第87話 土左衛門
女の子から聞いた話だ。
その年は(その年も、というべきか)異常気象で、梅雨時に突発的な豪雨が降り、水害が続いていた。そんなときに、出会ったお客の話。
場所はやや上等なビジネスホテル。
客は日に焼けた長身な男で、刈り込んだ短髪。がっちりした体格をしており、いかにもなガテン系だ。かといって乱暴な感じはなく、対応は紳士的。顔は売出し中の若手俳優に似ており、率直に言って好みのタイプだった。指名も三時間のロングで余裕があり、がっついてない。これは当たり客だな、とうれしくなる。
風呂にお湯を張りながら、ベッドに腰を掛けてしばらく雑談をする。
水害対策の公共工事のために出張で来たそうで、現場では責任のある立場らしい。「不謹慎だけど、書き入れ時だよね」と爽やかに笑っている。なるほど、それで景気が良さそうなのか。
風呂に入る。
男の逞しい背中を流す。分厚い筋肉に薄っすらと脂肪の乗った体つきはまるで中量級のプロ格闘家みたいだ。シャツの形にくっきりとした日焼けの濃淡があるのも子どもみたいで可愛い。ちょくちょく悪戯をしても「やめろよー」などと笑って、がっつかない。客だけでなく、何ならこれまで付き合ってきた彼氏たちと比べても余裕があって一番いい男だった。
そして一緒に湯船に浸かる。
格安ホテルでは二人一緒に入るなんてとても無理だが、この部屋なら十分可能だ。向かい合わせに足を絡めて、肩まで熱い湯に浸かる。
「ふう、あったまるねえ。毎日蒸し暑いのに、風呂はやっぱり熱々に入りたくなるのが不思議だよね」
「そうですね。わたしもお風呂は熱い方が好きです」
本当はぬるい湯の方が好きだ。のぼせやすいタチなのである。
しかし、男に気に入られようと話を合わせた。聞けば向こう数ヶ月は工事が続くらしい。上手くすれば何度もリピートしてくれるだろう。
肩まで湯に浸かりながら話をするうちにのぼせてくる。
のぼせたせいか、湯気のせいか、視界がぼやけてくる、
褐色で引き締まっていた男の体がどんどんふやけて、身体が膨らんで、メラニンが溶け出したみたいに肌が白くなっていき、眼球がどろりと流れ落ちて――
溺死体だった。
眼の前に座る男は溺死体に変わっていた。絡まった足を通じて、ぶよぶよと気色の悪い感触。湯船が腐汁で茶色に濁り、ヘドロのような汚泥が底に溜まっていて、ぽこぽこと泡が上がり、弾けるたびに腐臭が濃くなり、赤ちゃんみたいに膨れ上がった腕がこちらに伸びて、ぶくぶくに膨れ上がった指が手首を掴んで――
「どうしたの? 大丈夫?」
「あっ! えっ!?」
我に返ると、手首を掴んでいたのは男のたくましい指だった。
身体も引き締まった褐色の身体に戻っている。
「う、うん。ごめんなさい、ちょっとのぼせたいみたい」
「俺こそごめん、長湯に付き合わせちゃったね」
幻覚を見てしまったみたいだ。
のぼせるにしてもタイミングがあるだろうと苦笑いしつつ、風呂を出てサービスに努めた。愛想のいい男だからお世辞かもしれないが、「工事はまだまだ続くからさ。また指名するよ」と言った。きっとこれならきっとリピートしてくれるだろう。
しかし、それから何週間経っても再度の指名はない。
長かった梅雨が明け、工事も終わった頃だった。
ネットニュースを見ていて、思わず「あっ」と声を上げた。
あの客の顔写真が写っていたのだ。
詳細を読むと、河川工事中の事故で行方不明になり、ずっと下流で遺体が見つかったのだそうだ。遺体の状態まではニュースでは報じられなかったが、夏のことである。おそらく遺体はひどく腐乱していたことだろう。
あの日に見た幻覚の姿のように。




