第58話 蹄の音
私の話だ。
その日の仕事先は住宅街の一軒家だった。送りさんには住宅街の入口で降ろされる。この住宅街は細い私道と一方通行が入り組んでおり、車で入るよりも歩いた方が早いのだそうだ。
季節は夏の終わりで、夕下風が涼しくなってきた頃。
予約時間よりもかなり早く着いていたため、暇つぶしに辺りを散策する。
道は緩やかな上り坂が続いていて、ウォーキングにほどよい。
身体が資本の商売だ。酒も飲むし夜更かしもするが、案外健康には気を使っているのである。
瓦葺きの古い家と、コピペしたような二階建てとがランダムに続く。
真っ直ぐな道はろくになく、左右に歪み、分かれ道や行き止まりも多い。
たしかにこれは土地勘がない人間が車で入ったら大変なことになりそうだ。
生け垣とブロック塀の間に、唐突に小さな鳥居が現れた。
常緑樹に挟まれて、苔むした石畳が夕闇に伸びている。
スマホを見るとまだ時間には余裕があった。
住宅街を歩いているよりは面白いだろう。
鳥居をくぐって境内に足を踏み入れる。
突き当りにはこぢんまりとした社殿。
賽銭箱はあるが、見上げても本坪鈴は下がっていない。
住宅街の唯中だからだろうか。鳴らされるとうるさいから外されてしまったのかもしれない。
賽銭箱に小銭を放り込んであたりを見渡すと、てっぺんが平らな岩の横に案内板が立っていた。この神社の縁起が何かが書いてあるのかと暇つぶしに読んでみる。
ずいぶん古い神社らしく、成り立ちは鎌倉時代まで遡るらしい。
このあたりは低い丘で、なんとかとかいう武将が城というか屋敷を建てて辺りを治めていた。しかし、あるとき不幸が起きる。戦に敗れ、敵軍に囲まれて一族郎党揃って討ち死にを覚悟する事態となった。
武将には美しい娘がおり、敵に捕らわれては辱めを受けるのが必定。そうなる前に自害をすることになったのだが、若い娘をひとり黄泉路に送り出すのはあまりにも不憫だ。
そこで、娘がかわいがっていた愛馬の首を切り落とし、死出の共にした。斬首台の代わりに使ったのがこの岩だそうだ。平らな面に広がった黒い模様が血の跡に見えなくもない。
こうして領主の一族は滅びたのだが、以来、妙な噂が立った。
娘と愛馬が死んだ時刻、夕暮れ時に歩いていると、首のない馬に乗った美しい娘の幽霊に行き逢うのだそうだ。そしてこれと出会うと激しい瘧にかかって、ひどいときには死んでしまうという。
これは娘の祟りだと恐れた人々はここに神社を建立し、娘の霊を慰めた。
「神社って、たまにこういう怪談話をしれっと載せてるよね」
まだ時間には早いが、もう見るべきものもなさそうだ。
神社をあとにし、客先に向かうことにする。
鳥居を出て、少し歩いた頃だった。
ぱかぱか ぱかぱか
うしろから何か音がする。
ぱかぱか ぱかぱか
音がついてくる。
少し早足で行くと、
ぱからぱから ぱからぱから
ついてくる音のテンポも早くなる。
駆け出すと、
ぱからっぱからっぱからっぱからっ
馬の蹄の音が、すぐ後ろまで迫ってくる。
ぎょっとして振り返ると、
ぱからっぱからっ ぱかっ……
四つん這いの全裸の男がいた。
肌は静脈が透けるほどに薄く白く、体毛は一本もなくつるりとしている。
スキンヘッドの頭は妙に縦長で、頭頂部がアーモンドみたいに尖っていた。
手足の先には空き缶が括り付けられ、それが蹄の音の正体だった。
男は椿色の赤い瞳をこちらに向けると、
ぱかぱか ぱかぱか ぱかぱか ぱかぱか……
方向を変えて横道に入り、生け垣の影に姿を消した。
追いかけて正体を見定めようなどとはもちろん思わなかった。




