71:女の話
あー、気分悪い、胸糞悪い。
聞いてくれよ。また、胸糞悪い話だったんだよ。
ほら、三日くらい前に2年の数学の先生が羽柴に何か相談してたって言ったじゃん。
あれがまた、どいつもこいつもクソッタレ! お前ら、土下座して切腹して地獄で詫びろ! って話だったんだ。
前はどこまで話したっけ?
まぁいいや。初めから話すよ。
何か数学の先生の相談がさ、20年くらい前に事故で死んだ自分の姉の霊が母親に取り憑いて、祟りを起こしてるから何とかしてくれって内容だった。
なんかその先生のお母さんは昔から、先生が彼女を家の連れて来たりしたら頭がすごく痛くなるんだって。
初めの方はちょっと痛いかな? って程度だけど、1時間もしないうちに立っていられなくなるぐらいに痛くなって顔色も真っ青になるから、彼女に帰ってもらうとその数分後にケロッと治る。
でもまた彼女が家にやってくると、同じ結果。
特定の彼女とかじゃなくて、とりあえずお母さんに会わせたことのある彼女全員そうだったらしい。
その話を初め聞いた時は、息子の彼女に会いたくない、さっさと追い出したいっていう、嫁イビリみたいな心理の仮病じゃねーの? って俺は思ったし、先輩達や羽柴も同じこと思って口に出したけど、我慢しすぎてぶっ倒れたり吐いたりしたこともあるから、それはないって熱弁された。
確かあの先生、30代のはずだけどまだ20代の雪村先生と歳変わらないように見えるし、結構イケメンで女子人気が高いけど、あの熱弁で少なくともオカ研の女子はみんな引いてた。
あの先生、結構マザコンだよ。
そんなマザコンでも結婚を真剣に考えてる恋人がいて、何度か結婚報告を彼女としようとしたけど全部毎回、母親の頭痛で詳しい話が出来ずに強制終了。
つーか、今までよりも酷くなったんだって。
もうその彼女が玄関先であいさつした時点で、膝から崩れ落ちるくらいの頭痛がする。
今までの彼女はみんな家で会ってたから家に原因があるのかと思って、どっか外で食事会をしても結果は同じ。
それどころか今では、彼女の名前や結婚って話題を上げただけでのたうち回るくらい頭が痛くなるそうだ。
で、何でそれが死んだ姉の祟りになんのかと思ったら、ついこないだ頭痛で寝込む母親の看病をしていたら、聞こえたんだって。
小さな女の子の、「お母さん」って声が。
自分の彼女や婚約者を娘同然に可愛がろうとする母親に、姉が嫉妬して祟ってるんじゃないかって先生は予想してて、俺も先輩もこの話ではそう思った。
で、説明を聞いた羽柴は先生の依頼を受けたのはいいけど、何故か相談されたその日の内じゃなくて、次の日にやるって言い出したんだ。
まぁ、確かに彼女と結婚の話題さえ避けてれば支障はないからそんなに急ぎの案件じゃないけど、羽柴は面倒が嫌いだから、急ぐ必要がなくていつでもいいのならむしろその日のうちに終わらせてしまうタイプなのになーとか思って、不思議だった。
そんで、もう一つの条件もその時は謎極まりなかった。
羽柴は先生に、「私が重度の蕎麦アレルギーだって、お母さんに伝えておいてください」とか言い出したんだ。
羽柴、今時珍しいくらいにアレルギーなんて何にもない。花粉症ですらないのに。
で、今日羽柴から昨日の除霊の事を聞いて、羽柴がわざわざ「準備期間」を作った理由がよくわかった。
マジで最低だ。あの人殺し!
先生の家にやってきて、先生のお母さんは除霊するのがまさか生徒だとは思わずビックリしてたけど、とりあえず家に入れてお茶を出そうと台所に姿を消して数秒後、食器が割れる音がして先生と羽柴が台所に向かったら、お母さんが頭を押さえて床に座り込んでたんだ。
なんか羽柴の事を「あら可愛い」とか何か、少し褒めてたからそれが取り憑いてる姉の嫉妬になったかと先生は思って、お母さんに寄り添って羽柴に「早く除霊を!」って急かした。
羽柴、そう言われて何やったと思う?
真っ青な顔で頭を押さえて床に座り込んで唸ってる人の背中を、前蹴り。いわゆるヤクザキックで前のめりに顔面から転ばせた。
先生、あまりの衝撃でフリーズしてる隙に羽柴はぶっ倒れてるお母さんの背中を躊躇なく踏みつけて乗って、お母さんが押さえてる手をどけた。
途中で先生はフリーズから回復して、何か文句言いながら羽柴をお母さんの背中からどけようとしたそうだけど、エレボーで撃退したってさ。強すぎだろ、羽柴。
羽柴が最強なのは今更なので置いといて、羽柴はお母さんが押さえていた手をどけて髪をかき分けたら、小さいけどはっきり聞こえたってさ。
「お母さん」って声が。
で、よく見たらその声がした方、お母さんの後頭部には小さな3センチくらいの切り傷みたいなのがあって、羽柴はその傷に両手の人差し指を突っ込んで上下に思いっきり広げたんだ。
……広げて、まず初めに見えたのは白い歯。
その次に見えたのは、真っ赤な舌。
お母さんの後頭部にあったのは、傷じゃなくて口だったんだ。
その口が、小さくてろくにしゃべれなかったのが、羽柴に広げられたおかげか流暢に、はっきりとした声で話し出したんだって。
「お母さんやめて。酷いことしないで。お母さんやめて。殺さないで」
その声と言葉で、先生は顔面蒼白になってまたフリーズ。
羽柴はフリーズしてる先生に、台所に急須と湯呑のすぐ横にあった袋を投げつけて、最後の忠告をして帰ったって。
「母親が一番大事なら、あなたは結婚してはいけない。この女は多分、死んでもあなたから離れないから」
羽柴の忠告は、こんな感じの内容。
今度は前日に俺たちに言われた「嫁イビリじゃね?」みたいに、キレて否定はしなかったらしいよ。
そりゃ、さすがに庇えねーよな。
用意されてたお茶、そば茶だったんだから。
どうもさ、先生のお姉さんの死因は重度のアレルギー持ってるお姉さんが誤って、弟のおやつを食べたことでアナフィラキシーショックだっけ? アレルギー反応で一番ひどい奴。
その状態になって死んじゃったらしいけど、……あの二つ目の口の言葉と羽柴にやろうとしたことから考えて、もう誰がどう見ても事故じゃねーよ。
……息子だけが、可愛かったんだろうな。
俺たちは息子は可愛がるのに娘を事故に見せかけて殺したんじゃないかってことが、理解できなくて、信じられなかったけど、雪村先生は羽柴の話を聞いて悲しそうな目で言ったんだ。
「言いたくないけど、この仕事をしてたらそういう親を見るのは珍しくもない。集団の中に一人、生贄としてイジメられる奴、見下す要員がいたら団結力が上がるって言うだろ?
あれを、家庭内でやる親を俺たちは毎年、何人も見てきて、ほとんど何もできない」
そんなこと言われたら、もう普通に親から愛されて育った俺たちには、何も言えなかったよ。
……母親は息子を、誰にも渡したくない、永遠に自分の可愛い息子でいて欲しかったんだろうな。
彼女だけじゃなくて羽柴まで狙ったのは、自分の頭痛のおかげで結婚話が進まない、息子が心配してくれて婚約者から引き離せてるから、除霊は本心では望んでいなかったのかもしれない。
っていうか、そうであって欲しい。違うのなら、その母親は息子の教え子の中学生にすら、殺意の域にまで達した嫉妬をぶつけたってことになるんだから。
息子が彼女を連れてきたら、嫁イビリ何か通り過ぎてあわよくば娘の時みたいに殺そうとした時、姉は弟の彼女や羽柴を助けるために「やめて」って言ったのか、ただ単に自分が死んだ時の状況がフラッシュバックしたから「やめて」って言い続けたのかは、俺にはわからない。
ただ、どちらにしろひたすらに、そのお姉さんが可哀相で仕方がない。
だって羽柴は言ったんだ。
先輩たちが「どうしてその子を成仏させてやらかったんだ?」って訊いた時、羽柴も少しだけ悲し気な目になって、でも諦めたみたいにため息をついて言ったんだ。
「望んでないから。
例え自分を愛してなくても、邪魔だと思われても、殺されても、彼女はただ母親の傍にいることを望んで、成仏は望んでなかったから」
どんな目にあっても、母親が好きだなんて……
親子って、難しいよな。
* * *
『難しくなんてないわよ。
親が理由なく我が子を愛して、子供も理由なく親が好き。それが普通なの。
こんな簡単なことが出来なかった母親がいたから、せっかくの娘の愛が因果応報の罰になった。ただそれだけの話よ』
話の元ネタというか材料は、「二口女」とグリム童話の「ネズの木」。
「二口女」は、嫁に来たまったく何も食べない女が、実は二口女だったって話のほうじゃなくて、継子を虐待して飢え死にさせた後妻が、継子に祟られるって話の方。
次回は緩くていい話の部類です。




