70:車の話
この前、近所のコンビニに止められてある車を見てビビったよ。
ごく普通の黒い車だったんだけど、車の助手席の窓に赤ちゃんがベタって張りついて、こっちを見てたから。
遠目からでも赤ちゃんが窓から外見てるってのはわかったから、初め見た時は親がちょっとコンビニ行ってる間、車で留守番してるとしか思ってなかった。
ちょっと危ないな、親に危機感ないなとは思ったけど、熱中症の心配はほとんどない時期だったから、まぁ数分間だけならわざわざ赤ちゃんも下ろしはしないかって思ってた。
そう思いながら、その車の赤ちゃんの様子を一応見ておこうとして車に近づいてビビった。
その赤ちゃん、顔も全身も真っ赤で、ゆであがったタコみたいな色になってたから。
え? この時期に熱中症!? どんだけ放置してたんだよ!? ってキレながら、スマホで警察に連絡するか、そこのコンビニで人を呼ぶかを迷ってたら、車の持ち主がやってきたんだ。
ごく普通のサラリーマンが煙草を持って、自分の車の前でスマホ持ってオロオロする俺を、めっちゃ怪しげに見て、「うちの車に何か用?」って言ってきて、俺は何か用じゃねーだろ! って内心キレながら、赤ちゃんが……って言ったら、「はぁ?」って言われた。
この反応で、あ、久々にやっちゃったわーって気づいた。
車をもう一回見てみたらあの真っ赤になった赤ちゃんはいなくなってて、久々に霊を生きた人間と間違えて、しかもそのことで人に迷惑かけちゃったことに気付いて、もうその場に穴掘って埋まりたくなった。
何とかそのサラリーマンに見間違いです、勘違いです、怪しいマネしてごめんなさいって謝ってごまかしたわ。
サラリーマンはものすごい俺を気味悪そうに見てたから、全然誤魔化せてなかったんだろうけど。
これで終わればただの俺の恥だけど、この後もちょいちょいその車と真っ赤な赤ちゃんを見るようになったんだよなー。
車を見るのは、ただの完全な偶然だと思う。
ただ単にサラリーマンは近所に住んでて、会社の行き帰りに朝飯やら晩飯やら煙草の調達にそのコンビニをよく利用するってだけ。
それはいいんだけど、なんかあの赤ちゃんが気になってしょうがなかったんだ。
どうもあの赤ちゃん、車の持ち主に憑いてるんじゃなくて車そのものに憑いてるっぽかった。
コンビニの中とかでサラリーマンを見ても、赤ちゃんが憑いてたってこともなければ、サラリーマンが車の中でタバコ吸って休憩してる時とかには車内にも現れない。
誰もいない車の中でしか現れなくて、そしてあの姿から嫌な死因しか思い浮かばなかったよ。
どう考えてもあの子、親がパチンコとかに行ってる間、車の中に放置されて蒸し焼きで殺された子供だよなー。
それなら車の中に憑いてるのも納得だし、あのサラリーマンに俺が赤ちゃんとか口走った時、気味悪そうではあったけど普通に「意味わからん」って反応の方が大きかった理由もわかった。
あのサラリーマンは赤ちゃんの親じゃなくて、たまたまそんな過去のある中古車を知らずに買った赤の他人なんだろう。親なら心当たりはあるだろうから、もうちょい違う反応するはずだし。
そんなわけだから、悪霊っぽい空気は全く感じられなかったし、何度見かけてもサラリーマンは元気そうで別に危害を加えるタイプじゃなさそうだから、そのまま放っておいて忘れりゃよかったんだろうけど、どうしても気になるんだよ。
っていうか、あの子を成仏させたいって思ったんだ。
だって何も悪くないのにたぶんかなり苦しい死に方をされた挙句、自分が憑いてる車はさっさと売り飛ばされて、何の関係もないサラリーマンが使ってるって可哀相じゃん。
売った側には売った側の事情があるってことはわかってるけど、何度も捨てられてるように感じて俺は嫌だったんだよ。
そんな風に思ってモヤモヤしてたら、羽柴に「何か悩みでもあるの?」って訊かれた。
結局、こういうことは羽柴頼りなんだよな。何もできない自分が本当にイヤだ。
ちょっと話すのは悩んだけど、何もできない俺がずっと何もできないまま悩み続けるより、羽柴に話して頼んで解決した方がその子の為だよなと思って、車の事を話したよ。
羽柴は相変わらず俺の自己満足なわがままでしかないことも即答で、「いいよ」って言ってくれて、今日は一緒にそのサラリーマンがよく利用するコンビニに行ってみたんだ。
しばらくコンビニの中や前でその車を待ってたんだけど、どうも今日は残業かなのか、コンビニって気分じゃないのか、よく見かける時間帯になっても来なかったんだ。
まぁ、毎日見かけるわけじゃなかったから、羽柴に謝って今日は来ないから解散ってことにしようかと思ったけど、羽柴の時間を無駄にさせたお詫びにちょっと羽柴の買い物に付き合ったんだ。
少し遠くのショッピングモールで、しょうゆとか米とかかさばって重いものが安いから買いに行くって言ってたから、じゃあお詫びに荷物持ちするって言って、一緒に行った。
正直言ってただ羽柴と少しでも長くいるための口実同然だったんだけど、実はこれが正解。
そのショッピングモールの脇の道路に、あの赤ちゃんが憑いてる車があったんだ。
そんでその赤ちゃんがやっぱり助手席で、窓にべたっと張りつくようにしているんだけど、俺がいつも見かけるのとは違って、泣いてたんだ。
窓が完全に閉まった車の中にいるから、本来なら声なんてほとんど聞こえないはずなのに、火が付いたような赤ちゃんの泣き声がして、俺が思わず駆け寄ったらさらにビックリ。
運転席で車の持ち主のサラリーマンも、真っ赤な顔でぐったりしてたんだ。
しかも、その車が異様に熱かった。
窓と車のドアに俺が手のひら置いただけで、火傷しそうなくらい熱かったんだよ。まるで、真夏の炎天下に放置してたみたいに。
この時期なら日のよく当たるところに置けば車内がやたらと暑くなることはあっても、外まで熱くなりはしないはずだから、十中八九、車に憑く赤ちゃんの霊の仕業、それもわざとじゃなくて暴走してるって気づけた。
実際、後から羽柴もそうだって言ってた。
助けたサラリーマン、何か複数の煙草が混ざったような匂いがしたから、暴走のスイッチは多分それだってことも言ってたな。
パチンコ屋って基本、どこでも喫煙OKだから短時間でもそこにいたら周りの煙草の煙が服や髪にしみこんでなかなか取れないらしいから、たぶんあの赤ちゃんにとって自分を車の中に放置する原因=複数の煙草の匂いだったんだろう。
あのショッピングモール、パチンコ屋はないけどゲーセンはあって、パチンコに近いコインゲームのコーナーなら確かあったから、そこで少し遊んで車に乗ったらサラリーマン本人と周りの煙草の匂いが全身にしみこんでて、それが赤ちゃんのトラウマスイッチを押した。
トラウマが暴走して赤ちゃんは自分が死んだ時の状況を再現してしまい、車の中は蒸し焼きの灼熱地獄で、サラリーマンは閉じ込められたってところだったんだろうな。
まぁ、そこまで冷静に思える余裕なんかもちろんその時の俺にはなかったけどな。
もう必死になって車の窓を叩いて、サラリーマンを起こすか窓を壊すかしか考えてなかった。
何にも悪くないのに親に見捨てられて殺されて、挙句わざとじゃないにしろ人を殺すなんてマネだけはさせたくなかったから。
でも、どんなに俺が窓を叩いても車の中のサラリーマンは起きないし、当然だけど窓も割れない。
パニくってバカなことしかしてない俺に、羽柴は冷静に「ソーキさん、どいて」って言って、一撃で窓ガラス粉砕。
……一応言っておくけど、羽柴は素手で窓ガラス粉砕はしてないからな。
手に家の鍵、家の倉庫の鍵、自転車の鍵をそれぞれ握りこぶしの間から出して、メリケンサックというか鉤爪みたいにして、それで車の窓ガラスを粉砕した。
……どちらにしても、正直恐ろしいことに変わりはなかったな。
窓ガラスをぶっ壊して、内側からロックを解除して羽柴がまず最初に救助したのは、サラリーマンじゃなくて赤ちゃんの霊だった。
羽柴が泣きじゃくるその子を、今さっき窓ガラスをぶち割ったとは思えないくらい優しく抱き上げて、背中を軽くポンポンって叩いてあやしてから、俺に渡したよ。
何にも言わずにナチュラルに渡されて俺、パニくったよ。
どうしたらいいか全然わからなくて、とにかく赤ちゃんの体がすごく熱かったからとにかく冷やしてあげなくちゃ! 水! って思って水筒取り出して、赤ちゃんに水を飲ませたよ。
まぁ、飲まなかったんだけどな。
あの子は、何も恨んでなかったんだろうな。きっと車に憑いてたのも、ただ単に自分が死んだってことを理解できてなかっただけだと思う。
そう思えば、サラリーマンにとっては不運だったろうけど、俺や赤ちゃんにとっては幸運だった。
死んだって理解できてない赤ちゃんは、説得して成仏はできない。死を理解できてないなら、こちらにいてはいけない理屈も理解できないからな。
だから、自分の死の瞬間を再現したあのタイミングは本当に最良だった。
飲み口を赤ちゃんの前にやって、水筒を傾けたタイミングで赤ちゃんの泣き声が止んでその子はニコって可愛く笑って消えたんだ。
あの子は、あんな風に助けてもらいたかった。それがきっとあの子本人もわかっていない、この世に留まる未練だったんだから。
……あの消えたタイミングせいで、俺の左手はびしょ濡れになったけどな。
いいんだけどさ、それは。
「ソーキさんは浄霊うまいね」って、サラリーマンを車から出す羽柴に褒めてもらえたし。
* * *
『何ともしまらない所が、またあんたらしいわね』
もう完璧に羽柴が除霊、ソーキは浄霊担当のゴーストバスターですね。
ソーキは本格的に勉強やら修行したら、十分どころか職業として一流になれそうなんですけど、ならないだろうな、こいつは。
次回は、後味の悪い話です。




