48:羽柴の世界の話
……気まずいもの、見ちゃったなー。
悪い、ちょっと聞いてくれ。
他人に話すことじゃないんだけど、……情けないけど、俺一人じゃ消化しきれないんだ。
今日、オカ研に行こうって羽柴を誘いに隣のクラスに行ったらさ、鞄は机の上に置いたままだけど羽柴がいなくて、クラスの奴らに訊いても知らないって言われてさ。
そのまま待ってても良かった、一人でオカ研に行っても良かった。ラインかなんかで連絡だけでもしてりゃ良かったのに、何故かなんとなく探しに行こうと思ったんだ。
嫌な予感がしたとかそんなんじゃなくて、本当になんとなく学校を散歩がてらブラブラしながら探してたら、2階の廊下から見えたんだ。
体育館裏っていうベタなところに、同じクラスか違うクラスなのかもよく知らない女子3人に囲まれた羽柴が。
明らかにちょっと友達同士のガールズトークって雰囲気でもフォーメーションでもなかったから、俺は慌てて階段駆け下りて、体育館裏まで走って行ったよ。
正直、この時点で羽柴が殴られたり酷いことを言われて泣いたりしてたらどうしようとかいう、ごく普通の心配は何もしてなかった。
つーか、その発想がなかった。
むしろ、羽柴、早まるな! 殴るなよ! 手を出すなよ! お前がやったら過剰防衛になる可能性がクソ高いんだよ! と、もう羽柴を心配してんのか、羽柴を囲ってる女子を心配してんのかよくわからんことを考えてた。
そんでこの心配が、俺の予想してた方向とはちょっと違うけど大当たりだったのが、また何とも言えない微妙な気持ち。
……羽柴にやりすぎって叱ってやればよかったのか、それとも羽柴は悪くないって言ってやれば良かったのか、今もわからないんだ。
俺が階段降りて一階について校舎出て体育館前に着いた時、「いやああああぁぁぁっ!!」っていう、女子の悲鳴が聞こえたんだ。
俺が慌てて向ってた、体育館の裏から。
俺はその悲鳴を聞いて、少しパニックになりながらそっちに行ったよ。
初めから行くつもりだったけど、羽柴が過剰防衛やらないかっていう心配から羽柴やあの女子たちに何があったんだ? って純粋な心配に気持ちが変わってた。
だってさ、羽柴になんか言われたとかビンタしたら殴り返されたっていう感じの悲鳴じゃなくて、何か怖いものを見たような悲鳴に聞こえたから、心配になったんだ。
体育館裏に行ってみたら、羽柴を壁の方に追いやって左右と前をふさぐ形で囲ってたフォーメーションが崩れてて、羽柴の正面に立ってた髪をちょっと派手に染めてた女子がしゃがみこんで、顔を両手で覆ってうつむいてガタガタ震えてた。
羽柴の左右を塞いでた他の二人は、しゃがみこんでる子に何々ちゃん! どうしたの、しっかりして! とか呼びかけながら肩をゆすったりしてて、俺が来た事なんか気づいてもいない。
羽柴だけが俺が来たことに気付いて、珍しく目を丸くして「ソーキさん」って呟いてた。
それだけ。
体育館裏にいたのは、俺を除くと俺が2階で見かけたまま、羽柴と知らない女子3人だけで、それ以外は誰も、何もいなかった。
俺が予想した怖いもの、悪霊とかはいなかったんだ。
でも明らかに悲鳴を上げたであろう子の様子がおかしいから、俺には見えてないだけで、その子には波長の合うヤバいのがいるんだと思い込んで俺は、羽柴達に駆け寄って羽柴に大丈夫か? 俺に何かできることはあるか? って訊いてみたよ。
本当に何かヤバいのがいるのなら、俺にできることどころか俺なんか寄ってこられた方が迷惑なのにな。
ほんと、学習しねーな、俺。
俺が駆け寄った時、羽柴はまた目を丸くして驚いてたよ。一瞬で真顔に戻ってたけど。
たぶん、俺の学習能力のなさに呆れてたんだろうな。
まぁそれもたぶんいつものことだ。いまさらだから横に置いておこう。
で、俺が駆け寄ってきたことで、羽柴を囲ってた女子が俺に気付いたんだけど、うつむいてた女子が俺を見上げた時、ものすごい引きつった声で「ひっ!」って短い悲鳴を上げたんだよ。
は? 何で俺で悲鳴あげんの? って思ったら、他の二人は羽柴の方を見て「何で日生君を呼び出してんのよ! 卑怯者!」とか「あんた、何したのよ! 何とか言いなさいよ、化け物!」って罵りだしたんだ。
羽柴の悪口ってだけで、薄情なことにそいつらに対しての心配はすっぽんと抜けて、俺が勝手に来たんだよ! つーか、3対1は卑怯じゃないのかよ! ってそもそも何でこんなところで羽柴を囲んでたかの事情も知らんくせに言い返そうとしたら、羽柴が手で制して止めて前に出たんだ。
そしたら、しゃがみこんでる子がさらに震えだしたんだ。
もう真冬に水着で外にいるみたいにガタガタ全身マナーモードで、歯もガチガチ鳴らして、顔色も真っ青。
そんな状態で、怯えまくりでその子は羽柴と俺を見て、言ったんだ。
「……何で……何でこんな世界で生きてられるのよ! あんたたちは!」
そう、叫んだ。
俺には意味がまったく分からない言葉だったけど、羽柴は一度だけ首を横に振って、答えてたよ。
「……違う。それは、『ソーキさんの世界』じゃなくて、『私の世界』。
……ソーキさんの世界は、まだあなたの見ている世界に近い」
羽柴のセリフも俺にとっては意味不明だったけど、怯えていた子には通じたらしい。
一瞬、ポカンとした顔になってから、さらに顔を真っ青にして、羽柴に対して呟いてた。
「化け物」って、小さく、か細い声で。
その子の友達が言った「化け物」は、決して許せない言葉だったけど、その子の言葉は責めることはできなかったよ。
羽柴を馬鹿にして、見下して、本気でそう思ってなんかいないのにただ傷つけるために言った言葉と違って、あれは本気で怯えて、零れ落ちた悲鳴にしか聞こえなかったんだ。
俺も、その子の友達も、状況が理解できないでただ黙ってそこに突っ立てるしかできない中、羽柴は一回、目を伏せて、答えたんだ。
「そうだよ」ってその子の悲鳴を肯定して、自分の右手でその子の両目を塞ぐように触れた。
触った瞬間、その子はまた「ひっ!」って短い悲鳴をあげたら、友達の方が「何するのよ!」とか「また、この子に変なことする気!」とか怒鳴って、羽柴を突き飛ばした。
俺はとっさに羽柴を受け止めて、何すんだよ! って俺も怒鳴ったけど、やっぱり羽柴は手で俺を制して自分を囲ってた連中を一切責めないで、俺に「いいの。ソーキさんも、迷惑かけてごめんなさい」ってだけ言って、その場を去ろうとした。
俺、羽柴が好きなら羽柴だけを追ってりゃ良かったのに、羽柴を追いたいけどあの子も、……名前も知らないけど羽柴に怯えてた子も気になって、その子に何があったのかを訊いたんだ。
その子の友達は口々に、羽柴が悪い、羽柴がひどい、ちょっと羽柴の悪いところを注意してやってたら逆ギレしてきた、きっと呪いをかけたんだ! とか、俺からしたらよくそんな嘘八百を並べられるなってことをわめいてたよ。
……羽柴がそんな逆ギレで、呪いなんかかけるわけねぇんだよ。
とにかく友達の方は羽柴が悪いって事にしたかったみたいだけど、怯えてた子の方はまだ体をガタガタふるわせて、うつむいて、俺の方を見ないようにして、呟くように答えたよ。
「ごめんなさい。私が悪かったです。もう私は関わらないから、お願いだから私に近寄らないで」
俺がいくら何があったのか、羽柴が何をしたのかを訊いても、友達の方が「どうしたの!? 大丈夫!?」って尋ねても答える言葉はそれだけで、らちが明かないから俺はその子に聞き出すのは諦めて、羽柴を追いかけたんだ。
運よく、すれ違いにはならずに鞄を教室から取って来て、下駄箱前にいる羽柴を見つけたから、羽柴に聞いたよ。
あの子に何を言われて、されたのかを。
羽柴がいったい、何をしたのかを。
羽柴は最初、「私が言うのは失礼。彼女から直接聞いて」って言って答えてくれなかったんだけど、あの子はごめんとかもう関わらないから近寄らないでって言うことしか言わなかったって俺が言ったら、少しだけ悲しそうな顔をして、教えてくれた。
……あんな顔した時点で、俺は羽柴に謝って何も聞かずにいるべきだったんだ。
……何で、俺、気付かなかったんだろうな?
同じ、顔だったのに。
……小4の時の担任の……腰に引っ付いてた肉の塊が何なのかを、俺が聞いて答えなかった時と、同じ表情だったのに……
「あの子、ソーキさんが好きなんだって」
そう羽柴に言われた時、俺はマヌケ面で今、何て? としか答えられなかった。
いやいやいや、何で? 俺、あの子の名前すら知らんよ! とすら言えない俺に向かって、羽柴は顔自体はいつもの無表情だけど、どこか悲しげな雰囲気で説明を続けたよ。
どういう訳か俺を好きになった子がいて、その子は一学期に羽柴に告って撃沈した先輩みたいに、俺と羽柴が付き合ってるって誤解をしてたらしく、自分の友達を連れて羽柴に俺と別れろってどの方面から見ても的外れなことを言ってたらしい。
羽柴がいくら、自分たちは付き合ってなんかいないって説明しても、向こうは全然話を聞いてくれないで、なんかグダグダ言っているうちに、何故か話がいつの間にか霊感の話に飛んだそうだ。
そいつら3人は羽柴の霊感を信じてなかった。俺の霊感は、俺が羽柴のごっこ遊びに付き合ってやってるものだと思ってた。
だから、口々に羽柴を痛いだの、かまってちゃんだの、電波だの馬鹿にして、それでも羽柴は面倒くさいなとは思っても、キレなかった。
そんなのよくあることだって、本当に何でもないことのように吐き捨ててた。
羽柴がキレた一言は、「そんな霊をどうにかできる力があるんなら、自分のお母さんを生き返らせたら?」
……できることならそれこそ、とっくの昔にやってるであろうことを、羽柴のお母さんも羽柴のお母さんを想う気持ちも馬鹿にした言葉に我慢ができなかったんだ。
羽柴は「それはできないけど、同じものなら見せてあげる」って言って、その子の両目を塞ぐように右手を置いた。
その手をあの子が払いのけて、一拍の間を置いて、俺が聞いた絶叫が響いた。
あの子は、見たんだ。
羽柴の見ている世界を、一時的に羽柴に見せてもらっていたんだ。
「やりすぎた」って、羽柴は言ってたよ。
羽柴は普段、ある程度霊感をコントロールして、害のない奴、気付かなければ無害だけど、気付いたらうざい奴とかは見えないようにしてるけど、霊感と霊視を全開全力で行ったら、それこそ羽柴でも精神を壊しかねない「世界」が見えるそうだ。
例えば、春の課外授業の時の、博物館のような異界の入り口が歩く隙間もないぐらいに、あちらこちらのいたるところに。
例えば、もう自分の意思なんてない悪意の集合体、呪いそのものとなった悪霊たち。
例えば、自分が死んだことにも気づかず、ずっと自分が死ぬ瞬間を繰り返し続ける人たち。
例えば、帰りたい場所があるのに、自分が死んだことを自覚してるからこそ、酷い死にざまであった事を覚えているからこそ、ぐちゃぐちゃの身体のまま帰れなくて泣いている人たち。
そういうのが、何もかも見えて、聞こえて、助けてと訴える。
……自分でも耐えられないものを、たったの数分でもコントロールできるわけのない素人に預けて、見せつけたことを羽柴は反省して、後悔してた。
……俺は、何も言えなかったんだ。
羽柴にやりすぎだって、同意して叱ることも。
羽柴は悪くないって、羽柴を肯定してやることも、できなかった。
何も言えない中途半端な俺に、羽柴は言ったんだ。
羽柴のお母さんによく似た、柔らかい笑顔で。
俺が、また見たいってずっと思ってた笑顔で、俺に言うんだ。
「ソーキさんは、大丈夫。あなたと私は見えているものがある程度被っているだけで、私たちの性質は全然違う。
あなたは、私の見る世界は絶対に見えない。私の世界は、あなたには遠い」
羽柴はそう言ってから、俺に謝ったよ。
俺を好きだった子の気持ちを、結果としてぶち壊したことを謝ってた。
そんなの、羽柴が謝ることじゃないのに。むしろ俺が羽柴に謝るべきなのに、羽柴に迷惑をかけた原因は言ってみれば俺なのに、そう言っても羽柴は謝るんだ。
「私がしたことは八つ当たりだから」
羽柴は悲しげな顔して、それだけを言って帰った。
追いかけられなかったよ。
追いかけても、きっとおれは何も言えなかった。
……なぁ。
俺、霊感があって嫌な思いはいっぱいしてきたけど、それでもよかったと思えることもあったんだ。
その良かったことの一つで一番は、羽柴に近い存在になれた。羽柴と同じものを見てるってことだった。
……少しは、羽柴が一人で抱えてるであろうものを、俺も持ってやれてるって思ってたんだ。
でも……違ったんだな。
羽柴と俺とは、世界が違ったんだ。
あの時、追いかけたら、手を伸ばしたら羽柴の手は掴めたのに、その程度の距離だったのに……
――羽柴が、遠かったんだ。
* * *
『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
世界が近いと思わせて、遠いと思い知らせて、……あなたに、「普通」の世界も、「れんげちゃんと同じ」世界も与えられないくせに、こんなところに縛り付けて……ごめんなさい』
ちょっとしばらく、シリアス強めが続きます。
次回は、七不思議の話で、この話の続きです。




