閑話4 一人飲み
「マスター、おかわり」
「濃いめで?」
「いや、普通で」
その日も私はいつものバーを訪れていた。
いつもきっかり十五分遅れてくる恵美さんが、三十分経っても、一時間経っても姿を現さない。どうやらすっぽかされたらしい。仕方がないのでしばらくぶりの一人飲みをしながら、プリントアウトした原稿に目を通していた。
原稿チェックは他人の目を通すのが一番だが、こうして紙で確認するとパソコンのディスプレイでは気が付かなかった文章の瑕疵や誤字脱字がひょいひょい見つかる。それらに赤ペンを走らせながらの作業だ。
「作家さんなんですか?」
一瞬きょろきょろしてしまうが、店内には私とマスターしかいない。
私に話しかけられたのだとやっと理解して、返事をする。
「しがないライターですよ。普段はWebメディアに記事を書いてます。名前も載らないような雑文仕事です」
「そうでしたか。いつも原稿とにらめっこされていましたから。それもお仕事のものですか?」
「いえ、これは……」
言葉に詰まる。口にするのが少し恥ずかしい。
しかし、世に出せば必ず他人の目に触れることになるのだ。こんなところで怖気づいてはいられない。
「作家になりたい、と思って。自分の名前が入ったものを、世の中に出したいな、なんて。よかったら読んでいただけませんか?」
ホラーなので苦手でなければ、と早口で付け足してしまう。
「ホラーですか。喜んで。わたし、ホラー大好きなんですよ」
意外なことに、そう言ってマスターは目を輝かせた。
人の表情を読むのは苦手だが、営業スマイルではなさそうだと思う。
原稿を渡すと、マスターは無言で読み始める。
『閑話3』からという半端なものだが、内容はちゃんと伝わるだろうか。汗ばんできた手のひらをハイボールのグラスを握って冷やす。
ハイボールの氷がカランと音を立て、マスターが顔を上げた。
「すみません、つい読みふけってしまいました。面白いですね」
笑顔で原稿を返してくれる。
ホラー小説を読んだ後に笑顔というのはどうなのだろう。ちょっと不安になってくる。しかし、心配は杞憂だったようだ。マスターは具体的なエピソードを挙げて、あれこれと質問や自分流の解釈を話してくれる。
まあ、聞き書きに過ぎないので、質問をされてもまともな回答なんてできず、まごまごするだけなのだが。
しかし、楽しんでもらえたのは間違いないようだ。
たったひとりでも、こういうのは他人の感想が一番の自信になる。
感想が一通り終わって、マスターが思い出したように言う。
「そういえば、今夜はあまりお召し上がりにならないんですね」
一人ですから、と口にしかけて、言葉を飲み込む。
なんだか寂しさが際立ってしまう気がしたからだ。
それを勘違いしたのか、マスターが「ああ、すみません」と頭を下げた。
「わたしが話しすぎたせいですね。おかわり、作りますか?」
「そんなことは……えっと、じゃあ、濃いめで」
「一杯でよろしいので?」
「ええ、一杯で」
それからは最近見たホラー映画の話などをして、時間を過ごした。
いつもより長く居座ったが、会計は安い。恵美さんの飲み代がどれだけかかっていたか実感する。
店を出るとき、マスターが笑顔で言った。
「これからも当店をご贔屓に。閑話のお店に負けないようがんばりますので」
閑話のお店はここなのだが、気が付かなかったようだ。
もう少し描写を足したほうがいいかもしれない。
しかし、もしこの作品が大ヒットしたら、この店が舞台だとわかると迷惑をかけるかもしれない。隠れ家的なお店なのだ。あまり客が押し寄せると困ってしまうだろう。
そんな幸せな皮算用に頭を悩ませながら、家路をたどった。




