第79話 焼身自殺
私の話だ。
その日の客先はマンションの一室だった。佇まいから築古の物件であることがわかるが、最近リフォームしたのだろう、外観はきれいに整っている。
客の部屋は四階。エレベーターに乗り、フロアに降りるとどこかから薄っすら妙な匂いが漂ってきた。焦げ臭い。誰かが鍋でも焦がしたのだろうか。
四○六号室のインターフォンを押すと、ばたばたと足音が響いてドアが開いた。焦げ臭い空気がむわっと溢れ出す。鍋を焦がしたのはこの部屋だったのか。いや、鍋と決まったわけではないが。
男は二十代半ばだろうか。陰気な顔つきで、私を見ると「ひひっ」と空気漏れのような声で笑った。
間取りはありがちな1DK。キッチンが目に入るが料理をしていた痕跡はない。もう片付けて、匂いが残っているだけなのだろうか。
バスルームに入ると焦げ臭さがさらに強くなった。匂いの輪郭がはっきりしてくる。灯油を燃やしたような化学臭と、焼肉のような生臭さが混ざっている。一体何をすればこんな匂いが残るのだろう。
「ひひっ、臭いでしょ。気になる?」
男の背中を流していると、鏡越しに話しかけてきた。
「この部屋ね、事故物件なんだよね」
「はあ」
それを話してどうしようというのだ。気分がよくなる女の子がいるわけがあるまい。しかし、男は私の辟易とした返事など無視して話し続ける。
「自殺なんだよね、自殺。何がつらかったんだろうね。仕事かなあ。ひょっとして失恋とか? 俺と同じくらいの歳だって。男がね、焼身自殺。灯油かぶってね、火をつけたんだって。なるべく迷惑をかけないように風呂場で火をつけますって、遺書を残して。迷惑かけたくないんなら、なんで焼身自殺なんだよって。ひひっ。笑っちゃうよね。バカだったんだろうなあ。まあバカでしょ。それでますますバカなのは、熱かったんだろうねえ。シャワーの水が出てたんだって。消そうとしたんだねえ。手遅れなのに。下の階の人が水漏れに気がついて、管理会社が来て焼死体とご対面ってわけ。あ、そのときはかろうじて息があったらしいんだけど、救急車が来る前に死んじゃったんだってさ。下の階の人、ちょうど出張中だったらしくてさ。何日かその状態だったみたいだよ。これがホントの半死半生、なんちゃって。ひひっ。ほんと救いようのないバカだよねえ。で、バスルームごと交換したんだけど、焦げ臭い匂いだけはどうしても取れなくって、それで家賃が格安。ありがたいよね。そう思うとあんまりバカバカ言うのもよくないのかな。バカな自殺をしてくれてありがとう。助かってるよ。ひひっ」
男は鏡に向かって両手を合わせておどけてみせた。
シャワーの飛沫が鏡にかかり、男の顔がまばらに歪む。まるでひどいケロイドみたいに。
それから仕事を済ませて、帰り際に「よかったよ、また指名するね」と告げられた。正直気乗りはしないが、NGにするほどのことではないので愛想笑いを返しておいた。
それから一ヶ月ほど経った頃だろうか。あのマンションで火事があったという噂を聞いた。消防車や救急車、パトカーが何台も来て結構な騒ぎになったらしい。
あの客がどうなったのかはわからない。私にわかるのは、結局リピートはなかったということだけだ。




