魔女狩りの開始
最近、弱小といわれているランチェスターファミリーが、好き放題に暴れているとの情報を得た。紫苑たち取締課のメンバーは彼らを逮捕するために、それぞれ万全の準備を行う。そのファミリーの戦力となっていたのは、奇しくも紫苑のかつての学友、藤枝昴とエミリオ・グリニッジだった――
深夜、半月でも充分道が分かるほどの輝きである。夜道は気をつけろと言う警告を無視して、その傭兵二人は待ち合わせ場所の酒場へと真っ直ぐ進む。到着した酒場には、ランチェスターの幹部が数人待ち受けていた。
傭兵二人とは、藤枝とグリニッジである。紫苑の学友であるはずの二人に、彼女の仲間の面影はみじんもない。『仕事』の顔だった。
「依頼は?」
グリニッジは即座に問うた。
「魔女を始末して欲しい」
「魔女お? こんなご時世にまだそんなレトロなもんが生き残ってんのかよ?」
「ただの比喩でしょ。どんなに秘密にしたり隠したりしていても、絶対に暴かれてしまうから、恐ろしくてつけたあだ名だよ。それに、このご時世に刀を持ってる君の方がよっぽどレトロだよ」
グリニッジは嘲笑を含めて藤枝に説明してやった。
「なるほどねえ。で、報酬は?」
「その小切手に好きなだけ書き込めばいい」
「弱小だったファミリーが言う台詞とは思えないね。ま、いいや」
「じゃ、さっそく行ってくるとしますか」
傭兵達は、報酬を確認しすぐに酒場を去った。
魔女は学友の紫苑である。しかしだからといって情が移ると言う愚行を、二人はしない。全ては仕事だと割り切っている。
グリニッジは、恩人のユウヤには秘密にしながらこの稼業を続けている。藤枝も、母の生活費を稼ぐために、内緒でこの世界に首を突っ込んだ。あのお節介な母のこと、息子がこんな仕事に首を突っ込んでいると知ったら絶対に止めるだろう。しかしまとまった金を稼ぐには、この方法が手っ取り早い。まともな職に就けず、学校へ通うことができたことさえ奇跡だった彼にとっては、邪の道も神の通り道に錯覚できた。
彼らは、偽の電話で紫苑をおびき寄せることにした。電話で、助けて、という救いを求める声と、グリニッジの作った銃声で現実味を倍増させた。仲間思いの紫苑なら、必ず来る。かろうじて今の場所を告げるフリをして、電話を切った。わざわざ、軽くではあるが怪我まで作る。
「昴! リオン! どこ?」
ほら、来た。
「紫苑! 来てくれ」
「そっちね。今行く」
紫苑は声と半月の明かりを頼りに、二人のもとへ駆けつける。すでに二人は、誰かに負傷させられている一般市民の化けの皮をかぶっていた。
「紫苑……」
「大丈夫?」
「うん。かすっただけ」
「そう。救急車を呼ばなくちゃね」
「いや、それほどの怪我じゃない」
「分かった。手当てしなくちゃね。それと悪いけど、どんなことがあったのか、分かる範囲で構わないから話してくれる?」
「ん。……二人で、この道を歩いてたら、いきなり銃声がして、腕を怪我して」
「犯人の顔は見なかった?」
「悪い。暗くてよく分かんなかった。……なあ、悪いけど、手え貸してくんねえ?」
こちらを必死そうに見上げているかつての学友二人をじっと見下ろす紫苑は、しかしそれを断った。
「できないわ」
「はあ? なんで」
「それが嘘だって分かってるから」
紫苑は回りくどい警告をした。
「その怪我、きっとわざと作ったんでしょう? 不意打ちも嘘ね」
「紫苑……、何言ってるの?」
「回りくどくてわかりにくいなら、はっきり言ってあげましょうか? あなたたち、わたしをここへおびき出すために一芝居うったのよね」
紫苑は学友二人にはめられた最中でも、表情を崩すことはなかった。
「何言ってんだよ。俺たち襲われたんだぜ? 随分ひでえ言いがかりじゃねえか」
「かすり傷でも銃で撃たれたのなら普通医者へ行くものよ。それに、撃たれたって言うには、弾丸が見あたらない。火薬の匂いもしない。暗くてよく分からないなんて、嘘が下手ね。こんなに明るいじゃない。リオンは夜目が利くし」
紫苑は二人が立ち上がるのを見て、二人からゆっくり距離をとる。彼らの化けの皮は、魔女によって見事にはがれた。
「いつから分かってたの?」
「紅茶を飲んでた時から。リオン、わたしが独自に情報ルートを持ってるって言ったわね。誰からそれを聞いたのかしら」
「そりゃ風の噂で」
「……あなた、嘘も言い訳も下手ね。わたしが、特別なルートを使って情報を得ているってのは極秘なの。このことを知っているのはわたしの属する管轄の人だけよ。しかも、彼らはこれを誰にも言わない義務を課せられているの。つまり、どういうことかは分かるわよね?」
「後ろ暗い人間だけが、お前の秘密とやらを知ることができるってか」
「そういうこと。わたしを騙しておびき寄せたつもりだったんでしょうけど、甘いわね。わたしに下手な嘘や演技は通用しないわよ」
紫苑は容赦ない。常に無表情で、何を考えているのかわからない。だけど、人の嘘や本心を見抜く術を持っているのだから、味方になれば頼もしいが敵に回すとおっかない。学生のころから、それは嫌というほど思い知らされてきたというのに、それを自分たちは忘れてしまったのだろうか。
藤枝は、ふっと鼻でひとつ笑い、すっと立ち上がる。
「やっぱ、魔女にはすべてお見通しってわけか」
「どうかしらね」
「で? 正義の味方は、悪に堕ちた友達を断罪するってことか」
「そういうことになるんじゃない」
紫苑は、武器を手に持ちいつでもこちらに攻撃できる状態である二人から、少し距離をとる。この二人の戦闘能力の高さは知っている。とくに、グリニッジには紫苑にとって相性の悪い相手だった。
「わたしは、麻薬取締の者。あなたたちは、麻薬密輸をしている弱小ファミリーに雇われた傭兵。まごうことなき、敵同士ね」
「それで、紫苑はどんな策を練ったのかな?」
グリニッジの手には愛用の拳銃が握られている。銃口こそ紫苑に向いていないが、仕事人の顔に変貌した彼は、紫苑を威嚇させるに充足している。
「ないわ」
紫苑はあっさりと無策をさらす。
「はーん? さすがの魔女も、俺達にはお手上げってか?」
「いいえ。最後の最後まで、信じていたから」
紫苑は休まず距離を置く。藤枝は、紫苑の返答に少し驚いた。紫苑ほどに頭の切れる人間なら、さっきの電話にだって不審さを抱くのは当然である。正直、電話でおびき寄せる方法で紫苑を罠に引っかけることができるとは考えていなかった。どこか別のファミリーと紫苑を接触させてどんちゃん騒ぎしているところに紛れて狙撃してしまう方が楽だったとさえ考えている。
「残念だね、紫苑。敵に情けをかけたらだめだって、僕があれほど忠告したのに」
「覚えてる。でもね、友達っていうのはそういうものよ」
「じゃ、その友達に殺される運命を呪いな。じゃあばよ」
藤枝は、紫苑がせっかくとった距離を一気に縮めた。左手に鞘、右手には柄が握られ、射程範囲内に入ったと直感し、すばやく刀を引き抜いた。
刀から、一陣の風がぶわっと生み出された。藤枝の持つ刀は、妖刀として恐れられた代物である。その刀身には常に風が共にあり、その風が武器になる。刀自体が相手に届かずとも、風がぶうんと突撃してくれる。
紫苑は風によって視界が悪くなったのを見逃さない。一目散に逃げ、彼らから離れようと全速力で走る。運動向きではない彼女にとって、長時間のダッシュは苦痛でしかない。しかし、そうでもしなければ死ぬ。携帯電話を右手に握りしめ、画面には目もくれず、それでもかけたい相手の電話性格にに通じさせた。
『お嬢か』
「凪? 今どこかしら」
走っているせいで、まともにしゃべれない。
『市内の見回りに出ている。今、ちょうと役場の前を通った』
「役場前? 外にいるのね?」
『そうだが、どうしたんだ?』
「今ね、昴とリオンに追われているの。できれば助けに来てほしいの」
『わかった。いつでも、俺を呼ぶといい。必ず駆けつける』
「頼もしいわ。それから、セリカとリリスにも連絡お願いね。今はまだ大丈夫だから」
『心得た』
紫苑は電話を切った。
自分の体力が二人にとうてい及ばないことは痛いほど承知している。なるべく体力を温存しつつ、相手をひっかきまわす。この市に配属されてから、紫苑はまず土地感覚と地理を頭に叩き込んだ。市民ほどではないが、現在相手にしている二人よりはここに詳しい自信がある。
人の通り道をなるべく避ける。そして、足場の悪い砂利道や、建物と建物のわずかな間を選ぶ。時には、らしくもなくブロック塀を飛び越えた。当然、かなりの時間と体力を浪費した。威嚇の銃声で相手の位置を大まかに確認しながら、次の悪路を目指す。
「……コード入力。タイトル『脚力上昇』。レベル二。有効時間六〇秒。……コード出力開始」
何やら怪しげなぶつぶつ独り言。凪との会話を終えてもまだ握りしめていた携帯電話の先を、笑っている自分の足に向ける。赤外線レーダー先から光が一迅真っ直ぐに紫苑の足に当たる。光が消えると、紫苑の足は笑うどころか、まだ走りたりないとでも言いたげな元気さを取り戻していた。
この、紫苑にとってありがたい魔法のような術は、一分しかもたない。一分を過ぎると効果は切れ、普段よりも愚鈍になる。
紫苑は高く跳躍する。トレードマークの黒髪が、空に舞う。民家の屋根に着地する。そこから、銃声と刀の生み出す風を探す。見つからない。案外、近くに潜んでいるかも知れない。隣の屋根に飛び移る。背後から刀を抜く音が微かに聞こえた。普段の自分ではありえない脚力で、紫苑は高く高く飛び上がった。
自分が直前までいた場所に、刃となった風が俊速で通り抜けた。あれをまともに受けたら全身斬り刻まれていた。屋根に着地し、背後をさっと振り向いた。もう藤枝が追い付いてきている。ここで貴重な一分間を無駄にはできない。紫苑は藤枝から距離を置くべくもう一度跳躍した。着地の先の街頭は、もう寿命なのか時々灯りがぶつ切れる。
もうすぐ一分が過ぎる。ただでさえ運動に弱い自分が、これ以上鈍くなれば致命的だ。次の着地点を決めなければ。とっさの判断なら、優れている。
「そーれ」
真下から、藤枝の気の抜けた声がした。ふっと下を見下ろすと、紫苑はらしくもなく顔色を紫色に染めた。
「やめて!」
紫苑の叫びは届かず。藤枝の持つ刀が鞘から瞬時に抜かれ、外灯の根を両断した。
足場がぐらつく。心なしか、体が、特に両足が重い。空にふわりと浮いたような感覚。夢でよく見た、背中の感触が急になくなって、ふっと落ちる感じに似ていた。下には、刀を構えて待ちわびている敵がいるというのに。
紫苑はぎゅっと目をつぶって、思わず再び叫んだ。
「凪!」
おそらく、この無防備な状態をグリニッジが遠くから狙っている。彼の狙撃の腕はもう嫌と言うほど知っているし、グリニッジならこうするだろうという予想がついた。二人の敵から自分を守るには、自分を守ってくれる番犬ともいえる彼の助けを呼ぶしかない。
遠くで、銃声が響いた気がした。刀を鞘から素早く抜く音が、耳のすぐ近くでした。だが、その攻撃を受けた感覚は、しなかった。地面に体を叩きつけられる衝撃もなかった。
「お前っ」
藤枝は少しだけ驚愕する。紫苑を抱きかかえて庇いながら、右腕一本で自分の刀を少女から守り、その胴体を張ってグリニッジの弾丸を防いだその男。黒衣に身を隠して、胸元から(こちらからは見えないが、グリニッジの弾丸の軌道上、背中も)どす黒くなった血を流しているその男。右腕は刀に斬られ、胴を撃たれても、痛がる様子を見せることのないその男。
天草凪が、飼い主の呼びかけに応えた。
連載二話めです。ところで、バトルはいいですねえ。ハリウッドでもアニメでも漫画でも、バトルがあるとわくわくします。
このお話は、もう少し続きます。最後までお付き合いくださいませ。