第86話 みかん箱
女の子から聞いた話。
常連客からみかんをもらった。それも段ボール箱で。
そんなものをもらっても困るのだが、結構な太客だ。無下にして指名が途切れたらもったいない。その場はありがたく受け取っておき、段ボール箱を抱えて送りさんの車に乗った。
「あ、みかんっすか。いいっすねえ。俺、大好物なんすよ」
「ひとつ食べる? でも、変なもの入ってても知らないよ」
この業界の女の子は客からもらった飲食物を口にしない。薬物や体液などが入れられていることがあるからだ。たとえ皮を剥いていない果物でも油断はできない。注射器を使われれば、痕跡は小さな針穴ひとつしか残らないのだ。
「平気っすよ。俺、胃腸強いんで。それに毒見っす」
しかし送りさんはみかんをひとつ手に取って、信号待ちの間にぺろりと平らげてしまった。
「めちゃくちゃ美味いっすよ、これ! なんかのブランドものだったりしないっすか?」
段ボール箱は無地で産地などは書かれていないが、わざわざプレゼントするくらいだし高級品なのだろうか。車内に漂う甘酸っぱい香りに喉が鳴るが、やはり警戒心の方が勝つ。自分が手を出すことはなかった。
しかし、送りさんの方は「美味い美味い」と二個三個と食べてしまった。
事務所に戻って、店長に売上を渡す。
それと一緒にみかんの詰まった段ボール箱も渡した。
「何これ?」
「お客さんからもらったんですけど」
「捨てて捨てて。おーい、■■君」
さすがに店長は食べようなどとは言わない。
送りさんを呼んで捨てさせようとするが、
「ええっ! もったいないっすよ! これめちゃくちゃ美味いんすよ!」
「お前、食ったのかよ。何が入ってるかわかんねえんだから、捨てろ」
「ダメっすよ! 食べてみてくださいって! めちゃくちゃ美味いんすから!」
「食わねえよ。いいから捨てろ」
「絶対ダメっす! ほら、いいから食べて! 美味いんすから! 食えばわかるっす!」
「あー、めんどくせえな。じゃあ俺が捨ててくるよ」
「やめろ!」
送りさんは突然大声を上げ、段ボール箱をひったくって事務所を出ていった。
そしてそれっきり出社せず、音信不通になった。
後日、同じ客から指名があった。
「みかん、おいしかった?」と聞いてきたので、
「はい、おいしかったです」と誤魔化す。
「それはよかった。じゃあもっと欲しいでしょ?」
「いえ、あまりお客さんから物をもらうなって店長に叱られちゃったので」
すると客は「そう? 遠慮することないんだけどなあ。ホントに食べたんだよね? おかしいなあ」と、しきりに首を傾げていた。
その後、彼女はどんな客からも絶対に飲食物を受け取らないようにしたという。




