、寄るな、見るな的な注意を受けて、俺も自分のホイホイはもう嫌になるほどわかってるから、素直にきいてたよ。
で、しきみさんは倉庫の方をメインで掃除して、俺と羽柴で店の方を掃除してたんだ。
それで3時くらいに休憩しておやつにしようかって羽柴が言って、羽柴がおやつの用意をしに台所に行って、俺も漫画の金持ちの家でしか見たことない甲冑を磨くのがちょうど終わったから台所に行こうとしたんだよ。
けど、台所に向おうとしたタイミングで音がしたんだ。
ちゃぽんって、水面に滴が落ちたみたいな音が。
何の音だろうってふと周りを見たら、俺が磨いてた甲冑のすぐわきにでかい壺が置いてあったんだ。
俺一人どころか、大の大人も一人すっぽり収まりそうなぐらいでかい壺が。
……それで俺さー、よせばいいのに、何だこの壺? さっきの音はこれからか? とか思って何気なく中を覗き込んじゃったんだよ。
言い訳にしかならないけど一応言っとく。羽柴やしきみさんが「近寄るな、触るな」とか言ったものには俺、本当に今日は指一本も触ってないから。
あの壺、本当に何の説明も受けてなかったから、普通の売り物だと思ってたんだよ。
実際に羽柴にもしきみさんにも、あの壺でトラブルに遭うのは予想外だったみたいだし。
まぁ、長い言い訳だったけどとにかく俺は壺の中を見て、しかもそれだけで済ませてりゃ良かったのに、壺の中で何かが漂ってるように見えたから、そのまま壺の中に頭を突っ込むようにしてさらにのぞき込んじゃったんだよ。
それで、これは偶然だったのかそれとも壺の中身に引きずり込まれたのかはわからないけど、俺、壺の中に落ちて沈んじゃったんだよ。
言い間違いじゃないぞ。
壺の中に入ったとかじゃなくて、言葉通り落ちて沈んだんだよ。壺の中に溜まってた水の中にな。
俺どころかもっとガタイのいい大人だって入れそうなぐらい大きかったけど、高さはせいぜい俺の腰より少し高いくらいしかなかったから、バランス崩して壺の中に入って犬神家状態になりこそしても、座り込まない限り全身がすっぽり収まりはしなかったはずなのに、壺の底に頭ぶつけるどころかどんだけ沈んでも底に全然たどり着かないって、なんだあの壺。
当たり前だけど、いきなり水の中に落ちて俺はパニくってとにかく手足をバタつかせて暴れてもがいた。
あの水の中、底も見えないくらいに深いだけじゃなくて光が全然ないから、一度沈んだらどっちが水面でどっちが水底か全然わからなかったんだよ。
だからもうマジでもがく以外できることなくてジタバタしてたら、手が思いっきり誰かの頭にぶつかって、同時に声がしたんだ。
あの壺の中、マジでめちゃくちゃ暗くて姿は最後まではっきりとは見えなかったけど、声からしてたぶん女の子。俺とそんなに年が変わらないくらいじゃないかな?
その子がまずは頭を叩いちゃってビックリしたらしい短い悲鳴。そのあとに、ちょっとぼけっとした感じで、「……あなた、どうしてここにいるの?」って質問してきた。
はじめは言葉通りに受け取ったけど、あとであの壺がどんな壺かを知ったらちょっと意味が違ったんだよな。
まぁパニくってる俺は普通に、うっかり落ちちゃったんだよ! っていうか、水面はどっち!? どこ!? とか叫んでから、水の中なのに息ができることに気付いて何故かちょっと冷静になった。
今思うと、冷静になるきっかけがそれってパニック続行してんだろって感じだよな。
しょーがねーじゃん。息ができるんなら、慌てて水面にあがらなくても大丈夫かって思っちゃったんだよ。
で、息できるじゃん。あー良かった。みたいな独り言を言ったら、女の子の方がちょっと噴き出した。
息できるってだけで、壺の中に落ちたっていう異常事態を普通に受け入れてる俺は、そりゃおかしいよな。
その子はちょっとだけ笑ってから「笑ってごめん」って謝って、別に俺も自分で何やってんだ俺は? って思ってたから、気にしないで、俺も頭叩いちゃってごめんって謝った。
謝ってから、じゃ、俺は水面探すからって言ってその辺をとにかく泳ごうとしたら、その子が手を掴んで「……ここから出るなら、こっち」って案内してくれたんだ。
そのまましばらく、2分もしないくらい泳いだらちょっとだけ今までより周りが明るくなってきた辺りでいったん止まって、あとは光の方に行けばいいって教えてくれた。
ついこの前、似たような感じでなんかヤバそうなやつに変な世界に連れて行かれそうになったくせに、俺、その子の事は全然疑ってなかったんだよなー。
なんかあの子はもちろん、そもそも壺やその中の水中だって嫌な感じは全然してなかったから、早く出なくちゃ羽柴が心配するってことくらいしか考えてなかったよ。
だからその子に言われた通りに、あとは明るい方にずっと泳いで行こうとしたんだよ。
ごく自然に、その子の手を握ったまんま。
もうその子の方は手を離してたんだけど、俺は握ったまんまその子を連れて泳ごうとして「え!?」って驚かれた。
驚かれて俺も驚いて、思わず素で訊いた。
あ、もしかしてこの壺から出たらダメだった? って。
何故かナチュラルに、その子と一緒に出なくちゃいけない、その子は外に出たがってるって思いこんでたんだよな。
理由はわからん。本当にごく自然にそう思い込んでて、それ以外の発想がなかったんだよ。
壺から出ちゃダメって発想はもちろん、この壺の中から出たくないって思っている可能性なんか、頭の片隅にすら浮かばなかった。
俺の間抜けな質問に、あの子は少しだけ間をあけてから答えてくれたよ。
あの間は確実に、ポカンとしてたからだな。
少し明るくなってもかなりぼやけたシルエットしか見えてなかったけど、それくらいはわかる。
……あの子が俺の後ろ、より暗いところから動こうとしなかった理由は、全然わかってなかったけど。
あの子は、ここから出たくない、ここでずっと眠っていたい、ここでずっと誰にも邪魔されずに「夢」を見ていたいって言ったんだ。
それがあまりにも寂しげで悲しげな声だったから、あの言葉は本心だったと思う。
でも、俺にはそれだけが全てじゃないって思ったんだ。
だってあの子は、眠りの邪魔をした俺を責めないで、俺の案内をしてくれた。
俺には全然わからなかった水面がどこかを知ってた。
あの子は、外にまだ未練があるんじゃないかなって思ったんだ。
どうしてずっとここで眠っていたいのか、ここで眠って見る夢がどんなものなのかは知らないし、訊くのは無神経だから訊かなかったけど、それ以上に俺が言ったことは良く考えなくても、無神経だしおせっかいだったな。
俺、その子に夢は起きたままでも見れるけど、寝てたらどんな些細な夢でも見るだけで叶えられないよ、って言っちゃったんだ。
その子にそんな偉そうに語れるほどの夢なんか持ってないし、夢を叶えるために努力してることもないのにさ。
でも、俺にはなくてもあの子にはあったんだ。
叶えたい夢が、あったんだ。
その子はまたしばらく間を置いたんだけど、10秒くらい経って急に両手で顔を覆って俯いたんだ。
シルエットでしか見えてなかったけど、その動作で泣かせちゃったことはわかったから、ど、ど、どうしよう!? ってパニくったけど、俺がなんかする前にあの子が鼻声で言ったんだ。
「……わかってる。わかってるよ! そんなこと!
でも、私の夢は起きてたって、現実でだって叶えられない! 現実じゃ見ることすらお母さんは許してくれない!!
『こんな誰にでもできることなんかくだらない』って、お母さんにもう言われるのは嫌なの!!」
こんな感じの事を叫んでさ、俺が必死になってなだめながら話を聞いたら、どうもその子の夢は小説家になることで、たくさんの人が楽しんで、まるで自分が冒険してるように感じるファンタジー小説を書きたかったけど、母親がその夢を全否定。
くだらないって言って、その子がぶっちゃけ嫌いな部類であるスポーツばっかりやらせてるんだと。
その話を聞いて、無関係のはずの俺がブチ切れた。
その子の母親だってことも忘れてババァ呼ばわりで、何が誰でもできるだ!! 俺は小説なんてもん書いたことないけど、原稿用紙2枚の作文だって書くことなくてめっちゃ苦労するのに、たくさんの人が面白いって思える内容や文章が、誰にだってできるわけねーだろ!! とか、なんか泣いてた相手の方が引くくらいにキレてた気がする。
そんでキレたまま、やっぱり偉そうにその子に言っちゃったんだ。
っていうか、母親の許しなんか必要ないだろ!! やりたいことをしたらいいじゃん!
母親に反抗するのは怖いし、説得できなくていつまでもグチグチ文句言われたら気分最悪だけど、ここでずっと夢見てるだけじゃ結局、母親に文句言えず従ってる時と同じじゃん!
どっちにしろ、最後に残るのは後悔だけじゃん!! って怒鳴っちゃったよ。
言いたいことを全部言ったからというより、息切れしていったん俺がなんか言うのをやめたら、また俺はその子に笑われた。
初めの急に冷静になって現状認識した時みたいに、おかしげに笑ってその子に「君、変な子」って言われたよ。
……うん。自分でもあれは変人極まりなかったと思う。
でもそんな変人の奇行でも、その子は納得してくれた。
本当は俺が言うまでもなく、自分でもわかってたからこそなんだろうけど、その子はもう一回俺の手を握って、「私も一緒に行く」って言ってくれたんだ。
ただ、どんなに明るくなっても絶対に自分の方は見ないでって頼まれた。
俺はそう言われた理由は何にもわかってなくて、でも言われた通りに振り向かないでその子と一緒に泳いだよ。
そんで泳ぎだして1分もしないうちに、目が痛いくらいの光が見えてきてここを超えたら出れる! って根拠もなく確信してそのまま突き進んだら、光の中に入った瞬間、俺が握ってた手の感触が薄れて消えていったんだ。
すぐにパッと消えたんじゃなくて、本当になんて言えばいいかわかんないけど薄くなって消えたとしか言えない感覚だったな。
もうそんな感覚も初めてだし、本人も納得したとはいえ結構無理やり連れだしてきたから心配になって、約束を破って振り向いちゃったんだ。
光の中だったから、シルエットははっきり見えるのに顔立ちとかは全然見えなかった。
でも、あの子が振り向かないでって言った理由はわかった。
……両足がその子にはなかったんだ。
そのことはわかったのに、あの子がどんな顔をして水面から上がったのかは、わからなかったよ。
まぁ、その後は気が付いたら壺の前で俺は座り込んでたんだよな。
ちょうど羽柴がお茶の用意が出来たって呼びに来て、なんかポカンとマヌケ面で座り込む俺を見て、「何してんの?」って首を傾げられた。
確かにそんなに長い時間あの中にいたとは思えないけど、それでも10分くらいは確実にそこで過ごしたはずなのに、時間はほとんどたってなかったんだ。
羽柴に訊かれてまた俺は軽くパニくって、羽柴に壺の中に入っちゃってたことと女の子の話をしたら、羽柴は少しだけ驚いて壺の中を見てから、「……大丈夫。中にはもういない。あの人はちゃんと帰るべきところに帰った」って言ってくれた。
それから、羽柴としきみさんとおやつ食べながら、あの壺の説明をしてもらったよ。
嫌な話だけど、あの壺は見世物にされるために作られた奇形……生まれたばかりの赤ちゃんを入れて、壺の形に体が変形した子供の願望が詰まった、底なしの海なんだってさ。
別に普通の人には何の害も得もないけど、自分の体にコンプレックスを持って、見られたくないのに見世物にされてる人は、あの壺の中に入りたくなる。
あの壺に入れば、光も届かない真っ暗な海の中で、誰にも自分の体を見られずに見世物にもされずに、ずっと自分が望んだ夢を見ながら眠り続けることが出来る、そういう呪いと言うには悪意がなくて、悪いものだって断言できない品物だった。
何でそんなのに俺は落ちちゃったの!? って訊いても、しきみさんは「さぁ?」って首傾げて、羽柴は「クリスマスだからじゃない?」とか言い出してたわ。
クリスマス、なんか関係あるか?
しかも今日はまだイブだっつーの。
* * *
『慌てん坊のサンタクロースの歌詞を思い出したんじゃない?
クリスマス前にやってくるのも、覗き込んで落っこちんのもそっくりよ』
番外編の「我楽多堂忌憚」とちょっとリンクした話。
「我楽多堂忌憚」はダーク・ブラック・ミステリアスを基本テーマにした羽柴家の短編集なので、もし興味が湧きましたらこちらも読んでもらえたら嬉しいです。
次回から冬休み編。
次回は羽柴さんよりもリンデンが活躍します。




