竜と刀
山奥の旅館。日本の心、「和」。それが体現されている場所。日ごろの疲れを癒し、英気を養う。そんな場所で。よりにもよって、やっと休暇がとれたときに限って。
「殺人事件って、どいこと・・・」
「ほら、あれだ。サスペンスに出てくるアレ」
「ああ、火曜サスペンスに出てくるアレね・・・・てっ!なんでや!!」
「まぁまぁ。出てきたからには仕方ない」
「お前がソレ持ってこなかったら、こんな事にならなかったんだ!」
山奥にある旅館のさらに奥。木々に隠された場所に、ポッカリと大きく開いた洞窟がある。その中で、滝川竜哉と十文字錬治は焚き火を囲んでいた。
ホロリと泣いているのが滝川竜哉。眠たそうに欠伸をしているのが十文字錬治。
何故そんな所に居るのかというと、遡ること3日前――――・・・
「おっしゃーー!!」
とあるビルの一室。そこで、今まさに大声を出し喜びの表情ではしゃいでいるのは、竜川竜哉である。
一人ウトウトと、ソファーで眠りの世界に旅立とうとしていたところを起こされた十文字錬治は、狂喜乱舞している恋人に声をかけるか数瞬迷った。
「・・・なにごとだ」
結局、そのままでは寝れないと思ったのか、欠伸をしながら声をかける。
「休みだよ、休み!久し振りの休暇!!しかも、三日間もだぜ!」
「本当か!?・・・エサとかじゃなく?」
休暇と聞いて一瞬で頭が冴えた。しかし、脳裏には苦々しい現実が展開され、疑いのまなざしと、疑心に満ちた声が自然とでてしまう。
聞かれた当人はいたって気にせず、それよりも、さらに嬉しそうにほほを染めて、元気いっぱいに答えてくれた。
「ああ!この間はひどい目にあったからな、確認しといた」
この間というのは、休みを取れる代わりに、難易度レベルSの仕事をさせられたことだ。仕事前に知らされるはずの内容が、事前に伏せられていたため気付けずに任務に就かされてしまったのだ。しかも、休暇と治療が同日だったため、休暇とはいえない休暇を病室のベットの上で過ごす羽目になったのは、そう遠くない過去の出来事だ。
なので、今度は正真正銘の連休をとれた喜びは二人にとって何よりも貴重なものだった。
「うっしゃー!どこ行く!?久しぶりに旅行しようぜ!」
「ほんと、久しぶりだな。そうだ、行きたいとこあるんだが、そこに行かないか?」
「行く!行こうぜ!善は急げってな!!」
そうして彼らは、荷物をまとめとある山奥の旅館へと出発したのである。
彼らが向かった先は、暮らしているマンションから電車で五時間、徒歩30分行った先の、山奥の旅館である。そこは、料理と露天風呂が売りのちょっとした穴場になっているところだった。
今は梅雨時で、お客もそれほど多くなく、予約していなくてもすんなり泊まれた。周りは山に囲まれた小さな町しかないので娯楽は少ないが、心身ともに疲れを癒すにはうってつけの場所だ。
二人が旅館に着いたのは、夕刻。そのまま部屋に荷物を置いて露天風呂に直行した。大浴場とはいかないが、スペースは十分にあり、ゆったりと外の景色を眺めることができる。しかも、他に人はおらず、貸切り状態で二人は日ごろの疲れを落とすことができた。
「いい湯だったな~」
襖を開け、竜哉が先に上がっていた錬治に声をかけて、部屋に上がる。
「・・・お帰り」
錬治は竜哉よりも早めに露天風呂を後にして、部屋に来ていた。竜哉が部屋に入ってくると素早く後ろに「何か」を隠して、不自然極まりなく「何か」を荷物の中に押し込んだ。
「うん?」
もちろん、それを見逃す竜哉ではない。疑問に思い素早く荷物に近づく。
その動きを見て、錬治は自分の荷物を背中にかばう。
「・・・」
「・・・」
しばしの沈黙。
「・・・持ってくんなって言っただろ?」
「だって・・・」
竜哉は錬治の態度で、いったい何を隠したのか大方の見当をつけ、深いため息をついた。しょんぼりと肩を落として、錬治は先ほど荷物に忍ばせたものを取り出す。それは、布でくるまれた細長い棒状のものだった。
「たく。見つからないようにしとけよ」
「分かっている」
しゅるりと結んであった紐をといて、中身を取り出す。
それは、黒塗りの鞘に収まった日本刀だった。錬治は、日本刀を抜き、竜哉が来るまでやっていた刀の手入れを始めた。
「・・・堂々だな、おい」
分かったと言ったそばから、平然と刀を取り出すあたり、分っていないんじゃないかと呆れたように竜哉は溜息をついた。
「うまかった!さすが、山の幸って感じだな」
竜哉と錬治は食後の運動と称して、旅館の庭にできている砂利道を歩いていた。
旅館には広々とした庭があり、その庭は散歩道として整備されている。10分ほどの道のりで、周りに街灯のたぐいはなく月が放つ光だけが二人を照らしていた。
「よくわからないけど、良かった。前から来たかったんだけど、機会がいなかったからな」
「とかいって、誰かと来たことあるんじゃないのか?」
竜哉は自分より数センチ高い錬治を見上げて、意地悪く笑った。
そんな竜哉に苦笑いを返して、錬治は鈍い恋人に分かりやすく説明を付け足す。
「二人で来たかったって意味なんだけど」
「え?あ、そう・・・」
その言葉に少し照れながら、相打ちを打つ竜哉。
そんな竜哉に錬治は優しく微笑む。
「まだ沢山、竜哉と行きたい場所があるから、次の休みにでも行こうか」
「あ、ああ。・・・行ってやるよ」
錬治の顔を見ないようにして、答える。
月は満月。自分の赤くなっているかもしれない顔を見せないための精一杯の態度だ。
しばらく、静かに砂利道を進む。足音だけが、月の光に満ちた夜に響いている。
「?どかした?」
旅館に着く手前で、竜哉が突然足をとめた。
「いや、変な臭いが・・・。気のせいかな」
「どっちからだ?」
「分らない。一瞬で、もう消えている」
「・・・そうか、風が山の匂いでも運んで来たのかもな」
「ああ、だな」
二人は、そのまま旅館には入り、旅館の人が敷いてくれていた布団に潜りこんだ。
そして今まで疲れを癒すべく、二人は十秒で夢の世界に旅立った。
休暇一日目。
朝から小雨が降り続いていた。湿度はそれほど高くなく、雨音と時々吹く風が心地よい朝だった。
二人は朝食を終えて、ロビーに来ていた。特にすることもなく、かといって外に行くのも気分が乗らず、椅子に座ったまま見るともなしに振り続ける雨を見ていた。
「雨ですな」
そこに、老夫婦が声をかけてきた。老夫婦はきちんとした着物を着ており、熟年連れ添った一種独特の穏やかな雰囲気をかもし出している。
「そうですね」
老夫婦は竜哉と錬治の向かえのソファーに腰をおろした。
「外には行かないのですか?」
竜哉は嫌な顔をすることなく、返事を返す。暇をもてあましているのは、自分も同じだった。
「ええ、気分が乗らないので」
「雨ですからな」
「ご夫婦ですか?」
「ええ。ここにはよく来るんですよ」
「そうなんですか。俺たちは初めてなんですよ。ここには、いいところですね」
夫の名前は、小林征二郎。妻の名前が、小林加代。
竜哉と錬治は老夫婦とたわいもない雑談を、昼ごとろまで続けた。
昼には雨も上がり、雑談がひと段落したころ。竜哉と錬治は老夫婦が話してくれた街の名所を見るために席を立った。
「見事に曇り空だな」
「そうだな。また振りだす前に、旅館に戻ろう」
「まかせろ!」
二人は早速、老夫婦が言っていた杏蜜がおいしい店を探した。次に、一件だけパフェを出している店に入った後、マンションに持って帰って食べる分の羊羹、ゼリー、茶菓子をいくつか買って周った。そして、時間があるからと話に出てきた、今時珍しいお団子屋に入る。団子を食べた後でさらに二~三個お持ち帰りをして、「もうすぐ雨が来る」と言う竜哉に促され旅館に戻って行った。
「大量!大量!でも買いすぎたかな?」
部屋に着くなり、今日の戦利品を机の上に広げる竜哉。
「たぶん、ここに居る間になくなると思うからいいんじゃないか」
錬治はあきれ顔でため息をつく。
「そうだな。明日にでもまた買い足しとくか」
すでに、紙袋が三個もある。これ以上買うとなると、持って帰るのが辛くなるだろう、ということを竜哉は分かっていない。苦笑いをしながらも、錬治はつい買うのを許してしまう。
錬治は明日以降の荷物をどうするか、ということに頭を悩ませた。
「雨は大丈夫なのか?」
「うん?う~ん。そうだな、強くは降らないけど、風が出てくるかな」
竜哉の天気予報はテレビとは比較にならいほど、よく当たるのだ。
「そうか。これから、風呂に行かないか?」
「行く、行く。やっぱ露天風呂は良いよな!」
竜哉と錬治は着替えを持って、屋根つきの露天風呂へと向かった。
「絶景・・・かな?」
「曇っているからな。空も見えないし、暗すぎて街も見えないし。絶景とは言えないな」
二人は並んで暗くてよく見えない街並みを見下ろしていた。露天風呂自体が、出っ張った形をしているので、夜でも星や月明かりが見える設計になっているのだが、あいにくの雨模様でその景色を見ることはできなかった。
「・・・あの~」
二人だけの空間に突如、女性の声が控え目に響いた。
「はい?」「・・・」
錬治が答える。竜哉は振り返るだけで言葉を発しなかった。
「あの、一緒に入っていいですか?」
「「え?」」
いきなりの申し出に戸惑う二人。
「だって、ここ混浴でしょ?」
そこで、竜哉と錬治は扉横に書かれていた「男女混浴大歓迎!」という、妙な看板があったのを思い出した。
「いいお風呂ですね」
「ええ。晴れならきっと美しい景色だったでしょうけどね」
「見てみたかったな~」
「・・・」
楽しそうに会話をしているのは、錬治と先ほど知り合った(いきなり入ってきた)田平千恵。それを無表情に眺める竜哉。
「この旅館に泊まっているお客さん知ってますか?」
「小林夫妻のことなら知ってますけど」
「あぁ!仲良し夫婦のことですね!いい人ですよね」
「ええ、そうですね」
「あと一組、夫婦の人たちがいるんですけど、何かあんまり仲良くなさそうって言うか」
「そうなんですか」
「あと、あと!ちょっとネクラだけどかっこいい人がいるんですよ!」
「それは、それは」
「私、彼氏にふられて傷心旅行で来てるんですけど、その人にアッタクしようと思うんですけど。どう思います?早いですかね?」
「いいと思いますよ。お話したんですか?」
「はい!て言っても話しかけたら無視されましたけど・・・」
「はは。きっと照れてるんですよ」
「そうですよね!」
「・・・」
錬治は無表情に睨んでくる竜哉に冷や汗をかきながら、会話を続ける。千恵はそれに気づかず嬉しそうに錬治と話を続ける。
そんな中、竜哉はピクリと鼻を動かした。微かに、本当に微かに、昨日の夜に散歩道で嗅いだあの匂いがしたのだ。その匂いに、錬治から顔を離さず竜哉は眉をしかめる。
錬治はとうとう竜哉の機嫌が最悪に達したのだと思って、さらに冷や汗が出てきた。
楽しそうな、田平千恵。無表情の滝川竜哉。笑顔だが脱水症状手前の十文字錬治。
この妙な三角関係は、約2時間にわたり続いた。
休日二日目。早朝。
部屋で朝食をとっていた時に、彼らの休暇は終わりを告げた。
「どうしたんですか?」
旅館内にある宴会用の広間に、旅館に宿泊している客が全て集められた。朝食が途中の客人が多かったため、机の上には部屋から運ばれた食べかけの食事が乗っている。しかし、ただならぬ雰囲気の中、のんきに食事をとっているのは竜哉と錬治だけである。
「答えてくださいよ。どうして僕たちがここに集められなければいけないんですか?」
一人の若い男が、旅館の関係者らしき人物に先ほどから質問をしているが、ただ首を振って「お待ちください」の一言だけで、一切質問に答えようとはしない。
「どうしたんでしょう?」
「さぁ」
「・・・」
いつの間にか錬治の隣に座っていた田平千恵が不安そうに、辺りを見渡している。
「お待たせいたしました」
竜哉が食事を終えたときに、新たな人物が登場した。
「我々は警察です。どうか、冷静に話を聞いてもらいたい」
いきなりのことで、ほとんどの人が話についていけなかった。しかし、竜哉は首をかしげ、スンっと部屋のにおいを嗅ぐ。どうも、さっきから変な臭いが部屋の中、いや旅館全体に漂っていているのだ。
そんな、竜哉の疑問をよそに、部屋に入ってきたがたいのいい不精髭の男(熊田健悟朗)は話を進める。
どうやら今朝がた、この旅館で殺人事件があり、被害者は旅館の仲居をしていた高田厚志さん。彼の遺体が発見されたのが、露天風呂。どうやら、事故ではなく、殺人と認定して捜査を進めているらしい。
「どうして、そんなことに・・・」
先ほど、旅館の関係者に食ってかかっていた男性に寄り添っている女性が、弱弱しくつぶやいた。
「彼は、鋭い刃物で一刀両断されています。これは普通の刃物では不可能です。例えば、日本刀のような柄の長い凶器を使わない限り無理でしょう。
この中で、剣道の心得がある人はいませんか?」
「これって、私たち疑われてるってことですよね」
「・・・」「・・・」
二人は押し黙る。嫌な予感に背筋に冷たい汗がとめどなく伝っている。
―おい。どうすんだ。アレ見つかったら絶対誤解される!
―まさか、こんなことになるなんて。大丈夫。血のりは付いてない。
―当たり前だし!関係ねーよ!
アイコンタクト、以心伝心そんな感じのテレパシーで会話をする竜哉と錬治。かなりまずい状況である。犯人扱い間違いなしのストライクゾーンだ。
襖を開け、スーツを着た女性(沖田牧)が入ってきた。
竜哉は、女性が入ってきた瞬間、眉をしかめた。彼女は、紫紺の布に包まれた長細い棒を抱えている。誤解間違いなしの展開に、錬治は頭を抱える。
沖田は抱えている棒状の物を熊田に手渡し、一歩下がって集まっている客の一人一人を冷たい目線で射抜く。熊田は結んであった紐をとき、中を露わにした。
「・・・持ち主はおられますか?」
出てきたものは、日本刀。錬治が手入れをしていたものだ。ここで、隠したらさらに誤解が深まると思い、正直に手を上げる。
「あなたのもので、間違いありませんか?」
「はい」
「許可は?」
「もちろん、きちんと取ってますよ」
「調べてもよろしいですか?」
「それは・・・。ええ、もちろん」
自分の刀を他人の勝手にされたくはなかったが、ここは大人しく身を引くしかない。周りからは、すでに犯人を見る疑念の目線を向けられている。これ以上、下手をすると本当に犯人にされてしまうだろう。事実は違うが、警察から事情聴取されるようなことになればまる一日潰されてしまう。
それだけは困る。本当に困る。彼らにとってこの休暇は本当に貴重なものなのだ。
刀をどこかへ持っていかれて、錬治は内心穏やかではなかった。しかし、妙に竜哉が静かなのが気になって、隣に顔を向ける。
「おい!どうした?」
そこには、顔面真っ青になっている竜哉の姿があった。この程度のことで、体調を崩すことは今までになく、尋常ではないことが起き始めているとここにきて錬治は気付く。
「・・・ヤバイわ。これ」
「いいから喋るな。少し横になれ」
「いいって、だいぶましになってきた。それより、この旅館」
竜哉がことの重大さを話そうとしたとき、襖が勢い良く開かれた。
早くも調べが済んだのか、先ほどの熊田と沖田。それに多くの警官が慌しく入ってくる。
彼らが襖をあけた瞬間、竜哉は思いっきり顔をしかめた。竜哉にしか嗅ぎとれない臭いが急速に、しかも濃くなっているのだ。これは―――
「この刀から血液反応がでました。署までご同行願いますか」
この一言で今まで緊張していた場の空気が、ザワリと揺れた。
しかし、それに動じることなく錬治は威圧的に睨んでくる熊田と対峙するかのように立ち上がる。
日本刀は傍らに控えている沖田が持っていた。その隣に、熊田がいる。錬治は熊田に向かって、一歩前に進んだ。その姿は、愁然としながらも熊田の言葉に従っているように見える。
錬治はチラリと目線を移し刀に向かって、自然に近づく。あまりに自然だったため沖田の反応がおくれた。熊田の近くに居たのが災いして沖田が体を引く前に刀は元の持ち主、錬治の手に握られる。
熊田がここではじめて事態を正確に認識した。そして、錬治を捕まえようと腕を伸ばす。しかし、彼の行動はあまりに遅すぎた。錬治はすでに刀を握っている。そこですでに、警官が何もできないということが決まったのだ。
錬治はなんの躊躇いもなく、振り向きざま日本刀を熊田の喉元に向けた。
冷たい刃の切っ先が、熊田の喉を傷つける手前でピタリと止まる。熊田があとほんの少し先に進んでいたならば、血を流していただろう。
錬治はそうならないために、距離を瞬時に計算して、喉を傷つけることのない距離で刀を止めたのだ。
場が、凍りつく。
緊張が辺りを支配し、時間の流れを遅くする。
呼吸の音が小さく響くほど、辺りは静寂に沈んだ。
熊田と錬治はにらみ合う。沖田と数人の警官は錬治の動きに警戒心を高めるが、動くこともできない。旅館の従業員も客も非日常の光景に誰もが、身体をこわばらせた。
ピンと張りつめた空気の中先に動いたのは、驚くことに刀を向けられている熊田だった。
「・・・ここから、どうやって逃げる気だ?周りは警官ばかりだぞ」
「あなたを人質にすれば、どうでしょうか」
「問題外だ。例え斬られても、ここからは動かん」
「それでは、私はすぐに逮捕されてしまいますね」
「そいうことだ」
「・・・」
「・・・」
しばしの沈黙。
熊田の言う通り。錬治の背後には警官がおり、刀を引いて逃げてもすぐに捕まるだろう。だが、ここまでやっといて「すいません」と謝っても公務執行妨害罪で間違えなく休日返上プラスの上からのお叱りが待っている。よって、何としてでも逃げて、真犯人を捕まえる必要があるのだ。
「うっし!もう大丈夫だ」
唐突に周りの空気を少しも読まない元気な声が響いた。その声の持ち主に錬治は苦笑いをし、刀の位置はそのままに顔を向ける。
「そうか?もう少しなら引き延ばせるけど」
「・・・いや、この空気に耐えきる自信ないよ、俺」
錬治は「確かに」と頷いて、表情を変えることなく前振りなしに刀を振り下す。
とっさに、熊田は後ろに飛びのいた。だが、錬治が切り裂いたのは畳だった。
「捕まえろっ!!」
熊田が叫び、警官たちが一斉に錬治を捕まえようと動く。しかし、動いたのは警官ばかりではなかった。
「うわっ!!」
「ぎゃあ!」
「えぇ!」
「何これ!?」
突然、畳が波打ちまともに立っていられなくなったのだ。
横転する者、膝をつく者、机にしがみつく者、尻持ちをつく者、宴会場はたちまち混乱と悲鳴の渦に巻き込まれた。それを引き起こした当人と、もう一人は波打つ畳を飛び越え、走りながら真直ぐ、襖に向かう。その際、誰も彼らを止められない。
「何をしている!!捕まえろ!」
熊田が怒鳴るがまともに動けるものは一人もおらず、あっさりと彼らの逃亡を許してしまう。
「旅館の外には出すな!絶対にだ!!」
さらに叫ぶが、熊田自身もまとに動けない。しかも、波打っているのは何も宴会場だけではなく、旅館全体の床が揺れ動いているのだ。そこで、行動可能なものは竜哉と錬治だけである。二人は、壁を伝い、波に乗り、人を飛び越え、縦横無尽に動き、跳びはね、ついには旅館の外へと飛び出した。
彼らが逃亡に成功した後も、しばらくは旅館内からの悲鳴や怒号、叫び声は絶えなかった。
山奥の旅館。日本の心、「和」。それが体現されている場所。日ごろの疲れを癒し、英気を養う。そんな場所で。よりにもよって、やっと休暇がとれたときに限って。
「殺人事件って、どゆこと・・・」
「ほら、あれだよ。サスペンスに出てくるアレ」
「ああ、火曜サスペンスに出てくるアレね・・・・てっ!なんでや!!」
「まぁまぁ。出てきたからには仕方ない」
「お前がソレ持ってこなかったら、こんな事にならなかったんだ!」
山奥にある旅館のさらに奥。木々に隠された場所に、ポッカリと大きく開いた洞窟がある。その中で、滝川竜哉と十文字錬治は焚き火を囲んでいた。
ホロリと泣いているのが滝川竜哉。眠たそうに欠伸をしているのが十文字錬治。
外は雨と風が吹いており、天候は最悪になりつつある。
「・・・どうする、これから?」
「退治するしかないだろ。旅館の中に居るんだろ?」
「いると思うけど、臭いがきつくてもう追えないぜ」
ここらで彼らの詳細な説明が必要だろう。彼らはいわゆる、退魔士と呼ばれる職業にあたる者たちだ。
現代では、魑魅魍魎の類は存在すると証明され、彼らのような退魔士は国が認定した組織に所属し、指令を受けて現地の魔物や妖を退治して回るのだ。
滝川竜哉は竜の血を引く一族であり、竜の血はあらゆる万病を直し、その角はすべての天候を操る力を持つといわれている。そして、常人以上の身体能力と発達した感覚器官をもち、普通では嗅ぎとることのできない臭いをかぎ取ることができるのだ。
十文字錬治は高い身体能力を持ち、錬治の持つ刀は切りつけたものに、ある一定の運動を与えることができるのだ。例えば、旅館の床のように、波のような動きを与えるたり、壁を切りつけ微細な振動をするよう動きを与えたなら、壁は自然と崩壊する。間隔を短くし、トラップのように仕掛けることもできるが。持続時間が5~6時間程度が最大である。もちろん、ただ切ることもできる。
彼らはこれらの能力を活かし、今回巻き込まれてしまった事件の解決にとりあえず取りかかることにした。
「居る場所を特定する必要があるな。幸い、殺され方と場所は分かっているから」
「そこからどう繋げるか、だな」
錬治が先に切り出し、互いの推理を重ねる。
「日本刀のような長い柄って、何かあるかな?」
「出刃包丁とか?」
「・・・どうだろうな、妖が出刃包丁・・・。嫌だな、そんなやつ」
「だな。てか、人間のものを使わなくてもいいんじゃないか!例えば、爪とか牙とか」
「獣か」
「旅館内なら、見つかりやすいな」
「なら人の形をした・・・。人間に紛れているのか?」
「それよりも、何故いまなんだ?」
「時期か。梅雨時・・・・伝承をあたってみるか」
「いやいや、待てよ。殺された場所って風呂だろ?なら」
竜哉と錬治は顔を見合せ、同時に声を上げた。
「「水!」」
高田厚志さんなる人を殺したのは、人でない「何か」である可能性は竜哉がすでに示している。
「そうだ、そうだよ!何で気付かなかったんだ!?雨雲と一緒に流れて来たんだ!」
竜哉の言う妖は、梅雨の時期に雨雲と共に空を渡る見た目は水と変わらない妖だ。
そいつが恐らく、何かの拍子に雨雲から落ち、露天風呂に迷い込んだのだろう。そして、仲居をしていた高田厚志さんなる人はどうやら、不運にも殺されてしまったのだ。
魔物や妖たちにとって人間とは、共存する相手ではなく自身と同じように在るようにして在るものである。今回の殺しかたは搾取するためではないだろう。ならば、退治することなく空に帰してやるのが一番だ。例え、一人の人間が殺されたからといって、問答無用に妖を葬ることはない。
彼らが人と離れ暮らすのは、人を恐れているからだ。高田厚志さんなる人には何の罪もないが、人は事故や病気、あるいは今回のような殺され方だってする。ある意味、ありえることだ。人間のルールを、人間以外に押し付けることは、傲慢で浅はかである。
人間が傲慢で浅はかにならないために、退魔士がいるのだ。
「でも、ここからが問題。どうやって旅館の中に入るかだ」
真剣に考える錬治に竜哉は胸を張って答える。
「そこは任せろ!俺の能力、忘れたのか?」
「・・・酷くなするなよ?」
「大丈夫だ。軽い竜巻起こせばいいだけだろ」
「・・・」
笑って答える恋人に一抹の不安を抱きながら、傍らにある刀を強く握る。どうやら、穏やかな梅雨は終わりを告げるらしい。
一方の旅館内。
「一体どういうことだ!」
「わかりません。ただ、彼らが犯人ではないかもしれませんね」
熊田健太郎と沖田牧は並んで廊下を歩いていた。今、彼らのおかれている状況は非常にまずいものであった。
「あの二人が、退魔士だと。・・・信じられんが、あの刀は普通ではなかったな」
「はい。恐らくは波紋刀ではないでしょうか」
波紋刀とは、文字通り「波を起こす刀」である。錬治が起こした現象はこの一言に集約されるだろう。
「素人が操るには手に余る代物です。問い詰める前に、話を聞くべきだったのでは?」
「今さらだ。仕方がないだろう。事実、あの刀からは血液反応が出ている」
「魔物の血には反応しませんからね・・・。しかし、彼らと殺された高田厚志との関係は分かっていません」
「・・・。魔物、妖関係か。くそっ!外に出られれば!」
今、彼らは旅館内から外に出ることができないでいた。
錬治が起こした波は収まったものの、玄関から裏口、窓、庭の生垣など、どこかしこもまるで見えない壁があるかのように、外に出ることができないのだ。しかも、旅館関係者を含め宿泊客と旅館内に入っていた警官たちは外との連絡手段を断たれていた。備え付けの電話、携帯、インターネットはもちろん、テレビ、ラジオの類まで外とのつながりを断ってしまっている。
これで人々がパニックを起こさないはずはない。今、熊田たちが必死になだめている。だが時間の問題だろう。どうにかして、外との連絡手段を得なくては。
退魔の資格を持たない一般の人間では、魔物や妖に対して対抗するのは難しい。もちろん、知識として魔物や妖の弱点を知っている専門家もいるが、彼ら退魔士ではなく封魔士と呼ばれている。魔を滅することができない封魔士は文字通り、魔を封じることを生業としており、これは一般の人が資格を持つことができる。
ここには、封魔士の資格を持っている警官もいるが、彼らがいてもこの事態は好転することはない。封魔士は退魔士と組んで仕事をすることが基本であり、封魔士だけでは魔物や妖と直接対決することはできないのだ。
「どうします?」
「・・・魔物の特定をしなくては対策も立てれん」
「煉の話では、水が関係しているとか」
本名、大串煉と言い封魔士の警官である。
「・・・あいつが頼りか。しかしな」
煉は刑事になってまだ日が浅い新人であり、現場での仕事は数えるほどしかない。経験の浅い新人を、全面的に信じていいのか熊田は迷っていた。
「彼しかこの旅館内に封魔士はいません」
「分かっている。しかし」
「失礼ですが、封魔士と刑事の仕事を一緒にしない方がいいのではないでしょうか。刑事としての経験は少ないでしょうが、封魔士となるための試験を立派に通っているのですから、そこは信頼してもよろしいかと」
「・・・うむ」
外では、雨が降り続けていた。
「寒くないか?」
「・・・別に、平気だ」
焚火を囲んでいても、気温が低い洞窟の中では雨にぬれた身体から徐々に体温を奪われてしまう。二人とも身体を密着させているが、それでも寒さはぬぐえない。
竜哉は錬治と触れていない肩をさする。さすがに、どれだけ頑丈な体でも寒さまでは遮断できるものではない。錬治は強がりは恋人の腕をとって、無言で自分の腕の中に引き込んだ。
「!!おいっ!?」
「嫌か?」
「・・・・・・・・別に。嫌じゃないけど、離せっ」
顔を真っ赤にしながら、竜哉は顔を伏せたままやけくそ気味に怒鳴る。
「嫌じゃないんだろ。俺はこうしていたんだ」
「良い悪いの問題じゃないって!・・・いいからはーなーせ!」
竜哉は錬治の腕の中でもがくが、錬治は力を緩めようとはしない。じたばたもがく竜哉に楽しそうに笑いかけながら、抱く力を強くする。
「大人しくしてろ。もうすぐ夜になるんだから。そしたら、作戦開始だろ」
「関係ないだろうが!」
赤い顔を更に真っ赤にして竜哉は抜け出そうともがく。しばらく、洞窟内には楽しそうな錬治と照れた竜哉の怒鳴り声が響いていた。
日が暮れ。さらに雨足が強さを増し、風が出てきたころ。旅館内は、シンと静まり返っていた。誰も人がいないわけではなく、誰もが息を殺しているのである。旅館関係者と宿泊客は夕食後一か所に集められた。そのほうが、警護しやすいと熊田が説き伏せたのだ。
「・・・まるで、嵐のようですね」
「ああ」
外の天候は、雨と風が吹き荒れていた。雨は豪雨というわけではないが、封魔士の大串煉の話では、こういった天候が一番妖に適しており、危険な状態であるということだった。
まだ、熊田は彼の話を信頼していなかったが、旅館の内の人々を納得させるためにも、彼の話を参考にするしかなった。
「彼らは、どうしているでしょうか。助けに来ると思いますか?」
「さぁな。俺は退魔士と一度だけ会ったことがあるが、彼らは自分の仕事だけをして周りの人間のことなど気にもかけていなかった」
「・・・」
沖田は上司である熊田がなぜ、退魔士嫌いなのかをこのとき少しだけ垣間見た気がした。
「来てくれることを祈ろう。もしかしたら、外にこのことを伝えているかもしれん」
「そうですね」
夜はもうすぐそこまで来ているのだから。
―ゴオオォォォー
日が沈み、夜がやってきた。
風が増し、雨がしきりに窓をたたく音が旅館内に響く。
旅館内では、複数いる警官は交替で見張りをしている。熊田と沖田は、見張り役として旅館内を警戒していた。旅館の中はお通夜のようにしんと静まり返っていた。お通夜と違うところは、すすり泣く声がないことと緊迫した空気が張り詰めているところだろう。
宿泊客たちが怖がらないようにと、旅館内の電気はすべて常に明かりがともされている。言いだしたのは旅館の女将なのだが、怯えた表情で言われたらむげに断るわけもいかない。しかし、電灯がすべて点けられているにもかかわらず、旅館内は薄暗く沈んでいる。心理的なものであるのだろうが、恐怖心と朝から緊張状態が続いているのだ。
もはや、宿泊客・旅館の従業員も限界がきている。
―ビュウゥゥー
風の唸りが、獣の唸りに聞こえる。
風が増し、雨粒が窓にあたり、戸口がガタガタと不吉に鳴り響く。
町全体が小型の台風の直撃を受けているかのようだ。しかし、旅館内の人も町の人々も誰一人として、町の外では小雨がぱらつき湿度のたかい熱帯夜になっていることを知らない。まるで、町が台風の中に入ってしまったかのようなに風が包囲していることに気づいていない。
そして、旅館の自慢の露天風呂、町が見下ろせるように設計されてくられた場所からそう遠くない山奥、林の中、その木の上に二つの人影が佇んでいた。
「あ、のっ!刑事、お時間よろしいですか!」
「・・・なんだ」
大串煉は熊田刑事と沖田警部に経過報告にきたのだが、熊田から邪険な目つきで睨まれた。
大串煉という人物は、好青年であるのだが頼りない外見をしている。一見やさしそうな風貌だが、それは優柔不断といえる性格のせいで警官にはみられないことが多い。また、警官でも珍しい封魔士の資格を持っているということで、何かと噂や好奇心のまとになりやすく、熊田が退魔士嫌いということは配属になる前から仲間内から何かと聞かされていた。
「その。もうそろそろ、皆さんに事情の説明のため、いったん集まってもらったんですけど・・・」
「どうした」
緊張しながらも声が震えないようにと力んでしまうため、結局声が震えてしまっている。
「納得はしてもらえたのですけど。旅館の関係者からの承諾がはっきりしなくて」
「お前に任せてある。しっかり仕事をしろ。封魔士としての作戦を俺に言われても、理解できない部分があるんだ。俺では説得できん」
「や、でも、しかし・・・」
大串煉が出した作戦内容は実にシンプルなのものだ。
今回の妖は、水系の妖だ。それならば、水中に不純物が多く混ざれば妖の力は落ち、引きずり出すことができる。しかし、引きずり出した後、煉が行うのは封魔の術だ。それは、一定の場所に妖を閉じ込めるもので(最低でも二人掛かりでやるものだが)滅することはできない。つまり、退魔士が閉じ込めた妖を退治しないことには、この旅館内の一部(柱や壁、額の中など一時的)に妖を閉じ込めたままになる。そうなれば、確実に客足は減ることになるだろう。
そうなる前に、退治できればいいのだが、退魔士は国の指令で動くことが前提であり、例外はない。個人で請け負うことはないし、決められた順序どおりに進められる。つまり、退魔士が来て妖を退治するためには、国に申請をして退魔士に来てもらわなくてはならない。それが、早くても数ヶ月後になるのだ。
決められた順番に従って、退魔の仕事は遂行される。順番に例外はない、届け出が出された順番が絶対なのだ。そもそも、退魔士の数自体が少ない。
日本は妖の国とよばれるほど、多くの種族が住んでいる。彼らに人権は存在しないが、共存していかなくてはいけない。妖の怒りを買うことは、日本の未来に大きな影を落とすことになるのだから。
だから、大串煉は迷っている。
旅館の従業員も宿泊客も妖は滅して然るべきだと、思いこんでいる。しかし、それは間違いだと正すことは、余計な混乱を招くだけだ。
熊田に助言を仰げないかと期待して来て見たのだが、どうやら退魔士嫌いは筋金入りだ。
「刑事、あの、やっぱり」「お前に任せてある。責任は俺がどうとでもとる。だから、集中しろ」
熊田に再度助言を請おうと口を開いた煉だったが、帰って来たのは意外な言葉だった。
それは、煉を信じるといったことだろう。
「は、はい!」
熊田の退魔士嫌いは筋金入りだ。しかし、刑事としても筋金入りの根性と覚悟をもっている。煉は熊田の意をくみとると、顔を輝かせて自分の仕事をまっとうするため宴会場に向かう。
「ありがとうございます!」
しかし、慌てて立ち止まり、勢い良く頭を下げた。
「いいから、とっとと行け」
「はい!」
煉の姿が角を曲がって見えなくなってから、沖田が熊田に近づく。すぐ隣で聞いていたのだ。
「見込みがありそうな子ですね」
「根性が足らんがな」
苦虫を噛み潰したような顔で、熊田は答える。沖田はそんな熊田の態度に、昔の自分も煉のようだったかもと思いだして笑った。
「何がおかしい?」
「いいえ、別に」
沖田は、しばらく笑いが収まらなかった。
林の奥、木の上に佇む二つの人影。竜哉と錬治だ。
「もうそろそろかな」
竜哉が天候と時間を見くらべて、難しそうに眉を寄せる。
二人の周りには、不可視の結界が張られ、雨も風も入ってこないようにしてある。結界を張っているのは錬治だ。竜哉は妖を見つけ戦うことには強いが、結界や細かい呪法などは不得意なのだ。そのため、錬治が波紋刀を使って結界を張る役目を受け持っている。
波紋刀は切りつけたものに一定の運動を与える。空気を切りつけるときに、己の霊力を流し込めば、結界を張ることを容易にしているのだ。波紋刀の振動を利用した高度な結界術である。
「時間的には、そうだな。でも、一人面白そうなやつがいるな。あれは、封魔士か?」
「う~ん。どうだろ?封魔の資格持ってるやつは一般人と見分けがつかないから」
「あっちこっち、走りまわってるな。転んだら危ないぞ」
大串煉が雨と風の中、必死になって露天風呂を囲むように妖封じの札を張っている。
しかし、足場は雨でぬれ、風が態勢を崩そうと襲いかかっている。かなり危なげな足取りで、作業を行っているが、気持ちが焦っているのか逆に非効率な動きが多い。
「あ!転んだ」
竜哉が面白そうに笑う。
煉はタイルの床に顔面から突っ込むような形で倒れこんだ。急ぐあまり足を滑らせたようだ。それが、余りに痛かったのだろう、しばらく痛みで起き上がれなさそうに縮こまっている。そこに見かねて、同僚が助けに入った。
「封魔士ならいいのだが、一人で封魔の術を行うつもりか?」
「そうかも。なかなかいないからな、警察の中には。そんかわし、自衛隊とか軍隊に多いよな。封魔士って」
「仕方がないさ。封魔士の資格を取っても役立てられるとは思えない」
封魔士は退魔士よりも知名度は低い。封魔士の資格を得ても就職に有利になったり、国から特別待遇を受けられるわけでもない。一種の公務員扱いだが、仕事は妖の実地調査が主だったりする。
「・・・俺は、事務所開いたら儲かりそうだって思うけど」
竜也がポツリと呟く。
「いいな。個人経営か。一度はやってみたいな」
「ああ、面白そう。退魔士は国の命令で動かないといけないからな。たまには自由にやりたいよ」
竜也の不満はわからないでもないと思いつつも、錬治はその話題には触れない。
「今回の件は、規則違反になると思うか?」
「・・・ごまかせるさ」
二人は休暇で来ているだけだ。今回のような場合は、手続き上の問題から上司や組織にお伺いを立てなくてはならない。個人(今回は二人だが)で退魔士として仕事をすることは厳禁なのだ。もし退魔に失敗した場合、責任問題が上げられなかなか面倒な事態となる。
「警察が黙っていればな。後、旅館の客と従業員」
「なんとかなるだろ」
竜哉の楽観的な見解に、錬治は苦笑いを漏らす。
「ああ、そうだな」
夜の闇は一層深まり、妖が活動的になるまでそう時間がないことを示している。
日が完全に沈み、夜が来た。もともと、雨が降っていた空は黒々としていたが、日が落ちた今は、星と月の光を完全に閉ざし、暗黒のカーテンを広げている。
黒い空の下、旅館から突き出た露天ぶろのふちで、大串連は地べたに胡坐で座り込んでいる。胡坐といっても、太股の上に足の裏を出すように座っている。封魔士が術を行使する際の格好である。
これが、封魔士が退魔士と組まなければならない理由でもある。封魔士は術の行使の際は、逃げることができない。その場で、じっと術を行使し続けなければならないからだ。
今回のように、一人、または退魔士なしとなると、失敗のリスクは格段に跳ね上がる。
「そ、それでは、術式を、お、おこない、ます」
煉が行う術式は、妖を出現させることと、封じることを同時に行うものだ。封魔士一人で行える術式の中で、トップランクにあたる。もともと、封魔士は退魔士とともに行動するか、二人一組以上の人数で行動するものなのだ。一人で術を行使する際の術式は、極端に高レベルであり、使い手も少ない。
大串煉は、目をつぶり精神を鎮める。
「―――――、――――――」
朗々とした煉の詠唱は、黒い空へと吸い込まれていった。
「始まったな」
「ああ、だけどうまくいくのか?」
二人は、変わらず木の上で見守っていた。
煉が朗々と謡うその傍らに、数人の警官がたっている。熊田と沖田の姿も見られるが、ただの人に妖の相手がつとまるかどうか。
「・・・もう少し、見るか?」
「妖がでたら行こう。たぶん、無理だ」
竜哉の問いに、錬治が厳しい声で答える。
「どんな相手であれ、対処の仕方を知らない人間が相手になるわけがない」
錬治は目を細めて、騒がしくなった露天風呂の水面を見つめる。
「これが――・・・」
熊田は波打つ水面を驚愕の目で見る。水面は透明の色をなくし赤く輝いていた。その中央に、目のような黒い幕が広がっている。不確定で、輪郭も定まっていないが睨まれている威圧感をかんじているのだ。
「沖田」
「はい」
沖田警部は拳銃を構える。それに倣うよう、周りの警官たちも拳銃を構えた。彼らの役目は、大串煉が封魔の術を行使できるようになるまでの時間稼ぎだ。
煉が今行っているのは、妖をおびき寄せる術式だ。妖を意識的に誘導する術式だといってもいいだろう。これを行使している間は、封魔の術式は発動できない。
それは、二つの術式を同時に発動するのは不可能だからだ。一つの術式に一つの意識。つまり、二つの術式を発動させるには二つの意識が必要になるのだ。もちろん、そんなことができる人間はいない。故に、封魔士は一人で仕事を行えないのだ。
波打つ水面から、ぬっと黒い眼をもつ妖が伸び出す。上に引っ張られる水面は、ほぼ直立状態になり、水柱のようにそそり立つ。
「撃て!」
鋭く短い号令の下、警官たちは一斉に妖に向かって発砲する。発砲音がするたびに、バシャバショと水柱の水面が跳ねる。
しかし、妖には効いていない――
―ボコ ボコ ボコ ・・・
水柱に向けて打ち込まれた弾丸が、一斉に帰化したように消えうせた。それと同時に、水の妖も苦しみ出す。
「うまくいったようですね」
「ああ」
赤い水柱となっていた妖は、苦しそうに体を左右に激しく振りつける。その度に、まるで血のように赤い水が周囲に飛散する。
警官たち持つ銃の銃身には、“封”と“滅”の文字が彫りこまれていた。これは、煉が封魔士の証として持っている、小刀程度の刀剣で彫ったものだ。力を込めて彫るため、大量に彫ることはできないが、その銃から吐き出される弾丸には、妖を足止めするのに十分な威力を備えさせることができる。持続時間は短いが、短期での決戦では十分といえるだろう。
「後は、煉が封印を完成させるだけだな」
そういったものの熊田は、完全に安心するには早いと思いとどまる。すでに、赤から透明度の高い温泉の水になりつつある妖を睨みつける。
弱っているようだが、まだ、水柱としてそそり立っているのだ。その水面は、まるで沸騰するかのようにボコボコと音を立てているが、一向に倒れるでも崩れ落ちることもない。
「ぎゃああああ!!」
唐突に悲鳴が響いた。
悲鳴が響いた場所に、煉を除く全員が目を向ける。そこには、タイルに倒れ伏して痙攣している警官がいた。
「どうしたっ!」
熊田は慌てて警官の下に駆け寄る。警官を抱き起こし、見たものは――
「な!なんだ、これは・・・」
右足に赤い水がまとわりつき、警官の足を取り込んでいた。否『融合』していた。妖が飛ばした赤い水は、警官の足を半ば溶かし、自身と同化させていたのだ。その同化のスピードは尋常ではなく、すでに右足の全てと左足の半ばを侵食していた。
「これは、どうすれば!?」
沖田が叫ぶ。
熊田は、妖に鋭い眼光を飛ばす。はそれを見て、にやりと笑うように黒い幕のような目をゆがめる。
「!?」
それを見て熊田は、冷や汗が流れるのを抑えられなかった。
―まさか、こいつ弱っているふりを!!
そうなれば、熊田たちの手持ちは少ない。煉に封滅の銃以外でも、対妖用の武器は渡されているが、通用するかどうか。
煉は術に集中しているため、こちらの様子は見えていない。妖が現れた時点で封魔の術に移行しているが、時間稼ぎはまだ必要だ。
「警部!」
沖田が叫び、熊田はあたりを見渡す。そこには、赤い水の塊がうねうねと集まっていた。
「まったく・・・っ!」
赤い水が一斉に熊田達に向かって飛びかかる。熊田の号令なく、各人が発砲する。日頃の訓練のたまものであり、本能にのっとった行動でもあった。
「離れろっ!」
封滅の銃で撃たれた水は苦しげにタイルに落下するが、徐々に距離を詰めようと這い寄ってくる。数は決して多くはないが、数十の水の塊がそこかしこに散らばっている。その一つにでも触れようものなら、足を解かされることになるだろう。
苦しげに痙攣する警官を引きずって、その場を一時的に離れる。しかし、せまい露天風呂の中でそう距離をとれるものでもない。
「まだなの!?」
沖田が苦しげに煉に向けて叫ぶ。その声が聞こえているのかいないのか。煉は苦悶の表情で詠唱を続けている。いつの間にか、額から大量の汗が流れ、ずぶ濡れの体を細かに震わせていた。極度の集中を継続するために、体力も精神力も限界まで高めている証拠でもある。
「―――、――――――、――」
朗々と響くその声は、心なしか始めよりも弱弱しい。
その周りに集まり、腰まで半液体化した警官を横たえ熊田は懐から、細長い筒状の拳銃を取り出す。構え、放つ。底から飛び出したのは、銃弾ではなく細く長い針状の槍だった。マチ針程度の大きさだが、その針を射られた赤い水は飛散し、そのままただの温泉水となった。近寄ってくる、いくつもの赤い水を打ち抜くが、ストックは数少ない。
大本の妖は未だそそりたち黒い膜状の目で熊田達を見ている。それは余裕からか、それとも多少のダメージを回復しているためかわからないが、動き出したら止めるすべはない。
「・・・くそ」
熊田は小さく毒づく。
負傷した警官にとりついた妖の浸食のスピードは遅くなっているが、いつまで保つか。
―バッキィィ・・・
唐突に鋭い破裂音があたりに響いた。
「なぁ!」
それに驚いた警官の一人が素っ頓狂な悲鳴を上げる。
「そーぉれっ!」
いまいち迫力に欠ける掛け声とともに、空から降ってきた人物はそそり立っていた水の妖を蹴りつけた。ただの蹴りにどれだけの威力があったのだろう、妖は勢いよく浴槽に水しぶきをまき散らしながら、落下する。
―バシャ バシャ ・・・
たしっ。トン。と軽い音を立てて二つの人影がタイルの床に着地した。
「怪我は、・・・あるようだな」
錬治はざっと熊田達を見て、一人半状化した警官に目を留めた。
「どうした?おぉ、こりゃまじいな」
竜哉が駆けつけ、錬治と同じように眉をしかめる。
「治せるか?」
「どうだろう。時間をかければ治るけど。妖を取り込むことになるから、後遺症がでるな。・・・命には代えられないけど」
後半は熊田を見てつぶやくように言う。
「・・・頼む」
その意図をくみ取って、竜哉に向かって頭を下げる。
「じゃあ、俺は治療に専念するけど、ひとりで行けるか?」
「問題ない」
錬治は気負うでも、緊張するでもなくいつも通りに返す。
「封魔の術式が完成するまでなら、いくらでも時間稼ぎできるさ」
微笑しながら、刀を引き抜く。鞘は、ベルトに挟み固定して動きの妨げにはならないようにする。妖は再びそそり立っていた。黒い眼がどんよりと曇り、錬治を見据えている。
その視線を受け止め、一歩前に出る。
妖の前には、赤い水が集まっている。その水が、本体と融合し、全体が赤く染まる。まるで、血の池のようだ。
「スゥー・・・」
鋭く息を吐き出し、妖との距離を一気に詰めた。
「おい。聞こえるか?意識はあるな?」
竜哉は妖を錬治に任せ、警官を治療するために傍らに膝をついていた。妖の一部だった赤い水は、警官の下半身をすっぽりと覆っている。生きていること自体が奇跡に等しいその光景に、竜哉は慌てることなく警官に話しかける。はたして、反応があるか。
「・・・・・っ」
反応はあった。
「よし。そのまま、意識は保っとけよ。今から助けてやるけど、お前自身の意識がなかったら助からないからな!わかったか!」
竜哉は密かに返る声を聞いて袖を肩口まで引き挙げる。
「そんじゃ。あんたたちは、周りを警戒しててくれ。余裕があったら、錬治の援護をたのめるか」
「ああ。・・・助かるのか?」
熊田は竜哉の隣に立ち、錬治の戦いぶりを見る。まわりの警戒も怠らないあたり、さすがベテランの刑事といったところか。
「助けるよ」
熊田の問いに、錬治同様気負うことなく答える。
その言葉に、熊田は竜哉を見る。その顔は、驚きと頓惑だろうか。筋金入りに退魔士嫌いとして有名な熊田にとって、竜哉や錬治のような退魔士は信じられないのだろう。
「頼む」
熊田はその言葉を自然と口にしていた。
「おう」
竜哉は気負うことなく答える。
胸ポケットから、小さなペンナイフを取り出した。柄には細かくも美しい龍の柄が彫りこまれている。
ペンナイフで右掌を十字に切り裂く。薄くではない。深く肉を切り裂いた。
血がしとどに流れ出し、液状と化している妖の一部の上に落ちる。そのまま、解け入る。赤い水の中では、目立たないがかなりの量の血が滴り落ち、妖と溶け合う。ばかりか――
―ずぷっっ
右腕を妖の中につきいれた。
「ちょっと!?」
「へーき、へーき。ちょっと痛いけど」
沖田が驚きの声を上げたが、当の竜哉は気にした風もなく、ずぷずぷと腕の半ばまで妖の中に沈ませていく。右手は妖の中、左手は警官の額のあたり10㎝上空にあてている。
「痛いのはお互い様だからな?」
竜哉が言い終わらないうちに、警官と同化していた妖の表面が波打った。
「―――っ!!!」
絶叫こそあげながったが、警官の体が激しく痙攣する。
竜哉も苦しそうに、表情をゆがめた。
錬治は、触手のように伸びてくる水を切り裂き、まっすぐ進む。
波紋刀は、刀そのものが微細な振動をまとっている状態にある。その刃に切られた水のツタは水滴以下の粒となって、蒸発するように消えていった。
本体に三歩踏み出せば届く距離。刀を伸ばせば、一歩踏み込めば届く距離だ。
―たん
直線に進んでいた軌道を、唐突に右にずらす。
錬治がさっきまでいた場所に、幾つもの水のツタが生えていた。
地面の下を進んできたのだろう。気づくのが数秒遅れていたら、串刺しになっていたところだ。
錬治に焦りはない。死にそうになったからといって、思考を鈍らせることは、それこそ死を意味することだと知っているかだ。
「・・・あっちも本腰いれたか。なら、こっちも本気で行かないとな」
雨の影響で滑りやすくなったタイルの上で、危なげなく高速で動き続ける錬治。後方の気配を感じて、逆さにしていた波紋刀を正門に構える。
正門に構えた瞬間、錬治の気配が一変する。その気迫に、妖が戸惑うように身震いした。
「詠唱は、もうしばらくかかるか・・・」
煉を見て、ぽつりに漏らす。
もともと高度で難しい術式だ。それを、この一瞬に行おうとする行動力は褒められるが、実力がともなっているかというと、否と答えるしかないだろう。時間がかかりすぎている。
―完成させるだろうけど、な
まだ、妖と闘い始めて10分も経過していない。それなのに、煉は極度の疲労で随分と痩せこけてみえる。体力、精神力ともに犠牲にし、封魔士が扱う可能な限りの力を注ぎこんでいるのだろう。もしかしたら、命すらなげうつ覚悟をしているのかもしれない。
「なら、俺も全力を持って挑まないといけないだろうな」
刀を正門に構え、錬治は動く。その動きに合わせ、妖も飛沫を飛ばす。飛散した赤い水は鋭い刃へとかわり、幾筋も錬治を刺し貫こうと迫る。錬治は、そのすべてを回避するでも撃ち落とすでもなく、正門に構えた刀を上段から下段に振り下ろす。
波紋刀。
その刀は、物体・無体かかわらず振動を与える。錬治が起こした変化は、飛来する水の刃を無散させただけでなく、妖の本体に熱を与えた。
水の妖は熱さを感じたわけではないだろう。しかし、己の体を構成する水が不快な揺れを生んでいることは認識した。それが、引き起こそうとする現象は分からないまでも、本能が警告する。
逃げろ、と。
―トン・・・
妖が本能の警告通りに動くよりも先に、錬治は軽いステップを踏んだ。
ほとんど、一瞬で妖との距離をつめた錬治は、波紋刀で十字に切り裂く。しかし、それは傷になることなくずぷずぷと隙間を埋める。
―ガポ がぽ がぽ ガポッ
十字に切り裂かれた傷が回復するのを待たずして、水の妖は体から蒸気を吐き出しながらのたうつように、体を激しく振り分ける。
「終わりだな」
錬治がそうつぶやくと同時に、朗々と夜空に響き渡っていた詠唱が止み、露天風呂の石垣の表面から幾条もの光が伸び出し、妖を捕える。ばかりか、締め上げ錬治が与えた振動に同調して、妖の体を蒸発させようと光量をます。
―除殺の術
大串煉は妖を“封結”するのではなく、“滅死”させる術を編んでいた。すなわち、妖を排除し殺す術である。苛烈であり、その術をなし得る術師は5人といないだろう。
光のツタは一気に白熱し、あたりを白に染め上げた。
熊田と沖田、他の警官も余りの眩しさに腕をあげて目をかばう。近くにいた錬治も同じように目を閉じる中、この術をなしえた煉をみる。
詠唱を読み上げ、術の完成をみることなく気を失って倒れる姿があった。そして、目も開けていられない光の中であっても、愛しい人が懸命に人命を助けようとしている姿を文字通り目に焼き付けるように、その一瞬だけでも見守るように見つめた。
光は数秒で収まった。
続いて、ざあぁと滝のように水が落ちる音があたりに響く。
「お、わったのか・・・?」
「その、ようです、が」
沖田は、竜哉が治療していた警官を振り見る。
「・・・治ったの」
茫然と、呟くというよりも息とともに吐き出された言葉には、驚愕が込められていた。
「だいたいな。でも、妖の一部を取り込ませて体を再構成したから何かしらの影響はでるけど」
沖田の細い言葉を拾って竜哉が答える。
今や警官は、形が失われていた両足と腰の部分が元通りに再生されていた。どうやったのか服までも再構成されていたが、短時間の早技といえる。警官自身の呼吸もとぎれとぎれの絶命ではなく、正常を取り戻していた。
「・・・これは、すごいな」
「だろぉー」
得意げに胸を張るが、さすがに疲れたのか声に張りがなかった。
「すんだか?」
「なんとか。だけど、一回本部まで来てもらうことになる。健康診断?してもらって、体の異常を、調べない、と・・・」
最後の方は、疲れたようにしぼんでいった。
「っと」
傾いた竜哉の体を錬治がそっと支える。
人の、しかも下半身の再生はさすがの竜哉にも応えたのだろう。時間をかけすぎれば、警官の命はなく、逆に早く治療をしては雑になってしまう。
早急に人体の再生を行うなど、人間業ではない。妖の一部を巻き込みながらの再生ということは、人体に悪影響を与えることにもなる。それを最小限にとどめたことも、ひとえに竜哉の力量によるところがおおきい。
「ひとまず、旅館の中に」
熊田は倒れたままの警官二人を運ぶよう指示し、錬治を促して旅館の中に入って行った。
分厚い雲の切れ間からは、ほんの少し星と月の明かりが差し込んでいた。
休暇の最終日(三日目)。朝に目を覚ました竜哉は、同じく起きていた錬治の顔を見た。
「おはよう」
「・・・・・・・なんで隣にいるんだよ」
「一緒の布団に寝たから」
「―――・・・・」
言いたいことは色々とあったが、とりあえず起き上がることにした。
「って、おい!」
上体を起こしたところで、腕をひかれて再び布団の中に戻ることとなった。布団の中というよりも、錬治の腕の中といった方が適切か。
「なんだよ」
毒づいて言うものの、竜哉は抵抗しない。
「たまにはいいだろ。それより、あれから誤解は解けたぞ」
「誤解?」
「血液反応のことだ。誤報だったそうだ。鑑識の」
「・・・なんでまた」
「連れてきた鑑識管が徹夜明けだったらしい。眠気のあまり、逆の報告をしてしまったそうだ」
「人騒がせな。なら、俺たちが犯人探しすることなかったじゃないかよ」
「捕まってたら、誤報だったと知らされるのは休暇明けになってたかもしれないぞ?」
「・・・それはイヤだな。」
竜哉は大きなため息をつく。
「まったく、せっかくの貴重な休みなのに・・・」
「これは、これで満喫できたんじゃないか?」
「ポジティブすぎるだろう」
びしりと錬治の肩に突っ込みを入れる。
「ま。これも、ありかもな。つーか、さっさと離せ。朝飯食えなくなるだろうが」
「・・・そのことなんだが」
「なんだよ・・・?」
「正体、がばれて。まぁ、当然だけど。誤魔化せなくて、てか、勤勉実直な刑事さんたちばかりで。まぁ、つまりは警察にこれから行くことになった。・・・・というか本部」
「・・・・・・・うそーん」
錬治は苦虫をかみしめたような顔で、竜哉に告げる。
竜哉は、刑務所に進んで自ら出向く犯罪者のような気持ちになった。
竜哉が気を失った後、錬治と熊田、沖田は臨時の作戦室にいた。
初めに話を切り出したのは沖田刑事。
「じゃあ、貴方達のことはこちらで伝えておきます」
「・・・・・何を、です?」
沖田が言った言葉ははっきりと届いたはずなのに、錬治は頬を引きつらせながら再度問う。
「?退魔士として、我々に協力したことを」「止めてください!」
「え?え?」
沖田は、錬治の剣幕に戸惑う。
それもそのはずだろう。報告義務は、退魔士でも同じだ。それなのに、報告するなと言っているのだから。
「俺たちは今休暇でここにいます。下手に仕事に関わったと分かると色々とうるさいんです。今回のような、その、協力であっても規則で縛られています」
「つまり?」
「・・・・・貴方達でいう、違法捜査並みに禁止されています。少なくとも、報告なしの独断で行ったので・・・・・・・・」
錬治は自分で言っていて悲しくなってくる。自由がない。本当にそう思う。自分の力を自分の意思で使えないことが空しい、なんて。
「だが、こちらも報告しないわけにはいかない」
そこに、熊田が割って入る。
「・・・・外との連絡はこの中で通じなかったのでしょう?なら、話を合せるので、報告の内容を」
「そんなことが」「お願いします」
錬治は、熊田が言い終わらないうちに直角に腰から頭を下げた。
「・・・」
熊田はその態度に目を丸くする。どうしてそこまで・・・。と考えているのだろう。それは、錬治と竜哉にとってすれば、3日間の休日というのは破格なのだ。それこそ、1年間で一度あるか、ないかというほどに。
退魔士に通常の労働基準法・労働三権など認められていない。公務員以上の年収は約束されているが、破格の労働条件が付けられる。退魔士が守るべき労働基本法・労働三権は別に整理されているから、法的に守られていないというわけではない、が―――
休みは半日が基本。一日または一日以上の休暇など普通取れるわけもなく、有給休暇など噂でしか知らない。ストライキ?なにそれ、存在してるの?GW?盆休み?長期休暇ーぁ?それって、どこの理想郷の話し?と、いった具合なのだ。
だから、残り一日とて貴重な休みをつぶすわけにはいかない。
三日間という休みは奇跡以外ありえないのだ。
「・・・・妖を一部とはいえ取り込んだ警官のこともある。お前たちが来てくれなければ分からないのだ。ただ、それ以上は拘束しない」
「・・・わかりました」
熊田なりの譲歩なのだろう。
錬治はやや納得できないまでも、頷いた。
「――ということだ。・・・その、本部まで行っても誤魔化せると」
「・・・・・・・」
無言の竜哉に錬治は困ったように目線を泳がせる。
「・・・・・・・・・・・・・まぁ。仕方ないっか。あの、警官のことは気になるし」
「すまない」
「何で謝るんだよ。別に怒ってないからな」
竜哉は苦笑いする。そして、そっと錬治の頬に両手を添える。
「すぐ行って、家に戻ってのんびりするのもいいかも、な」
「ああ」
竜哉の微笑に、錬治も笑って返す。
二人の休日はまだ、終わっていない。
3日の休日を明けて、滝川竜哉と十文字錬治は退魔士の本部であり、仕事場にいた。仕事場といっても、上司の執務室に呼び出されていた。
「「「・・・」」」
執務室に通されても、二人と上司は無言。
錬治と竜哉の上司、名を東堂杜隆という。
東堂は、二人を前にひたすら書類をめくっていた。
―ぱら ぱら ぱら ・・・
無言は10分にも及んだ。その間、二人からの質問はない。この状況に緊張も焦りもない。つまり、いつものことなのだ。
竜哉は窓の外をひたすら眺め、錬治は目をつむり瞑想している。
「―――さっそくで悪いんだが」
「さっそくも何も、結構時間経ってるけど」
「気にしてたら、結婚できないぞ?」
「・・・なんのこっちゃ」
「でだ」「無視かい」「お前たちには、警察庁に行ってもらう。そこで、まぁ適当に頑張ってくれ」
「いい加減にもほどがあるぞ!?」「つまり、何をすればいいんですか?」
竜哉がツッコミ、錬治は頭が痛そうに顔をしかめて問いかける。
杜隆という人間は、こういった人間なので諦めるしかないと学習している二人だが、さすがに呆れるを通り越し厭きれるしかない。
「つまりですね~。我々、退魔士協会と警察が協力関係を築くために~、試験用としてあなたちに~、警官たちと妖関連の捜査を担当してもらいたいのですよね~」
語尾を妙に伸ばして話す赤い縁の眼鏡をかけた、ベリーショートの女性がにこにこと説明を始めた。
「永らく~、妖関連の事件とみられる案件も警察だけが追いかけてたんですけど~、近年増加傾向にある~妖関連の事件をこちらと協力するにあたって~、まずは下準備として~、一組派遣して~、どういった体制をとればいいかの試験作として~、二人には警察庁に行ってもらいたいんですよ~」
ここまでの説明を、のんびりマイペースに説明した女性、名を森葉子という。しゃべりは遅いが、仕事は迅速がモットーの彼女が言うのだから間違いないだろう。椅子にどっかりと座ってお茶が美味しいよ、さすがだね、といっている上司よりも有能だ。
「わかった」「了解だ」
「でも、なんで俺たち?」
「なんでって、先方と知り合いだって聞いたから」「それと~、あなたたち以上に有能な人材はいないから~、ってこの人が」
そういって、葉子は杜隆を指さす。
「あれ、そんなこといったけ」「言いましたよ~。私は、反対したんですけどね~ぇ?」
杜隆の言葉にきらりと眼鏡の縁を光らせて、葉子は笑った。
錬治と竜哉は執務室を出て、自分たちの部屋へと戻ってきていた。ここ、退魔士協会=本部の中では、基本二人一組、もしくは三人一組で行動することになっている退魔士たちの部屋がそれぞれ用意されている。オフィンスのビル内によくある、幾つものデスクが固まっている部屋は情報統括室ぐらいだ。
退魔士はそれぞれの相棒と同じ部屋で仕事の話や、書類を確認後、現場に向かう。デスクワークなどはもっぱら事後報告が多い。仕事部屋として与えられる部屋は内装自由、仕事と関係ないモノも持ち込んだとしても十分スペースがとれる造りになっている。そのため、マンションや家がなくとも、一通りそこで寝起きができ、共同浴場は地下3階に作られ24時間使うことができる。食堂も備えられ(時間が決められているが)、娯楽施設は少ないが本部内でも十分生活できる。
「あ~あ。なんか厄介な仕事押し付けられた気がする」
「妖だけならまだしも、普通の人と協力することになるとは。考え方から動き方も違ってくるというのにな・・・」
「そこら辺のことも含めての試験ってかぁ」
錬治は渡された資料を開ける。どのち道、仕事を放り投げることはできないのだ。
「「・・・」」
「ご無沙汰してます」
「せっ、先週はありがう、ありがとう、ございまっす!!」
沖田牧と大串煉は、錬治と竜哉に向けて頭を下げた。沖田と煉はスーツ姿だが、錬治と竜哉は私服だ。もともと退魔士用の制服は妖時との戦闘以外で着ることは少ないのだが、警察内しかも奥の応接室となるとかなり浮いて見える。
「俺も、命を助けてくれてありがとうございます。いやー。あの時に死ぬしかないって、正直諦めてましたから」
そういって、爽やかに笑っているのは妖に体を半分と化された警官、名は岡田巧。刑事ではなく、巡査官なのだが、先週の事件を経ての身体検査の結果を考慮して、今回の退魔士協会と警察庁の協力試験に加えられることとなったのだ。
「遅れてすまない」
そう言ってはいてきたのは、熊田建悟朗。相変わらずのしかめっ面だ。しかし、その後ろから入ってきた女性は――
「どうせなら、性格も直してもらえばよかったのよ!」
挨拶の代りに巧を蹴りつけた。
「ちょっ!痛い、痛いってば!!」
げしげしと8回程度蹴りつけた後、竜哉たちの方に向き直る。
「私は沖田佳苗と申します。宜しくお願いします」
そう言って、丁寧に頭を下げた。佳苗の横に並ぶようにして、錬治と竜哉を出迎えたもう一人の女性が自己紹介を始める。
「私は沖田牧。この子の姉です。先週はありがとうございました。今日からお願いいたします」
これまた丁寧に頭を下げる。妹である佳苗よりも、背が高く生真面目な感じがするが、とても有能そうだと竜哉は思った。
「ぼ、ぼ、僕はっ大串、煉っと申しまっす。よ、よろしく、お願いしますっっ」
かなりつっかえながら自己紹介をするのは、“除滅”の術式を行っていた若い刑事だ。がちがちに緊張しているところを見て、錬治は不思議そうに眉をしかめる。どう見ても高位の術師には見えない。
「俺は、岡田巧。巧でいいよ。同い年ぐらいだよね。敬語いらないっしょ?」
沖田佳苗に足蹴にされていた若者が軽快にこたえる。かなり馴れ馴れしいが、素がいつも出ている状態なのだろう。妖の一部を取り込んだというのに、能天気な若者である。
「熊田建悟朗だ。先週は世話になったな。今回の協力関係がうまくいくかどうかわからんが、宜しく頼む」
あいかわらずの無愛想だが、きっちりと頭を下げる姿は錬治と竜哉のことを認めている証といえるだろう。
「滝川竜哉だ。多分あんたと同い年かな?階級はSクラス。竜神の血脈を継いでいる。色々あると思うけど、よろしく」
巧の性格は自身と似ているところがあるので接しやすいと感じたのか、同じように軽く自己紹介をした。
「俺は十文字錬治という。階級は竜哉と同じSクラス。神着流派の正当後継者のうちの一人だ。こちらこそ宜しくお願いします」
錬治は律義に頭を下げる。波紋刀は、入っている紫色の竹刀袋を肩にかけるようにもっている。愛刀は例え外国に仕事に行くことになったとしても、手放すことなく手持ちで運んでいるのだ。
こうして、彼らの仕事は思いがけない縁をたどってスタートしたのである。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
連載ではなく、一息にまとめて長くなってしまいました。
つたない戦闘やほんのりラブもありますが、読んでいただき、誠に感謝、感謝です。もしよろしければ、誤字脱字などがありましたら、報告をお願いいたします。