第85話 侍幽霊
女の子から聞いた話だ。
この仕事を始めたばかりの頃、毎晩悪夢にうなされることがあったという。
枕元に侍の幽霊が出るのだ。
幽霊は立派な裃を身にまとい、きれいに整ったちょんまげをしている。しかし、頬はやつれて目は落ち窪んで隈がひどく、肌は蒼白で明らかに生きた人間のそれではなかった。
ベッドで横になるたびにその侍が、
〈ああ悔しや 恥ずかしや 情けなや なぜ遊女などに落ちるのだ……〉
とずっと呟くのである。
その間は金縛りにあっており、とても眠った気になれず疲れも取れない。
とある占い師に相談したところ、それは先祖の霊ではないかという。子孫が風俗嬢になったことを嘆いているのだろうと。
そんなことを言われても、彼女だって事情があってこの仕事に就いたのだ。
はいそうですかとやめられるわけではない。
それならせめて供養をしなさいとアドバイスをされた。
侍の格好をしているから、きっと何百年も昔の人だろう。しかし、実家の墓は新しく、とてもそんなに古くからあるものとは思えない。
そこで彼女は思い出した。
子供の頃に、祖母から先祖の話を少し聞いたことがあった。おぼろげな記憶をたどると、そういえば先祖は武士だったと話していた気がする。
さっそく祖母に電話をして確認すると、確かに先祖は武士だったようだ。それも上級武士であり、千石だか二千石だかもらっていたらしい。
きっとその先祖の仕業だろう。お墓参りをしてみたいから場所を聞くと、
『供養なんかしなくていいよ!』
と吐き捨てるように言われた。
あまりの剣幕にびっくりして理由を尋ねると、
『ご一新のときにね、博打みたいな投機に手を出して身を持ち崩したんだよ。お向かいの■■さんの畑もね、裏の■■さんの山もね、本当はぜんぶうちのもんだったんだよ。それをあいつが台無しにしちまったのさ』
祖母も生まれていない頃の出来事だろうに、まるで見てきたように悪口を連ねる。
どうしてそんなに嫌いなのかと聞くと、
『若い頃にね、夢枕に立たれたんだよ。うちはスナックやってたろ? それで毎晩毎晩恥ずかしいだの情けないだのぐちぐち。そのうち腹が立ってね。バカヤロー! うちが落ちぶれたのはてめえのせいだろうがっ! って怒鳴ってやってね。それから出なくなってね。甲斐性なしの上に肝っ玉も小せえんだよ、あの野郎』
それを聞いて、彼女もその日に試してみた。
夢枕に立った侍に思いつく限りの罵倒を浴びせたのだ。
彼女がこの仕事を始めたのは経済的な理由である。この先祖がしっかりしていれば、自分も左うちわのお嬢様だったかもしれないのだ。そう考えるとだんだん本気で腹が立ってきて、いくらでも悪口が溢れ出てきた。
すると侍は落ち窪んだ目を丸くして、それから泣きそうな顔になり、やがてしおしおと萎むように消えていった。
それっきり、侍の幽霊が枕元に立つことはなくなったそうだ。




