第42話 いつだっけ?
女の子から聞いた話。
『中間テストはいつだっけ?』
ある晩、嫌な夢を見たのだという。実家のリビングで勉強をしていると、母親がそんなことを聞いてくる夢だ。
テストの時期をただ聞いてくるだけならば、普通の家庭でもよくあることだろう。しかし、彼女の感覚ではそんな意味ではないという。
要するに、遠回しに勉強しろと言っているのだ。
テストがもう近いことなど百も承知なのに、『いつだっけ?』とプレッシャーをかけてくる。試験勉強に限らず、一事が万事この調子で、朝の支度が少し遅れると『学校は何時からだっけ?』。夏休みの終わりごろ、残った宿題に追われていると『始業式はいつだっけ?』などという。
高校受験のときもそうだった。
『■■高校の願書受付って、いつまでだっけ?』
■■高校を受験しろ、とははっきり言わない。
私から受験したいと言わせたいのだ。
結局、母の希望に沿って受験をすることになった。毎日睡眠時間を削って勉強をしているのに、模試の結果が少し振るわなかっただけで『入試っていつだっけ?』などと口にする。
子どもながらに理不尽すぎると思ったが、合格すればもう文句を言われることはないだろうと歯を食いしばって勉強を続け、なんとか補欠で合格した。合格した志願者が辞退するかどうかで合否が決まるため、連絡を待つ間は針の筵であったという。
『補欠合格の連絡はいつだっけ?』
と、一時間毎に聞かれるのは彼女にとってこの世の地獄だった。そんなことを聞かれたところで、彼女にわかるはずもないのだ。
やっとの思いで入学した高校も、彼女にとっては地獄だった。
そもそも入試でぎりぎりだったのだ。入学後の成績も苦戦した。片道2時間の通学中はずっと教科書や単語帳とにらめっこしていた。部活にも入れず、友だちを作る時間もなかった。
いわゆるお嬢様学校で、経済的にも引け目があった。クラスメイトがおしゃれをしてカフェに出かけているのに、一緒に行けたことは一度もなかった。そんなお金の余裕がないのだ。
なるべくしての結果だろう。
クラスからは孤立し、いじめ……と呼ぶのも微妙な陰湿な空気が出来上がった。いや、いじめはいじめだったのだろう。しかし、お嬢様学校だけあって直接的な暴力や暴言はない。ただ遠巻きに陰口を叩かれるだけだ。
すっかり心を病んでしまい、高一の夏休みが明けるころには、ついにベッドから起き上がれなくなった。
食事もろくにとれない彼女に、母親が言った。
『始業式っていつだっけ?』
ぷちん、と何かが切れる音が頭の中で響いた。
彼女は家を飛び出し、そのまま夜の住人になった。紆余曲折はあったが、母親と暮らし続けることを考えたらずっとマシだったという。
その母親が夢枕に立った。
それも繰り返し、繰り返しだ。
かつて言われて嫌だった言葉を何度も繰り返してくる。
『中間テストはいつだっけ?』
『学校は何時からだっけ?』
『入試はいつだっけ?』
『始業式はいつだっけ?』
原因には心当たりがあった。
もうすぐ母の一周忌なのだ。かろうじてつながっている地元の友人から、母が去年死んだことは聞いていた。知らされたとき、悲しいとも、ざまあみろとも思わなかったことをおぼえている。
その晩も夢に母が出た。
リビングの蛍光灯がぷつぷつと音を立てて明滅している。トントンと包丁を使うその背中が言う。
『私の命日、いつだっけ?』
この期に及んでまだ言うのか。
頭の中で、ぷちんと何かが切れるあの音がした。
「言いたいことがあるんなら、はっきり言いなさいよ! そうやって遠回しに私を操ろうとするのがいっちばん嫌だったの! はっきり命令して、責任を取るのが嫌なだけだったんでしょ! 卑怯なんだよ、あんたは! させたいことがあるんなら、はっきり言えよ!」
一気にまくし立てて、ぜえぜえと息切れする。
夢の中なのに、胸が苦しい。
トントンと続いていた包丁が止まった。
「一周忌なんでしょ。線香を上げてほしいんなら、そう言いなさいよ」
母の背中がゆっくりと振り返る。
その素振りは優しげで、しかし、寂しげで、そして、これまでに見たことがない顔で、
『こっちに来るのはいつだっけ?』
と笑った。
目も口も、墨で塗りつぶしたように真っ黒だった。
汗塗れで目を覚ました彼女は、すぐにお寺に向かったそうだ。
成仏を祈るためではない。お祓いを頼むためである。




