解決
昴の一撃は、重かった。紫苑は防護壁を最大限に出した。少しでも気を抜けば壁は簡単に破られ、あっという間に風に食われるだろう。風は、主人の敵を切り裂くために、妨げとなっている壁にくいつく。
一秒でも早くこの押し合いが終わればいいのに、と紫苑は頭の隅っこで思った。最後の一撃というにふさわしい攻撃だった。窮地に追い込まれたネズミは、ネコをも噛む。この一撃で終わらなければ自分の安全は保障されない。だから、昴はここまで必死になれるのだ。しかし、だからといって紫苑も妥協してやるつもりはない。市民の安全を守るために、引き下がるわけにはいかない。
「紫苑さん、がんばです!」
横から、セリカの声援が聞こえた。できれば防護壁を昴の一撃よりも長く保つために集中していたいが、この際気にしないことにする。
「くぅ……。コードナンバーG-002レベル上昇9から99へ。データ入力完了、出力。最大」
紫苑は早口で防護壁の強化を促す。最大出力をしてしまった以上、効果が切れれば副作用が紫苑を襲い、普段よりも何倍もの鈍くなる。そのあとは、セリカに託そう。
「……ちっ」
昴の風が、かき消えた。一瞬の好機を、セリカは逃さない。風と防護壁が同時に消えたのを見計らって、一瞬で昴との距離をゼロにする。懐に潜り込まれた昴は、頭で認識できても体がついてこなかった。
セリカは昴の右手に握られていた刀をはたき落とした。刀は、昴の手を逃れて地面に叩きつけられ、からんからんと軽快な音を奏でる。
そのまま、はたき落とした手で昴の右手首をがっちり掴み、昴を背負い込んでそのまま投げる。辻斬りの右腕を掴んだまま。
昴の世界が、一回転した。回転が終わって見えた景色は、半月の明るい夜空と、小さな、漆黒の少女。
その少女は、華奢な足を重たそうに動かしながら、ふらふらしながらそれでもこちらに迫ってくる。肩が上下している。二度ほど、ばったりと倒れそうにもなった。
「藤枝昴。殺人未遂に公務執行妨害その他いろいろと罪状はあるけれど、以下省略で逮捕します」
辻斬りはセリカに投げ飛ばされてから大した抵抗もせず、大人しくお縄についた。しゃがみ込んだ紫苑が、昴の手首に手錠をかける。すぐに、紫苑は立ち上がる。
「セリカ、悪いけど昴とリオンを頼むわね」
「え? 構いませんが、どこかへお出かけですか?」
「ええ。ちょっとね。どうしても行かなくちゃ行けない場所があるの」
紫苑はそれ以上会話する気がないらしく、セリカに有無を言わさずさっさと言ってしまった。
半月の夜、彼の行きつけの酒場。
雇った傭兵二人は、金を受け取ったら、依頼を必ず成功することで有名だった。契約をした時、二人は確かに彼のなけなしの全財産を受け取った。つまり、彼の願いを叶えてくれるということに他ならない。
彼の願いは、魔女を始末すること。傭兵二人は、それを約束した。
今まで弱小ファミリーに甘んじ、大した利益も得られない屈辱的な日々を送っていたが、それもこれで最後だと彼は思っていた。彼らに破格(彼にとって、であって、客観的に見れば取るに足らぬ額ではあるが)の報酬を与えたため、今は懐が寂しいが、それもすぐに終わるだろう。魔女を葬った者として、その世界では有名となり、多くのファミリーを従わせることができるだろう。そう考えると、笑いが止まらなかった。
ここまで露骨に有頂天になった彼を、恐怖のどん底に落としたのは、葬られるはずだった者だ。
酒場のドアが開く。酔っていた彼は、一瞬だけ危険の認識が遅れた。その一瞬は命取りだった。その訪問者が何者であるか、頭が確認した頃には、酒場の客は全員逃げていた。店主も、裏口から逃げたらしい。この場には、その訪問者と彼しかいなかった。
訪問者は、ゆっくりとではあるが、まっすぐ確実に、彼に近づいてきた。彼は、手中で弄んでいたグラスを、床に落としてしまった。
理解できなかった。自分の願いが叶わなかったのだと。なぜだなぜだと頭の中に疑問が駆け巡るが、本能が逃げろと命じ、体を動かそうとした時には、もう遅かった。
「あなたを、逮捕します」
魔女は、人生でこれほどまでに怒りを全身で表したことはなかった。その表情はまさに般若のよう、小さな白い両手は、ぶるぶると震えながらぎゅっと握りしめられている。一歩一歩近づく足音は、獲物を威嚇するかのように響き、恐怖に支配された彼を、特徴的な漆黒の瞳はにらみつける。
魔女は、何人たりとも逃さない。
数日後、ランチェスターファミリーは壊滅。雇われていた狙撃手と辻斬りも、法に則って裁かれることとなった。二人は現在懲役中で、紫苑もしばしば面会に行っていた。
昴とエミリオは、面会に来た紫苑にいつも皮肉を吐いてばかりで、なかなか反省の兆しが見られなかった。恐らく、晴れて自由の身となったら、また同じ仕事に足を突っ込むのだろう。本人たちからその言葉を聞いていたし、交わした会話から、まっとうな仕事を探すとは感じられなかった。
友人が人の道から外れたら、衝突してでも友人を人の道へ戻すのが友人である、というのが、紫苑の信条である。紫苑はそれに従って、自分が彼らから何を言われようとも、彼らを更正するつもりだった。荒療治ではあったが、紫苑はそれを遂行した。
彼らを人の道へ連れ戻すために使った特効薬は、彼らを家族と面会させることだった。
昴は母と、エミリオは恩人であるロックウェル兄弟と。
この効果は覿面だったらしく、その面会から更に数日経ったあと紫苑と面会しても、彼らは皮肉を言わなくなった。代わりに、さんざん軽蔑されたが、友人がまっとうな人生に戻ることができるなら安いものだった。
その面会の際、昴とエミリオは紫苑に問うた。
「な、紫苑。やっぱりお前は魔女なんじゃないか? 人間じゃなくてさ、本物の魔女」
「そうそう。魔女はなんでもお見通しってヤツ? 僕らの牙をここまで徹底的に抜くなんてさ」
紫苑は答えた。
「わたしは、自ら魔女だと名乗ったことは、一度もないわ」
紫苑の能力を恐れた者が、思い込みで勝手に彼女をそう呼んだだけのことなのだ。昴は苦笑した。
「確かにな。でも、やっぱお前は末恐ろしいよ」
「お褒めの言葉、恐れ入るわ。それより、早い社会復帰を祈っているわ、友人として」
「あは……そりゃどうも」
面会を終えた紫苑は、外で待っていた番犬と一緒に、仕事場へと戻っていった。
ようやっと完結しました。長かったような短かったような、初の連載に戸惑いつつ、完結できてひとまずほっとしております。
ここまでおつきあい下さり、ありがとうございました!