空を見上げて
久しぶりの休日だった。
いつもなら、家でゴロゴロして終わる一日。
動画を見たり、少し昼寝をしたり。
気づけば夕方になっていることが多い。
でも今日は、窓から差し込む初夏の日差しが気持ちよくて、なんとなく外へ出たくなった。
薄いカーディガンを羽織って、近所の公園まで歩く。
風が心地いい。
木々の緑が、陽の光を受けてきらきら揺れていた。
社会人五年目。
いつの間にか、教えてもらう側から教える側になっていた。
後輩に説明しながら、自分の言葉がちゃんと届いているのか不安になることがある。
頼れる先輩になれているのか。
これで正解なのか。
大人になるって、もっとちゃんとしているものだと思っていた。
でも実際は、迷いながら毎日を繰り返しているだけだった。
公園のベンチに腰を下ろす。
空を見上げると、雲ひとつない青空が広がっていた。
遠くで子どもたちの笑い声が聞こえる。
近くの中学校では、野球部が練習をしていた。
「オーライ! オーライ!」
グラウンドに響く大きな声。
金属バットの乾いた音。
白いユニフォームが、眩しい日差しの中を走っていく。
その光景を見た瞬間、胸の奥がふわっと熱くなった。
懐かしい。
中学生の頃、好きだった野球部の先輩を思い出した。
放課後になると、友だちとグラウンドを見に行っていた。
フェンス越しに練習を眺めながら、くだらないことで騒いで。
「今、絶対こっち見たよね!?」
「違うし! 私見てたし!」
本気で言い争っていた。
今思えば、ちゃんと目が合っていたかも怪しい。
でも、遠くから見ているだけで幸せだった。
先輩が笑っただけで嬉しくて。
グラウンドを走る姿を見るだけで、一日が特別になる。
ただ“好き”って気持ちだけで、胸がいっぱいになっていた。
試合の日は、朝から落ち着かなくて。
先輩がヒットを打っただけで、自分のことみたいに嬉しかった。
あの頃の恋は、世界の全部だった気がする。
卒業式の日。
勇気を出して、ボタンをもらいに行った。
でも先輩は人気者で、制服のボタンは全部なくなっていた。
「あ……ごめん……」
困ったように笑う先輩。
「卒業おめでとうございます」
私は笑ってそう言った。
「ありがとう」
その言葉を聞いた瞬間、胸がぎゅっと苦しくなった。
振り返った途端、涙が溢れてきた。
帰り道、友だちに慰められながら歩く。
「そんなに好きだったんだね」
うん。
本当に好きだった。
笑った顔も。
困った顔も。
試合に負けて悔しそうにしていた顔も。
大きな声で仲間を呼ぶ姿も。
試合に勝って、子どもみたいに喜んでいた顔も。
全部、大好きだった。
ちゃんと話したことなんて、ほとんどなかったのに。
でも、あの頃の私は確かに恋をしていた。
青空を見ると、時々思い出す。
夢ばかり見ていた、あの頃。
好きな人がいるだけで毎日が楽しくて。
廊下ですれ違っただけで、一日幸せになれて。
たぶん、一番無邪気で、一番キラキラしていた時間。
その時、バッグの中でスマホが震えた。
画面には、彼の名前。
「もしもし?」
『今どこ?』
「公園で日向ぼっこしてる」
少し笑いながら答える。
『いいな、それ』
電話の向こうで、彼も笑った。
『ご飯食べに行こう』
「いいよ」
『迎え行くね』
「うん。待ってる」
電話を切る。
昔みたいに、すれ違うだけで胸が苦しくなる恋じゃない。
社内恋愛。
一緒にいる時間が長い分、ドキドキより安心の方が大きくなった。
そばにいると落ち着いて。
隣にいると、あたたかい。
頑張りすぎなくても、自然に笑っていられる。
それはきっと、あの頃とは違う“好き”。
でも、この穏やかな時間も嫌いじゃなかった。
風がふわりと髪を揺らした。
もう戻れない。
でも、戻りたいわけでもなかった。
あの頃、先輩の姿を探していたグラウンド。
目が合った気がするだけで、一日嬉しくて。
胸が苦しくなるくらい、誰かを好きだった。
今思い出しても、少し笑ってしまう。
でもきっと、あんなふうに真っ直ぐ恋をしていた時間は、一生消えない。
空は、あの頃と変わらないくらい青かった。
私は小さく息を吐いて、空を見上げる。
その青さが、少しだけ眩しかった。




