第62話 落下霊
「このマンション、自殺が多いんだよね」
行為が済んだあと、その客は缶ビールのプルタブを引きながらこう言ったそうだ。
女の子から聞いた話。
嘘か真か、彼女は霊感が強く、ふとした時に幽霊を見てしまうことがある。
雑談でそんなことをぽろりと洩らしたら、客から冒頭の台詞を言われた。
「去年だけで三人も。分譲なのに、参っちゃうよね」
価値が下がっちゃうよ、と男はビールを呷る。
「タバコ、吸う?」
聞かれたので頷くと、男はカーテンを開いてベランダに出た。
彼女も後をついて外に出る。
曇っているのだろう。星も月も見えない。
真っ黒に淀んだ夜の底に、戸建てばかりの低い街並みが横たわっていた。
二十階から眺める景色にしては随分殺風景だった。
「ちっ、また見てやがるよ……」
男は火のついたタバコで手すりの斜め下を指した。
「ほら、あそこの明かりがついてる家。あそことあそこも」
タバコの火がくいくいと動く。
その先にはミニチュアみたいな一戸建て。
二階のベランダに立った主婦らしい中年女性が双眼鏡をこちらに向けている。
双眼鏡が上下にわずかに揺れていた。
「このマンションが建つときに反対運動があったらしくてさ。はっきりしたもんじゃないけど、嫌がらせ的なものを受けてるんだよね。それで神経が参っちゃう人もいるんだろうね」
だから自殺なんかしちゃうんだよ、と男は白い煙を細く吐き出す。
「でさ、霊感あるって言ったじゃん。何か感じたりする?」
首を横に振る。
「ふーん、自殺した人の幽霊が何度も飛び降りるとか、そういうのってないんだね」
首を横に振る。
「ま、安心したよ。幽霊が出るなんて噂が立ったら、ますます価値が下がっちゃうからね」
一服すると時間が来たので、彼女は客の部屋を後にした。
どちゃっ
マンションのエントランスを出ると、鈍い音が響いた。
どちゃっ どちゃっ どちゃっ
重く、柔らかいものが叩きつけられ、潰れる音。
離れてから振り返ると、スーツ姿の男が上から降ってくるところだった。
どちゃっ
地面に激突し、四肢があらぬ方向に曲がり、鮮血と肉片が飛び散って、消える。
次はロングヘアの女性が、
どちゃっ
次は白髪の老人が、
どちゃっ
またスーツの男性が、ロングヘアの女性が、白髪の老人が、
どちゃっ どちゃっ どちゃっ
男の部屋を見上げる。
あの高さまでは音が聞こえなかった。さすがはタワーマンションだ。
向かいの戸建に視線を下げる。
ベランダに立つ主婦の双眼鏡は、自殺者の霊の落下に合わせて動いていた。
視えてることに気づかれると厄介なのに。
彼女は何事もなかったように前を向き、送りさんの車に乗った。




