ハトジケの四話め「最後の事件」
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水滴がまた一つ、ぽたり、と落ちて、絨毯に小さな染みを作った。海老茶色の、随分と年季の入ったペルシャ絨毯である。
地味だが趣味の良い、洋風の応接間だった。
彩る脇役たちは、壁に掛けられたリトグラフ、1メートル以上ある柱時計、年代物のオーディオセット、統一された柄のソファや長椅子など。
中でも目を引くのは北側の壁一面に飾られた刀剣類だ。洋の東西を問わず、ずらりと並べられたそれらは、どれもかなりの年代物である。いずれも見る人が見れば、相応の価値を認めるであろう物ばかりだ。
ソファの一つに逆姫神無が腰を下ろしていた。
いつも通りの丸眼鏡に肩口で切り揃えられた黒髪、パジャマの上に、かなりブカブカな男物のガウンを羽織っている。
神無は、読んでいた文庫本を閉じると、眼鏡を外し目頭を押さえた。それから再び眼鏡をかけ直して立ち上がり、水滴で曇った窓を、すっ、と拭った。
雪はもう、完全に止んでいる。ほんの1時間ほど前まで吹雪いていたのが嘘のようだ。
だが、これほど積もっては、二、三日は街へ降りるのは難しいだろう。神無は思わず吹き出しそうになった。これでは、そのまんまだ。まるっきりの、「吹雪の山荘」ではないか。
白一色の夜景に飽きたのか、或いは最初から興味が無いのか、神無はすぐに元居たソファに座りなおした。向かいにある、長椅子の上を何とはなしに、ぼんやりと眺めている。それから、へくし、と中途半端なくしゃみを一つした。暖房が効いているとは言え、やっぱり冬山の夜は冷える。毛布でも掛けた方が良さそうだ。
神無は立ち上がり、自分が使っている部屋に向かった。そこは応接間を出てすぐの階段を上がった二階にある。神無は、この別荘に来たときには、必ずこの部屋を使うことにしていた。
応接間を出ようとして、神無は何気なく時計を見上げた。午前一時五十分。それから、部屋の中をぐるりと見渡した。探偵のカン、と言うヤツが、何かを感じとったのかも知れない。だが部屋の中に、不審な所は何も無かった。神無は、ふっ、と息を吐くと、扉を閉じた。
しかし、彼女は気付いていなかった。
窓の外、彼女が覗いていたすぐ下に、もう一人、黒い人影がうずくまっていた事に。影は、扉の閉まる音を聞くとすぐ、音もなく立ち上がった。そして、窓を覗き込むと、足早に
「ねえねぇ、亜理麻さん」
「何さ神無さん」
「あなたも探してくれませんか。丁度良いパーツが見つからなくて」
「どんなパーツ?」
「茶色くて・・・ひるるるる、って感じのパーツです」
「・・・これ?」
「それはひるるるるというより、ふぬぬぬ、って感じじゃないですか」
「じゃあこれ」
「それはぴぷぷぷっ、って感じですね」
「あのさぁ、形容がリリカル過ぎてさっぱり判んないんだけど」
「そうですか?私は極力客観的に・・・あっ、ありましたありました」
「・・・ところで何作ってるの?」
「ごぼう」
「ブロックでそんなもの作って楽しい?」
「実を言うとあんまり。ちょっと疲れましたし、中断してお茶にしましょうか」
「賛成~。じゃ、ついでに、警部たちも呼んでこよっか?」
「あ。ああ、ああ、そうでした、忘れるところでした。というか忘れてました。どっちにしろ、警部たちを呼んでくる必要があったのでした。丁度良いから、二人を呼んできて下さいな」
「は?何かあったの?」
「はい。そこの、応接間でですね、ちょっと人が殺されてますから」
「へぇ・・・・・・・・・・・・・・・・・・えぇっ!?誰さ?まさか管理人さん?」
「違います違います。それだったら私ももう少し慌ててます」
「どっちにしても、落ち着きすぎだと思うけど。で、誰なの、殺されたの?」
「判りません?」
「だって・・・管理人さんでなくて、警部と長瀬さんでもないんでしょ?他に誰かいる?」
「何か変だと思いませんか、さっきから」
「変って何が」
「気が付きませんか?さっきから、台詞ばかりで、地の文が一つもないでしょ」
「え・・・どういう事?」
「だから、殺されたのは、『地の文』です」
「はあ?」
「・・・もう、俺、嫌。帰る!家に帰る!!」
「まーまー。警部、そう言わずに」
「だから俺は、逆姫君の別荘でバカンスなんて気が進まなかったんだ。案の定だ」
「私のせいじゃないですよー」
「大体地の文が死んでるって何だそれ!人間じゃないだろうが!」
「そうとは限りませんよ。一人称の小説なら、地の文は物語の語り手です。ホームズシリーズの地の文は、大抵ワトソン博士でしょ?三人称なら、ナレーターか、或いは作者自身ともとれます。小説としてはかなり変則的ですが、二人称だったら読者という可能性すらあります。要するに地の文に人格があっても不思議は全く無いんです。キャラクターであれば作中で殺されたりしても、これまた不思議は無いわけです」
「充分不思議だと思うがなぁ・・・」
「あ、そう言えば神無ちゃん、つい聞きそびれてたけどさ、別荘なんて持ってるって事は君、実はセレブなお嬢様?それとも、探偵って目茶目茶儲かるんですか?」
「それは、秘密の裏設定ですから、秘密です」
「はあ」
「・・・・・・・・・」
「待てよ、考えてみれば、俺たち、休暇中なんだよな。別に殺人事件の捜査なんかしなくても、地元の警察に任せときゃ良いんだ。そうだ。決まり。治田さん、すまないが警察に電話して下さい、今すぐ」
「それがですね、警部さん。電話が繋がらないんで」
「は?」
「はっきりしないんですが、どうも夕べの吹雪で断線しちまったみたいでして。云とも寸とも」
「警部~しっかりして下さいよ。ここは、『吹雪の山荘』なんだから、電話線は切られてるに決まっているでしょう」
「ちょっと待て。ここ携帯は、」
「勿論圏外です。これもお約束ですね」
「やれやれ。なんてこった。仕方ない、仕事せにゃならんか。とは言え、鑑識が来れないんだから、出来る事はたかが知れてるが・・・」
「警部、死因は恐らく、この首に刺さった変なナイフでしょうね」
「だろうな。他に外傷は無いし・・・・・・しっかし妙な形のナイフだな。これは、この部屋にあったものなのか?」
「ええ。ほら、そこの壁、一箇所空きがあるでしょう。それは、アフリカの投げナイフです。なんか、私のおじいさんが集めてた物らしいですけど・・・・・・まあ、そのナイフは客観的にはそれほど大した価値は無いです」
「ふむ、凶器は現地調達か。お次は死亡推定時刻だが・・・・・・うーむ、喜多川さんでも居ればはっきり判るんだが」
「いや警部、それは、かなり限定できますよ。犯行時刻は、今日の午前一時五十分から午前二時の間です」
「え?どうしてそんなに細かく?」
「そりゃ簡単です。この、『最後の事件』の冒頭、0の章の終わりの方を見て下さい」
「神無さん、そういうのあり?」
「良いじゃないですか。この小説自体、『そういうのあり?』みたいなものなんですし」
「そうだけどさ」
「それでですね、私がこの応接間を出たのが、午前一時五十分。自室から戻ったのが約十分後。その間に文章は不意に終わっている。つまり、『地の文』はこの時、殺された」
「・・・・・・・・・・・・」
「ちょ、ちょっと待った、神無さん。と言う事はもしかして、今日の午前二時には・・・」
「ええ、死体はもう転がってましたよ」
「おいおい、何ですぐ知らせないんだ」
「皆さんお休みのようでしたから。それとも悲鳴でも上げて、叩き起こした方が良かったですか?」
「まあ・・・そう言われると別に構わない気もするな」
「警部、やはり被害者も犯人も、この窓から侵入したんですかね」
「だろうな。逆姫君、この窓は、死体を発見した時には?」
「ええ、開いてました。それは、『地の文』が殺された十分間の間に開けられたんです。間違いないですよ。お陰で部屋の中が冷えちゃって。でも、犯行現場だから、そのままにしとかなきゃならないでしょ。しょうがないからすぐ部屋に戻っちゃいました」
「それ以前に神無さん、死体が転がってる部屋でしょう?」
「そりゃ勿論そうですけど、それがどうかしましたか?」
「え。いや、何でもないです・・・」
「・・・警部、窓の外に・・・・・・」
「ん、何だ?ふむ、足跡か。しかし・・・・・・一組、しかもここに向かってくる物だけか」
「・・・後ろ向きに歩いたのでなければ、ですが」
「うーむ。おい、長瀬!」
「へ、は、はい、何すか?」
「お前、ちょっと外に行って、この足跡の出処調べてこい。踏むんじゃねえぞ」
「あ、わたしも行く」
「あのう・・・・・・お嬢さん、私は・・・・・・」
「ああ、治田さん。あなたは取り敢えず自室に戻ってて良いですよ。ね、警部」
「ん?ああ、そうだな。そうして貰ってくれ。ただ勝手に出歩かないように、と言っても出歩きようがないか」
「はあ。では、失礼します」
「・・・・・・・・・神無君。あの、治田って管理人、何者だ?素性ははっきりしているのか?いや、別に疑ってる訳じゃないんだが・・・・・・」
「あの人は、両親が健在だった頃、私の家で働いてたんです。で、家を手放した後、残っていたここの管理人になって貰ったんです。勿論、彼の全てを私が知っている訳はないですが、私の知る限りでは、後ろ暗い過去とか、秘められた激情とか、驚天動地の生い立ちは有りません」
「ふーむ。そうか。しかし、となると・・・・・・」
「警部!警部!足跡はほんの五十メートル位で消えちゃってましたよ。それで、ついでだから、別荘の周りをぐるっと調べてみたんですが・・・・・・ね、亜理麻ちゃん」
「うん。他に足跡は一つも見つからなかった」
「何だって?それは、つまり・・・」
「・・・犯人はまだ、この別荘の中に居る、と言う事ですか」
「結局、屋敷の中に隠れている、怪しい人物なんて居ませんでしたね」
「だから私が先にお茶にしましょう、って言ったじゃないですか」
「あのなあ。そうもいかんだろ」
「うへえ。神無さん、このチョコレート、何か堅い物が入ってますよ」
「ナッツが無くて、代わりにキャンディ入れてみたんですけど。口に合いませんか?」
「そうじゃないスけど。思い切り噛んじゃいましたよ」
「くるみ丸ごとでも入れてやれば良いのに」
「あのなあ、君たち、呑気にしてる場合じゃないだろ?外部からの犯人という可能性が無くなったと言う事は、つまりだな・・・」
「・・・犯人は、この中にいる」
「考えたくないけど、そうなるだろ?他には考えられん」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「あ、そうだ、こういうのはどうです?この屋敷のどこかに隠し部屋か何か有って、真犯人はそこに隠れてる、とか。神無さんの別荘なら隠し部屋くらい・・・」
「中村青司が設計した訳でもなし。残念ながら無いですよ、そんなモン」
「神無君。どうも今日は随分消極的じゃないか?さすがの君でも、容疑者が全員顔見知りというのはやりにくいかね」
「いえ、全然そんなことないですけど。うーん、私、フーダニットってあんまり好きじゃないんですよ」
「ならなら、わたしに任せてー!」
「何か言った?」
「へ?別に」
「仕方ないから毎回適当に決めてはいますけど」
「適当って」
「フゥ、何だって?」
「フーダニット。ミステリの分類パターンの一つで、『誰が殺したか』が話の核になるものです」
「誰が殺したかが中心って・・・当たり前だろ、そりゃあ」
「いえ、これはあくまでミステリ上の分類ですから、他にもあります。本格物に多いのが、『どうやって殺したか』、というハウダニット。いわゆる不可能犯罪ですね」
「神無さんが好きなタイプだね」
「あれ?あれ?開かないよ?」
「何か言いました?」
「・・・いや」
「後は『何故殺したか』、動機が問題になるホワィダニット。それにアリバイに関係してくる、『いつ殺したか』『何処で殺したか』というのもありますが、これは他と一緒に使われますね、普通」
「で、この事件で重要なのは、誰が殺したか、だよな?」
「ふむ。いつ、何処で、はハッキリしているし、密室でもないから、どうやって、でもない。何故、が判らんが・・・・・・皆、作者には大なり小なり恨みが有りそうだしなあ。残るは誰が殺したか、か」
「開けてー。誰か、開けてー」
「どうもさっきから、何か騒がしいな。おい、そこのクロゼット、がたがた動いてないか?」
「あら?変ですね。そのクロゼットはいつも少し開けてあるはずなんですけど。今はぴったり閉まってる」
「少し開けて?何でです?」
「誰かー。助けてー」
「そのクロゼットはですね、すごく古いものですので、かなり歪みがあるんです。だから、クロゼットとしては使っていないんです。でっかい、部屋の飾りですね。まあ、人によってはそれなりに価値があるらしいです」
「じゃあこれ、開かないの?」
「いえいえ。ちょっとしたコツがあるだけです。その辺りを少し持ち上げて・・・はいはい、そうです、そうすれば、ほら」
「ぶはぁっ!!し、死ぬかと思った~」
「な、何か派手な女の子が出てきたぞ」
「え~!?派手違う!ブレザーにハンチング帽は、探偵の制服だよ!」
「赤と黄色だけど」
「・・・ロボット刑事」
「とにかく!カッコなんかどーでも良いの!わたしが来たからにはこの事件、ぱからっとさんじょうぱからっとかいけつ」
「だから、君誰!?」
「我こそはー、真の主人公、新本格美少女名探偵、栗村まくらなり!」
「神無ちゃん、知り合い?」
「いえ、全然。失礼なこと言わないで下さい」
「何だって、こんなタイミングでこんな濃い新キャラが出てくるんだ?」
「えっへん。わたしがはるばるこんなトコまで来たワケはですねー。逆姫神無!わたしと勝負っ!・・・・・・ってことなんですけど。上手い事殺人事件が起きてるみたいだし、これを解決した方が、真の美少女名探偵ゆう事でどうかなー、なんて」
「はあ。あなた、ずっとそこに入っていたんですか?」
「そーだよ。劇的なとーじょうを狙ってたの。で、昨日からずっとここに」
「じゃあ、君が容疑者筆頭じゃないスか。犯行現場の一番近くにいたんだから」
「わ、わたし容疑者違う!探偵~!」
「なんで動揺すると片言になるのさ。それにどうして探偵がクロゼットに隠れているわけ?」
「だから、劇的なとーじょうを狙ってたんだってば!」
「どう考えても一番怪しい」
「何で~!」
「その子の素性なら解ったぞ。多分。あまり認めたくないが」
「え!?」
「ここに書いてあった。被害者のポケットにあったメモ帳だ」
「どれどれ。『栗村まくら。十六歳。女。逆姫神無をライバル視する少女探偵。性格は大雑把で脳天気。過去に幾つかの怪事件を解決しているが、実はそれらはいわゆる安楽椅子探偵である、彼女の兄に電話して」
「ああん。乙女の秘密を読まないでぇ」
「登場人物に関する覚書ですか、それ?」
「そうみたいです。治田さんの事も書かれてますね。『治田。六十五歳、男。神無の別荘の管理人』」
「わ、私、それだけですか?」
「それだけです」
「ひ、ひどい」
「でもこれで、被害者の正体はほぼ判明しましたね。例え語り手でも、登場人物がこんな覚書を持ってるわけがない。この『地の文』は、作者か、作者の分身的な存在のキャラクターでしょう。未だに地の文が現れていないのも、作者がいないのなら説明がつきます」
「これ作者か。非常識だなぁ。なんかますます犯人誰でもどーでも良くなった感じ」
「あ。ひょっとして、そのメモに『こいつが犯人』って書いてあるんじゃ?」
「それなら話が早いんだがな。残念ながら」
「あの~。書いてある筈ありませんよ。この殺人は作者の想定外なんですから」
「ああ、そうか。うーむ、役に立たない死体だ」
「ちょっとー、わたしも推理に混ぜてよー」
「・・・・・・。どうします、この容疑者筆頭」
「容疑者違う~」
「ねえ、亜理麻さん」
「何さ」
「あなた、やりません?」
「は?」
「我が『破羽探偵研究所』が挑戦を受けているのですから、受けるべきだとは思うんです。でも、いきなり私や所長が出てったら、盛り上がりに欠けると思いませんか?やっぱり最初は助手の助手である亜理麻さんが」
「やだよ、メンドくさい。苦労する甲斐も達成感も無さそうだし」
「にべもないとはこのことですねぇ」
「じゃ、じゃあ僕がやりましょうか?その推理対決」
「お前とこの娘じゃ、事件が迷宮入りになっちゃうだろ」
「ひ、酷いなぁ、警部」
「そうだそうだ」
「ふう。やっぱり私がやるしかないんでしょうか」
「神無さん、何でそんなにイヤなのさ。こういうの好きじゃないの?」
「イヤってわけじゃないですが。今回はちょっと特殊ですから。頭の切り替えが必要なんですよねぇ」
「切り替えって?」
「それはまあ色々と。私、第一発見者ですしね」
「なるほど!そうなると、自分で自分を尋問しなきゃならないですもんね」
「そうなる・・・のか?」
「そうなりますよ」
「よーし。受けてたつよ!新本格美少女探偵の実力見せちゃうよ!かかってきなさーい」
「仕方ありませんね。では便宜上、探偵役の私を、逆姫神無Aとしましょう」
「そして、証言者兼容疑者の一人である私を逆姫神無Bとします」
「ちょ、ちょっと待って。いきなり付いていけなくなったんだけどー!」
「何がです?別に分身したわけじゃないですよ。私の意識を、事件当時の記憶を持つBと持たないAに分離しただけです。こうしないとフェアじゃないでしょ」
「分離って・・・どうやって!?」
「その辺はあまり突っ込まないほうが良いと思うなー」
「実に同感」
「うー」
「じゃあ、普段はあまりこういうことやらないんですけど、折角ですからみんなで事件を考察していきましょうか。まず問題となるのは、やっぱり0章に出てきた、『黒い人影』の正体ですよね」
「え?それはこのまくらちゃんじゃないの?」
「わたし違う~!わたし昨日の夕方頃にはここに来て隠れてたね。で、そのままついうとうとと」
「でもそれって、証拠は何も無いでしょ。あんたの自己申告だけ」
「う。そ、それはそうですけども」
「おいおい、肝心な事を忘れているぞ。足跡はどうなる?吹雪が止んだのが午前一時ごろ。足跡は一つしか無い。しかも、それは」
「ええ。被害者の靴と一致しました。足跡の深さからしても、まくらちゃんじゃ有り得ないですね」
「その位は小細工でどうにでもなるんじやない?必然性が薄いのは確かだけど」
「当たり前だよ。わたしは無実だもん」
「そんな小細工で足跡を拵えても、彼女が第一容疑者である事実に変わりは無いですものね」
「そんなー!」
「しかしだな、彼女でないとすると、人影の正体は誰なんだ?」
「・・・それは、三つの可能性が有るな」
「ですね。で、兎も角それを一つ一つ検証していこうと思います。まず一つ目は、未知なる第三者、と云う可能性」
「そう思いたい所だがな。それは、無いんじゃないか?別荘の中は隈無く探したがそんな奴は居なかったし、この別荘は今、孤立状態にある。半径十キロ以内に、俺ら以外の人間が居るとは思えんな」
「そうでしょうね。私もそう思います。では、次。第二の可能性は、この中の誰か」
「ぼ、僕じゃないっスよ」
「でも、それも無理っぽいですよね」
「・・・内部の人間なら、雪の中、わざわざ外に隠れている意味は無い。この『人影』が隠れていたのは、隙を見て別荘内に侵入するため・・・正確には、侵入している所を見せるため・・・・・・と思われる」
「どういうこった?見せるって誰に」
「『読者』にですよ。即ち、この人影は、被害者である作者だった。これが第三の可能性、恐らく一番高い可能性でしょう」
「うーむ。阿呆らしい。しかし、こいつ、何を企んでたんだ?」
「・・・さあ、それは・・・・・・」
「ま、ロクな事じゃないだろうね」
「でしょうね」
「ではでは、次はわたしのターンだね!それでは、皆さんの、えーと。そうだ!アリバイ訊こうっと」
「一番アリバイの無い人に訊かれたくないなぁ」
「うーん。夜中の二時だろう?アリバイの有る人なんか居るかな?みんな寝てたんじゃ?ねえ」
「そうだなあ。その時間じゃ、寝てたとしか言えんなあ」
「・・・同じく」
「私も、寝てました」
「わたしもー」
「寝てた」
「じゃあ、私だけですね。アリバイが有るのは」
「え?神無さんアリバイ有るの?」
「いやですね~、もう。0章を良く読んで下さいよ。私の行動は、逐一書かれているでしょう。そして、文章が止まった、つまり作者が殺されたのは、私が自室に戻った後のことです。つまり、私には犯行は不可能、と。そう云う事です」
「成る程。神無君の部屋はここにも書かれている通り二階、とって返すにしても厳しい訳だ」
「ピンと来たぁっ!逆姫神無Bっ!犯人はおまえだっ!」
「わ。びっくりした」
「なんなんだ、いきなり」
「他のみんながアリバイ無いのに、一人だけあるなんて、ちょーあやしいっ!」
「えへへ。お恥ずかしいです」
「・・・照れる事なのか?」
「これはもう、犯人に間違い無いないっ。それが世界の常識!」
「どこの常識ですか、それは。それに、神無Bさんのそのアリバイは成立しませんよ。残念ですけど」
「って、あなたが神無でしょ!」
「私は逆姫神無Aのほうですよ。今の発言も第三者としての発言です」
「うがー!ややこしー!」
「それは兎も角何故成立しないのかね、逆姫君」
「良く読んでみてください。神無Bさんの最後の行動は、『扉を閉じた』としか書いてありません。これだけでは、本当に神無Bさんが自室に戻ったのかは判らないでしょう?部屋に戻らず、扉だけ閉めたのかも知れません」
「な、成る程」
「みゅ~」
「とはいっても、やっぱり神無Bさんに犯行は不可能なのですけど」
「え?」
「その後の文章はこうです。『しかし、彼女は気付いていなかった。』不審者である作者に気付いていなかった神無Bさんが、彼を殺しに戻る事は出来ない筈でしょう」
「・・・・・・あれ?」
「どうした、米倉君?」
「おかしい・・・変じゃない?これ」
「ヘンと言ったら、徹頭徹尾ヘンだけど」
「変って何が」
「これ、警部には気の毒だけど、やっぱり不可能犯罪だよ。神無さんだけじゃない。誰にも殺せる筈はないよ」
「ああ、やっぱり亜理麻さんも気付きました?」
「うん。単純な理由だよね。犯人は、どうやって『地の文』イコール作者の侵入を知ったのか?知っている筈は無いんだよね、誰であっても。知っているのは作者だけだった、筈なんだ」
「それは・・・うーん、偶々じゃないか?偶然通りかかったとか」
「夜中の二時にですか?殺人現場の居間は、トイレからも離れていますよ。大体それなら、廊下に出た神無Bさんと鉢合わせしてるはずです」
「となるとだよ。犯人は作者が別荘に侵入した時、すぐそばに居た人物、つまり・・・」
「またわたし!?無実~。濡れ衣~。わたしずっと寝てたもん。何も知らないし、何もしてない~」
「だってそうならざるを得ないじゃないか?なあ、亜理麻ちゃん?」
「だったら話がシンプルで助かるんだけどねー。動機が無いんだよなー」
「助かるってなに!」
「さっき警部は、皆作者には恨みがある、って言ってたけど、初登場の彼女に、そんなものないっしょ?」
「当たり前だよ。こんな奴、ちょっとも知らないもん」
「うーむ。しかしだな、動機に関しては我々も同様だぞ。さっきはああ言ったが、殺したいほど憎んでいる者となると、幾ら何でもいないだろ?この際、動機に関しては考慮しなくて良いと思う。恐らくは当人にしか解らんような動機じゃなかろうか」
「しかし、そうなるとやはり、犯人は・・・・・・」
「またわたし!?勘弁して~!」
「勘弁して欲しいのはこっちだ。ただでさえ面倒な事件なのに」
「あのー、栗村さんには多分無理ですよ。真に遺憾ながら」
「大体、何だって『最後の事件』なのに新キャラが・・・え!?今何て言った?逆姫君」
「ですから。先ほどお見せした通り、彼女が入ってたクロゼットは、一度閉めると、こう、取っ手を持って、少し持ち上げないと、絶対開かないんです。それでですね、クロゼットって、何故か内側には取っ手が無いんです。中に入る人の事を考えた設計になってないんですね」
「そりゃまあ、大概のクロゼットはそうでしょうけど」
「ですから、彼女には犯行は難しい・・・と言うか、まず無理でしょう。それどころか、私たちが発見しなかったら、そのままミイラ化してたかも知れません」
「どひ~~!」
「けど、それじゃあ犯行可能な人物がいなくなってしまうぞ!何ちゅうこった。またもや結局怪事件か」
「最初っから怪事件ですよ、警部」
「くそ。全く面倒な。作者の癖に無責任に殺されやがって。何か殺意を覚えるな。もう死んでるが」
「警部。そう腐る必要はないでしょ?怪事件かも知れませんけど難事件じゃないですよ、これ」
「何!?ってことは、あれか、犯人がもう判ったのか?」
「ええ。まあ簡単に言っちゃうとですね」
「ちょ、ちょっとまったー!」
「何だ君、まだいたのか。もう嫌疑は晴れたからな。帰って良いんだぞ」
「うー。名探偵をバカにするな~!今度は私のターンでしょ!」
「神無さんが犯人判ったって言ってるのに・・・まさかあんたも判ったとか言わないよね?」
「またバカにする~!も、勿論判ってるからね!今からこの栗村まくらが事件を解決しますっ!」
「ええっ!?あなたがですか?」
「素で驚かないで~!ペース狂うなぁ、このひと。・・・え~と。その前に、ちょ~っと電話掛けてきたいんだけど。そのー、全くのプライベートで、事件とは全然全く関係ないことだよ」
「電話?電話は繋がらないぞ?線が何者かに切られている」
「え~!?そうなの!?じゃあ携帯使おうっと」
「圏外だぞ、ここ」
「うえあっ!?」
「ここは吹雪の山荘なんですから。携帯電話が繋がらないのは、名探偵的には常識ですよ」
「・・・・・・うっ・・・えぐえぐ・・・」
「わあ、既に半泣き」
「ねえねえ亜理麻ちゃん。このコなんで泣いてるわけ?」
「長瀬さん・・・記憶力無いねー。さっきの設定にあったじゃん。ホントの名探偵はこの子のお兄さんとか何とか」
「わーーーん!!」
「全泣きだ!」
「まあ・・・別に期待はしてなかったがな。じゃあ、逆姫君のAだかBだか、どっちでも良いが。解説してくれんか?」
「はあ。それは構いませんけど。どうせならアレやりませんか?まだやったことありませんし」
「アレ?」
「アレねぇ。でもなー」
「アレって何だ?」
「・・・あんまりアレ向きの事件とは思えないが・・・」
「そんなことないですって。賢明な読者なら、これくらい読める筈です、今までの文章の中から。と、いうことで、」
読者への挑戦状
我々は、読者の奇想に挑戦する。
犯人を推定する材料は、ここまでの文章の中に存在している。
推理すべき項目は三つ。
一、犯人は誰なのか。
二、彼(彼女)は如何なる理由で作者を殺害したのか。
三、彼(彼女)は如何なる方法で作者が現れるのを知り得たのか。更に、犯人が逆姫神無(B)以外の場合は、何故彼女に目撃されなかったのか。
以上三点である。
寧ろ貴方の方が、真相に近付くのは容易いかも知れない。
「良いのかなー、これ。作者死んでるのに」
「だから代わりにやってあげたんですよ。やっぱり一回はこれやらないと申し訳が立たないでしょ」
「・・・誰に」
「さてと。では、解決編に入って宜しいでしょうか?」
「良いんじゃないか」
「えーとですね。私が犯人と考える人物は、逆姫神無Bさん、ですね」
「えぇっ!?」
「んな馬鹿な!神無さんがそんなことするなんて。有り得ない・・・っていうか、あなたが神無さんでしょ!?」
「私は神無Aですってば。別に奇をてらったわけじゃないですよ。至極当たり前の、さして面白くない結論です。犯行が可能なのは、神無Bさんだけですから。勿論事件当時は便宜的分離していなかったわけですから、本来はAでもBでもないのですが、ややこしくなりすぎるので仮にこう呼称しているわけですよ」
「じゅうぶんややこしいよ」
「どういうことだ?逆姫君だけはアリバイが有っただろう?さっき米倉君が言った考えが間違ってたとは思えんが」
「警部の言うとおりだよ。神無さんは作者の侵入に気づいてなかった、って、そう書いてあるじゃないか」
「そうです。そして、神無Bさんのアリバイを証明しているのは、そのことだけなんですよ」
「だけ、って・・・なあ、」
「まあまあ警部さん。結論を急ぎ過ぎです。もう少し話を聞かなきゃ。神無Aさん、それで?私はどうして作者の侵入に気付いたんです?」
「それは、当然の事なんです。だって、彼が侵入したとき、神無Bさんはまだ部屋にいたんですから」
「何それ!?筋通らないよ?」
「そして作者の侵入に気が付いた神無Bさんは、咄嗟に壁にあったナイフで犯行に及んだ訳です」
「では、あの文章は、どうなるんだ?」
「簡単な話です。あれは神無Bさんが、書き足したんです」
「何・・・・・・だっ・・・・・・て?」
「一ページ、二十四行目には既に、彼は殺されていました。残りを書いたのは神無Bさんなんですよ」
「そ、そんな非常識な話が・・・」
「そう、非常識極まります。普通の登場人物はこんなことしやしません。するとしたら」
「逆姫神無ただ一人、か。うーむ、そう言われるとそんな気もするな」
「他人に言われると何か引っ掛かりますね」
「し、しかしですよ、だとしたら動機は何なんです?如何に神無さんでも、作者を大した理由も無く殺したりはしないでしょう」
「またちょっと引っ掛かる言われ方」
「ですが、これも単純ですね。正当防衛です」
「・・・・・・」
「そ、それは、つまり・・・作者が主人公を殺そうとして、逆に殺された、ってことか!ま、全く非常識にも程がある!」
「奇をてらい過ぎて方向が判らなくなってる感はありますね。けど、証拠もありますよ」
「それって?」
「・・・タイトルだな」
「そうです。この話のタイトルは、『最後の事件』です。ところが、これがタイトルに入ったミステリは、大概主人公である探偵が死ぬんです。従って、作者の標的は、神無さんBである可能性が極めて高いわけです」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「うーむ。うーむとしか言いようが無いな。ま、あれだな、正当防衛って聞いて取りあえず安心したな。やっぱり、知り合いから犯罪者が出るってのは、な。ハードすぎるからな。逆姫君、ご苦労様」
「・・・少し・・・待ってください」
「え?」
「・・・残念ですが・・・彼女の推理は少しだけ、間違っています」
「なんだって!?」
「・・・神無君は、犯人ではあり得ません。彼女なら、あの凶器・・・投げナイフを使う筈はないのです。右眼が見えず、左眼も極度の近視であるせいで、距離を把握し難い彼女なら、飛び道具は選ばない。他にも武器は沢山あったのだから」
「じ、じゃあ、一体?」
「・・・彼を殺したのは・・・私、破羽鳥人です」
「な、な、な、何だってぇぇぇぇぇ!!!」
「警部、警部」
「何だ、長瀬。人が驚いてるのに」
「ページの外で、誰かこけたような音が」
「ひょっとして、破羽さんが居ることを知らないんじゃない?」
「そう言えば説明してない気がするな。地の文が無くなってることを忘れてたよ」
「いや、殿村警部。賢明な読者なら、気が付いてる筈ですよ。今までの会話の中に、名前の出ないもう一人の人物が現れていると。特に顕著なのは栗村さんが思いつきでアリバイの検証をするシーンですね。室内に8人の登場人物がいるのがはっきり読み取れる筈です。」
「神無君・・・・・・」
「そして、それがこれまでその名前のみが示されていた人物、破羽探偵研究所所長、破羽鳥人であることも予想が付くはずです。鳥さんの台詞はワンテンポ遅れるから判りやすいですしね」
「・・・そうかな」
「ほら。それにしても、何故バラしちゃうんですか。折角私が上手い事誤魔化したのに」
「・・・君に罪を押し付けて黙っていられるわけがないだろう」
「しかし、ちょっと待てよ、破羽。お前は昨晩遅く皆が寝た後にここに着いて、すぐ寝ちまったんじゃないのか?お前に殺せるはずは・・・」
「・・・道に迷った上、雪にも降られてしまいまして。さすがに参っていたので、確かに、すぐ寝てしまいました。居間の長椅子で」
「!」
「濡れたコートのままで寝ちゃうんですもの。絨毯に染みが出来ちゃいました」
「・・・すまない」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。つ、つまり・・・逆姫君は、全て知っていたのか?」
「当たり前じゃないですか。そこに居たんですから。何のためにABに便宜的分離したと思ってるんですか。探偵役が犯人を知っていたら、まるっきりお話にならないでしょう?」
「な、何と言うか・・・呆れて言葉が無いよ」
「・・・私はすぐ殿村さんたちに報せようと思ったんですが・・・神無君が、話があっという間に終わってしまうと言うもので」
「何かわたしまだよく判んないんだけど・・・動機や被害者の行動は、最初に神無さんが言ったので当たってたんだよね?」
「・・・そう。あいつは神無君を殺しに来たんだ。だから・・・私には他に選択肢は無かった」
「鳥さんが居なかったら、多分私が代わりに殺ってたと思いますよ、実際」
「・・・そうかも知れないな」
「・・・・・・とゆーことはつまり・・・・・・引き分けだぁ!」
「わあ!?いきなり立ち直った!?」
「引き分けって何が」
「だって逆姫さんも推理外したんでしょ。てことは引き分けだよ!」
「それは、まあ確かにそうですね」
「同じハズレでも、内容にかなり差があると思うんだけど」
「そんなの関係無いもんね。犯人当てた方が勝ちだもん。だってこの事件は、あれでしょ?ふ、ふんだんなっとう」
「・・・フーダニット」
「う~ん。正論と言えば正論ですねぇ」
「そーかなぁ」
「つーワケで、リターンマッチだ、逆姫神無!キリキリ勝負しろー!」
「・・・リターンマッチなら負けてるんじゃ・・・」
「はあ。別に私は構いませんけど。何で勝負するんです?」
「へ?そ、そっか。もう事件は解決したんだっけ。でも、あれでしょ?またそのうち、新たなる怪事件が!!」
「起こりませんよ。今のが『最後の事件』なんですから」
「うわー、そ、そうだったー!ど、どうしよー?事件が無ければ探偵なんて、アメリカシロヒトリより役立たずじゃん!?」
「うーん。長瀬さん、あなた変死体になる気ありません?」
「ありませんよっ!」
「どっちにしろ作者がおらんのだから、『次』なんて無かろう?まさか毎回台詞だけって訳にもいかんし」
「ああ。そんなことですか。それはどうにでもなりますよ」
私はそう言って、殿村警部に微笑んでみせた。