Ⅰ 柊馬
まだ桜が咲き誇っていた季節のこと。
花粉症の人や、桜吹雪が鬱陶しいという人も多いこのご時世。俺は桜は嫌いではない。なぜなら桜が花というものに属するものだからだ。
受験という名の苦難を乗り越え高校に入学して――とはいっても、自慢ではないが昔から勉強はできたので、推薦でとおった――とくに大きな変化もなく、この春あっという間に俺は進級をすませていた。中学にはなかった園芸部に所属していた一年間は数多くの友人もでき、充実していたといえるだろう。
同世代の男子と比べると少し大人しめの俺――浅田柊馬――だが、そんな俺にも人に、これが大好きいうと驚かれてしまうものがあった。
花だ。
俺は、花が好きだ。花だけにとどまらない。木や草…植物全般が好きだ。
女が甘いものや可愛いものを好きなこと、男がラジコンや車なんてものが好きなことと同様……俺はその対象が“花”というだけだった。
確かに16もの男が花が好きというのは珍しいことかもしれないが、物心ついたときから俺は花というものに目がなかった。
――その日の放課後。園芸物の活動自体なかった柊馬はまだ教室にちらほらと残っている同級生たちと挨拶を交わすと鞄を肩にかけ、中庭へ続く廊下へと向かった。
途中で鞄から金の線がいれられた赤い如雨露をとりだすと、水道でそれにたっぷりと水を淹れた。重さを増した如雨露を両手で持ち、柊馬は気怠そうに歩き始める。
如雨露が傾き、水滴が透明な跡を黄ばんだ廊下に残していく。中庭まできた柊馬は一直線にチューリップの咲いた花壇へと進んだ。
柊馬はその場に屈みこみ、無表情で…けれど楽しそうに弟がよく歌っていて覚えてしまった歌を口遊みながら水を色とりどりの花に与え始めた。
水をすべてやり終えた柊馬は満足げに花壇を見渡した。もう、空は緋色に色づいている。教室に残っていたクラスメイト達もほとんど帰路についたことだろう。
立ち上がろうとして柊馬は花壇の土から漏れる光を見つけた。淡く土からもれだす光は今にも消えてしまいそうだった。前日はなかった花壇の変化を不思議に思った柊馬は誰かの落し物だろうと思い、如雨露を持っていない方の片手で土を掘り起こした。
汚れた手を開くと、柊馬の手の中にあったのは宝石のような石だった。紫色に光るそれは全くといっていいほど汚れておらず、柊馬の手のなかにおさまった途端、色濃く輝きを増した。
「……?!」
視界が揺れ、柊馬は謎の浮遊感に襲われているような感覚に陥った。石は目を潰してしまうのではないかというくらいに光を増していき、柊馬の頭は真白に明滅した。
気が付いた時には、周りを花で囲まれていた。
花の独特な香りが鼻に通る。柊馬は花の匂いで目が覚めた。
「ん…お花畑…?」
花が大好きな柊馬にとってはそこは天国以外の何物でもなかった。
体を起こして辺りを見回す。
そこには余計な物は何もなく、本当に花しかない。空は雲ひとつない晴天だ。
何故ここにいるのだろう。
そんな疑問を差し置いて、柊馬は花に目を向けた。
水…水をあげたい。
そう思ったが、ここには水すらない。だが、右手には如雨露。ずっと握っていたらしい。左手には――紫色に輝く宝石らしき石。
そうだ。と柊馬は我に返った。
これを手にしたら…ここに来た。なんで…?あと…目が覚める前何かが頭に流れ込んできた気がする…。制服を着た女の子がちらっと見えたような…??
謎ばかりである。
柊馬はまあいいや、と呑気に考え、今ある状況をしっかりと満喫していた。
……眠い。
柊馬はそのまま花畑に横たわり、花の独特な香りに包まれながら、己の本能に従い意識を手放した。